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141.【芝居】の【描写】、その【効能】(第8回)(2024.01.06)

 いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。


 私、ここのところ“広義の【芝居】”、つまり私が好んでよく用いる【描写】について、【我流】なりに【考察】を巡らせております。


 私の【認識】するところ、“広義の【芝居】”の【役割】は、「全部【理解】して欲しい!」という【心理】から生じる【問題点】、この数々から【作品】を守る――というものです。


 その【問題点】の少なくとも一つは、私の【認識】するところ『【作者自身】が【作品】を“心に響かない【説教】”に仕立て、さらには【作者】の【姿勢】についても「口(【言葉】)だけ【達者】で、【奥深さ】を持たない」と見せてしまいかねない』というもの。


 ではなぜ、“広義の【芝居】”でこの【問題点】から【作品】を守ることが【可能】になるのか――と申せば。


 「全部【理解】して欲しい!」と言わなければ、『“【優先順位】の低い【情報】”は、“伝わらない【観客】には伝わらなくてもいい【表現】”で示す』と考えることもできるというもの。であれば『【行間】という【概念】を活かす』という【方法論】が、【選択肢】に上がってきます。これは【奥深さ】を表す上で【有利】に働く考え方です――【表現】が『口(【言葉】)だけで終わらない』、つまり【間接表現】を備えるからです。


 そして私なりに申せば、“広義の【芝居】”とは、『【表現意図】を“【動き】という【間接表現】”に【翻訳】したもの』です。


 こう割り切ってみると、今度は【表現】をある種の【基準】をもって大別することができるようになっていきます。

 即ち、『【表現手法】として【静】と【動】、どちらを重んじるか』。


 例えば「全部【理解】して欲しい!」ための【直接表現】となれば、それは【作者】の気が済むまで、その一瞬の【状態】を【記述】することになります。そこに【時間】の【流れ】が織り込まれるわけではなく、ゆえに“【静】の【表現手法】”と私は【認識】するわけです。


 では、私が“【動】の【表現手法】”と位置付ける【芝居】はと申せば。


 “【芝居】という【動き】”には“【登場人物】や【物体】の【主観】や【行動原理】(複数)”が埋め込まれていて、その【状態】を例えるなら“【不可逆圧縮】の【エンコード(暗号化)】”ということが観えてくるわけです。


 もちろん【不可逆圧縮】ですから、【観客】全員が【デコード(復元)】できるわけではありません。ただ、『そこに込められた【意味付け】が(複数)【存在】する』という【間接表現】としては伝わりやすくなります。これは【現実】にも【存在】する【奥深さ】にも通ずるものですね。


 もちろん、【容易】な【表現】とは申しません。


 “広義の【芝居】”は【登場人物】の【人格】、ひいてはその【背景】にある【作品世界】全体の【原理原則】を【不可逆圧縮】で【エンコード(暗号化)】した上に成り立っているわけですから。


 ただし、だからこそ『“【表現】に際する【容易さ】を求める【作者】”』の【作品】からは【差別化】しやすいことになりますね。


 この【位置付け】とその【難度】を踏まえた上で、“【芝居】の組み方”を【考察】してみますと。


 “【動】の【表現手法】”として“広義の【芝居】”を捉えるに、【我流】の【定義】は、“【シーン(状況)】の【変化】や【落差】の【原因】となる【動き】”です。これは【シーン】の【存在意義】を踏まえれば、自ずと【優先順位】は定まります。

 そして“【変化】や【落差】の【原因】となる【動き】”であるからには、“【時間経過】の【表現】”は【不可欠】ということになりますね。


 ですが“【静】の【表現手法】”つまり【直接表現】では、『【静止】した【物体】や【状態】を、その【背景】(これも【過去】であって【静】に分類できる)を交えつつ【説明】または【描写】する』わけです。ここに【時間経過】の【概念】は、ないとは申しませんが【希薄】でありましょう。


 前回はこの【時間経過】、もっと申せば“【時間】に関わる【表現】”について、掘り下げてみました。


 『“【動】の【表現手法】”としては、“一つの【動き】”の中にある【時間経過】さえ【細分化】して【認識】する【必要】に迫られる』ということになりますが。

 これを“【表層】の【直接表現】”としようにも、『【動き全体】を一つの【塊】として括れない』ことになります。となると、【動き】の全体と細部一つ一つ、それぞれに込められた【意図】をはじめ、そこにある【情報量】は【膨大】になります。しかも全てを【表層】で【表現】することになるわけです。つまり【表現】として【現実的】ではなくなります。話が全くと言っていいほど進まなくなりますから。


 ここに“【行間】の【表現】”を用いる【必要性】は【確定】、よって【間接表現】としての“広義の【芝居】”は【存在意義】を【確定】するわけです。


 今回はこれを受けて、“広義の【芝居】”で【必要】になる【考察】について、お話ししてみましょう。


 ◇


○【考察】:【芝居】の組み方(その3)


 総合すれば、『【作者】として、“【シーン】を【構成】する【物事】の【タイム・スケジュール】”を【細分化】して【認識】する』というところですね。

 もちろん【作者】として【認識】する【タイム・スケジュール】を【細分化】するからには、【登場人物】の【認識】も【心理】も【動き】までも、【作者】としては【細分化】して【認識】することになります。そして【細分化】するということは、『一連の【動き】を【細分化】し、“【具体的】な【パーツ】としての【動き】の【集合体】”として【認識】するということ』でもあります。『【解像度】を上げる行為』の一種、とも捉えられますね。


 例として『銃を構える』という【動き】を考えてみましょう。

 この【動き】も【細分化】すれば『目標を見据える→銃把に手を伸ばす→銃把を掴む→銃を抜く→銃を持ち上げる→(銃把にもう一方の手を添える)→視線上に照星を重ねる→銃を止める』という具合に【分解】できるわけです。

 もちろん【時系列】上で他の【動き】(や、それを描く【必要性】)が割り込まなければ、その時はこれら一連の【動き】を『銃を構える』という【表現】にまとめればいい話です。

 ですが、“割り込む【動き】やその【判断材料】”があるならば、さてどうでしょう。もちろんその場合は、『割り込まれるのはどの【時点】か』、『割り込みによって生じる【影響】と、それに基づいた【変化】は何か』といったことを【特定】する【必要】が生じます。つまり【表層】の【表現】とはまた別に、『適宜“【解像度】を上げて【分解】できる【認識】の持ち方”は【必要】』ということです。


 これは【動き】に限らず、【認識】や【心理】についても同様です。

 何らかの割り込みが【発生】したら、どの程度の【タイム・ラグ】で【知覚】し【認識】し、どういう【心理】の【変化】が生じて、以降にそれがどう【影響】していくのか――を考えて【表現】に【反映】していくことになるわけです。何も思わないこともあるでしょうが、逆に【相手】への【心象】が【変化】することもあるでしょう。それはその【瞬間】以降の【判断】に【影響】を与え、場合によっては【動き】にまで【変化】をもたらすはずです。

 こういった【現象】に対する【認識】や【表現】は、“【作者】として【認識】する【タイム・スケジュール】”を【細分化】するとしないとでは、大きな【差異】へと【発展】していくわけです。


 ここで、私としては【予想】する【反応】もあります。

 「え? 何それ【演者】さんと同じ【解釈】するの?」という【疑問】ですね。

 これに対する私の【回答】は単純至極、「その通りです」。


 “広義の【芝居】”という【言葉】にも込めている【考え方】ですが、私が【重視】しているのは、『【登場人物】の【動き】まで含め、“【作品世界】上の【現象】を【再現】すること”』です。である以上、『【作者】は【物理的】な【身体表現】の直前まで、【演者】でもある』という【認識】ですね。【大根芝居】を晒したいならば止める【理由】はありませんが、“【迫真】の【描写】”を目指すなら【有力】な【手法】と捉えている――と、そういうわけです。


 もちろんここで、この“【演者】と同じ【解釈】”をくだくだしく【直接表現】することは【推奨】しません。【説明科白】が往々にしてうっとうしく感じられるのと、【理由】は同じです。


 では、どうやって諸々の“【変化】とその【解釈】”を【表現】するか。

 【我流】では、これ自体を【表層】で【表現】することにこだわりません。次なる【動き】や、そこで表される【変化】に【反映】させれば済むことです。要は“【行間】の【表現】”とするわけで、代わりに『“【作品世界】上の【現象】”として【表面化】する【動き】や【変化】を【描写】すること』に【注力】します。


 ◇


 さて、今回は一旦ここまで。


 “【動】の【表現手法】”において『“一つの【動き】”の中にある【時間経過】さえ【細分化】して【認識】、【再現】する』からには。【作者】は“【作品世界】の【現象】”に入り込んだかのごとく、つまりは【演者】と同じように【役作り】と【演技】を(【物理的】な【動き】の【寸前】まで)【展開】することになるわけです。私が“広義の【芝居】”という【表現】を用いる由縁ですね。


 もちろんここまで【動き】にこだわるのは、私なりに考える【意義】あってのことです。


 次回はこの【意義】について掘り下げてみましょう。


 よろしければまたお付き合い下さいませ。


 それでは引き続き、よろしくお願いいたします。

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