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「BlackHoleへようこそ」

作者: 結城 遊(ゆうき ゆう)
掲載日:2015/12/05

名作、否、迷作短編集です。世にも…的な話もあり、童話風のものあり、恋愛もあります。よかったら、寄ってってくださいまし。では、これにて。

「泥棒が盗んだのは、お嬢さんの心ですby○型」

 ひらり舞うは、桜の花弁。島田結にした髪に差した花の簪が、風にそよいでいる。

こら、そっちに行くな。息も切れ切れの父親が、なまった足をひきずりながら追いかける。

「あの人を帰してくれたら、止まるわ。とにかくまだ、お嫁には行きとうない」

あっかんべー、可愛い仕草が良く似合う少女は、時に振り返りながら父との追いかけっこを楽しんでいた。

「まだそんなこと言うんか、いいかげん諦めたらどうや?」父も負けじと追いかける。

「大人の事情は知らん、知りたくもない。父ちゃんの鬼、悪魔!」

少女が振り向いた時、そこには刀の鞘があった。思い切り額を打った少女は、地面でうずくまってしまった。慌てた父親は、血相を変えてお侍に何度も何度も、頭を下げた。

「いや、良いんですよ。嬢ちゃん大丈夫かい?」少女を立たせると、土を払い微笑みかけた。

「元気なお子さんで、大変でしょう?私の子もこれぐらい騒がしいといいのですがね…」

ははと相槌を打つ父親を、不思議そうに少女は見上げていた。

「父ちゃん、帰りたい、漏れそうや」着物の裾を押さえ、もじもじする少女と相手の顔を見合わせ、はぁと濃いため息をつくと、良ければお名前をお伺いしたいのですがよろしいでしょうか?と、必殺の笑顔と手もみで相手の様子を窺う。

「あぁ、いや、名乗るほどの者ではありませんよ。お気になさらず」

では、とすたすた歩き始める相手の後ろ姿に頭を下げる父親。少女は目の前に広がる土手に広がる、草原にしようかと真面目に考えている。

「静、お侍さまにぶつかっておいて、あの態度はなんや!怒るでしかし!」

「なんや、何がいけないん?私が走る原因を作ったのは誰やと思ってんねん?

お父ちゃんやろ?医者の跡取りかなんか知らんけど、いきなり結婚せいなんて横暴すぎるわ!」暖かい感じが、足元に広がる。啖呵を切ったのに、複雑な空気になった。

「この着物高いんやで、どないしよ。」少女は涙くんで、父の腹をぽこぽこ殴りだした。

「お父ちゃんは、いつも金や。私が可愛くないんやな、きっと。父ちゃんのアホ、阿呆!」


 「阿呆はどっちや。お前こそ、阿呆や。親子なんやから、それくらい分かれや。」

誰かに言ってほしかった言葉が頭に響く。あっつい空気が顔のまとわりつくのを感じた。

「お天道様は、見てるで。お前のアホ顔」はぁ、失礼な妄想だこと。いや、妄想じゃない。

「誰ですか?人の部屋で!」

「泥棒やって言ったら、驚くか?しかし、面白いなあんた」へへと見せた白い歯が、謎を呼ぶ。状況を分かっているのか、私の部屋で、見知らぬ男がこちらに笑いかけている。

「あぁ、頭は正常やで、心配無用。隣にいる客人に用があるだけやから、何にもせえへんし。」

「あぁ、ほうか。なら、さっさと立ち去ったほうがいいかもしれんな。外がなんだか騒がしくなってきたさかい。」少し意地悪な気持ちで、ひそひそ誘導する。今宵は祭りでもないのに、外の通りが騒がしい。この男、何者や。私が口を開いて、思い切り叫んだら、見つかってしまうというのに…。

「ありがとさん。ほなな」と、襖を少し開くと周りを窺う男。雲に隠れてた月が、窓から差し、男の背を照らす。洋装の短髪男は、少し頭を下げ出て行った。翌日の朝、その男は新聞の一面にどうどうと、乗っていた。


 「要人が用心せずに、暗殺されたし」酒の席で、部下が厠に立ったとき、知らぬ顔とすれ違ったそう。そのあとは、想像できるだろう?部屋に戻ると、要人は眠るように亡くなっていた。目立った傷もほとんど無く、何が原因なのかいまだに分からぬと締めくくられていた。

殺された要人の写真が一緒の載っているのだが、なんと隣に住む偏屈な老人だった。

「なんとあの爺さん、元太政大臣らしい。こいつは驚いた!」貧乏長屋に住む要人とは、なんとも変わっている。やはり、変わっているな。

「あんた、早く仕事生きなよ。これ、弁当」握り飯と、少しのおかずを一緒に包み手渡す。

「そういえば、昨日遅くに帰ってきたら、知らない匂いが家に漂ってたんだ。まさかおめえさん、男いるのか?」普段ののんびりとした口調が、尖る。焦るな、何もないのだから、焦るもんじゃない。言い聞かせると、なにが?と返してみる。大丈夫、大丈夫。

「いや、なんでもねぇ。考えたらお前の器量じゃ、男は釣れねぇわな」行ってくるぜと玄関を出ていく夫。お天道さんはしっかり見ていたようで、驚いた。

「ほんまや、ど阿呆やな。私からあの人が消えん」

お静から漏れた告白は、得も知れぬ泥棒に持ってかれた心の叫びだった。

END


「我が儘王女と理容師」

「にゃんてこと、私としたことが、なんて様かしら!」

猫のシルクは言いました。

シルクのような毛並が自慢なのに、水洗していない絵の具の筆のようになっていたのですから!

「王女さま、お呼びでしょうか?」ねぼけた調子で、部屋を訪れた執事は驚きました。

部屋の中いっぱいに、白い毛が溢れておりました。

「何を…!」言葉を詰まらせる執事に一言、言い切りました。

「こんなごわつく毛は私の毛じゃないわ。だいたい、なんで一晩でこんなにひどくなるのかしら?メイドの誰かとか?もしかして、妬みかしら。毛並が特別いいからって、こんな事、本当に卑しい心が。」

勝手に犯人にされてしまったメイドたちを部下に持つ執事は、大層困ってしまった。

欲しい男も、物も、地位も、金も手に入れられる立場の王女。心はどうしようもなく、歪みが生じてしまう。だが、誰も可哀そうだと思わない。気づかないのだ、彼女が精一杯の我慢と意地を張り、王女らしく振舞っていることを誰も気付けないのだ。この男以外には…。

「私にいい考えがあります。この国一番の理容師に、王女様の体毛を整えて頂くのはどうでしょう?更に、美しくなることでしょう」

シルクは満足げに頷くと、城に連れてこいと命じた。

その日の夜、城の大広間に国一番の理容師が傅いていた。

「そなたが、国一番の理容師、リヴァンだな。さっそくやってくれ」

シルクも女の子なので、ルンルン気分で理容師の前に駆け寄る。

「はぁ、ハサミを入れるなど…、恐れ多くてとても出来ませぬ」

「にゃんじゃ、我の言うことを聞けぬと言うか!」

激高したシルクは、理容師の手に握られているハサミを取ると、理容師の髪を突然切った。

「リヴァン、そなたの髪を切ったのは誰だ?」

「王女様でう」震える彼にそっと、手を差し伸べると立たせた。

「私は、そなたの髪を切った。だから、切れ。怖いだろ、憎いだろ。私を、私の欲を切ってくれ。」

小さく震える王女は、さながら少女のように泣きじゃくった。自身の自身による、作品である「王女」の鎧を脱ぎ捨てたいと心から願い、乞うた。

開いた口が締まらないリヴァンは、複雑な気分になり、そして分かった。

この人は一人の人間として、一人の人間に頼んでいる。王女と平民(職人)ではなく、2人の人間が対峙している。ここは、男として引き受けなければ、女を泣かす男は最低だ。

そう決心し、まだ泣いている王女を椅子に座らせた。首からてるてるぼうしの白い服をかけられた王女に優しく聞いた。

「お客さま、どんな毛型にしたいですか?」

男の笑顔に、ブルーだった王女の気分も治った。

「動きやすい、涼しい毛型にして。あと、雨に濡れてもすぐに乾く感じがいいな。重たくてしょうがなかったの…。」


               END






「あの子のこと」

 黒河ひろみ。同級生の中で、タブーになっている話題がある。長い髪の日本美人。秋に差し掛かった2学期のある日、転校してきた子。僕らの前に突然現れて、突然消えたあの子。何が好きとか、どこに住んでいるとか、情報がほとんどない。深く知り合うことを避け、孤立とは違う誰もが密かに崇め、憧れ、恋する対象だったあの子。あの子は、何が好きで、どこに住んでいて、どんな両親に育てられたのか。想像するしかない僕らには、ひたすら遠い存在だった。あの子が身近になったのは、あのことがきっかけだった。

「N県H市にて発生しました、一家心中」朝のニュースで出た被害者の写真は、黒河ひろみちゃん。父や母が騒然となるのを不思議そうに見つめていた弟は、すっかり大人になり冷静にコメントする立場になった。

「本当に痛ましい事件でしたね、当時幼かった私もなんとなく記憶にありますよ。

兄が被害者と同じ学校に通っていまして、ボー然としていましたね、うん」

嘘だ、嘘つくな。目の前にいたら頭をはたけるのに、テレビの向こうではそうもいかない。

俺は叔母の家にいて、何も知らなかったのだから。2学期になり学校に向かう朝、通りすぎる皆の顔が、暗く影を纏っていたのを覚えている。知らない俺だけが不思議そうにしていた。違和感の中、教室に入るとひろみちゃんの席に花瓶が飾ってあった。

悪戯かと、花瓶に手をかけた俺に友達のこうちゃんが話してくれた。

「死んだんだ、ひろみちゃんは…。知らないのか?」

                          END

「僕と君と?」

 君にも聞こえるだろうか?この嘶きが。僕にはあの日の君に伝えたいことがたくさんあるのに、君は気にもしていないかな?ニーナは忙しく息を吸っては吐いている。隣にいる僕を見もしないで、ひたすら目の前にいる雀を狙っている。ねぇ、杏子ちゃん?

あの頃僕らは同じ寮に暮らし、学校でも一緒だった。

「ねぇ、葵。今日の先生さ、なんか張り切ってない?」授業中、ひそひそ話をする君は楽しそうに、先生を指差している。僕はあいまいに微笑んだけど、本当は大笑いしたかった。

けど、当時は優等生で通ってたから、先生に嫌われたくなかったんだ。

あの時もそうだ、裏庭で君と僕が話していたら、君の彼氏が来て乱暴に引き離そうとした。

僕は掴みかかろうとしたけれど、君は来ないでと拒んだ。あの時、君の腕を強引にでも引き寄せていれば…。今でも後悔しているよ。ねぇ、杏子ちゃん?君は今幸せなの?

「ニャー、ごろごろ」ニーナが甘えてきた。雀は諦めたらしい。

「久しぶり、元気だった?」ベビーカーを押した杏子ちゃんがこちらに向かってくる。

「なんでここが?」尋ねる僕。「芸能人事務所に知り合いいてね、伝手ってやつよ。はは。」

「子供の顔でも見せてやるかってね。友達のAOIちゃんにさ」再び時が動き出す。

END


 「夏」

夏の夜、色々な事情が交差する夜でもある。

「深川の花火を胸に映し、横のあなたを焼き付けます。永久の約束は出来ない、心変わりするのが人なので。ただ、もう一人の自分が、打ち上げる火花が熱すぎて我慢が出来ない時があります。あなたに、ただあなたに、預けた恋心を、いつか返してもらう日が来るとして、その時は自分から申します。その時は覚悟してください、今まで言えなかった迷いごとを晒します。では、また。」さらさら、恋文に流れるような筆がかえって悲しく見える。男は近々大旦那の一人娘と、祝言をあげる予定なのだ。誰ぞが耳打ちしたか、男は心で密かに舌打ちした。しかし、閉じられた鳥の籠に住む歌姫(ディーバ)は、どこから情報を仕入れることが出来るだろう?店の者が密かに教えたか?大旦那自身かもしれない、あの人には話していなからな。疑心に曇る瞳には、誰もかれもぼんやり見える。影を纏う輩は、誰ぞ??曇る心には、空に打ちあがる花火も、ただの火花。どんぱちするのも時間の問題かという時だった。思考が現実に戻る。橋の上に群れる人々の中に、知っている横顔を見つけた。いつもと違う笑み、私の時はあんな顔…。水面に映る顔が鬼のよう、男は腰を抜かした。それは自分ではなく、いないはずの恋文の君。女の執念はまこと恐ろしや~。 

                            END                             

 

「セーラーマン、参上!」

 「セーラーマン。セーラー服がデザインされた全身スーツを纏った、中年ヒーロ。普段は冴えない中年管理職。上から下から挟まれ、胃がきゅうきゅう言う。ストレスフルになっていた所に、敵が都合よく表れては、気持ちよく倒すのが定番の終わり方。」

「と、こんな感じですかね?」浮田君が満面の笑みで、仕事終わった感を出す。

いや、おかしいでしょう?朝からやってる伝統の番組だよね?だめだよ、受けちゃ。

と説明するのも、億劫だ。はぁ、えぇ~、あのさ。と口を開いた時浮田君が説明しだした。

「あ、大丈夫です、設定が中年なんで、動きはキレッキレッじゃなくていいそうです。だから、腰とか痛めるかもしれないかもですけれど、骨折とか鞭打ちとかオールOk。安全は保障されてますよ。」あぁ、その無邪気な笑顔を向けないで、なんかむかむかしてくるから。

「決めゼリフは、心はJK。体はCK(中間管理職)。その名は、セーラーマン!」

神様、あなたは我に試練を与えたのですね。正確には、事務所社長だが。

「必殺技は、胃薬bom!」

キャッチ―で、ポップな必殺技ですね。と浮田君が興奮しながら、同意を求めてくる。

いや、何も思い浮かばないよ。それに気づいてほしいなぁ、さっきから気まずい空気が会議室に流れていることを! その後、お蔵入りになったのは、言うまでもない…。

END

 

「母と娘」

 白い大地に吹く風が、頬に突き刺さる。顔全体を覆うスカーフが取れそうで、片手を離してしまえば、楽になる。悪魔が耳元で囁いた気がしてけれど、決して聞いてはいけない。

もう一度、手の温もりを確かめる。小さな影と、それを繋ぎとめる大きな影が映る。

それを遠い空の上から眺めるのは、名もなき鳥たち。数々の影が大地に交差しては、消え去る。昼と夜の狭間を行きかうかのような朧げな鳥たちは、私たちをどこかへ導くよう。女は空を見上げながら、このままどこか行きたい。と、一瞬夢想してしまったのを後悔した。この子が出来るまでは、自分は健全で善良な人間だと思っていた。正確には、思い上がっていたのだ。私には彼を責めることは出来ない、だって、一時は同じように邪魔だと考えてしまうのだから。私たちは、どこで生きどこで果てるのだろう?神がいるのならば、この罪人の懺悔を聞いて下さい。罪なき我が子に、十分な環境を与えられない私を赦したまえ。神よ…。

「おい、こんな所に人が倒れてるぞ!」遠くに聞こえた声が、迫ってくる気配がする。男が二人、こちらに影が迫る。

「あぁ、かわいそうに。寒かったろう?」幼い娘が、小さく頷いた。狭まる視界に、死が忍びよるのが分かる。かじかんだ指先を娘に伸ばすと、椿のように赤い自分の指が雪の上に落ちた。私は、神に感謝した…。              END


「Moon」

 赤い月が照らす夜、江戸の町に喚鐘が鳴いた。人の波が押し寄せる道々を一人見下ろす男がいた。この辺じゃ一番の金持ちの商家、そのまま金持(かねもち)の屋敷では蔵の中のものを運びだし、荷車に乗せるのでてんやわんやだった。使用人の一人が転び、米俵の中から大判小判が地面に溢れてしまった。指示をしていた番頭の弥平は、顔色を青くして急いでかき集めて、別の米俵に移し替えていた。その時。

「いや、名月かな名月かな!」こ気味いいべらんめぇ口調が辺りに響く。

「お前は、金の匂いを嗅いできたか。悪党、覚悟しろ」使用人の後ろから、侍が姿を現す。

「悪党?あんたたちには敵わねぇな、大悪党」へっと敷地に降りた男は、周りを囲む侍たちを翻弄するように、敷地を縦横無尽に逃げ回る。

「あぁ、疲れた。ちょっと休み」と、物陰に腰掛けると、障子の向こうに腰に鞘を下げた男たちの影が映る。「この様子じゃ、捕まるのも時間のものかもしれねぇな。なぁ、どう思う?」と、隣の衣装箪笥の向こうに向けて声を掛ける。

「俺はあんたを探してたんだ、せめて姿見せてくれねぇかな?」

「この体では会うことも出来ませぬ。ご存じでしょう?」と細い声が飛んでくる。

「まぁ、ご立派な決意ですこと。こちらの事情も汲んでくれよ、お嬢さんよ」

「いえ、私は絶対会いませぬ。どうか…」薄暗い部屋に差した淡い光が、お嬢さんの目の前に来た男の顔を照らした。「一緒に逃げるんだ、俺は約束は守るたちでな」と走り出した男とお嬢さんを、月光が追っていた。

             END


「FallinThemoon」

 小雨に濡れる毬の刺繍が、鳴き石の上に広がっている。海に浮かぶ孤島のように点々とある盆栽たちは今日も、静かに埋もれているなと日和は思った。お転婆と言われる自分とは正反対の植物たちを、愛しそうに眺める父の後姿を思い浮かべては、ため息をつく。

「お嬢様、お嬢様ったら!ぼんやりしてないで、さいころを投げて下さいよ」

ふくよかな女中のお富は、目の前のすごろくの目に夢中だ。単純だ、つまらない。

言えたらどんなに楽だろう、またため息が出てしまった。

「日和、柿を食べましょう?」おっとりとした美しい声が聞こえる、母だ。ふんわりとした雰囲気をたたえたその姿、生粋のお嬢様そのもの。父と結婚するまでは、引く手あまただったとお富が自慢していた。私もあんな風になれたらいいのに、恋い焦がれる容姿や性格、とにかく全てを持っている母。羨ましくて羨ましくて、どんなに駄々をこねても手に入らないもの。

「日和、あなたはお父様に似て、可愛らしい顔をしているのだから、笑いなさい。そうだわ、お富何か面白い話してよ」

お富は、頭のあらん限りの記憶を掘り起こし、導き出した。

「いやぁ、あれは十年ぐらい前ですね。まだ飲み屋で働いていた時のことなんですが…」

 その日は美しい月夜だった。お富は常連で賑わう店内で、忙しく働いていた。ひょうきんなその性格から、人気があったお富は特に忙しくしていた。小さい町にあったその店は、滅多によそ者が来ないためか、初めて来たその男は記憶に残っていた。少し斜に構えたような態度に、常連の何人かはひそひそ興味を持っていたが、そこは酔っ払い。すぐに、何某の店の女が、色っぽいと話題が移り変わってしまった。男は、店内の騒がしい雰囲気を構うことなく、一人酒をたしなんでいた。お富は、男の背負う影が段々濃くなっていくようで、ほっとくのもなんだか。と考え、空いた隣の席を陣取り、話しかけた。

「こんばんは、私、富子って言います。お客さんの名前は?」男は名を、香吉と呟いた。

「どこの生まれなんです?私は熊本の生まれなんです。」そう、俺は北海道さ。と口元をにやりとさせながら、答えた。

「まぁ、北海道。大変でしたでしょう?」

「まぁな。冬は凍えてしょうがないし、春の期間はわずかだ」

「お富さんは、南の生まれだから、冬はこたえるだろう?俺はへっちゃらだ、これくらいの寒さはな」

香吉は、お富に今日初めての笑顔を見せた。お富は自分の頬が妙に暖かくなるのを感じて、これはお酒のせいだと、勧められた酒をぐいと飲み干した。

「いつまでその客にくっついてるんだい、早くしてくれよ、せっかくの料理が冷めちまう」

女将さんが、調理場のほうから注意してくる。急いで立ち上がるお富は、香吉に会釈をすると、馬車馬のように働かされ、店が終わる頃に香吉の姿を探したが、帰ってしまった後だった。それから、時は流れ八年後。今から二年前、東京に出てきたばかりの頃、住み込みの仕事に就いていた頃、同僚に誘われて映画館に行った時。お富は自分の目を疑った。

白黒の中に、確かに香吉がいたのだ。幾分太ってはいたが、あの日の目線のまま、相手の女優を見つめていた。

「やっぱり素敵ね、来てよかった」と感動している彼女と、釈然としない様子の富子。

あの人だよね?だけど、手の届かない人になってしまった。落胆を隠せないお富は、帰りにカフェに寄ろうと言う同僚に別れを告げ、先に帰った。

はぁとため息をついていると、下からしゃがれた声がした。

「お富さん、お客さんだぞ」にこにこ、部屋の扉を開ける店主。涙を拭い振りむいたお富を待っていたのは、衝撃だった。

「よう、富子さん」上等な服を着た香吉が立っていたのだから、驚いたのなんの!

「……、お久しぶりです。お元気そうでなによりでした」なぜここが分かったのかとか、自分のことを覚えていてくれたのかとか、聞くべきことは他にあったろうに全て吹っ飛んでしまった。

「はは、こちらこそ。お元気そうでなにより。今日は突然押しかけて申し訳ない、渡したいものがあるんです」懐に手を入れた香吉は、チケットを取り出した。

「茨に負けぬ愛、主演:三ツ井 清  庄屋 峰子 」

「ぜひ、観に来てほしいんだ。今夜、駅前の映画館で待ってるからな!」

帰っていく後ろ姿を見ながら、突き返せば良かったかもしれない。ふとよぎった考えを打ち消せずにいた。こんなに苦しむことはなかったはずで、はずで…。

「あぁ、眠い。飲み過ぎたかもっ」うーんと背伸びをする同僚が、富子の手元に気づいた。

「誰からよ?いいなぁ、あと少しで始まるじゃない!こんなこといないで、早く行きな」

少しのお金と、可愛い服を貸してくれた。背中を押されて出たはいいものの、本当にいていいのだろうか?歩きながらも考えていたら、映画館の前に着いていた。

ライトのついた劇場前に、ねずみ色の上下のスーツとズボンを着て、ハンチング帽をかぶった男がしきりに、腕の時計と目の前の通りを気にしている。あの人だ、間違いない。

覚悟を決め、香吉のもとへ向かった…。

 「話はこれで終りです」

何が面白いのだろう?日和は、開いた口が塞がらなかった。母も同じようで、無言だった。

「その先は?」日和は、食い気味で聞き返してしまった。

「私はその先は知りません、奥様どうなったんです?」お富は、おもむろに聞いた。

「……、あなたにはいつも驚かされるわね。香吉、三ツ井清はね、俳優を辞めて実家の薬問屋を継いだの。私のためにね。そして、あなたが生まれたのよ、日和」

ある年の、ある秋月の晩にあった、奇跡の物語でありました…。      END


「哀煙」

 この空の向こうには、何があるのだろう?幼い千代は、父に問うた。

父は青い空を見上げ、ただ一言。分からんよ、私の目には、光も映らんのだから。

事情が分かる今なら分かることを仮に、刹那的なものだとして、光も雲も流れる世で父が抱いた世界は何か?世界は煙で、香りで、音で。言葉や笑い声、高貴な香りや下水の臭い、

そして、父が好きだった煙草。これはなんぞ?父に付き添い、歩く散歩道の小さな石や、風に揺れる野の花たち。摘み取って父に渡そうとすると、いけないよと優しく笑った。

「いいかい千代、みな生きているのだから、簡単に手前の勝手で摘み取ってはいけないよ。

分かったかい?」私の好きだった笑顔は、今思うと悲しみの影を纏っていた気がする。

広い海を前に、潮の香りを纏った女たちがわいわい井戸端会議に花咲かせている。

「千代はいねぇか?おかしいな」痩せた男が、女たちを見ながら頭を抱えていた。

今日帰ってくるはずの千代が、どこにもいないのだ。江戸から帰ってくる船を覗いては不安になるのだ。貧乏暮しが続く中で、頑張り屋の妻は文句ひとつ言わずに傍に寄り添ってくれる。有難いことこの上ないのだが、心配が多い。今でも、声がかかるのだ。こんなやつと別れて、俺と結婚しないか?とか、ぜひ息子の嫁にと言われたとか笑いながら報告してくれるのはいい。隠すのは、気持ちが揺れ動いた証拠だから。よそ者の女房をもらった俺は、一部の連中から笑いの種にされているのを知っている。俺だけならまだしも、妻の耳に入るのはだめだ、また気に病んで心労をかけてしまう。相も変わらず、港の方を見ている魚太郎に、仲間の一人が声を掛けた。

「おい、まだ待ってるのかよ?少しは信用してやれよ、な?」のんびりと笑う友に、魚太郎は、お前は分かっていないと吐き捨てた。

「正、お前は分かってないんだよ。俺の嫁さんはな、あんなに気立てが良くて母親とも仲がいい。あの母親だぞ?俺でさえ、時々嫌気が差すのに…。とにかく、あんないい女他にはいない。少なくとも…」

「のろけはいつものことだが、今日はなんだかおかしいぞ?なんでそんなに焦ってる?」

いや、なんでも…と力なく笑うと、村の方へ引き返した。

 その頃、千代は夫と義理の母のためのお土産を探していた。市場に並ぶ店先を流し見しながら、あれこれ考えあぐねていた。母はもう何年も寝たきりで、ろくに外出もできていない。夫もこれといった趣味もなく、漁に出ると何日も帰ってこないことはざらだ。家にいるときぐらいは仕事を忘れてほしいのだが、一筋にきた男は緩めようとしない。母には、紅と飾りがついた櫛、夫には上手い酒と煙草か?悩んでいると、はぁ、とため息をついた時、雨が降り出した。千代は急いで両替商の店の軒先を間借りした。

黒い雲が空を覆いう様子を眺めていたら、なぜか心配性の夫の顔が出てきた。本人は気付いてないが、千代が誰それに声を掛けられたというととたんに眉が八の字になり、柴犬みたいな黒目が多い一重の可愛い瞳が不安に曇る。千代は、そんな顔も漁から帰ってきた時の誇らしげな顔も、なにもかも好きでしょうがないのだ。早く帰って喜ぶ顔を見たいなと、千代が密かににんまりした時、空が晴れた。千代の隣にいた男が、千代を見てふっと笑った…。

             END


「可愛い子犬たち」

 運なんて、いい加減で不確かなものだ。半信半疑の頭を読まれたのか、今日のおみくじも、小吉だった。朝の空気に、背中を押され足がずんずん進む感覚を頭に刻んでいると、ポツリ、肩に水滴がついた。もう少し遅くなるって言っていたのに、アメダスもあてにならない。鳥居の下、大通りへ続くアスファルトの上が水玉模様になっている。上を見上げると、分厚い雲が俺の行く手を遮っている気がして、気分がさらに重くなった。

「おい、そこのおっさん。待てよぅ」甘える声が近くでした。周りえお見渡しても、人影は見当たらない。

「ランニングじじぃ、あんただよぅ!」顔の横で今度は声がした。

「ランニングじゃなくて、マラソン?」問いかける声。声、声?

「誰だお前は?」闇に潜むモノだったら、どうしよう?逃げよう、そうしよう!

「私は阿」「僕は吽」けらけら、軽やかな笑い声が境内に響く。

「おじさんはなんてーの?」双子みたいにタイミングバッチリで、質問してくる何者かの正体を見たい。

「おかしなおじさんだな。隣にいるのになぁ」

「ふふ、かくれんぼしてるみたい。楽しいなぁ」

子供か?年齢は、孫と同じくらいだな。

ふっ、耳に息がかけられる。横にいるのか、本当にいるのか?

「まだ、分からないか?しょうがないおじさんだなぁ」

「しょうがないおじさんだなぁ~(笑)」

霧とも、煙とも思える幕が目の前の景色を隠した。

「ひひ、こんちわ。私は阿です」「僕は吽です。よろしくね☆」

甚平を着た男の子と、袴を穿いた女の子が現れた。

輝く瞳が、俺に何か期待しているのが分かる。えっ、どこから湧いて出たの?

「無視しないでよ、ひどいな」「ひどいな、虫みたいに言わないでよ」

けらけら、笑い合っている。子供の頃見た怪奇番組の中で、座敷童は幸せをくれるという。

思い出したら、悪い奴でもないのかもしれないと思えてきた。

「君たち、親御さんはどうした?迷子なら、おじさんが交番まで送っていこうか?」

「いいよ、私たち迷子じゃないし。それより、おじさん遊ぼうよ!」阿吽が耳打ちしている。「おじさんが鬼ね!」吽が、駆け出しそれに阿がついていく。

私は、強制的に鬼ごっこをすることとなったのだった…。

 「おーい」声をかけても、なんの反応も帰ってこない。虚しい木霊が神社の裏手の森に響く。そもそも森なんてあったかな?額に汗を浮かべながら、孫ぐらいの子供たちを探すこと、1時間。けもの道を掻き分け、やっと見つけた時2人は眠っていた。すやすや、気持ち良さそうに眠っていた。歳を重ね、軋む体は悲鳴を上げていた。足腰が軋む音がしてもおかしくないほど、疲れてしまった。残業も積み重なって、知らぬ間に寝息を立てて眠ってしまった。

「おじさん寝てるね」「おじさん寝てる」じーと、おじさんの顔を覗き込む2人は、良いことを思いついたと、にこにこけらけら笑い合った。

「ちょっと、起きて下さい」揺られて、目を覚ました時シルバーグレイの髪色をしたダンディーな宮司が、心配そうに横たわる俺を見守っていた。

「いやぁ、なかなか起きないから、心配しましたよ。なぜ、あんな所に倒れていたんです?」

えぇ、信じてもらえるかどうか分かりませんが…と、口を開いた時宮司がにやりとわらった。

「もしかして、小さな子供に会いました?」と聞いてくれた。えぇと答えるとやっぱりと納得した顔をした。

「なぜか昔から、子供がいるんですよこの神社。私は残念ながら、見たことないのですが…。」

宮司は茂みの方を見やりながら、さらにこう付け加えた。

「会った方、全員ではないですけどね、幸せになってるんです。きっと、あなたも幸せが降ってきますよ」

はぁと微笑むと、風に乗りけらけらかわいい笑い声が、聞こえてきたような気がした…。

               END


「ママ」

  白い髪が揺れる。青い風が色を付けるようにその顔が青白くなっていくのを、僕は眺めるしか出来なかった。いくら拳を握っても、状況はいくらも変わりはしない。自分はそこにいる?今の空気に触れ、気がふれてしまえば、どんなに楽だろう?涙を流すことを忘れた僕には、何が残っているのかなぁ。

 いくら問いただしても、答えが返ってくるとはない。しかし、僕にはそれしか選択肢がないのだ。墓標に花を手向けるだけで、救われたと考えてしまうずるい大人になってしまった自分自身を否定しようと、空虚な問答を繰り返してしまうのが癖になった。

「あなたは、幸せでしたか?」「僕を愛していましたか?」「今でも僕を覚えていますか?」

空に旅立ってしまった、あなたに問うことを赦して下さい。容赦して下さい。どうか、安らかに…。

 「あなたには、大変お世話になりました。だけど、お別れは言いません、また会いましょう」ちゃぶ台の上に置かれた手紙、次に会ったときは、白髪のおばあさんのあなたでした。鉈で頭を割られたような衝撃で、しばらくは言葉が出ませんでした。

「息子がいたんですけどね、捨ててしまいました。自分勝手よね?」

はらはら泣くあなたに、言いたかった。

息子を忘れないで、僕の前で泣かないでお母さん。と…。

 今になってやっとあなたに赦された気がします、お母さん僕の…。

涙溢れて仕方ない男の顔を、柔らかい風が涙をそっと拭った。

             END


「鈴那」

 鈴那は、ベリーキュートな女の子だ。瞳は胡桃みたいな真ん丸だし、天然パーマの髪はほのかに蜂蜜色をしている。赤い頬はチャームポイント。白い肌によく映える。

よくハーフと間違えられるが、純日本人の二人から生まれた天使みたいなかわいい子である。両親や祖父母、親戚一同首を捻ったが、なぜ金髪の子が生まれるのか未だに分かりそうもない。なので、考えるのを止め、健やかに育つ鈴那を見守ることにした。

 広い空と同じ色を着た鈴那は、今日学校に行くのを止めようとさえ思うほどの悩みがあった。彼方に飛んで行ってしまう父のお見送りをしたいのだが、学校に行っていると間に合わないのが判明したのだ!それはそれはぐずって、ごねてみたが母のだめっと言う言葉の前には、敵わなかったのである。このままでは、父が行ってしまう…。

泣きそうな鈴那を見かねた太陽が、雲を呼び雨を降らせてほしいと頼みこんだ。

 雲は太陽の思いつめた様子に根負けして、雨を降らせてあげることにした。

小雨から大雨、あまり地理に詳しくなかった雲は場所を移動させながら、雨を降らせた。

地上は、ゲリラ豪雨と騒いだ。これは鈴那の父も同じで、飛行機の予定はたちまち遅延となり、急きょ待つこととなってしまった!方々に謝りの電話をかける父。行けるっと喜び勇んで行った鈴那は目撃してしまったのだ。胸に渦巻く後悔を持て余しながら、俯いている鈴那を父は励ました。異常気象のせいさ、鈴那のせいじゃないよ。

これを空からそっと見ていた太陽は雲に頼み、雨を降らせるのを止めてもらった。

お前は自分勝手な奴だなと、怒りだした雲に太陽はあの子を見てみろと鈴那の顔を指差した。にこにこ出発のゲートに向かう父を見送る鈴那を見ていた雲は、なんだか小さいことなどどうでも良くなり、どこかへまた旅に出てしまった。

太陽は今でも相変わらず、凛那の姿を見守っているという…。

            END


「恋文は風に乗り…」

 ひらり舞う風に翻弄される凧のように、私とあなたはふらふら落ち着きませぬ。

涙の顔は見飽きました、笑顔を見せて下さい。そう言ったあなたは、どこにいるのでしょうね?あなたに頭と体を預けたくても、肝心のあなたの心が無ければそれも出来ません。

さよならを言うことも出来ません、心から愛しています嘘つきのあなた。  END


「海がっぱ」

 そいつはうねる海をただ見ていた。身動きせずただ、ほの暗くて騒がしい海面を…。

俺が初めてその男の姿を見たのは、まだ夜も明ける前に釣りに出かけた時だった。

朝釣りと行こうかと言ったら、嫁が冗談じゃない!と怒っちまって、仕方なくコンビニのおにぎりを車中で食べていた時、釣り場の切っ先で何か動く気配がしたんだな。

よーく目を凝らすと、人らしきなにかが頭を海に向けているじゃないか!

こりゃいかんと、車を飛び出して全速力で走り寄ったよ。そしたら、かっぱを着た小柄な男が、海を凝視してびくともしない。

「早まっちゃいけないよ、何が辛いか知らないけどさ、生きなよ。な?」

俯いてた男が顔を上げた時、あの時ほど緊張したことは無いよ。今までもこれからも。

「…」男の目が俺に向いた時に、思ったのは瞳が死んでいるだった。

「……、あんた、よっぽど辛いことがあったのか?こんな親父で良ければ話してくれ!」

「……いいのか?本当にいいのか?」絞り出すように出された声は、涙声に変わった。

少し高い女みたいな声だったな。

「実は、ある人を探しているんだ。ある日突然、連絡も無しにこつぜんと…」

本当に可哀そうなぐらいの落ち込み具合で、ほっとけなくなっちまった。

「…その人が最後に立ち寄ったのが、ここだって警察が言っていたから、その、つい…」

「そうか、ついな。気持ち分かるぜ、俺だって時々思い出すことあるからな」

「しかし、何でこんな時間なんだ?眠れないのか、もしかして」

男は少し間を置いてから、また喋り出した。

「………、そう、憎くて憎くて眠れないんだ。あの人を連れ去った海が、誰かが

な!」

男は豹変したんだ。それまでのしおらしいしょぼくれた様子を払拭して、飛びかかってきたんだよ。すごい力で、俺をコンクリートに押さえつけて、叫んだ。

「母さんを返せ!母さんを返せ!お前なんだろう?」

その時のドスの効いた声が今も、耳を離れないんだよ。反論しようにも、首を思いきり握られて、声も自由に出せる状況じゃないしな。

「……、ち…ぐぁ、ちぐぁ、ち…」意識を手放しかけた時、朝日が昇ってくるのが見えたんだ。

朝日を真正面にうけたアイツは、少し眩しさに目を眩ませた。そこに反撃の隙があったのを感じて、とっさにかっぱのフードを取って、首元に絡み付く手に噛みついた。

痛がったそいつは、コンクリートに寝ころぶ形になった。

「……、俺じゃねェよ!ざけんな、バカ野郎!!」

痛みに顔を歪めるそいつに、一発かますとさっさと逃げたよ。命が惜しいからね。

遠くで、甲高い泣き声が聞こえた気がしたが、気のせいだと車を走らせたよ。かわいそうに、今でも捜してるかもな…。おじさんは、静かに遠くを見た…。      END


「紫の女(ひと)」

 社交界の華が上から落ちてくる。花弁をまき散らしながら、ループ状の階段を地面に向かい、落ちてくる。椿のような不吉な夢を、僕は忘れられない。

 僕が僕だった頃、あの人は人の輪の中で微笑んでいた。優雅に上品に、愛想よく。

僕が瞳にたたえた星を、煌びやかな首筋を、そんなまがいものに負けない微笑みに意識を奪われたのは、運命だった。今思えばだが…。

「娘のマリアンヌです。お見知りおきを…」少しブラウンがかった髪を、天高く結い上げ、

首元には瞬く宝石たちを纏い、なによりも希少な微笑みを浮かべる女の子。当時はまだ華ではなく、麗しい花であった。爽やかな香りで人々を魅了し、たちまち社交界の噂の人物となった。しかし、花はあくまで華ではない。当時、社交界にその名を知らしめていた華がいたのだ。ベルリーニ伯爵の妻、リリーである。リリー=ベルリーニ伯爵夫人は、美男の夫と肩を並べても、負けない美貌を武器に幅を利かせていた。妻を溺愛する伯爵は、   

ねだられれば何でも買ってやった。それもこれも、妻を繋ぎとめる為の行動なのだが、運命とは皮肉なもので、それもこれも数いるパトロンとの密会の為。彼女の友人たちは、それを知っていながら決して言わなかった。知らないのは夫の伯爵だけ。可哀そうに、だから止めろと言ったのに…、影で笑う者も多かった。半分は嫉妬で、半分は憐れみの情。

蕩けるような秘密が、誰かの口によって夫に口移しされたのは、春の頃だった。

 「どうしてだ、どうして他の男なんかと…。答えろ、リリー!」激怒した伯爵に、至って冷静に答えた。「あなたは、こんな若く美しい妻を傍に置きながら、他に愛してる女を作る。だったら、私も遊んだっていいじゃないの?この美貌は、あなた以外の男のために維持しているようなものなの。お分かりかしら?あなたにこれっぽっちも、心は残ってなくてよ」

彼女は静かに頬を濡らし、赦しをこうこともせず静かに毒を飲み、自殺を図った。

翌日、伯爵は自宅前の崖から身を投げたと伝えられている。

 それから、数日後のこと。ある軍人の家で開かれたパーティの中心には、大きな輪が出来ていた。それは、花が華へと昇華したことを意味する見せしめだったのかもしれない、遠くから見るだけの僕は、彼女が遠い所へ行ってしまった悲しみで見ていられなかった。

リリーについていた取り巻きが、今度はマリアについた。ひっつき虫よろしく、あなたの美しさには惚れ惚れするとか、ぜひうちに嫁いでほしい金なら…とか、その素敵な髪型を 

 マネしていいかしらとか、僕と結婚してほしいと薔薇の花束ではなく、薔薇の庭園をプレゼントするボンボンまで現れた。その輪は、膨れる一方で収拾がつかなくなってきた。

彼女の栄華は、約束されたも同然だ。誰かが、嬉しそうに隣の貴婦人に囁く。貴婦人は、恋する相手がマリアに夢中だと思い、腕を引っ張り数あるベッドルームまで誘った。数々の想いを溶かし、煮込み、飲み干す夜が更けていった。

 翌朝、雑然としたホールを片付けていると、使用人仲間の一人が起きてこないのに気付いた。呼びに行くと、そこには熱で寝込む彼女が苦しそうにしているではないか。

ホールに行き、仲間に伝えようと何度目かの扉を通り過ぎようとした時。強い力で柱の陰に押し込まれた。あまりに突然のことで、驚いている僕を真剣に見つめる女がいた。

「これはあなたと、私以外知らない。秘密よ」と、キスをしてきたではないか!

「止めて下さい、こんなこと…」突き放すと、逃げるようにその場を去った僕。それを見つめるお嬢様。ある朝のことであります…。

 「おいっ、遅いよ。どこかでさぼっていたのか?」違うよ、俺足遅いの知ってるだろう?

へへと、笑って誤魔化すしか出来なかった…、口が裂けても言えるはずもなく、さっさと掃除にかかり、頬にあたる髪の感触や香りを振り払うべく、一生懸命床を磨いた。

それからというもの、お嬢様の様子がどうもおかしいとあれこれ策を投じてみたが、全部裏目に出てしまう日々が続き、僕はため息をつく日が多くなっていった。あれから、部屋から出てこない日が続いている。僕のせいだろうか?お嬢様がふさぎ込んでしまったのは…。誰にも言えない悩みを抱えていると、羊顔の執事見習いが紅茶を持っていく所だった!

 「あのさ、それ俺が持っていきたいんだけど、だめかな?」羊は、首を横に振った。

「お願い、一度だけ。今日だけ!」首を捻り、しばらく考えたが、まあいいだろうと頷いてくれた。ありがとと、受け取ると駆け出したい気持ちを抑え、部屋へ向かった。

「お嬢、マリア様。何か口に入れませんと、お体を悪くしてしまいます故、どうか部屋に入れて下さいませんか?」銀のトレーが、カタカタなるのを聞かれまいと、手の震えを抑える。「僕です、ジョゼフです。謝りたいことが…」扉が突然開いた。

 「お嬢様は今眠っていらっしゃる故、お静かに!」夕日が遮られた室内は、独特の空気に包まれている。メイド長のレアンナと掛かりつけの医者が傍らに座って、マリア様の顔を心配そうに眺めている。

「レアンナ様、お嬢様はいったい?」レアンナ様、と口を開いた時。

「その声は…、ジョゼフね?来てくれたの、嬉しいわ。こちらへきて」と空気にそぐわぬ声が、僕を呼んだ。

駆け寄ろうとする僕の体を、レアンナ様の腕が止めた。

「いけません、お嬢様はその…今はお嬢様ではありません故」

 何を言っているのか分からなかった。呼んでいるのはお嬢様なのに?

「お嬢様は、たぶん今はロレンスになっているのですわ。ロレンスは、あなたが好きなのですよ」

「何を言っているのですか?お嬢様はお嬢様でしょう?」

「いえ、認めたくないのですが、マリア様は精神分裂症を患っております」

このことは他言無用でお願いしいますよ?怖い目とは、こういうことだろうと、心から感じることの出来る圧力の目をして、レアンナ様は僕を見た。

「へ、は?冗談止めて…」

「早く来て、私の愛しいジョセフ。私の横へきて、手を握ってちょうだい?」

 甘える声が、ひどくおぞましく浅ましく耳に届いた。お嬢様は、こんな声は出さない。

男を操る術を知らない、穢れなき乙女なのだ。

「愛しのジョゼフ、なぜこちらに来てくれないの?私が穢れてしまったから?

悪いのは、アイツよ。突然後ろから抱きついてきて、私はされるがままだったんだからっ!

男なんて大っ嫌い、でも、あなたは別よ。賢くてかっこいい、全てを愛してる。だから、嫌いにならないで、私の傍に来て下さらない?」

こんな、こんなこと言わない。嘘は決して言わない方だったはずだ。あの夜、彼と共に消えるマリア様を見たという同僚がいた。彼を信じるならば、嘘をついている。

「レアンナ様、離してください」真実を確かめるため、歩き出した。

 「あぁ、やっと来てくれたのね?心配してくれたこと、すごく嬉しいわ。あなたのために、おしゃれをしたい所だけれど、今は無理ね。レアンナが怖い顔してるもの」

ふふと、笑うこの女(ひと)は誰なのだろう?淑女のマリア様はどこにいるのだろう?

「ロレンス、僕は君ではなくて、マリア様と話がしたいんだ。少し黙ってくれるかい?」

「いやよ、マリアが出たら私は当分出てくれないもの」拗ねた様子のロレンスは、泣きだす素振りをした。

「嘘泣きなら、ごめんだよ。僕は君を嫌いになってしまうかもしれない、マリア様を呼んでくれないか?」

 「分かった。ただし今は、最高にマリアが弱っている時間なの。だから、なるべく短いほうがいい、これマリアの友達としての忠告よ?」

ふっと力が抜け、ベッドに横たわる体。細い体が、月夜に照らされる。

「お嬢様、大丈夫ですか?」支えた身体に、血が通い重くなるのを感じる。

「……、あなたにこうやって抱きかかえらるのは、2度目ね。覚えてる?」細い糸が繋がるように、喉から出される声が囁かれる。ほのかに息を乱すお嬢様は、恋する人の体温を背中に感じながら、悲しき運命を密かに呪った。無理に奪われた純情を、穢れてしまった体を…。

 「来たばかりの頃でしたね。懐かしいです」悲しい微笑は、心を焦がす焔になる。

「お嬢様、あの頃はお転婆でいらっしゃいましたよね?まぁ、僕も幾分か変わりましたが…」

「……、あなたは変わらない。優しくて賢くて、誠実だわ。変わったのはあなた以外の、人々よ。あんなに冷遇していた私を、リリー伯爵夫人が亡くなった途端、迎え入れるあの人たちには、心底ぞっとしたわ。そのくせ、一度味わった快楽を忘れらなくて、悦に浸る私にもぞっとしたの。だから、ロレンスにその役を請け負ってもらうことにしたのよ。

見損なったでしょう?」

 ジョセフは、自分でも気づかないうちに腕に力を入れていたらしい。胸にお嬢様の体温を感じて、囁いた。

「あなたにだけ言います。僕はあなたに恋をしています、離れたくはありません。

そのクソ野郎たちにされたことなど、気にもならない程愛していますから、どうかお気になさらず眠って下さい。朝目覚めても、あなたの隣にいますから…」

スポットライトが差すように、抱き合う2人を朝日が照らした…。

                               END


 「プリズムの欠片」

 ビー玉に光が当たった時によく似た、透明な殺意がふと心の隅に湧くのを感じた。

殺人者が極悪人ではない、どこにでもいる普通の人がある日、きっかけがあって殺人者になるのである。とどこかで、読んだか聞いたかした事があることを思い出した。

もしかしたら、こんな時なのかもしれない。ふっと湧いた瞬間に悪魔が誘惑するのだ。

「こいつを消してしまえば、楽になれる」楽になりたい、この胃の痛みも頭痛も、それを引き起こす寝不足も、全てコイツのせいなのだ。絵に描いたような自分勝手な分身が、むくむくと膨れだす。きらっと心に差す魔、なんと恐ろしいのだろう。無邪気で無責任な罠に、今まさに触れてしまった。踏み出せば地獄留まるのも地獄ならば、足元のピアノ線に足首を持っていかれた方がきっといい。無限地獄にいる今がこんなに苦しいのだから。

空気人形が、ゆらゆら笑う。しかし、しかし。

「お前には散々苦労かけたな。我が儘放題の私に飽き飽きしたろう?憎んでいるだろう?

されど、残念。俺はあんたに殺されるたまじゃねんだよ!」

銃口を頭に向けると、うっすらとそいつは笑った…。     END


 「おもいだま」

 また、出てしまった。想い玉が口からぽろんとこぼれ落ちる。ピンポン玉ぐらいの小さな玉が、俺に成り代わり外に飛び跳ねて行く。動けない僕の代わりに…。

 あれはいつ頃からか、口からポロンと生まれてくるようになった。隠した心が、白い玉になって、外に出される。アイツが憎い、アイツが羨ましい、アイツが…といっぱい貯めた心の不満はもちろん、プラスの感情、あの子が好き、受験に受かりますように、母が元気になりますように…とか。とにかく、想い玉は意思と関係なく生まれるのだ。基本無害で、ただ跳ねるだけの不思議な物だったはずなのだが、ある時を境に変わってしまった。

僕しか見えていなかった想い玉が、見える他人が現れてしまった。

隣の席の、峰山。暗くてジメジメしている湿地帯のような性格の男だ。

その時も突然、「授業早く終わんないかな?」とあくびをかみ殺した時、ぽろん。

床に跳ねる想い玉。またかと目で追っていた時、同じ目線の動きをする奴がいた。

それが、奴。峰山 庄二。

「へぇ、これなに?面白いね?」にやりと笑った顔が薄気味悪くて、自然に目をそ向けてた。峰山は、俺に付きまとい、想い玉について聞きたがった。スルーすればするほど、粘着質の強い目線が、粘つく。体や頭、果てには奴が触った肩に糸を引くぐらいの強さで残る。根負けしたのと、これ以上付き合ってられないので、正直に話すことにした。

 「あれは、想い玉って言うんだ。何か考えたり祈ったり、浮かぶ思いが心に溜まらずに、外に出るんだ。それ以上は何も知らないんだ、本当さ。」

「そうか、分かった。これから、楽しくなりそうだ」これで、解放されると思ってほっとした僕は、この後本当に後悔することになる…。

数日後、珍しく愛想がいい峰山が声を掛けてきた。

「おはよう、西木君。今日の放課後空いてるかい?」不審がる友達は、顔を見合わせ顔を曇らせていた。しかし、僕には断る理由はなかった。洗いざらい話して、これ以上何か問い詰めてきても、何も答えることは出来ない。

「あぁ、特にはないよ。どうしたんだ?」

「いや、西木君とずっと話してみたかったんだけれど、きっかけがなかなかなくて困っていたんだ。だけど、この間話しできたから、本格的に話してみたいんだよ。駅前に出来たルリコで遊ぼうよ?」

この変わりよう、何か裏にあるな。胸がざわついたが、ここは乗っておこう。さわやかフェイスに表情を変えると、いいよと返事を返した。

峰山は嬉しいなと、見事に演じている。これは、勝負だ。密かに心を燃やした…。

 やぁ、と手を挙げた峰山はパーカーにジーンズという至ってシンプルな恰好で雑踏に紛れていた。しかし、どう対応すればいいのか、いざとなると分からない。

「やぁ、西木君。待ってたよ」

にこにこ、敵も爽やかフェイスを被り、油断を誘おうとしている。ならば、こちらはつっけんどうに返そう。お前の皮を剥がしてやるよ。

「あぁ、そう。早く行こうぜ」峰山が後ろからついてくるのが分かる。しかし、何を考えているのか分からない奴だな。

「待ってよ、早いって…。西木君、待っててば」

その時、背中に悪寒が駆け抜けた。なんだっと、振り向いた時にやりと笑う峰山が見えた。

「俺を無視すると、痛い目あうぞ。俺がナイフを隠れて持っていて、お前を刺したとして、大人は許してくるんだ。まだ子供だから、未成年だからってな」

分かったか?と髪を引っ張る手に力を込める峰山に、僕は完全に負けた。

「……分かったよ。ごめん…峰山、君」

震える足に力を込めると、機嫌よく前を歩き出す峰山について行った。

 「いやー、楽しいね。友達と買い物なんて、クソつまらないと思ってたからさ。

今までもったいないことしてたな。聞いている?」

「……うん?あぁ、楽しいな」帰りたいよ、母さん助けて!

「青い顔しているね?風邪ひいたとか?」ははと笑う峰山。怖い、怖い、怖い!

「…あっ、61だ。時期外れだけど、美味しいよね。あっ、西木君風邪ひいてんだったね。

どうしようかな?あぁ、たこ焼きはどう?」

「えっ、あぁ、ちょうど腹減ってるし、ちょうどいいかも。俺休んでるから、買ってきてくれないかな?」

峰山は、うんとたこ焼き屋の列に並んだ。これは、チャンス!今日は幸い、人の往来が激しい、運が良ければ紛れることが出来る。いや、運なんかじゃなくて、確実に紛れるのだ。

通行人に目線を泳がせている峰山を見届けて、走り出す。

どれくらい走っただろう、空が暗くなりますます確率が上がった。逃げ切ったか?

額の汗を拭うと、空を見上げた。その空の向こうに、峰山が浮かんでいる。

「逃げようとしたな!僕は本当の友達だと思ったのに…」

降りて来た峰山は、ソースが香る玉を僕に差し出した。

「……、なんだ、なんなんだよお前!この化け物!」

手に握られていたたこ焼きが地面に落ちる。ころころ、想い玉によく似た球形。

「…、黙れ!俺が化け物なら、お前はなんだ?お前は人間だというのか?」

「そうだよ、俺は人間だ!想い玉は、お前が現れる前は自身しか見えない、ピンポン玉みたいなもんだった。お前が知らないふりしてくれれば、それで済むんだ」

峰山は怒りとも哀しみとも言えない表情を浮かべ、ただ突っ立ていた。手にある船盛のたこ焼きは、すっかり冷め湯気さえ立っていない。

「……、あぁ失望したよ兄弟。もう少し可愛げがあれば、猶予したのに…。施設に行っても元気でな、バイバイ兄弟」

 奴に会ったのは、それが最後だった。今俺は、ある施設に閉じ込められ、邪念が詰まった想い玉を吐き続けている。口から出る想い玉、白かったそれはマーブルから黒になり、昔より良く跳ねるようになった。あぁ、また想い玉が生まれた…。    END


 「LIFETimer」

 コンビニが俺を誘っている。瞬く灯りに群がる夜光虫のごとく、毎夜吸い込まれてしまう。棚にある弁当たちは売れ残り感が漂っていたが、空腹には勝てず一番マシな和風おろし弁当を手に、レジに向かう。前の客が、だるそうに財布から500円玉を取り出し、カウンターに音をたて置く。チーンとこちら音をたてレンジがお知らせしてくれた。

 「佐伯、この間の子とどうなった?」この間の子?あぁ。やっと思い出せた女の子は、

元の顔が分からない程、もりもりにしたけばさで3件目に飲みに行った時、化粧直しに行ったまま帰ってこなかった…。とは、言えない。緑の吹き出しから、未練が垂れ流しだぞと心で突っ込むと無視をした。ああぁと息を一息、窓の外を見ると、何か数字が映っていた。デジタル時計のような数字様式で、時を刻んでいる。高校生の頭の上にも、居眠りをしているおじさんの頭の上にも、この車両に乗っている人たちの頭という頭の上で数字を刻んでいる。これはなんだ?仕事のしすぎで俺…。しまったスマホを胸元から出すと、心労、診療…と打ち込んでいる自分の頭の上にも…。

 それから、下を向き歩く日々が続いた。会社でも、街でも、見えてしまうから。唯一見えないのは、テレビを通して。それまでは休日は、外に出ることが多かったが家に閉じこもることが多くなった。しかし、どうしても家から出なければいけない時は、サングラスをかけ、買い物は手早く済ませる。困ったことは、不審人物扱いされること。例えばアパートの大家さんの場合、以前は可愛がってくれたのだが最近はほっとかれている。

会社にいても、影のように俯いている俺に誰も声を掛けようとしない。

「佐伯くん大丈夫?」いつものように、下を向いている俺に珍しく声を掛けてくれたのは、

総務の花原(かはら)さん。ふっと久しぶりに見つめた人の顔は、花原(かはら)さんの華やかな顔で、内心舞い上がっていた。しかし、気になることもがあった。彼女の頭の上の時計が、赤く表示されていた事である。これはなんだ?

 「佐伯くん、悩み事があるなら話してみて。ここ、会社のひとも来ないみたいだから」

「いや、悩みなんてそんな…。」かぶりをふると、花原(かはら)さんが余計に気の毒そうな顔になる。いや、本当にと言いかけた時事件が起きた。

「チーン」と聞き覚えのある音をたて、若者の一人が目の前で倒れてしまった。分かった、今までの違和感が一斉に解消され、同時に恐ろしくなった。時計にしては進むのが早すぎる、そうか。タイマーなのか!タイマーが切れれば、人が死ぬ…。

花原(かはら)さんは、リミットが迫っているのでは?恐ろしい仮説が出来上がってしまった。これを本人に言えば俺を避けるだろう。しかし、分からないふりをして見過ごすのも、人としてどうなのか?俺は、俺は…。

 「花原(かはら)さん、これお見舞い」病室に訪ねると、彼女は眠っていた。なので、早々に立ち去り、トイレを借りることになった。やはり冬は用心しなければ。

手を洗おうと、顔を下げた佐伯の頭の上に表示されたタイマーは赤く染まっていた…。

                    END


 「箱」

 「大いなるコスモに属する我々人類は、コスモとは比べならない程の小さなテリトリーで動き回っているに過ぎない。世界のトップとて、自国の国民に媚びる政策を考えざるおえないほど小物ばかりだ。理想の箱庭を作るのに必死で、広い視野で本当に物事を見てはいない。さて、本題に入ろう。我々は、名ばかりのグローバルにしがみつく名ばかりのトップなど当てにしない、本当のグローバルな世界を作ろうではないか!」

 声高らかに宣言をした賢者は、その力を信じる者たちを森の教会に導いた。そこで細やかだが、堅実な暮らしを幾年か送った後、戦士を引き連れ外に慣れるように申し付けた。

そして、また幾年かたった森の中。一人の老人が飢えに苦しんだ末に亡くなった。

外に送った信じる者達が、資本主義の歯車やネジになることを選び、誰一人森に帰ることは無かったのだ。

揺りかごから墓場まで、人は箱に収まる運命なのだと賢者は悟った。窮屈な御棺の中で、賢者は安らかな死後を祈って亡くなったという…。            END

「蜃気楼の夜」

 奇奇怪怪、真に奇怪なお話を一つ。ひらり桜舞います夜の丘、若き恋人寄り添うて、支え合っておりました。許されぬ愛、燃え上がる恋心陽炎のようでございました所、月がそっと顔を出し冷やかしておりました。

「寒く無いかい?花子さん」

「大丈夫よ、太郎さんがいるだけで温かいもの…」

砂糖より甘い会話に段々と苦々しく思えてきた月が、ちょっかいを出しました。

月は歌舞伎役者の何某によく似た甘い面構えで、横恋慕しようとしたのです。

「花子さん、明日映画でも?」なかなか靡かない花子さんに、ある幻想を見せます。

太郎さんが、髪の長いお嬢さんと歩く姿を見せてみました。これで、靡くか?

なにぶん意地悪な性分の月は、それはそれは欲深いのです。欲しいものは、何をしても手に入れる。

「あなたは僕に花子さんを諦めろと仰るのですね?すみませんがそれは難しいでしょう、花子さんと僕は固い愛の絆で結ばれているのですよ?」

花子さんを離さない太郎君。太郎君にしがみつく花子さん。月は真面目な顔して懇願してみることにしました。

「花子さん、僕と一緒に月に住みませんか?風光明媚で、地上では見られない花が年中咲き乱れています。兎が餅をついています。僕はその国の皇太子です、苦労はさせませんから、どうか…」

「あなたの言っていることは、信用することが出来るものではありません。太郎さん、行きましょう?」

 月に兎の餅つきしているシルエットが浮かぶのは、月が花子に本当に兎がいて餅をついているんだと、見せているとかいないとか…。

                   END


 「時は金なり」

 時は金なりと言うが、正直今まで感じたことはなかった。しかし、今の今ならば、分かる気がするのだ。財布に次々湧く札束を見ている今ならば…。


 「頂点は誰だ?」

 夕方になり、片平なぎさが事件を解決する時間帯に差し掛かった頃。BAR「サンシャインビーチ」は開店の準備に追われていた。バイトの子はサークルの合宿で来ないのでフル回転で、急いでいた所に奴はやって来た!

「現店長の田中。久しぶりだな、突然だが決闘を申し込む!」

前店長の佐藤が戦闘状態に入るのが分かった。俺は手にしていたモップを竹刀のように持つと、前店長の佐藤に立ち向かう。激しいバトルが幕を開けた!        END

「はでなおんな」

 トレンチコートに、イカしたハットを被った先輩と共に街に繰り出したはいいが、追っている星が見つからない。そんな俺の職業は、もちろん刑事さ。サンバ刑事に影響され、武術に勉強に打ち込み、見事合格!刑事一年目、尊敬する前島先輩の後についていくのみ。

と、意気込んだはいいが…。こうして行きかう人々を観察してうん時間。

 「赤いコートのはでな女」そう書かれた手元の手帳を確認して、ため息をつく前島先輩。

俺は、手も足も出ないことが歯がゆい。唇をかみしめている俺の肩をぽんっと叩いて、励ましてくれた。泣きそうだ、というか泣いている。しかし、泣いている場合ではない。

「先輩、女は毎朝ここを通るんですよね?」

「あぁ、情報が確かならな」

先輩はダンディーに微笑むと、メロンパンを取り出した。やべー、カッケーと密かに感動している後輩君、柴君(別名柴犬くん)が熱視線を注いでいる前島の背中は生あたたかった。

 隣のサラリーマンがこちらを見ている。バーゲンで買った福袋の中に、紛れていた赤いコート。寒くなってきたので引っ張りだし着てきたが、あまりにも目立ち過ぎだ。いやに視線を集めてしまっている。女子高生やきめきめのおばさんがこちらをちらちら。

そして、私と同じように目立っている2人組が、目の前の席を陣取っている。薄茶色のコートにハンチング帽の親父と、熱血を絵に描いたような若者がこちらを監視している。

あの馬鹿、警察に訴えやがったな。舌打ちすると、隣のサラリーマンが肩を震わせた。

男なんてっ!鼻を鳴らすと、手首に見覚えのあるあれが…。

 「先輩!さすがっすね」柴君が前島に尊敬の視線を送る。「俺らが囮になって、星を捕まえる、やべーかっけえ」

「………、そう騒ぐほどのもんじゃないよ。落ち着け、な?」

血気盛んな若者を諌める先輩と映るかもしれないが、心の中は若者より燃え盛っていた。

「あぁ、恥ずかしい。資料よく読んでいたのに、間違えるなんて…」

時は少し前、電車に乗っている時に戻る…。

「先輩、とうとう見つけましたね!」運動部仕込みの声の大きいこと。それが耳元にずっと囁いているのだから、鼓膜が破れそうになっているに違いないと前島は感じていた。

 「赤いコートの派手な女」とばかり思っていた前島。まさに目の前にいるのがあの女。

信じて疑わなかった。しかし、突然逮捕劇が展開され、心底驚いた…。

警察組織は、赤いコートを着た歯が出た女をマークしていたのだから。しかしつい、

「…、やっぱりな…」と分かっていた空気を出してしまった。この尊敬してくれる、若者をがっかりさせてはならない。子供がいたらこれぐらいの子供がいておかしくない歳になり、未だに平刑事。しかし、この若者が向けてくれる気持ちが唯一の救いなのだ。

 前島刑事が警察署を去る日、少し歳を取った柴くん、もとい柴警視が先頭に立って見送ったという…。                          END

 「花の波」

 花見とは、いいもんだ。普段とは違う空間で、陽気に踊り歌う。違う顔が見えたりするので、内心楽しみな行事なのだが、いつもつまらない?と聞かれる僕の話である…。

 「つまらないはず、ないじゃないか(怒)」一人夜道で愚痴を吐いていた時、うすぼんやりとだが、人影が動いた気がしたのだ。だーれもいないはずの田舎道、駅まで遠い。タクシー代を出せない財布事情の僕は、とぼとぼ。この時代に、電灯一つない道。

小心者の影がきっと幻覚を見せたんだな。無理やり結論を出すと、またとぼとぼ歩きだした。立ち止まってしまえばまた、幻覚を見てしまいそうで…。

 「あの、あの」幻聴だ。これは幻聴だ。さざえに蓋をするように、耳の穴を手で塞いで、Maxのスピードで、帰宅を目指す。

「あの、あの落し物」

へ?思わず振り返ると、少し古めかしい格好をした女性が僕のハンカチを差し出して立っていた。酔っていた僕の目には、ぼんやりとした風景にしか映らずに、その女性もゆらゆら。

「あ、すみません。ありがとうございました、お名前は?」

「名前?名前…、花です。波野花」

 不思議な女(ひと)だ。特別可愛いとか美人とかそういう訳でなく、化粧っ気もない。

なのに、離れたくない。もしかしたら、お嫁さんにした女(ひと)とはこんな感じか?

徐々に、更ける夜と深まる想いに、僕自身慌てていたのかもしれない。ただ、寄り添うだけでいい、夜が明けるまで話して笑って、隣に座って…。とにかく帰りたくない。

 翌朝、小さな池の近くにて目を覚ました僕は、しっかり風邪をひいてしまった。

水面に浮かぶ桜の花弁に何か思い出しそうになったが、微かに聞こえる人々の生活音に

朝、会社、遅刻!と思いだし、駆け出した…。

                        END


「花の常盤」

 真っ赤な口元に、真っ青な瞼。緑色したもう一方の瞼。ピエロみたいな顔を鏡に映して、

しまいには、全身で喜びを表現する女の子。こっそりと借りた化粧道具で自分を色を付けたその子は、回るドアノブに驚き洗面所で洗い落とそうとした。しかし、なかなか落ちない。焦る女の子。回るドアノブ。

だいたい落ちたが、やはり少し残ってしまった化粧を、叱りながらも落としてあげる母親。後で鏡台の上も片付けなきゃ、ため息を一つ落とした母親。女の子はにこにこ、への字口の端を吊り上げるとへへと笑った。

 「あの子が亡くなって半年、まだ受け入れられないのね…」親戚が集まり、少女の父の話をしみじみと聞いている。鏡の前に立っていたのは彼女、母親一人。夫がそっと涙するのも、分からずひたすらに笑っていた…。              END


「夜の扉」

 幕が下りるようで、いつも不思議な感覚に襲われる。この空のどこかに、機械仕掛けの糸が張り巡らされていて、僕らは舞台上に上げられたマリオネット。どこかの誰かに右腕を上げられれば、くいと容易くまるで自分が選択したかのように、タクシーを止める。

ビルの陰で愛し合う男女は、ほくそ笑む黒子の意のままにラブゲームを展開する。

 人形の僕らは、影に操られ波を作り、日々を生きている。いつか話した晩に、あの子の見せた表情が今でも忘れられない。呆れるでもなく、ただ何も言わずに僕の顔をじっと見つめていた…。今彼女はこの街にいるのか、舞台は違えど片隅で主人公を引き立てる地味役に徹しているのか、少なくとも僕には関係ないことだ。白くなった息を空に吹きかけると、意識を目の前の画面に戻した…。

 闇に広がる微かな光を手中に収めると、ランプのごとくせせらぎをうっすら瞳に映している。隣の幼子は、飛びまわるかがり火を捕まえようと必死に目線で追っている。出来れば、もう一人夫もいればなお良いが仕事が立て込んでいると、ラインの吹き出しが表示している、これもある意味灯りか?これをあの男に送ったら、なんて返すだろう?ラインIDを交換していないので、送れるはずもない写真を撮ってみる。冷めた瞳に、なんて映るのか、心に一筋の光の軌道が走った…。

 糸が切れる音がした、もちろん気のせいだ。耳の奥で、小さく哀しい音がして、道路に横たわる僕と、強烈なライトの光が視界を支配していった…。


 「ハートバンク@蒲田」

 「小動物ほど忙しく、巨大になるにつれ遅くなるものなーんだ?」行動かな、ネズミだってちょこまか、忙しいもんね!自信満々、次のページをめくった私の衝撃ったらない。

「A.正解は、心拍数だよ。分かったかな?分からないお友達は、パパやママ、先生に聞いて調べてみてね☆」なーぞちゃんなる猫娘風の子がこちらにぱちりと、ウィンクしていた。

 政府は年金の大幅な財源不足により、この年より「紙幣による積立方式」を廃止することを国会で決めた。代わりに採用されたのが「寿命に伴う、健康積立方式」大変分かりにくいが、日本国民に向けて、心拍数を貯金せよ。と言ったのだ。

「今年いつだっけ?心拍測定」夕美は怠そうに、顔をこちらに向けた。手帳につけられた赤丸は12月21日を囲んでいた。

「年末の21日」期限ぎりぎりの人たちが病院に駆け込むのを防ぐため、病院は期限をあらかじめ決め、測定の日は休んでもいいことになっている。もち、私は済ませた。

「あぁ、今月ピンチなのに、病院代なんて…」この世の終りみたいな顔で、机に突っ伏す夕美。この法案には、裏があり紙幣の時とは違い、このハートバンクを長年積み立てるには健康が欠かせない。少しおかしいなと思ったら、病院へ行こう。早死でもしたら、それこそ損だ。

  給与は健康増進のカプセルとなり、男性が女性にモテる条件は顔良し、頭よし、心拍数高しとこうなった。金融庁は、名前を「健康庁」と変え、国民が1分1秒でも長生きできるように貢献する機関に生まれ変わった。

「香里、ちょっと貸してよ。ね、お願い来月返すから!」先月も貸したが、未だに返ってこない。この子はこうやって、周りの人たちから数値を少し借りては、他のことに使ってしまう。断れないのをいいことに、私は良いようにされてしまうことが多い。

「ね、ね、いいじゃんよ~」笑うな、そうやって調子いいことばかり…。

鼓動が早くなるのを感じて、焦った。人間の寿命は決まっていて、貴重な心拍数も同じようになっている。だのに、この子は…。いけない、落ち着け。

「ごめん、今月私もきつくてさ。先々月、余裕できてやっといけたぐらいなの…」

もち嘘だけれど、先月貸したしいいじゃんか?

「……、そっか。」なんだ、そのふて腐れた態度は?はぁ、いけないいけない。

「市井さん、今月…」やっと解放される、さ、仕事。

「歌声喫茶 鍋島」小道の奥にひっそりと佇む店には不似合いなスーツの男と、ぎらぎらした瞳を隠そうともしない男。それが真昼間に向かい合っているのだから、きな臭い。

「しかし、一時はどうなるかと思いましたよ。まさか、情報が漏れるなんて…。本当にありがとうございました、上司から預かってきたものです。さ、どうぞ、お確かめ下さい」

大きな封筒と、それを受け取る大きな手ががっちり握手した。

 「極秘扱い 日本国寿命百年計画」

  なお、赤田久則第八十第総理、笠中玉枝健康増進庁大臣連名。

これは赤田総理、もしくは笠中健庁大臣本人の許可が出た時のみ開封可。

 (1)国民を、「健康依存症」にし、フェラルミンX(ビタミン剤)を流通させ、マインドコントロールする。


 (二)その他、健康食品、錠剤、器具に使った資産を海外に向け、放出(売買)させる。


 (三)諸事情で、心拍積立を出来なくなった者(老年期、病を患った者など)は、特定の施設にて心臓を人工のものに変え、持続させる。※あくまで、特例策である。

                 END





「約束の場所へ」

 「ねぇ、あなた誰?」幼い私は、あの子の影に惹かれたのかもしれない。

まだ暑い盛りの公園、今ほどうるさくない規則の中で、少年は野球ボールを投げ合い、奥さんたちは、子供の様子を横目で監視しつつ、井戸端会議に花を咲かせる。

ブランコに乗りたかったが、粗野な男子2人組に阻まれ尻餅をついた私。彼女はそっと見ていたのかもなぁ、そっと息を潜めて…。

 「夕焼け小焼けで、陽が暮れて、山のお寺の鐘が鳴る~」

児童合唱団の声が、誰もいなくなった公園の隅々まで響く。今晩はカレーかな?いい匂い。

微弱な風を背中に感じながら、ハイジになった気分で思い切り遠くまで…。

「ブランコってさ、やっぱ気持ちいいよね?」

瞼を開くと、活発そうな女の子が隣のブランコに跨っている。少し戸惑った私は、だんまりとしてしまう。

「私今日引っ越してきた、七海。よろしくね。あなたはなんて名前?どこのどなた?」

「…、朝永美海(ともながみゆ)。広西小学校4年3組の朝永美海」

「偶然だね、何かの運命?私も明日から広西小学校4年3組の西 七海になるの。

改めて、よろしくね!」

きこきこ、鼻歌まじり。私たちは、あの日出会った…。

 翌日、七海はうちのクラスにやって来た。転校生に群がるクラスメイトたちは、情報を聞き出そうと必死で、七海も少し戸惑っていた気がする。ただ、物怖じする性格ではないので、3日後には七海の周りには輪が出来るようになっていった…。

私は話しかけるきっかけを掴み損ね、近づくこともままならない有様。このまま二人は離れるかと思っていたが、歯車は静かに動き出していた。

「お前ら覚悟しろ、これが決まらない限り帰さないからな~」

担任の石井が、にやりと私たちに微笑む。分かってるけど、無理だよ感が教室を支配する。「学級委員」えぇ、いつもくじ引きなんだから、今年もそれでいいじゃんよ。心では

そう思っているが、大人がそれを許さないのだから、仕方ない。

「くじ引きは絶対だめだぞ、犠牲者が増えるだけだからな。俺しか私しかいないって、自発的に誰か手を挙げろ、ほれ」

だったら、お前がなれ。どうせ、校長に良い所を見せたいだけなんだろうけど、そうはいかない。負けるもんか!かと言って、このまま、限りある時間をただ無益に過ごすのも、癪だ。石井、あんたが折れてくれ。私たちは子供で、あなたは大人。ガキっぽいことは止めてくれよ。

「……、私やります」七海が手を挙げていた。なんで、転校生の七海がやらなきゃいけないのよ。可哀そうじゃない!と言えない私も、皆と同罪だ、責める資格などない。臆病者である。

 「……、俺やります」今学期も、男子は真面目一徹な千陽(ちはる)君だ。空気が一気に安寧に変わる。糸が緩むように、顔が少し緩むのを感じた。最低だ、私は最低。七海に千陽君に押し付けたのだ、「責任」を。

泣きたい気持ちを抑え、夕焼けの道を帰ったのを今でも忘れられない。

その途中、七海が先日のブランコに乗って揺られているのが見えた。遠い空を見ながら、夕暮れに唄う姿に、胸が痛み今からでも謝ろう。そう決心して、公園の入り口に足を踏み入れた時だ、後ろから抱きしめられた。

「七海、珍しいね、髪降ろしちゃって。すごく似合ってる」

誰、怖い。見知らぬ声と匂い聴を覚と嗅覚が察知する。恐る恐る振り返った時の、緊張感はまぁ、最高にヤバかった。

「……、七海…じゃない?ご、ごめんなさい。娘と間違えちゃったみたいね」

母とは違う格好をした、女の人がぎこちない微笑みを向けていた。

「ママ、私はこっちだよ。いいかげん覚えてよね?」

「ごめん、ごめん。似てたから、ついね。あなた名前は?」

「ママ、この子はね美海(みゆ)って言うの。ごめんね、美海。ママ、いつもこうなの」

ふふと笑う七海の顔が、なんだか大人を見ているようで、余計に切なくなる。ごめんね。

 「いいよ、別に。私の方こそホームルームで、おかしいって言ってあげられなくてごめん」

「……、そんなこと気にしないで。私が望んだことだから、ほら石井先生も言ってたでしょう?だから、美海(みゆ)は謝らないで大丈夫!」

「なになに?ママにも聞かせて、七海が何したの?」

「家に帰ってから話すよ、私お腹空いちゃった」

そうねと、立ち去る親子を見送りながら、私も帰らなければと走り出した。ざわざわする胸の内を拭いたくて、駆け足で家まで帰った…。

 「はーい、ラーメン一丁あがりの助」下手なダジャレは止めなしゃれ。心を現実に戻した声が恋人の声でもなく、七海の声でもない所が大変残念で仕方ない。ため息をつく私が、ラーメンのスープに情けなく映っている。隈の出来た目元は、最近の激務を思い出させるので、顔を上げる。

「おまたせ、ハニー」まじで来たよ。少々舞い上がりながら、頭で情報を整理する。

タレこみどおり、追っかけていたタレント溝口るるか(本名:木元 由利)の隣に、ロックバンドのギター担当、エリック(仁藤 理久)がお忍びデートの真っ最中。

「エリック、遅かったね。浮気でもしてたのぉ?」

「そんなわけないじゃんよ、俺にはお前だけさ」

無理あるよ、それ。だって、さっきからスマホ気にしているのバレバレだぞ。

録音機をセットし、ラーメンをすするふりをして、忍者の気分で黙々と証拠を集める私。

そう言えば、あの時もラーメンをすすっていたっけね…。

 「ねー、ここにあったパンフレット知らない?」

大学の卒業旅行にと決めていた、南国バリのパンフをどこかに置いた気はするのだけれど、

どこに置いたか忘れてしまったある日。子供の頃使っていた勉強机にもしかしてあるかもと、探していた時だった。錆びていた歯車が、時を超えまたも七海を会わせてくれた。

「あれー、ここなんかあるな。なんだ?」包みが引出の奥に引っかかってなかなか取れない。いつもならば、スルーするそれをその日は、どうしても見たくなった。

「うん、しぶとい」腕をぐいぐい奥へ奥へと進める。

「…、あーうーん。よっと、取れた」

可愛らしい水色のペンで書かれた私の名前、後ろには七海の名前。

何か忘れているような…、気になって読み始めてしまった。

 「美海へ、こっちは段々寒くなってきました。そっちはまだかな?今日は定期テストの結果が返ってきて、赤点を免れたことに安心してます。それではいけないんだけど(= =)ふう。美海、これから大事なこと書くから、驚かないでね。そして、誰にも言っちゃだめ、2人だけの秘密。私は、美海と何か不思議な縁があるなと感じていたのだけど、思い込みじゃなかったみたい。今私はおじいちゃんの家に住んでいるのは知っているでしょう。

先月お祖母ちゃんの通夜で、お祖父ちゃんがそっと話してくれたの。

私は、双子の片割れでもう一人、私の妹がこの世に存在するらしいの。そして、お前はもう既に妹に会っている。と、しみじみと言われた。

そう、あなたがその妹。混乱した?あなたのことだから、きっと何とも言えない顔で固まっているでしょうね。これは運命の悪戯って言葉じゃ片付けられない、重大な秘密。

 お互い大人になった時、この事について話し合いましょう。」

 なんでこんなこと忘れていたのだろう?私。知らなかったとかかな?こんなインパクト大ありの事件、忘れるわけないもの。七海は、中学に上がる春、青森に越していった。

私と七海は、文通をしていたが、手紙が途絶えがちになり、いつの間にか止めてぃまった。

埋もれたどこかに、きっかけがあったはず。だとすれば、きっとこれ…。

最低、私最低だ。七海がせっかく打ち明けてくれた秘密を、知らないふりをしてしまった。

そして、いつの間にか本当に忘れてしまい、忘却の彼方に置いてしまっていた。

ごめんね、七海。ごめん。なにか手がかりはないか?封筒の口を下に向け、振ってみた…。

 「今年の桜も終わっちゃったね」ライトアップされた大きな桜の樹の下で、佇む七海に声を掛けた。

「遅いよ、また忘れられたかと思ったよ。今年も一人花見はきついって」

「正直に言うね、ずっと忘れてた。ごめん、本当にごめん。」

「……変わらないねそういう所。さ、今夜は飲むぞ妹よ」

「おうよ、がんがんいこう、七海姉さん」

 現在、七海は結婚し2人の子供の子育て真っ最中。私はエース記者を目指し日々、ゴシップを追いかけている。                             END


「サタンが家にやって来る!」

 指先から血が滴る。真っ赤な林檎の果汁を飲むように、下からそっと飲み干した時ちょうど彼女を想い出した。クリスマスの夜、俺のもっとも嫌いな野郎の誕生前夜祭の日。

紙なんてクソくらえ、心で毒づいてみたけれど、それも面倒になって眠ることにした。

甘いブドウ酒が、体内を巡りまた血液に戻る。快感が背中を駆け抜け、俺はまた白昼夢を見る。

 「こっち、こっち」ブロンドをなびかせ、緑の丘を駆ける君は澄んだ青い瞳を僕に向けては微笑む。春風の吹くあの昼、二度と戻れない世界の記憶…。

「相も変わらず一人の夜か?寂しすぎだよ」

陽気な声が耳に障る。吾輩の屋敷に来るとは、勇気あるな。誉めてやろう。

閣下風に答えてやろうかと思ったけど、そんな気分じゃないので止めた。

「サンタ、いやサターン様がやってきたのに、反応薄いな。もっと敬え」

「サターン様が、聖なる夜にサンタの格好をしてくるなんて、なんて驚き!」

「……お前今年も彼女出来なかったの?この際、俺様がマイハニーの可愛い所を土産に、

今年も付き合ってやる」

呆れたかと思えば、急にのろけだす。この男、底が読めない。ていうか、帰ってくれ。

「…帰れ、マイハニーのためにも、一緒にいた方がいいだろう?」

「確かにな、しかし、お前はほっとけないんだよ。こんな幸せな夜に、たった独りなんて侘しい」

 「幸せか、俺は置いてきたんだ。光の中になにもかも」

僕には家族がいて、恋人がいて、職場の仲間もいた。しかし、流行り病にかかり、そのまま僕は夜の住人になった。命の恩人は目の前の、サターン(魔王)さんだったりするので、むかつく。

「お前、住人になって何年になる?もう、10年だろう?立ち直れよ、過去は振り切ってさ」

「うるせー、そんなに俺と歳変わらないだろう。そんな奴に説教されたくねーし」

「まぁまぁ、そんなにしょげんな。俺が付き合うから、来年こそ彼女作るぞ作戦を練るぞ」

ケーキを箱から取り出し、るんるんチキンを皿に出したりしている後姿を見ていたら、少し気分が上がってきた。テーブルの下に隠してあったワインを開け、ワイングラスを二つ分用意し、注ぐ。男二人、楽しいクリスマスを…。するかバカー。

しばらくして、男二人なぜか沈んでいた…。

 「そんでさ、ハニーが言う訳よ。仕事と私どっちが大事なの?って、バカーお前に決まってんだろうってもちろん言うよ、もちろん。だのに、嘘だわって瞳が泳いでるものだって。気のせいだよ、疑うのが仕事なのに、プライベートで疑われるのはもう…」

「毎年こんな会話してない?懲りないねあんた。でも、それも味だね、あんたの特徴?」

「あんた言わない、そんな子に育てた覚えありません!悪い子にはプレゼントあげません!」

「な、なにくれるの?分かったいい子にするから、プレゼントちょうだい」

「だーめ、俺サタンだよ。サンタだけどサタンだからね、性格悪い奴なのよ。お分かり?」

「嘘つきだね、超いい人だもんね。胃に穴あいたんでしょう、あれ治った?」

「ああ、痛かったけどね。ぎり合格ってことで、はい」

リボンに包まれた袋を紐解くと、おしゃれな手紙が入っていた。

「Hey,Boy。YOU現世に帰っちゃいなよ!」

「俺にゾンビになれって事なら、お断りする」

 「なんでさ?あんなに恋しがってた女の子、旦那と別れて苦労してるらしいよ。

人間って訳にはいかないけど、動物ならって天使様と約束してきたんだけどね」

「…まじか。どんな感じなの?鳩とか、牛とか、馬とか?」

「いいや、犬。犬ってなかなか人気なんだけど、元上司と部下ってことで融通してもらった」

「まあ、腐ってるよりはいいもんな。で、いつ帰れるの?」

「期日は決まってないけど、近いうちってだけは知ってる。こんな時間だし、俺そろそろ帰るわ」

「ハニーによろしく、じゃあまたばいばい」

「さいなら」

ひらひら手を振り、消える背中を見送りベッドに突っ伏した。酔いが限界になり、瞼がゆっくり閉じるのが分かる。僕、久しぶりに気分いいかも。ふふと笑いが自然に漏れた…。

 クーン、クーン。朝陽が瞼を通して、頭がぼんやりと覚醒し始めるのを、感じた。

「生まれた、お母さん生まれたよ。ヘイリーが子供産んだ」

「そうね、良く頑張ったわね、ヘイリー。この子、なんだか懐かしい気分になるわ、どこかで会った…はずないわよね。男の子だから、アーサーでいいかしら?」

「うん。よろしく、アーサー。」

 新しい人生が始まった…。

                           END


 「アンリの涙草」

 アンリはベロニカをカロリーナ山の頂に連れて行くと、ベロニカに誓った。君を一生守る、どんな苦難からも…。それから幾年たったことでしょう…。

 ベロニカが眠る場所に佇むアンリがおりました。もう涙も出ないほど泣いて泣いて、泣き明

かしたアンリ。花を一輪手向けた時、風が想い出を運ぶかのようにトンビが遠くで一鳴き。

まるで本当に泣いているかのようで、枯れたはずの涙が一筋。頬を流れる滴が、膝元の草に落ちたその時、清らかな光が溢れ膝をつくアンリの体を、包みそして壁を作りました。

 壁の中に現れたのは、天国にいるはずのベロニカ。口を開けたままのアンリを眺めていたベロニカは、ゆっくりと微笑んで、こう言った。

「あなたは私のために、一日一日無駄に過ごさないで。泣いているならば、笑って積み重ねてほしいわ、一日一日を…」

 アンリは悲しみの涙ではなく、歓喜の涙を久しぶりに流した。彼女はそんなアンリの様子を見届けると、空に帰っていった…。

                           END


吸い込まれなかったって方も、そうじゃない方も、名前だけでも覚えといてくださいまし。では、本当にさよならです。(^^;)

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― 新着の感想 ―
[一言] どかっと全部盛りしないでそれぞれで投稿したらどうでしょう・・・多いよさすがに!!
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