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163.押す【表現】、引く【理解】(第6回)(2024.06.15)

 いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。


 私、このところ『【表現】が【意図】した通りに【理解】されない……』という【お悩み】について【考察】を巡らせております。


 「【理解】されたい!」という【願望】は誰しも持つものですが、同時に「【押し付け】なんてまっぴらご免だ」という【意志】もまた同様でありましょう。


 ここで“【無理解】の【意志】”というものの【存在】は明らかですが、同時に『好んで【理解】したくなるもの』が【存在】するのもまた【事実】。

 つまり“【理解】の【意志】”の【存在】も明らかですが、これらは元々【別個】の【存在】です。ただし【押し付け】のような“【思考の自由】に対する【侵略】”が“【理解】の【意志】”を削り、同時に“【無理解】の【意志】”を育ててしまうであろうこと、これは【ご理解】いただきやすいものと考えます。


 ということは、【観客】に【理解】を求める上では、“【理解】の【意志】”を知らねば始まりません。


 あくまでも、“【理解】の【意志】”は“【観客自身】の【自由意志】”によるものです。これを【尊重】せず【押し付け】を試みるなら、【作者】は“【思考の自由】に対する【侵略】”に出たことになり、むしろ“【無理解】の【意志】”を育ててしまうことになります。

 ならば【作者】として真っ先に【認識】すべきは、【観客】の【個性】を認め、その【人格】と【思考の自由】を【尊重】すること――ということになりますね。


 【自分自身】を振り返ってみるなら、『【興味】や“【理解】の【意志】”が育つという【現象】は、【自由意志】に基づき、【自然発生】的にしか起こらない』という【事実】が見えてきます。


 そして【自由意志】は個々人の【個性】と【価値観】にのみ基づいて生じます。


 ということは、つまり『【興味】や“【理解】の【意志】”は外からは【制御】できない』わけです。よって【作者】や【作品】として【理解】を求めるなら、『【興味】や”【理解】の【意志】”を持ってくれる【観客】のところへ行って、寄り添う』しか【方法】はないことになります。

 ここでもし逆の【観客】までも取り込もうとするなら、その時はせっかく【興味】を持ってくれた【観客】から、【興味】も“【理解】の【意志】”も削っていくことになりかねない――というわけですね。


 確かに【表現】は、【観客】の【視界】へ押し出さなければ届きません。これ自体は【事実】です。

 ただし一方で、『【理解】とは、【観客】の中に予め【存在】する“【理解】の【意志】”から【慎重】に引き出すもの』、これもまた【事実】です。


 であれば『【表現】は押し出すもの、【理解】は引き出すもの』と【イメージ】してみれば、腑に落ちるところもありましょう。

 つまり【表現】を押し出すこと自体は【必須】ですが、一方で【理解】を引き出すという【繊細】な【作業】のためには、【表現】の押し出し方もまた【繊細】にならざるを得ない――というわけです。


 【目的】はあくまで“【理解】を引き出すこと”と捉えれば、自ずと【優先順位】は定まるというものですね。


 そこで前回は、【理解】されるための【表現】について【考察】を巡らせてみました。


 【観客】へ向けて【表現】を押し出すに、その【力】は弱く済ませるに越したことはありません。

 ただ一方で、私が【観客】として上手く【理解】を引き出された【表現】があることも確かです。


 少なくともその一例は“【現実】そのものの一部を用いた【表現】”です。

 これなら【観客】も【理解】を【拒否】できない【存在感】を備えていますし、【作者】としても押し出す【力】を込めずに済みます。もちろん“【現実】そのもの”では【表現】としての扱いに【難】を抱えますから、【表現】の【形】としては“【現実】の【シミュレーション】”というところが挙げられそうです。


 今回はこの“【現実】の【シミュレーション】”という【表現】の【形】について掘り下げてみましょう。


 ◇


○“【現実】の【シミュレーション】”という【表現】の【形】


 ではこの“【現実】の【シミュレーション】”という【表現】の【形】、“【現実】そのもの”とはどう違うのか――と申せば。


 その最たるものは“【作者】の【演出意図】”、その【存在】でありましょう。

 ここで【演出意図】は【作者】の【表現意図】の一環、という【位置付け】にあります。【表現全体】を【構築】していく上で、その部分部分で【必要】とされる中小の【表現】、それを【効果的】に表す【演出】の【目論見】――というところですね。


 【演出意図】があるからには、【表現】するものは“【現実】そのもの”とはいきません。ただし【可能】な限り、“【現実】に近い見え方”を装うことはできます。この装い方が【シミュレーション】というわけです。


 【演出意図】があれば、それを【小テーマ】とする【小物語】を作ることができます。ただしその【小物語】を【説明】の形ではなく、“【現実】そのものの見え方”と同じように“【現象】の連なり”として【提示】する――という、これは【方向性】なわけです。


 もちろん、【演出意図】を【提示】するのに“【現象】の連なり”だけしか使わないわけではありません。【現象】や【事実】の数々を繋ぐ【事実関係】がもちろんあって、【作者】としてはこの【事実関係】に【意図】を込めるわけですね。


 ということは【演出意図】に相応しい【小物語】、その【展開】と【事実関係】はどうなるか――という、言うなれば【翻訳作業】が生まれます。【表現】の【表層】、あるいはその【パーツ】として用いるのは“【現実】に【存在】する【現象】や【事実】、およびその数々が織りなす【事実関係】”なのですが、これらを【パズル】のように組み合わせて【演出意図】に相応しい【小物語】を組み立てる、というわけです。


 もちろんその【過程】では、【演出意図】を【分解】して個々の【パーツ】やその並びに置き換え(【翻訳】や【エンコード】)、さらに【小物語】として【再構築】する、という【作業】が発生します。

 この【作業】自体は、【表現意図】や【演出意図】を【行間】に込めていくためには【必須】です。ただし【行間】を作り込めるとなれば、【表現】の幅も深みも大いに豊かにしていけることになります。

 よってこのやり方、【表現】の【鍛錬】としては巨大な【可能性】を秘めているわけで、【見返り】は決して小さくありません。


 また、ここで用いる【表現】の【パーツ】は【現実】に【準拠】しているものです。

 ですから、それこそ『【現実】の持つ【存在感】や【説得力】を【表現】に借りてくること』が【可能】になります。


 さらに、ここで加えて【作者】が【客観】に徹すれば、さてどうでしょう。


 この場合、“【表層】の【表現】”は『【現場】の【現象】と【事実】を(【演出】を込めつつも)【客観的】に示す』という、【実況】に近い【形式】になります。

 このとき、【表現】の【表層的】な【形】は『そこに【作者】が【主観】という【力】を込めない【客観表現】』に近付いていくわけです。そうなると【表現】を押し出す【力】は【最小限】にまで抑えられますし、であれば【観客】から【理解】を引き出す【ハードル】もまた下がる――という【効果】も【期待】できることになります。

 もちろん【作者】として決して【楽】ではないにしろ、その【労】に見合う【理解】が、【観客】から引き出しやすくなる――という、これは私なりの考えですね。


 ◇


 さて、今回は一旦ここまで。


 押し出す【力】を極力込めない【表現】の【形】を、私は“【現実】の【シミュレーション】”と【ご紹介】しました。これは、主として『そこに【作者】の【演出意図】があるから』です。


 もちろん【観客】から直接観える【表現】としては、【現実】の見え方に極力近い【現象】を【配置】します。ただしこれら一連の【現象】を【シーン】という【小物語】として観るとき、そこには【小テーマ】が、【事実】や【事実関係】の【形】に【翻訳】されて込められている――というわけですね。


 さらにこの【シーン】を、【作者】が【客観】に徹して描くとき、“【表層】の【表現】”の観え方は『【現場】の【現象】と【事実】を(【演出】を込めつつも)【客観的】に示す』という、【現実】の【実況】に近い【形式】になります。こうなれば、【作者】から【表現】を押し出す【力】は【最小限】にまで抑えられることになります。


 もちろん「もっと【理解】を引き出したい!」という【作者】の【心理】もありましょう。ただ、私はそこに【難しさ】の【存在】を【予測】もします。


 これについては、次回お話しいたしましょう。


 よろしければまたお付き合い下さいませ。


 それでは引き続き、よろしくお願いいたします。

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