第九話 木片
館に帰った時は体の芯まで冷え切っていた。
あの後車庫から出たら、助手の姿がどこにもない。どうやら張り切りすぎて館から離れたらしい。
正直このまま放っといて帰ろうかとも思ったが、一人で何をしていたのか突っ込まれるのも具合が悪い。
特に先ほどの発見、俺程度の頭を持つ奴ならあっさりと何がどうなったかを理解するだろう。
動き回ったことで痕跡は消したつもりだが、橇の消失だけはどうしても誤魔化しきれない。
お互い捜索に夢中になっているうちにはぐれた、って言い訳も苦しいしな。特に探偵の疑惑を受けるような行動は謹んだほうがいいだろう。
「おーい」
大声で呼びかけてみるも、吹雪の音にかき消されるばかり。
「おーい」
だめだ、いくら呼びかけようが声が遠くまで聞こえるとは思えない。
館から少し離れたら二次遭難の危険性があるし、ん、ここは仕方がないな。
惜しい人を亡くしました。
さて別れた言い訳を考えるか。
急に喚きだして雪の中に駆け込んでいった。ちょっと苦しいか。
よし、寒さで探偵の幻影が見えたことにしよう。
探偵の名前を叫びながら雪の中に駆け込んでいった。裸で…。
……常識的に考えてありえないな。
これじゃ普通にはぐれたって言った方が信憑性がある。今は阿呆な事考えている場合じゃないってのに。
「おーい」
「おーい」
ほらこんな寒いから幻聴まで聞こえて来たじゃないか。
「おーい、どっちですかー」
随分はっきり聞こえる幻聴だなあ。
「おーい、助けてー」
あーあ、幻聴で押し通したかったのになあ。この寒い中まだあの鬱陶しいのと歩かないといけないのか。
「こっちですよー。松本さーん」
お互いに呼び合うことしばし、吹雪をかき分けて半分雪に埋もれた助手が姿を表した。
もうほとんど動く雪像状態。某RPGでマドハンドに呼ばれそう。あれは大魔神か。
「ちぃ、生きてやがったか」
「え、なんですか?」
「いえ、姿が見えなくなって心配してたんですよ。で、どうしてこんな吹雪の中を遭難しそうな事したんですか」
「あ、いえ。外を探してたら妙なものを見つけましてね。これです」
そう言って助手が差し出したものは。
「木片?これがどうかしましたか」
「ええ、この木片白いペンキが塗ってあるでしょう。おそらく白病館の一部が剥がれ落ちたんだと思うんですよ。これが半分雪に埋もれてまして」
「そりゃ古い建物だから一部が壊れて剥がれ落ちたりするでしょう」
「いいえ、裏を見てください。まだ新しいでしょ。どうみても落ちてからまだ時間はそれほど経っていない。ひょっとしたら殺人が起きた夜に壊れて落ちたのかもしれない」
「……………」
「だからひょっとして何かの証拠になるかと思って取りに行ったんですけどね、手に取ろうとした時、ひゅーってこれが風にとばされて。で必死に追っかけてたらどこにいるのかわからなくなってしまって」
こいつ……なんて物を見つけるんだ。
まずい、まずいぞ。あの探偵がこいつの言うようにとんでもなく有能なら、ひょっとしてこれから処分方法を導き出すかも知れん。
俺の考えに間違いなければ、この木片は処分の工程の一部で落ちた可能性が高い。
大体何で日も明けないうちから落ちたものを見つけるんだよ。
後はこの木片と合う場所を見つけるだけ、そしてそれはまずあそこに間違いあるまい。
やっぱこの助手見捨てておけばよかった。遭難でも何でもしておれば良かったものの。
何が
「これは早速先生に報告せねば」
だよ。
問題は俺の方だ。橇が消えていることを喋るか否か。
いや、ここに探しに来たのはあくまで死体だ。橇などに注意を払わなかったと言ったらそれで御終いだ。俺の不利益になることは何も無い。
ただいつまでも隠しておくことは不可能だろう。助手と共に車庫に入った者として何か変わった事はないか聞くはずだし、そこで誤魔化してもズバリ橇が無くなっているのではないか。と聞かれたら正直に答えざるをえない。いい所、死体を探していて気がつかなかったと言うくらいだろう。
まずい、まずい、と考えているうち、玄関に行き着いた。
身も心も凍りついたような気分のまま、屋内に入ると全身を暖かい空気が包み込む。
メイドが気を利かせてブランデー入りの紅茶を持ってきてくれた。一口、喉に流し込むと全身が熱を帯びたようになり、ようやく人心地ついた気分になった。
ただあくまでそれは肉体の部分だけ。気持ちの方は一向に晴れやしない。
疲労困憊した風を装って玄関脇の椅子に座ってこれからの事を考える。
早速助手は探偵にご注進に行ったので、あの木片の事はすぐに知ることになるだろう。
問題はそこからどこまで推測されるか、だ。
一番いいのは事件に関係ないだろうと思い込み、そのまま捨ててしまう事。これだと何の問題も起きず、死体の処理方法も俺が気がついただけに留まる。
まずいのは俺と同じ思考を辿って、死体の場所まで行き着かれる事。ただこの場合もイコール俺が犯人という事にはならない。この様子だと探すのも無理みたいだし、事件に関する推測の材料が増えた程度だろう。
考えがまとまらないうちに、探偵と助手が姿を表した。
助手は緊張した表情で、探偵は相変わらず無表情なまま、階段を上がっていく。
手にはあの木片を持ったまま。
探偵たちの姿が二階に消えて、やがてドアを閉める音が聞こえた。あの様子だと現場に入ったらしい。
どうやら気付かれたかも知れないな。
現場の窓を開けたらしく、風の音がやけに大きくなった。その音を聞いていると、先ほどのように体が芯から冷え込んでくるような気分に襲われた。
やがて風の音が絶え、二人が階下へと降りてくる。座り込んでいる俺の目の前を通り、食堂に入った。
微かに探偵とメイドの話す声が聞こえる。
「……ではこの館の中……庫に直……けるわけですね」
「は……らのドアを使え………す」
途切れ途切れ漏れてくる会話。もう聞かずとも内容はわかっている。
この館内から直接車庫に行けるかどうかを聞いているのだろう。
答えはイエス。館内と車庫は一枚のドアで繋がっている。
疲労と酒精のせいだろうか。俺はその会話を聞きながら、いつしかうとうとと夢の世界へと落ちていった。
探偵の行動を見逃すな、という内心の声も虚しく……。
……………。
「すいません、藤城氏。少々伺いたい事があるのですが」
そう言う声と同時に肩を揺すられ、俺は目が覚めた。
「はあ、何でしょう」
「ああちょっと聞きたいんですかどね。あなた先ほどまでコイツと外探していたでしょう」
と助手を顎で指し示す。そんな扱いにも拘らず呼ばれた事にちょっと嬉しそうな助手。
ここまで来ると崇拝云々より性癖を疑いたくなってくるな。
「ええ、でも死体は見つかりませんでしたよ。っていうかあの雪の中に埋められていると下手すると春まで出てこないかも知れませんね」
「それか警察による人海戦術ですね」
警察、という単語を口にした際、微かにこちらの表情を伺う素振りを見せた。大丈夫、反応は無かったはずだ。
「いや警察とかはいいんです。死体の隠し場所は予想がつきましたから」
「へぇ………」
驚いた風をして探偵の顔を見上げる。そこにあるのは相変わらず氷の様な無表情。
「そうですか……和人君はやはり……それで彼はどこに居たんですか」
「ああ、場所がわかったとは言え少々見つけにくい所にありましてね。それでその場所を確実にするために、貴方にも協力してもらいたいんですよ」
「え、でも俺はどこにあるか全く知らないんですけど」
「いえいえ、いくつかの質問に答えてもらうだけで結構ですよ。さて」
彼女はそこで微かに息を吸い、
「車庫で無くなっているものはありませんでしたか」
やはりこの質問が来たか。
「ええと、ずっと彼と死体を探していましたからね。特に何が無くなっているかは気が付きませんでしたけど」
「質問を変えましょう。あそこには橇があったと聞いているんですが、それは車庫にあったでしょうか」
来た。この質問にどう答えるか。
「ええと特にそんな物に気をつけていたわけではないからわかりませんが……そういえば無かったような気がします」
「なるほど、私たちもさっき車庫を調べたんですけどね。やはりありませんでした。ちなみに何か滑るもの橇とかスキーとか無いか秀雄氏に確認したんです。いくつかありましたが、無くなっているのは橇だけでした」
そういうと俺の顔をまた覗き込む。
「いやそんなはずはありませんよ。昨日みんなで遊んだ後、確かに車庫にしまったんですから」
「ふむ、しかし先ほど見たらそれは無くなっている。これが何を意味するかわかりますか?」
「その後誰かが遊んでほったらかしにしたんじゃないですか。今頃雪に埋もれているとか」
「ふむ……ま、橇の事はもういいでしょう。そしてもう一つ、車庫内にロープがありましたよね、あれは最初から濡れてましたか?それとも貴方が座った事で濡れたのですか」
失敗したな。ロープから目を逸らさせる為に自分で濡らしたのが逆効果になった。つくづくあの木片さえ見つかっていなければ。
「んーよく覚えてないですね。しかしどうしてそんな事気にするんですか。橇やロープが死体の隠し場所と関係するとは思えないんですが」
「まあ今の所予想だけなので、後で皆さんが揃った時、昼食の時にでもお話しますよ。それにしてもわざわざロープの上に座りますか。普通座るのなら床の上でも座るでしょうしね」
「座布団替わりですよ」
探偵の目に微かに俺に対する疑惑の光が浮かんだような気がした。
いかんなあ。先走って動きすぎた事が逆効果だったか。結果的に他人の罪を庇っているような感じになってしまった。
誰がやったか知らないが、他人の死体損壊の罪まで押し付けられてはかなわない。まあ一部損壊させたのは事実だが。
問題はそいつに罪を押し付けるどころか、こちらがそいつの罪を被る形になってしまっている事。
いかんなあ、なんとかしないといかんなあ。
探偵が別の人間を尋問、おっと話を聞きに行った後、メイドが昼食を呼びに来るまで、俺はぼんやりとそんな事ばかり考えていた。