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121.【言葉】の【意味】、【体験】の【重み】(第7回)(2023.08.19)

 いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。


 私、先日より、【説教】つまり【言葉】(【直言】)と【上質な物語】、その違いの間に【存在】するはずの【説得力】というものについて【考察】を巡らせております。


 【言葉】は“極限まで【簡略化】されている【媒体】”で、その【背景】があって【手軽】に扱えるものです。が、ゆえにこそ逆に損なわれるものもありますね。その【言葉】そのものを“【事実】と【認識】する【根拠】”は、その一つというわけです。


 その上で、【説得力】つまりは“【事実】と【認識】する【根拠】”の在処は――と【考察】しますと、『【説得力】の宿る【主体】は【体験】』というところへと至ります。


 【手軽】ゆえに、『口(【言葉】)だけ【達者】』、『【言葉】だけなら何とでも言える』、という【姿勢】が成立するというわけですが。

 ならば同じ【言葉】であっても、【内容】を込める【難度】が高めであれば。

 これなら“【手軽】に騙そうという【邪な意図】”は弾かれやすくなる道理。そのために【具体】の集合体である【体験】は、【嘘】が通じにくい分だけ【信頼】即ち【説得力】に繋がりやすいはず――という、これは【推測】ということになりますね。


 この“【信頼】としての【説得力】”について、少し掘り下げてみますと。


 【持論】としては、【リアリティ】は、そもそも『【観客】の【認識】(【信じたい】か否か)に基づいて生まれるもの』です。

 つまり“【説得力】としての【リアリティ】”は、『【根源的】に、【作者】が【制御】できるものではない』ことになります。なぜなら、『【信じたい】か否かを決めるのは【観客】の心であって、外から操作できるものではないから』です。


 ここで、“【説得力】の源”として機能する【存在】を、『最初から【存在】するもの』ではなく、『“【観客】からの【信頼】”によって生まれるもの』と捉えてみれば、“【説得力】としての【リアリティ】”に関しても見えてくるものがありますね。


 こと【信頼】を念頭に置くなら、【観客】に【尊重】されたいなら、【作者】およびその【作品】としてまず【観客】を【尊重】せねば始まらない――というのが、私の【持論】です。


 【思考の自由】に対する【尊重】に始まり、実は【作者】のこの“【観客】を【尊重】する【姿勢】”にこそ【信頼】が集まるというわけです。もちろん【大前提】として、【作者】は【作品】に【全力】を尽くす、つまり【手抜き】はご法度ということになりますが。


 そしてこの“【作者】への【信頼】”を足場として、さらに【表現】に対して(今度は『【無知】ではない』という方面で)“【信頼】という【説得力】”を【獲得】していくことになる――という、これは私の【考察】ですが。


 前回はこの辺りを掘り下げてみました。


 【観客】一人一人が持つ“【信頼】の【根拠】”というものを考えてみれば、つまりは『“【信頼】の【根拠】”に符合し得る【情報量】』をいかに多く仕込むか、というところに“【説得力】を築く足場”が見えてくるものですね。


 ここで【観客】が持つ“【信頼】の【根拠】”の在処にしても、また【情報量】を稼ぐ上で有利なのも、実は【体験】です。


 ならば“【体験】という形式”こそが、【観客】に“【信頼】の【根拠】”を【提示】するのに極めて【有利】な【表現】――という【仮説】が成り立つわけですね。


 この【気付き】を踏まえて、今回は“【信頼】の【根拠】”により踏み込んで【考察】を巡らせてみましょう。


 ◇


 ここで、“【体験】に内包される【情報量】”に眼を向けてみましょう。


 【現実】に【存在】する“【現象】の【現場】”においては、【事実】は水面下の【事実関係】によって縦横無尽に繋がっています。

 このため、“【現象】の【現場】を写し取った【文章】”においては、『“【現象】の【現場】”が持つ、“【行間】の【情報量】”は極めて多い』ということになります。


 つまり“【現象】の【現場】を描く”時、“【現実】に【存在】する縦横無尽の【事実関係】”を反映していればいるほど、“【行間】の【情報量】”は飛躍的に【増大】することになります。しかもそこにあるのは“【現象】の【現場】”であって、つまり【嘘】はそれだけ少ない――ということになります。


 ここで得られる【気付き】があります。

 【説得力】とは【観客】が自ら抱く【信頼】によって生じるものですが、これは『“【説得力】という【信頼】”は、“【現実】に【存在】する【現象】の【現場】というものの【再現度】”に比例して“【獲得】しやすくなる”』のです。


 この辺りの【解説】を試みましょう。

 【現実】に則して“【現象】の【現場】を描く”ならば、そのことで得られる“【行間】の【情報】”は【現実】の【事実関係】に由来するものです。

 であれば、ここで描き出された“【行間】の【情報】”が、『受け手の“人生という【体験】”の中にあって“【信頼】の【根拠】”とされる【記憶】、即ち【観客】自身が【現実】に【遭遇】した、“【現象】の【現場】”の【記憶】と【符合】する』こと、その【可能性】と【数】(=【情報量】)は絶大、ということになるわけです。


 これが【フィクション】であるにせよ、【事情】としては同じです。


 “【設定】という【大嘘】”によって生じる【影響】というものが、『【現実】を元にした【現象】として緻密に【シミュレーション】され、【再現】されていた』としたら、さてどうでしょう。そうして【再現】され描き出される“【現象】の【現場】”では、【フィクション】なりに【観客】の“【信頼】の【根拠】”と【符合】する【事実関係】が、最大に達するのではないでしょうか。


 こうして築かれた【信頼】は、『“【作品】内で描き出される【現象】”に対して、“擬似的な【事実】として【没入】してよいもの”という【認識】を【獲得】しやすい』わけです。


 この【背景】にあるのは“【嘘】に【存在】しないもの”、つまりは『【事実関係】という【根拠】』の数々です。ただし“【行間】まで含めた【情報量】”の観点からすれば、“【言葉】(≒【説明】)によらない形のもの”、つまり【現象】として【提示】されることが望ましい、ということになりますね。


 ◇


 さて、今回は一旦ここまで。


 ここまでの考えは『【観客】が持つ“【信頼】の【根拠】”のうち、大多数が【実体験】の中にある』という【認識】に基づいておりますが。

 では【実体験】を【構成】している【事実】の数々はというと、【事実関係】で縦横無尽に繋がっているわけです。

 ならば、『【観客】が持つ“【信頼】の【根拠】”の大多数が、“【実体験】に内包された(縦横無尽の)【事実関係】”の中にある』とも言い換えることができることになります。


 こう考える時、“【フィクション】における【信頼】の【根拠】”の在処についても、『(【観客】の【実体験】にある)“【現象】の【現場】”の水面下で縦横無尽にに【存在】している【事実関係】』という【推測】が成立するわけですね。


 この点を踏まえて、次回はこれら“【信頼】の【根拠】”を【提示】する【姿勢】についても【考察】を巡らせてみましょう。


 よろしければまたお付き合い下さいませ。


 それでは引き続き、よろしくお願いいたします。

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