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131.【自分】の【文体】を振り返ってみる(第4回)(2023.10.28)

 いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。


 私、ここのところ『【自分】の【文体】が辿った【経緯】』を振り返ってみております。

 『【小説】の【文体】としては【特殊】な【構成】を有している』という【自覚】はもちろんありますが、その【文体】にご興味をいただいたこともまた【事実】。


 ならば【文体】の【背景】にあるものを掘り起こしてみることにも、相応の【意義】はあろう――という、これは考えですね。


 で、執筆を始めた時点で抱えていた【悩み】、そのうち【文体】に関わるものはというと。


・【語り】(俗に言われる【地の文】)の語尾がパターン化しやすく、特に『~だ(だった)』、『~である(であった)』が【頻出】する。このため【文体】として【単調】に映りがち

・“日本語として【一般的】とされる【文章構成】”では、(【映像】を含む)【擬似体験】的な【脳内イメージ】が構築しにくい

・“【音】としての【文章】”の【完成度】を【追求】し始めると、さらに“【日本語】として【一般的】とされる【文章構成】”の【制約】が厳しく感じられる


 ……などなど。


 これを受けて私が採った方策は、『【自分】で【ダサい】と思った【表現】は【封印】する』というものです。要は『~だ』と『~である』を【自作】から【排除】するわけですね。他にも『~をする』とか。


 実はこれ、一文単位で【工夫】を強いられるわけで。つまり頭は常時フル回転ということに。とんでもない【荒行】になった――と始めてから思い知るという【猪突猛進】と【七転八倒】。←をい


 で、前回は【猪突猛進】からの【七転八倒】で、どういう【工夫】を思い付いたか――という辺りに触れてみました。


 【荒行】と腹を括って開き直ったなら、そもそもの【定石】から離れてみる――というのが私の考え。


 そのためには【自分】なりに【原理原則】を【認識】する【必要】があるわけです。

 私は【創作】の【目的】の中に『“【趣味嗜好】の近しい人”を巻き込んで、ともに楽しむこと』を掲げるわけですから、つまり『“【理解】しやすい【表現】”というものを、【自分】なりに【開拓】しなければならない』ということになります。


 今回はこの辺りのお話を。


 ◇


 と、ここまでを【感覚】で【理解】して。

 私はヒントを【映像表現】に求めました。単純に「好き!」だったからですが、同時に優れた【表現】の【存在】をここに【認識】していたからなのは間違いありません。いや正確には『数ある【映像表現】の中にも“【表現】としての優劣”が確かに【存在】する』という【認識】があって、その【発展】として『ならば優劣の間にある【違い】がヒントになるはず』という【認識】が【感覚的】に成立したわけですが。


 その優劣の中に“【理解】しやすさ”もまた含まれている――という、これが私の考えなわけです。


 そうして【映像表現】に親しむ我が身を【感覚】で振り返ってみれば、“【理解】の【過程】”が【存在】することに気付いたわけです。言い換えると『“【理解】が【成立】するまでの【過程】”には【順序】がある』ということですね。


 もう少し掘り下げてみると『【観客】は一度に全てを【理解】しているわけではない』ということになります。そうなると次は『“【自分】の【理解】が成立する【過程】”を【分析】していけば、【理解】の【過程】(プロセス)が紐解ける』ことになる道理。


 そう気付いてみればしめたもの。この【気付き】は『“【理解】の【過程】”をなぞるように【文章表現】すれば、【映像表現】に近い【理解】を【誘導】し得る』という、少なくともその【可能性】が【存在】することを【意味】します。それが『【日本語】として読んで、【理解】しやすければいい』ということになる――と、これは【感覚】で【理解】したわけです。


 なおこの【段階】までも、実際に書き出す【文章】については【試行錯誤】を繰り返しています。こと長編の【冒頭】については、【物語】の【背景情報】を【提示】しながら、同時に【面白さ】についても【追求】せねば、私の気が収まりません。もちろん簡単に【納得】のいく出来に【到達】できるはずはなく、【文体】ともども書いては消し、「リブート!」までも繰り返しています。

 ただ、この【姿勢】が【自分】なりに【文体】を構築していく役に立った――という【可能性】は大いにあります。


 さて。

 『“【理解】の成立する【過程】”を探る』という【背景】を持って【映像表現】を【観察】してみると、確かに“優れた【表現】”に共通する【傾向】が見て取れます。

 例えば【視線誘導】と呼ばれる【技法】ですが、当時の私としては“【観客】としての【視点】”から、“【視点】や【意識】の【焦点】が【誘導】される【現象】”を【認識】して、その【過程】を【自分】なりに【感覚】で【解釈】し取り込んでいったことになりますね。


 当時の私が“【理解】の【過程】”として【確信】したのは、“【映像】における【認識】のルート”です。ただしこれは自前で【映像】を、少なくとも【自分】の【脳内】に描いて初めて【成立】するものです。


 そうなると【映像】センスが云々、ということになりますが、そこは【自分】なりに「好き!」な【映像表現】から範をいただくこととしています。【具体的】には「映画監督になりたいなら、(良質と感じた)映画を一本につき十回観返しなさい」(淀川長治氏の名言)というものですね。これだけで【良質】な【映像表現】をどこまで【体得】できるかはまた別として、“良さそうな【映像表現】に対する【感覚】”を磨く【手段】にはなるわけです。


 ◇


 さて、今回は一旦ここまで。


 『“【理解】しやすい【表現】”というものを、【自分】なりに【開拓】する』という【命題】をのヒントを、私は【映像表現】に求めました。


 振り返ってみれば、“【観客】としての【自分】”の【感覚】を通じて、私はここで“【認識】の【過程】”を学んだことになります。

 この“【認識】の【過程】”、“【理解】しやすさ”というものを捉える上で大いに役立ったことになりますね。


 では――と【文体】の話へ行く前に。

 私はここまでの【過程】で、【映像表現】からさらに【学び】をいただくことになりました。その【学び】が【文体】のみならず、【描写】全般に通じる巨大なヒントになったものと、私は【自覚】しております。


 次回はこの【学び】から【文体】を【構築】していくまでのところをお話ししましょう。


 よろしければまたお付き合い下さいませ。


 それでは引き続き、よろしくお願いいたします。

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