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第六話 現場

部屋の中央にあるのは小さな池。

それも森のほとりにある清らかな水が湧き出し小鳥が休らう清冽な池ではなく、赤黒く染め上げられた地獄でしか湧かないような池。

そこにあるのは血溜りだった。

部屋に立ち込めるむっとするような血の臭い。

それに当てられたかのように景子がふらつき、夫に縋り付く。

そのまま声を殺して泣き始めた。妻の肩を抱いた夫の手にも力がない。

おそらく二人共……最悪を想像しているのだろう。


あらら、犯行時は焦りもあって気がつかなかったけど、こうやって改めて見ると半端ない量なのね。

こりゃあの探偵も一目で死んでるとわかるわ。

ちなみに部屋の中に入っているのは詩織と澤木の二人だけ。他の人間はドアの外から覗き込んでいる。

「どうですか、先生」

「あ、た、確かにこれほどの血が流れたとすると、もうすでに……。しかしこれが和人君の血であるという証拠は……」

「それは確かにないですね。でも他に考えられないじゃありませんか。これほど大量の血が流されている、それで和人氏だけがいなくなって他の人は全員いる、引き算にもなりませんね」

「……………」

「まあ先ほどのお嬢さんが言ったように、これが壮大なドッキリだとすれば話は別ですけどね。まさか犬か何かの血を撒いたとも考えられないでしょう」

「馬鹿な事を……」

そこまで言って探偵は、その美貌に浮かべた薄笑いを真顔に戻す。

「それより先生、死後、いえこの血が流れてからどのくらいの時間が経ったかわかりますか」

「ああ、詳しいことは鑑定してみないとわからないが、大体三時間から六時間と言えるだろう。ただ問題は」

そう言って澤木は暖炉を一瞥した。

「あの暖炉が使われていたかどうかによる」

「ああ、それなら使われていたでしょうね」

何でもないような事のように探偵が答える。

「犯行に使われた道具、厳密に言えば牛刀や鋸とかですね。それらが燃やされてましたから」

牛刀や鋸という単語に反応したのは女性陣だ。

この血溜りを見た上でのこの言葉。衝撃を与えるには十分すぎた。

しかし女性は男性に比べて血に強いって、アレ迷信なんだろうか。

香織が青い顔をして口を押さえて駆け出す。行き先はトイレかな、間に合うといいな。

気を失った景子や座り込んでしまった吉江を横目で見ながら、俺は心の中でエールを送った。

「まあおかげで仮に警察が来たとしても指紋の検出は無理ですね」

そんな状況にはお構いなしに探偵が続ける。

「で、先ほどのイタズラという話ですが、単なる悪戯で皆さんを驚かせようとするなら血痕だけで十分、わざわざ凶器を燃やした痕跡まで用意する必要はない」

「あ、ああ」

「それにこれで外部犯行説が消えたという事もご理解いただけたと思います」

探偵はさらに続ける。言葉は丁寧だが完全にこちらを馬鹿にしているのが、透けて見えるなあ。慇懃無礼のお手本みたいな態度だ。

「お分かりにならない?ふむ、つまりですね。外部から侵入者があったとしてそれが単なる強盗犯だったと仮定してみると、このような凶器を用意する理由がない。他にも和人氏の殺害が目的だったとしても、わざわざこの吹雪の中、遭難の危険を冒してまでここでする理由がない。まあ後外部から侵入者があったとしたら和人氏が殺害する理由で呼びよせ」

「き、君は和人がさ、殺人者だというのか」

「仮定の問題ですよ。あらゆる可能性を探っているだけです」

探偵は声を荒げた秀雄に軽く答える。

その答えに眉をひそめた彼。だたそれに対する行動は妻を強く抱きしめただけだった。

「ま、秀雄氏に先に言っておくとその可能性はほとんど無いといっていいでしょう。何故ならそれこそ理由がない」

「理由が……無い……」

「ええ、仮に殺人を犯すとしたらそれなりの理由が必要です。だとしたら相手にもその理由に心当たりがある場合が多いはず。そんな相手に呼び出されるなら多少なりとも用心するでしょう。特に」

そういって窓の外を眺めた。そこにあるのは相変わらず白い闇。

「特にこういう風に隔絶されて国家権力の及ばない場所なら特にね」

「……………」

「それに和人氏が殺人を犯したとすれば、ますますこの状況は避けるべきです。何故なら犯行の痕跡が残されていて彼が行方不明になった場合、まず被害者は彼と断定されます。そして彼は死んだとされる」

「だ、だったらそれこそ彼の思う壺じゃないか」

そう問いかける岡村に軽く視線を向け、探偵は反論する。

「いえ、逆です。この嵐が終わった後の事を考えてください。この血痕は警察によって徹底的に検査されますよ。血液型、まあ血液型が一致したとして次は間違いなくDNA鑑定。あらゆる手段を用いてこれは検査されるでしょう」

探偵はそこで息を継いだ。その他の人間は微動だにせずその言葉に聞き入っている。

まるで預言者を前にした民衆のように。

「現在の科学捜査を素人が誤魔化すことは不可能です。そしてこれが和人氏の血でないと判明した時は……。もうお分かりですね」

ふう、誰かが溜息をついた音が聞こえる。秀雄は一層固く妻を抱きしめる。まるでそれによって息子の死が無かったことになるとでもいうように。

「もう一つ、外部犯行説を否定する材料として鍵の問題があります」

探偵はそう言葉を続けた。

思わず俺はにやけそうになる口元を引き締める。

誰だか知らないが全く余計なことをしてくれたものだ。

おかげで……お陰様で俺にかかる容疑は少しは軽くなったはず。

「和人氏の持っていた鍵はこの部屋の中、そこの机の上にあります。それなのに有希子氏の証言によるとここには鍵が掛かっていたという」

そこで一度言葉を切ると、一同の上に沈黙が落ちた。

おそらく探偵の言わんとする事がわかったのだろう。少し安堵の表情を見せる者、一層不安に満ちた者、いやはや賑やかなことだ。

俺も少しは安心したような表情を出しておかないとまずいな。

探偵はそんな一人一人の顔を覗き込むような動きをした後で、ようやく続きの言葉を発した。

「ところでこの中でメイドの控え室に予備の鍵があったと知っている方、手を挙げてもらえませんか。」

真っ先に、しかしおずおずと手を挙げたのはメイドの三上だった。

自分が知っているのは全員に知られているし、この事件についても自分は局外者だと判断したのだろう。

それに連れられるように数人が手を挙げる。

ふむ、まずは吉岡秀雄、これは主として当然か。今は気絶しているが当然妻の景子も知っているだろう。

椎名、柊も知っているか。

知っていたのは五人と考えて間違いないだろう。

俺?手を挙げるはずがないでしょう。実際本当に知らなかったしね。

知らなかった人間の視線にさらされて、秀雄と椎名の顔がみるみる青くなる。柊だけは相変わらず何を考えているかわからない人を喰ったような笑みを浮かべたまま。

「探偵さん。ちょっといいですかね」

その笑みを浮かべたまま、柊が言葉を発した。

「いやね、探偵さんの言いたいことはわかるんですよ。でもね、その一点だけで容疑者を絞るというのは少々短絡的じゃないのかな」

「そ、そうよ。そんな事だけで疑われてたまるものですか」

椎名がそれに続いて抗議の声をあげる。疑われた不安か、怒りのせいか、目尻が釣り上がってるぞ。

柊はそれに構わず、探偵に話しかける。

「だいたいですね、あの予備の鍵ですけどね、探偵さんメイドの控え室に入った事あります?」

「いえ、昨日は着いたすぐに部屋に通されたものですから」

「ああ、それならしょうがないか。あのね、予備の鍵はね、目立つように壁に吊ってあるんですよ」

ベイツモーテルみたいなものを連想した。……あれ確かにわかりやすいけど、少々無用心じゃないかね。

ああ、そういう事か。

おかげで俺はまた捜査の舞台上に引き釣り出されたよ。

全く、一安心だと思ったのに。

「だから控え室に入った人間は誰でも予備の鍵がそこにある事は知ってるし、そこの……三上さんか、彼女がいない時を見計らえば簡単に手に入れられるって寸法」

「そ、その通りだ」

今度は秀雄が援護射撃。

「それに彼女の寝室は別になっているから、夜中は誰でも簡単に鍵を取る事ができる」

「……随分無用心なんですね」

「それはこの館に泊まる人間は顔見知りばかりだからだ。まさかこんな事が起きるだなんて、夢にも思わんだろうが」

「なるほど、しかし逆に言い換えれば控え室に入った者でなければその事はわからないとも言えますね」

「控え室くらい誰でも、三上君に用事があれば行くだろう」

「つまり用がなければ行かない。これで皆さんも内部の者の犯行という事がわかったと思います」

探偵が一同の顔を一瞥する。何だろう、その美貌から凍えるような寒気を感じる。屋内なのに吹雪吹き荒れる外にいるみたいだ。

「こんな天気、それに夜中にわざわざ呼び出された、もしくは侵入した人間が目的地以外の場所を訪ねるとは思えない。まあ鍵がある事を知っていたかもしれませんが、それでも誰かに目撃されるという危険性を冒してまで控え室に行こうとは思わないはずです。同様の理由で窃盗の可能性もこれでなくなる、まあこんな天気に入ろうとする泥棒もいないと思いますけどね」

探偵の顔を見ていると、そこから発せられる冷気がますます強くなっている気がする。

結局、ここでわかった事は内部犯行説が確定したという事だけか。

ただ、それは同時に死体を隠した人間がこの中にいるという事も示している。

まあ押し入った強盗が疑われるのを恐れて隠して逃げた。などという甘い考えを持ったつもりはないが、何か隠さなければならない理由を持った人間がこの中にいると、改めて考えると不気味この上ない。

まあ実行犯が俺とわかっていたら、全員の前で告発するか、何かしらのリアクションを起こすはず。

前者をされたらお手上げだが、未だそれをしないという事はバレてないか、もしくはそれが出来ない理由があるという事。

バレていない場合は早急に相手を見つけて対処する必要がある。

まあ結局は今までの方針と全く変わらない事を確認させられただけだ。

まあ今のところは判断できる材料が無いという事には変わりないし、何か新しい手がかりか証言が見つかるとかの動きを待つしかない。

諦めたらそこで試合終了なわけだし。

「さて、それでは何故鍵を掛けたかという問題が残りますが」

「そんなのどうでもいいじゃない!!」

探偵の言葉をかき消るように、絶叫が辺りに響き渡った。

声を発したのは気絶から目覚めた景子。仁王立ちし、両目は釣り上がり、口は噛み締められている。

こういう状態になった人って厄介なんだよなあ。

「誰かが入ってきたとか、鍵とかどうでもいいの。まず和人を見つけるのが先でしょ。ひょっとしたらまだ間に合うかもしれないじゃないの。こんな所でどうでもいい事喋ってる場合じゃないでしょ」

鬼気迫る表情で探偵に噛み付くその様は、まさに鬼子母神。

無表情だった探偵が困惑したような顔を見せる。この状態になった人間に何を言っても無駄という事もわかってるみたいだ。

俺の近くでは助手さんが顔を真っ赤にして景子を睨みつけてるし。

探偵の見せ場を取られたのがそんなに不満なのかなあ。しかしコイツ、ゲームではもう少し飄々としたキャラだったような気がするけど。

何か狂信者みたいな雰囲気持ってるんですが、今の彼。

しばし睨みつける景子と困惑した探偵の間で沈黙が満ちた。

誰も喋る者はいない。

もちろんとばっちりを受けては堪らないので、俺も喋らない。

やがて探偵がゆっくりと口を開いた。

「景子氏の言う事も尤もです。それでは……」

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