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157.【自己満足】と【シラケ性】(第9回・完結)(2024.04.27)

 いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。


 私、ここのところ以下のような【心の声】について考えております。


『それって単なる【自己満足】じゃない?』


 この【心の声】、私は【シラケ性】と称しております。要は『何事に対してもノレない、醒めた【心理】』というところ。【自己満足】とともに、【ニュアンス】としては必ずしもいい【印象】と結び付いてはおりません。

 ですが、【絶対悪】というわけでもありません。さらには【作者】としての【自分】の【心理】に湧き上がってくるものでもあります。


 ならば、ものは使いよう。

 実は【シラケ性】は、【自分自身】を【俯瞰】、【検証】する役に立てることが【可能】です。また【自己満足】は【他者満足】と【両立】させて【Win-Win】に持ち込めばいい話。

 つまり接し方次第、やり方次第というわけですね。


 【自分】の【シラケ性】と向き合うには、【反論】を用意するのが大変【有効】です。ただし、【反論】自体は【論理】でかつ【厳選】するのが望ましいところです。

 実は【安易】や【短絡】で【ゴリ押し】に走る、“【好評価】を【観客】から【強奪】する【姿勢】”は、【逆】に【自分】と【観客】の【シラケ性】を【誘発】する【結果】を招きますので。


 ここで【他者満足】も含め、“【シラケ性】に対する【反論】”として【必要】なのは“【観客】を【人格】として【尊重】する【姿勢】”です。【人格】を【尊重】されずして【満足】は生まれませんから。


 その上で。

 【現実】において【他人】の【心理】をどう感じ取るか――と考えてみれば、実は『【他人】の【情動】は、【論理的事実群】やその【流れ】から、その【背景】として読み取るしかない』と判ります。

 つまり【現実】を模する形であれば、『【論理】を用いた【間接表現】として【情動】を表すことは【可能】』なわけです。


 実は【現実】でも、“【筋書き】のない【ドラマ】”が見出される【傾向】というものが【存在】します。


 ここでは“【現実】という【論理的事実群】から【ドラマ】という【情動】の源を読み取る【現象】”が起きているわけですが、つまりこれは『【観客】の多くが“【論理的事実群】から【情動】を【デコード(復号)】する【能力】”を持っている』ということを【意味】するわけです。ならば【文章表現】という【論理的事実群】にもこの【デコード(復号)】の【能力】は働き得るわけで、【作者】としてもこの【能力】は、大いに磨いて【研究】もする【価値】のあるもの、ということになりますね。


 というところで、前回はここから【シラケ性】へと踏み込んでお【考察】を巡らせてみました。


 【シラケ性】を【観客】の【立場】から【観察】してみれば、そこに見えてくるものがあるわけです。『【作者】に【都合】よく操られる』、特に『【没入】やそのための【労】を【作者】に【搾取】される』という【負】の【経験】や【警戒】がそれですね。


 であれば、【作者】としても【シラケ性】を【回避】するためにやるべきことが見えてきそうです。


 前回はこの辺りについて、お話ししてみました。



 『【観客】に【シラケ性】を招く【リスク】』というものを【最小化】しようとするなら、少なくとも『“【必要最小限】以外の【嘘】”は、“【観客】の【シラケ性】にいつ【直結】するか解らない【地雷】”でしかない』ことになります。


 ここで“【設定】という【大嘘】”に限っては、『【作品】の【ウリ要素】として、【観客】は【観賞時点】に【承知】してくれている』ことになります。

 ですがいわゆる【小さな嘘】や、【現実世界】に【存在】しない“【作者】の【主観】“はこの限りではありません。


 ならば『“【表層】の【表現】”ほど【現実】にある【事実関係】を踏まえ、かつ“【作者】の【主観】”を排して【客観】に徹する【姿勢】』が持つ【意義】は、極めて大きい――と言えそうです。


 では【作者】として【やりたいこと】はどうするか。この点について、今回は【考察】を巡らせてみましょう。


 ◇


○【我流】:【自己満足】と【シラケ性】、その【向き合い方】


 ここで、「それじゃ【作者】の【やりたいこと】や【ワクワク】が込められない!」という【反感】は、私としても【予想】のうちです。


 私は【客観】に徹する【意義】の大きいところを、“【表層】の【表現】”と申し上げました。つまり【作者】が【やりたいこと】や【ワクワク】を込めるに適するのは“【深層】の【表現】”で示されるところ――ということになります。ここで【やりたいこと】や【ワクワク】は、【自己満足】に置き換えることもできますね。


 例として、思い起こしてみていただきたい【現象】があります。

 【他人】が好きなことを【直接的】かつ【思い付くまま】に並べ立て、これらを延々と【説明】していく――いわゆる“悪い【意味】での【オタク語り】”というものです。


 『いかなる【分野】の【オタク語り】にも【順応】できる』という人は、決して多くありません。【作者】の【やりたいこと】【ワクワク】についても【同様】です。

 つまり圧倒的大多数の【観客】に対しては、【やりたいこと】や【ワクワク】を“【表層】の【表現】”で【展開】するのは、極めて【リスク】の高い行為なのです。


 ゆえに【作者】が【やりたいこと】や【ワクワク】を込めるに向いているのは、“【深層】の【表現】”と私は考えているわけです。


 では、“【深層】の【表現】”に【作者】の【やりたいこと】や【ワクワク】、言い換えれば【自己満足】や【情動】を込めていく方法は、どうすればいいのか――と申せば。


 ここでは【シラケ性】に対する【反論】が欲しいわけですから、【我流】としては『【自分】がハマった【表現】から“【論理的】な【学び】”を得る』という【考え方】をお勧めしておきます。これは逆から捉えるなら、『【シラケ性】を【論理的】に封じる【手法】というものを【徹底】して【学ぶ】』ということになりますね。【論理】ですから【客観的】、よって【自分】の【心理】がどうあろうと揺らぐことはありません。【シラケ性】に対して【一貫】した【反論】が【用意】できるというわけです。


 ここで得にいく【学び】は、『【論理】としての【演出】や【技法】が、実際に【自分】の【心理】や【情動】にどう【影響】したか』というものです。

 巷間よく言われる【創作論】とはひとまず【距離】を置き、あくまでも【自分】の【心理】や【情動】を【サンプル】として学んでいくわけです。【自分】の【心理】や【情動】が、いかなる【演出】や【技法】や、あるいはその【並び】に【反応】したのか。その【流れ】はどうなっているのか。そこに、他の【要因】はないか。などなど。


 お察しの方もおいででしょうが、この【学び】は基本的に“【他作】を自ら【観賞】した【経験】”からしか得られません。“【他作】を【観賞】した【自分】の【心理】”を不可欠の【サンプル】とするからです。


 これは淀川長治氏の名言「映画監督になりたいなら、(敢えて挙げるなら)一本の映画を十回観返しなさい」(意約)にも通じますね。そうして【他作】から【影響】を受けた【自分】の【心理】や【情動】を足がかりに、【他作】に込められた【演出】や【技法】を【観察】するわけです。

 さらにはその【演出】や【技法】がどんな【構成要素】から成り立っているのか、個々の【構成要素】はどのように働いているのか、果てしなく【観察】を【細分化】し、【論理的】に【解像度】を高めていくことになりますね。


 そうした【演出】や【技法】の数々、それこそ【論理】が、【自分】の【心理】や【情動】といかに結び付いていくのか――それを【体感】した上でなら、【創作論】もどこからどこまで【有効】なのかを【検証】することが、【可能】になっていく道理です。


 そうなれば【シラケ性】に対する【反論】も、【論理】として【明確】な形を帯びていくことになりましょう。また【他者満足】に関しても、【可能】な限り【多方面】から【満足】を【提供】していけばいい話。これも【論理】として【明確化】されていくはずです。


 かくして【自己満足】と【他者満足】、【シラケ性】に対する向き合い方は【論理的】に【確立】できる――という、これは【我流】の考え方なわけです。

 もちろん【楽】ではありませんし、また【唯一】でも【絶対】でもありませんが、少なくとも一つの【やり方】として【足場】にすることはできましょう。


 ご参考にしていただければ幸いです。


 よろしければまたお付き合い下さいませ。


 それでは引き続き、よろしくお願いいたします。

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