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127.【言葉】の【意味】、【体験】の【重み】(第13回・完結)(2023.09.30)

 いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。


 私、このところ【説教】つまり【言葉】(【直言】)と【上質な物語】、その違いの間に【存在】するはずの【説得力】というものについて【考察】を巡らせております。


 【言葉】は“極限まで【簡略化】されている【媒体】”で、その【背景】があって【手軽】に扱えるものです。が、ゆえにこそ逆に損なわれるものもありますね。その【言葉】そのものを“【事実】と【認識】する【根拠】”は、その一つというわけです。


 その上で、【説得力】つまりは“【事実】と【認識】する【根拠】”の在処は――と【考察】しますと、『【説得力】の宿る【主体】は【体験】』というところへと至ります。


 ここで、“【説得力】の源”として機能する【存在】を、『最初から【存在】するもの』ではなく、『“【観客】からの【信頼】”によって生まれるもの』と捉えてみれば、“【説得力】としての【リアリティ】”に関しても見えてくるものがありますね。


 【観客】を【人格】として捉え、それぞれ【個性】を持つ【観客】一人一人が抱く“【信頼】の【根拠】”というものを考えてみれば。つまりは『【個性】に基づき、“【信頼】の【根拠】”は【多様】に【存在】する』わけです。

 となると“【信頼】の【根拠】”は【他人】の身で決め打ちできるものではない、ということになります。従って『“【信頼】の【根拠】”に符合し得る【情報量】』をいかに多く仕込むか、というところに“【説得力】を築く足場”が見えてくるものですね。


 ここで【観客】が持つ“【信頼】の【根拠】”の在処にしても、また【情報量】を稼ぐ上で有利なのも、実は【体験】です。


 ならば“【体験】という形式”こそが、【観客】に“【信頼】の【根拠】”を【提示】するのに極めて【有利】な【表現】――という【仮説】が成り立つわけです。


 これを受けて、【体験】として“【現象】の【現場】”を作り込む、その際の【作者】の【姿勢】についてまとめを試みるならば。


 自他の【人格】と【思考の自由】を【尊重】し、かつ【観客】が持つ“【信頼】の【根拠】”と【作品】内の【事実関係】を符合させ――と、これは一見して回りくどいやり方です。ですがこれに私がこだわる【背景】には、一つには“浅はかな【小悪党】”との間に明確な線引きを試みる【姿勢】があるわけです。



 【他人】の立場から【信頼】というものを見ようとするなら、その手がかりは【当人】の【言動】に求めるしかありません。いずれの側も【心理】を読み取ることも、ましてや『思い通りに操ること』もできないわけですから。


 そう考えるとき、【作者】の【言動】が“浅はかな【小悪党】”と重なって映ってしまうとしたら。


 これは【作風】や、【作品】にまつわる【言動】も含めてのことになりますが、そこに【観客】が浅はかさを、悪くすれば【悪意】を読み取ったとしても、責めるべき【理由】は【存在】しません。

 しかもこの【傾向】は、【観客】が【観察眼】を充実させているほど強まります。【観賞経験】に比例して“不愉快な【経験】”を得た【可能性】は大ですし、そこから学んだ【可能性】も同様ですから。


 私の【認識】するところ、『俗に言われる【攻略法】なるものは、“【過去】の【環境】における【成功例】から【抽出】した【ヒント集】”であって、それ以上でも以下でもない』ということです。

 従って『【攻略法】を【忠実】に【実行】している』という【アピール】は『【環境】の【変化】に眼を向けず、よって【現状】を捉える【努力】も【工夫】もしない』という【手抜き宣言】にも等しいわけです。


 これを【観客】が見抜いたら、さてどうでしょう。特に【場数】を踏んで“浅はかな【小悪党】”も見てきた“【観察眼】のある【観客】”なら、その【可能性】は極めて大でありましょうが、『【信頼】に値しない【作品】および【作者】の【特徴】』という【判断】を下すわけです。【作者】ごと【ブラック・リスト】に入れられたとして、私は不思議に思いません。


 ではこの逆、“【信頼】としての【説得力】”に繋がるであろう【作り込み】は――ということについて、前回はお話ししてみました。


 “【現実】と地続きのところ”へ“【設定】という【大嘘】”を馴染ませる【作り込み】は、もちろん【設定】ごとに【必要】になります。【設定】ごと、ということはつまり【作品】ごと、つまりは【Case by Case】というわけで、ここに【共通】するものはただ【姿勢】しかありません。要はこの部分、【攻略法】として括りようがないわけです。


 すると“【攻略法】頼みの【姿勢】”というものは、『【作者】が【信頼】に値するか』を観る上で【重要】な【意味】を帯びてきやすいことになります。これは“【信頼】としての【説得力】”を観る上で、軽くない【判断基準】にもなりそうです。


 今回はこの辺りを含めて、まとめとして参りましょう。


 ◇


 このような【背景】を【認識】した上で、です。“【攻略法】頼みの【姿勢】”を公然と打ち出す【作者】を見たならば、さて【観客】として何が観えてくるでしょうか。


 【作者】は『【攻略法】に謳われていないことはやらない(【理解】しない)【姿勢】』を公然と打ち出しているわけです。であれば、『【Case by Case】の部分は【放置】されるであろうこと』は容易に【予測】できますね。


 これが【意味】することは、『【作者】は【作品】に“小さな【嘘】”を大量発生させて恥じ入りもしない』ということです。

 これでは【作者】の【姿勢】や【誠意】に、【期待】を抱けという方が【無理難題】というものです。


 また同時に、【作者】が“【攻略法】頼み”を声高に叫んでいるとなれば。

 まずこれは、『【作者】が【攻略法】を、“【観客】から【信頼】を【獲得】するための【積み上げ】”と【認識】している』と【判断】する【根拠】になります。

 その上で【作者】は『直接的に【積み上げ】を【アピール】している』わけで、つまり『【アピール】していないところでは【積み上げ】ていない』という“マイナスの【アピール】”を【展開】していることになります。


 総合すれば、『【作者】は【観客】から、手っ取り早く【作品】に対する【評価】をかすめ取ろうとしている』という【メッセージ】を、【作者】自ら声高に叫んでいるも同じ――ということになりますね。


 かくのごとく“【攻略法】頼みの【姿勢】”、もっと申せば“【思考停止】の【姿勢】”は【危険】と【認識】するわけです。


 ここでさらに、例として使わせていただいた『“大きな【嘘】”と“小さな【嘘】”』に関して、【観客】の【心理】に【我流】の【考察】を巡らせてみます。


 【フィクション】では、『“大きな【嘘】”として“【設定】という【大嘘】”を一つを置くことには、【観客】は【寛容】でいられるわけです。

 ですが、“【設定】という【大嘘】”がもたらす【現象】の数々において、【作者】の【手抜き】や【不手際】から生じる【不整合】、つまり“小さな【嘘】”には、【観客】は【寛容】を示しにくい――ということになります。


 その【理由】を【考察】するに、【我流】では以下のように捉えます。


 まず“【設定】という【大嘘】”については、【観賞】前から【観客】の中で【心の準備】ができているため――と考えられます。何なら【期待】さえ抱かれていても不思議はありません。


 一方で、【観客】にとって“小さな【嘘】”は不意打ちに相当します。これは『“【物語世界】における【擬似体験】”を壊す【不出来】』と申せましょう。

 この【不出来】はつまり『【作者】の【手抜き】または【不手際】』ということです。


 であれば、『“小さな【嘘】”で【観客】が醒めやすく、また“【物語世界】における【擬似体験】”、もっと言えば【信頼】をぶち壊されて怒ることも多い』という【現象】にも【説明】がつきそうですね。


 【注意】すべきは、ここで“【設定】という【大嘘】”を受け入れるか否かは【観客】の【価値観】、『どの【領域】の【嘘】が受け入れられるか』による、ということです。

 受け入れられない【観客】は、そもそも【作品】を【観賞】しに来ないはずです。

 これは【分野】(カテゴリィ)や【領域】(エリア)の問題であって、【我流】では『【程度】で【線引き】する問題ではない』と【認識】しています。従って『【リアリティ・ライン】を割る』という【認識】は、【我流】の【考察】には【適合】しません。改めてお伝えしておきます。


 ここで申し上げたいのは、『【体験】でこそ【観客】は【物語世界】へより強く【没入】する』ということです。だからこそ【物語】あるいは“【物語世界】での【擬似体験】”は【観客】にとって【重要度】が高いわけで、そのためにこそ【物語世界】に対する“【説得力】という【信頼】”は【重要】というわけです。


 また【体験】に関しては“【現象】の【現場】”こそが【説得力】(とそのための【情報量】)の上で極めて【有利】です。


 そう考えればこそ『【説明】するな、【描写】せよ』と私は考えるわけですが、ここまでの【考察】を踏まえれば『【言葉】で説くな、【体験】で示せ』という言い方の方が的確であるのかも知れませんね。


 それほどの【信頼】を【観客】から託されるためには、【作品】内において“【現象】の【現場】”というものを、【物語世界】と【物語】のその場その場で【検証】とともに【丁寧さ】をもって【構築】してこそ――というわけです。


 ゆえに【丁寧さ】の【対極】、【お手軽さ】を【作者】が求めるほどに、【信頼】も【説得力】も遠ざかる――という、これは【考察】になりますね。


 なぜなら“【嘘】のない【事実】”は“【現実】にある【現象】”の中、縦横無尽の【事実関係】の中にこそ多く含まれるから

――と、考える私なのでありました。


 よろしければまたお付き合い下さいませ。


 それでは引き続き、よろしくお願いいたします。

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