十三話 白衣
「椎名さんの部屋から白い女の人が出て行ったの。彼女も殺されたんだわ」
その言葉を聞いた途端、一同の目はその部屋の扉に釘付けとなった。
「見間違いという事はないのかね」
澤木医師が一言漏らす。その声には不信感がありありと籠っている。
「ま、間違いないわ。本当よ。本当に白い服の女があのドアを開けて」
「僕も見ました。だから彼女の言っている事に間違いないです。それにあれは椎名さんじゃありません、遠目でしか観てなかったけどもっと若い……」
震える声で高木が声高に喋る。その彼女の声に被せるように、岡村がそれを肯定する。声は震えているが、こちらは幾分落ち着いているようだ。
「やっぱり、あの怪談って本当の事だったのよ」
「怪談?」
急に飛び出した単語に首を傾げる探偵に、
「ああ、それは僕から説明しましょう」
答えたのは柊だった。
お前いつの間に登場したんだ。
気が付くと吉岡夫妻と椎名を除く全員がこの場所に集合していた。助手もいつの間にか探偵の後ろに控えていて、きらきらする目で探偵の様子を見ているし。
……彼にはもう何も言うまい。
「なるほど、そんな話が」
柊の説明を聞いて、探偵も高木の言葉に納得がいったらしい。
「というか、あなた吉岡さんとは付き合いが長いらしいですが、今までこの話を聞いた事なかったんですか」
そういう探偵に柊が皮肉な言葉を浴びせる。
ほら、またそういういらん事を言う。助手が凄い顔で睨んでるぞ。
まあ、気にする性格でもないだろうけど。
「ええ、私がここに招かれたのも今回が初めてですし」
探偵も心得たもので、涼しい顔で受け流す。
「それでは澤木先生と藤城氏、柊氏は椎名氏の様子を確認していただけますか」
え?俺もなの?
探偵はそのまま視線をまだ震えている岡村と高木に向けて、安心させる口調に切り替えて二人に問いかけた。
「で、お二人は何故こんな所に」
二人が探偵に説明を始めるのを尻目に、我々は未だ沈黙を続ける扉に目を向けた。
「しかしこれほど騒ぎになっているのに、肝心の彼女が姿を見せないのは不自然ですね」
「ああ、それはだね。彼女の為に睡眠薬を用立てた事がある。彼女たまに神経が過敏になって眠れない事があるらしくてな。市販もされているそれほど強い薬じゃないが、ま、目を覚まさんのも無理はなかろう」
「確かに。こんな事件があった後じゃ、飲んでいても不思議じゃないですね」
会話を交わしながらも、ノックの後ドアノブを回す。うん、思った通り鍵は掛かっているな。
「なあ、本当に椎名さんに何かあると思ってるのかね」
「まさか、幽霊なんて……ねぇ……。でも彼らが二人揃って同じ幻を見るとは考えられませんし、それに和人君の事件もあった事ですし……うおっ」
「おばさん、おばさん、無事ですか」
澤木医師と恐々と会話を交わしていると、柊が突然大声で呼びながらドアを連打し始めた。
いや、一番正しい行動だろうけど、空気読めよ。心臓が飛び上がるかと思ったわ。
岡村と高木、助手まで呆れた顔でこちらを見ている。探偵は……あいかわらずのポーカーフェィスだよ。
幾度となく繰り返されるノック。
そろそろ斧を持ってきた方がいいんじゃないかと提案しようとした、その時。
「一体何事ですか」
鍵を外す音が聞こえ、椎名がゆっくりとドアの隙間から顔を覗かせた。
寝起きのせいか、体の調子が悪いのか、顔色は真っ青を通り越してどす黒い色をしており、目はもう真っ赤に充血している。
「おお、無事だったか。……随分顔色が悪いが、調子でも悪いのかな」
医師の問いかけを無視し、彼女は俺たちをぐるりと見渡した。何となく目の光も弱々しくなっている様な気もする。
そうして視線を我々の上に走らせる彼女。一瞬、その瞳に怯えの色が走ったような気がした。しかし次の瞬間、それは元通り弱々しい光に塗りつぶされる。気のせいだったのかな。
そうして彼女はしばし俺たちを見渡した後、深く溜息をつき、
「どうしたんですか、こんな夜中に皆さん揃って」
再度、先ほどの問いを繰り返した。その表情からは迷惑そうな色がありありと感じ取られる。
「………………………」
俺たちは思わず押し黙ってしまった。彼女の無事は確認できたが、よく考えると当人に
「あんたの部屋から幽霊出てきましたよ」
とか言えるわけがない。
俺たちは誰が口火を切るか、それを視線で押し付け合う。恋人二人は相変わらずショックを受けたままだし、探偵はと言えば明後日の方角を向いてやがる。助手は興味深そうにこっちを見ているけれどもあいつに説明させれば、どんな事態になるかは火を見るより明らかだ。
柊は……黙ったまま澤木医師を見つめている。
俺も黙って澤木医師を見つめる。
左右を見渡し、えっという表情をする医師。
黙ったまま彼を見つめる俺たち、いつの間にか助手まで仲間に加わって彼の顔を見つめている。
探偵は我関せずといった様子で、小声で二人の事情聴取を再開している。
「あー。その、な、なんだ」
俺たちが無言の圧力をかけ続けているとそのプレッシャーに負けたのか、如何にも嫌々という口調で澤木医師が口を開いた。
「さっきそこの二人がだな。ここらの廊下で怪しい人影を見たらしいんじゃ。まあ、ああいった事の起こった後だから、な。一応全員の安全を確認と思っての」
流石に年の功というべきか、焦点はずらして上手い事説明を始めた。
「……私は先ほどまで寝ていたものですから」
「部屋の中で何か変わった事はありませんでしたか」
いつの間にかちゃっかりこちらに向いている探偵が口を出した。
「いえ、全く変わった事はありませんでしたけど。それにドアには鍵を掛けていましたから、もし人影が本当だったとしても私の部屋には関係ありませんし」
言外に見間違いだろうと匂わせながら、椎名が答える。口調は迷惑そうを通り越して、不機嫌そのものとなっている。
確かにドアには鍵が掛かっていたし、先ほどの二人の台詞からは女はこの部屋から出て行ったわけで。とするともし女が本当だとしても、その正体が椎名という事はあり得ない。もちろん彼女が何かを隠しているとしたら別であるが。顔色の悪さも気になるところだし。
もちろん幽霊というのは問題外だ。だ、だよね。
元々のゲームも大して超自然的要素なかったと思うし。
「もういいですか。私、疲れているんです」
そういうと彼女はこちらの返事を待たず、ドアを閉めてしまった。
次いで聞こえる様な音を立てて、鍵が掛けられた。
思わず顔を見合わせる俺たち。
「一体どうなっとるんだ」
医師の一言は図らずも俺たち全員の気持ちを代弁していた。
ぐったりとして涙を流している高木とそれを支えている岡村が部屋へと戻っていく。高木は自分の見たものを幽霊だと信じきっているが、岡村の方は現実主義者の面が強いらしく幽霊だという事を否定している。ただ自分たちが白い女性を見たという事は認めざるを得ないらしく、それが幽霊であるか、妄想であるか、もしくは現実の人物であるか、自分の中でもまだ整理がついていないらしい。まさか柊の怪談を聞いたことで、共同幻想を見たとかいうオチじゃないだろうな。
彼らが自分の部屋へ入るのを確認した探偵が、俺たちに向かって彼女らから聞いた事の説明を始める。
「単純にいいますと、夜中に高木氏がお手洗いに行きたくなったのが事の発端です。そこで同じ部屋にいた彼に付き添いを頼んだ。ああいう事件が起きた以上夜中に二人で歩くというのは決して褒められた行為ではありませんが、まあ終わった事を言っても仕方ないでしょう」
この建物、元々はホテルだった時もあるというのに、彼女らの部屋にトイレは無かったのか。
そう問うと、彼女らの存在はイレギュラーだと回答があった。これは秀雄さんから聞いた話ですが、と前置きがあり
「どうも彼らは和人氏が勝手に呼んだらしいのですよ。本人たちは夏くらいから誘われていたと言っていますが、吉岡夫妻は何も聞いていなかった。どうやら和人氏も誘って忘れていたというのが真相らしいですね。で、こちらから誘ったものをいきなり断るというのも何ですから、急遽空いていた部屋が割り当てられたという事らしいです」
「……和人君、身勝手なところがあったからなあ」
柊が呆れた声で呟く。全く同感だ。彼がもっと落ち着いて行動していれば、彼女を奪われる事もなかった。おかげでその対価を自分の命で支払う事になってしまった。
ま、もっと悪いのは自分の彼女の事を全く知らずに逆恨みをした元藤城なわけであるが。
「まあそんなわけでトイレが終わり二人がここに差し掛かった時、黒髪の白い服装をした女性が椎名さんの部屋から出てきたのを見たというわけです。女性はすっと曲がり角を曲がって見えなくなったそうですが。まあ昼に柊氏から怪談を聞いていましたからね、これは幽霊だと思い込んだ高木氏が悲鳴を上げたという次第です」
「椎名さんが何か用事でメイドを呼んだという事は考えられませんか」
俺はふと思いついた事を言った。正直、自分でも信じてはいないのだが、これ以上の混迷は避けたい、そういう希望も込めて。
「いえ、それは考えられません」
流石に一言の元に否定される。
「なるべくメイド氏を呼ぶのは避けてほしいと吉岡氏に言ってありますし、彼女にも夜中に呼ばれても出歩かないようきつく言ってもらいました。それに二人とも自分の見た女性は黒髪と言っています。メイド氏の髪の色は茶色、ま、暗い廊下ですが、二人揃って見間違うという事はあまりないでしょうね。それに……」
探偵は言葉を途切らせたが、それも一瞬、何事もなかったかのように続ける。
「それに彼女の態度も気になります。もし呼んだのがメイド氏なら何も隠す必要はないでしょうし」
「じゃああんたは椎名君が何か隠していると思っとるんか」
医師の言葉に探偵は微かに、しかしはっきりと首を縦に振る。
「もしくは本当の幽霊が出たか、ですね」
柊の軽薄な言葉も、この緊張の中で空虚に響くばかりであった。
「まあ彼女の態度を見るに、今これ以上何かを聞くのは無理みたいですね。あの顔色を見るに、今いくら聞いても喋るとは思えません。あれはよほど体調が悪いか、もしくは……よっぽどの事が起こったかですからね」
後から思えば探偵は無理にでも聞き出しておくべきだったかも知れない。
翌朝、すっかり寝込んでしまった俺はメイドの声で叩き起こされた。
「藤城様、藤城様」
メイドはドアを何度も叩きながら、泣きそうな焦った声でこちらの名前を連呼する。
「宮崎様が至急、全員食堂に集まっていただきたいそうです。何でも……」
「椎名様が殺されたという事です」