015.描写を構築する【工程】(2021.03.20)
いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。
私、小説における描写についてお悩みの声をよく拝見します。
あるいは動き(アクション含む)の描写が苦手だったり、あるいは情景の描写が苦手だったり。
『“説明”するな、“描写”せよ』を旨とする私としては、『自分はどのように“描写”するのか』について言及するのも一手ではあろうかとも考えます。
以下、我流の考察。よろしくお付き合いのほどを。
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◎作者の脳内イメージにおけるカメラ・ワーク
まず私の認識するところ、『小説とは、作者の脳内イメージを、文章にエンコードしたもの』です。
ゆえに観客の脳内に浮かぶのは、『文章をデコードしたイメージ』。なので観客の脳内イメージは作者の脳内イメージに強く影響されます。
例えば作者が脳内でカメラ・ワークを駆使すれば、(文章へのエンコード手法に左右されるとは言え)観客の脳内でも近いイメージがデコードされやすい――ということになります。
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【例】
【1】TRPGのマップ的俯瞰視点
テーブルを挟んで北にAが、南にBが立っている。Aは怒ってテーブルの灰皿をBに投げ付けた。
【2】B背後からの視点
テーブルの向こう側に立つAから、Bは灰皿を投げ付けられた。
【3】Bの視点寄り、映画を意識したカメラ・ワーク
いきなり灰皿が飛んできた。テーブル向こう、Aの眼には怒りの光が満ちていた。
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ここで解説を。
まず【1】ではマップ上の配置のごとく、『上空から見下ろした光景』をイメージしています。登場人物やテーブル、灰皿などを等しく視界へ収める撮り方ですね。
これに対して【2】では、登場人物Bの背後から撮影しているイメージです。AとBの位置関係、灰皿の動きが立体的に感じられやすいように一工夫しています。
さらに【3】では、迫力を意識してカメラ・ワークを組んでいます。B本人の視界を意識して、まず飛んできてBの眼前に迫る灰皿を捉え、次に灰皿の飛んできた方向、つまりテーブル向こうにAの姿を捉え、最後にズームしてAの表情(特に眼)へ焦点を合わせていく流れです。
この場合の脳内イメージは【1】→【2】→【3】の順で『映画的な魅せ方』を前面に押し出しておりますが。演出意図によっては、同じ現象を横から捉えても、アオリ気味に捉えても良いわけです。例えばTRPGのリプレイであれば、【1】の描写でプレイ感を再現するのも一手ですね。
このような『魅せ方』を意識して振り返ってみれば、以下にご紹介するような『描写の構築【工程】』が見えてきます。
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◎【我流】描写(媒体問わず)の構築【工程】
1a.作者の脳内構築イメージ(状態単体)
作者が思い描く『元現象や元風景のイメージ(状態単体)』。5W1H、何がどこに、【どのような状態で存在するのか】。シーンの要を構成する『状態』をフラグとして並べた状態。演劇であれば『脚本から“動作”のト書きを除いたもの』が近い。
1b.作者の脳内構築イメージ(状態移行):
作者が思い描く『元現象や元風景のイメージ(状態移行)』。5W1H、何がどこにあり、何を目指して【どう動くのか】。状態を繋ぐ中間要素の具体的イメージ。人間ドラマであれば仕草など『芝居』、戦闘シーンで例えるならば『殺陣』に相当。この時点ではカメラ・ワークなど描写テクニックは、まだ直接関係しない。
例えると、演劇の稽古で芝居を、大道具で風景を作り込んでいく感覚が近い。
2.作者の脳内演出イメージ(脳内イメージ完成段階):
脳内で構築した元現象に対して、『いかに魅せるか』の演出を加えたイメージ。
映像であったり文字であったり、あるいは仮想体験であったりと様々。映像一つにしても俯瞰映像、カメラ・ワーク駆使の映画的映像、あるいは没入VR型映像など、種類は多様。
例えると、元現象をBestな角度やカット・ワークで魅せるために、観客の脳内で再現したいイメージとして『絵コンテ』へ落とし込む感覚が近い。この【工程】で、訴えかけたい『表現対象』の優先順位付けと、強調手法が定まる。
3.実際の媒体描写:
2.で構築した個々のイメージを、表現媒体に合わせてエンコードする『表現』の『仕上げ段階』。
例えると映画の撮影や漫画の描画、文章へのエンコードなどが当てはまる。
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さてこの構築【工程】、前述の『脳内イメージとカメラ・ワーク』の関係性と重ねてみると、さてどうでしょう。
演出意図を『映画的カメラ・ワークの再現』として捉えてみたなら、『【1】→【2】→【3】』の順で、おおむね『1.(1a.+1b.)→2.→3.』の構築【工程】を踏んでいることがお解りいただけるかと思います。
これら【工程】を経て構築されるイメージのうち、観客の脳内で再構成されるのは2.の成果物を基にしたイメージです。2.でカメラ・ワークを駆使したなら、観客の脳内でもカメラ・ワークが再現されやすい道理。また逆に静止画としてイメージするなら、観客の脳内でも静止画として再現されやすい道理です。
ここで考えられる仮説が一つ。
これら【工程】のいずれかが欠けるか、あるいは未発達だと、『思い通りに表現できない』現象に拍車がかかる――というものです。
例えばアクションを含めて『動きの多い場面』を描こうとしたなら、上記1.~3.全【工程】を駆使することになります。よってアラが出やすく『コレジャナイ感』に繋がることも多くなるはずです。
逆に会話シーンや初歩的“説明”は、動きが少なくとも比較的成立させやすい印象を抱きます。例えば『科白+簡素な状態変化』という具合に。
この場合、『2. が未開拓』『1b.が発展途上』でも成立させることは不可能ではありません。ただし、1.~3.全体を鍛えていくと、より『観客の頭に入りやすくなる』ものと推定されます。
各【工程】における表現のキモは、それぞれ下記のようなところであろうと推察します。
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1.で構築する『広義のアクション(動き、芝居、殺陣)』そのものの『説得力』や『巧みさ』、あるいは『インパクト』
2.で構築する『カメラ・ワーク』や『表現対象の優先順位付け』『写し取り方』
3.で構築する『具体的表現の工夫』
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となると、各【工程】のために鍛えるべきは、
1.の【工程】のために【演技力】:『モノや人の存在そのもの』とその『動き』、【演技】
2.の【工程】のために【描写力】:【演技】の『魅せ方』(例:カメラ・ワーク)
3.の【工程】のために【各媒体における表現力】:『(表現媒体に応じた)描写手法』(例:文章力、画力)
ということにもなりましょう。
では――ということで、ここで浮かんでくる疑問もあろうかと考えます。
即ち――静止物体や風景では、描写の勝手が変わってくるのではないか?
その疑問に対し、私の回答はと申しますと。
――『何を焦点として映すか』が大切なのは同じです。要はこの描写構築【工程】、静止物体の描写にも応用は可能と考えているのですね。
以下に【例】を挙げてみます。
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【例】
(1)事実の羅列
私は眼を覚ました。いつもより明るく感じた。午前10時だった。
(2)描写に『流れ』を作るカメラ・ワーク
眼が覚めた。部屋がいつもより明るい。枕元、目覚まし時計へ眼を遣る――10時。
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ここで(2)では、以下の工夫で『流れ』を作って描写しております。
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・明転のイメージ:『眼が覚めた』
・部屋を巡る視線を追って『流れ』を作る:動きを作って、その中心にある焦点へ観客の注意を集中させる(部屋→枕元→目覚まし時計)
・具体的なアイテムを捉える:焦点を絞って、より具体的な視覚情報を喚起する
・アイテム(目覚まし時計)の象徴している情報を明示する:アイテムが目覚まし時計なので、情報は『時刻』。
・暗示:『寝過ごした』
(『いつもより明るい』→『目覚まし時計』→『10時』の順で、『寝過ごした』事実へ向けて焦点を絞っていく意図もある)
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カメラ・ワークの利点の一つとしては、『状態を動きとして描写できること』があります。
静止した物体の状態を描写するにも、『カメラの焦点を動かす』ことで要点(つまりそのカットの主役)を作り、その存在を描写する際に『時間軸の流れ』を味方に付けられる――という考え方。
つまりは静止物体や情景を表すのにも、カメラ(焦点)を動かせば『動きの描写』を持ち込める――というわけです。
焦点をカットの主役に当て、そこから配置を追えば『時間軸に沿った流れの表現』を作り出すことが可能になる道理。
そして『流れ』の中心は、暗に『観客に最も注目してもらいたい焦点』を表すものにもなる――という、これは目論見です。
『動きの描写』は、カメラの焦点を浮かび上がらせるのに非常に有用と、私は考えております。
ならば静止物体を描き出すに当たっても『動の描写』を持ち込めば有用である道理、そのためにはカメラ自らが動いてでも『流れ』を作るという手法は威力を示すことでありましょう。
というわけで、描写の構築【工程】を通して表現を鍛える――というのも筆力を磨く一手となるであろう――というのが私の考え方なのでした。
よろしければまたお付き合い下さいませ。
それでは引き続き、よろしくお願いいたします。