十一話 怪談
「いやいや、大掛かりな捜索の割には何ともしょっぱいトリックでしたね」
食事が終わった食堂。探偵と助手が、調べものがある。と言って出て行った後、誰一人食堂を後にすることなく、我々は三々五々小さなグループを作って固まっていた。
死体の処分方法がわかったものの、未だ犯人が明らかになっていないこの状況。俺にとっては死体遺棄の犯人だが、他の人間にとっては殺人犯、が彷徨いているので単独行動を取るのは不安なのだろう。
もっとも部屋に鍵を掛けて閉じこもるっていう荒業もあるのだが、何故かその方法を取ろうとする人間は一人たりとも居なかった。まるでそれによって引き起こされる何かを恐れるかのように。
というわけで食堂、俺は特に親しい人間もいないので、椅子に腰掛けぼんやりと辺りを見回していた。
心此処に有らずといった風でぼんやりとしている秀雄。この中で一番探偵の手腕を知っているだけに、その推理を否定することが出来ず、それでも息子の死を受け入れる事が出来ない。そんな混乱した心境にあるのだろう。
その側で心配そうに付き従っているのは、澤木と椎名。
医者である澤木が側にいるのは当然ながら、椎名も心底心配そうに彼の様子を伺っている。やはり親戚という事で心配なのかな。
ただその様子は単なる親戚を超えた親しさがあるようにも思えるな。
岡村と高木ペアは手を取り合って、不安そうに辺りを見回している。
そんな彼らの様子を気付かれないように窺っていると、ふいに背後から声を掛けられた。
驚いて振り返ると、そこには柊亮が立っていた。
人形のように整った顔に皮肉な笑みを張り付けて。
「何だ、柊さんか。急に声を掛けないでくださいよ、吃驚したなあ」
「ああ、それはすいません。いやね、随分と興味深そうな様子だったので」
彼のその言葉に心臓が一つ大きく跳ね上がる。
やれやれこっそり観察していたつもりがこの男にはすっかりばれていた様子。思わず舌打ちをしたい気分になるが、それは抑え込むのに成功した。自分に疑念を抱かすような行動は最低限慎むべきだ。
あーあ、嫌だなあ。こんな綱渡りみたいな状況。
そう考えるていると、今食べた料理が腹の底で急に重く感じられた。
上手い具合に計画が成功してここを脱出した暁には、何か食べに行こう。ストレスを感じなければ何を食べても美味いはずだ。コウベビーフがいいな、下手したら月給の何割かが飛んでいくような店でもこの状況を乗り切ったご褒美として許されるだろ。いっそのことそのまま旅行に出て食べ歩きの……。
そうやってぼんやりと意識を別の時空に飛ばしかけていると、目の前の男が再び口を開いた。
現実逃避もさせてくれんのか。
「しかし、なんですね。こうやって雪で隔離されている中で殺人、しかも警察が介入できないってのは探偵小説みたいですね。しかも探偵までいるし」
「どうもその言葉は不謹慎だなあ。まあ状況がそのままというのは同意できますけどね」
ああ、そうだろうよ。俺にとっては探偵小説、じゃなくて推理ゲームなんだよ。実際その中に巻き込まれるとは思ってもみなかったけどな。
「しかもこの状況。まさに雪の山荘、クローズドサークルじゃないですか。ん、何かわくわくするなあ、ふふふ」
そう言うと彼は皮肉な笑みをもっと深くしながら、静かに笑い始めた。
コイツ、ゲームでもこんなトリッキーな性格だったっけ?
その笑い声が聞こえたのか、何人かがこちらに咎める様な視線を送ってくる。
「ちょっと柊さん、不謹慎ですよ」
「ん、大丈夫大丈夫。たとえ吉岡さんに聞こえても、僕は大丈夫」
「……それはどういう意味です」
「ん、いやそんな事よりもね」
そこで彼は声を潜めて次の言葉を放った。
「ところで藤城さん、あなた誰が犯人だと思います」
「そんなの僕にわかるわけないじゃないですか。まあ吉岡さんが言うようにあの探偵が本当に有能なら解決するでしょう」
「んーそうは思えないなあ。むしろ……」
「むしろ?」
「ん、いや、いいです。まあそんな事より、こう見ると誰も彼も犯人のように思えてくるなあ」
「……それには俺も含まれてるんですか。失礼だけどさっきからの言葉を聞いてると、俺には柊さんが一番怪しいような気がしますよ」
少々語気を強めて言い放つが、彼には一向に堪えた様子がない。
ふふ、と鼻にかかったような笑い声を立てると、
「や、そりゃそうだ。誰も彼も犯人でないを知っているのは自分だけ、か。いっそ全員が共犯という方がしっくりくるかも。どうですか?ここにいる全員が共謀してナイフを一刺しずつ、というのは」
「俺以外の全員がですか、馬鹿馬鹿しい。あなた小説の読みすぎで現実と虚構の区別がつかなくなってるんじゃないですか」
「マスコミみたいな平面的な考えですね。ま、確かに探偵小説は三度の飯より好きですけどね。だからこういう状況になっても楽しんでいられるんですよ」
そこまで言って俺の白けたような顔に気が付いたようで、張り付けた皮肉な笑みを苦笑の形に変える。
どんな表情になってもそれが絵になっているのが悔しいな。
「でもまあ本来のクローズドサークルなら中の人間が一人ずつ殺されていくから、こんな事言ってる場合じゃないんですけどね」
「まあここには人形とか無いから大丈夫じゃないですか」
しまった。今の言葉を言った途端、こちらを見る目が同士を見る目に変わってしまった。
「へえ、あなたも探偵小説を読むんですか」
「嗜み程度にはね。むしろこのくらい一般常識だと思ったけど」
いや、それなりに読んでるけどね。でないとこんな推理ゲームをプレイしたりはしない。もっとも自分がその中で巻き添えを食うとは思いもよらなかったけど。
「で、あなたはどういったものがお好きなんですか」
しまった。今の一言は完全に地雷だ。ほら、目の輝きが一層爛々としてきたよ。
「そうですね。探偵小説なら何でも読むんですが、特に横溝正史とかは聖典ですね。特に初期の耽美主義の作品『真珠朗』『鬼火』は常に読み返しています。『蔵の中』は映画版の方が好きですけどね」
「は、はあ」
「ちなみに吉岡さんや椎名さんは『悪魔が来りて笛を吹く』が大好きみたいですよ。もう読むだけでは止まらないほどに」
「あ、ああ、そうですか」
正直彼や彼らの趣味などどうでもいい。
「しかし考えてみればここがクローズドサークルの現場だとすると、まさに舞台としてはこれ以上ない環境ですね」
「何故です?」
「クローズドサークルの条件の一つとして外界からの隔絶というのがあるんですが、大体孤島だと海が荒れて船が出ないという事になるんです。そして屋敷だと基本雪によって閉じ込められる事が多いんですね。まあ中にはごく稀に山火事とかいうケースもあるみたいですが」
「そ、そうですか」
何かさっきと様子が違うな。先ほどまではクールで皮肉に満ちていたのに、探偵小説の話を始めた途端目を輝かせている。
雰囲気も妙に老成したようなものを漂わせていたが、今やそれも跡形もない。
落ち着いてよく観察するとコイツ、俺よりも随分と年下なんだな。雰囲気に騙されていたが、それが取り払われてしまうと何となく弟を見ているような気分にもなってくる。むしろ整った顔なのでボーイッシュな妹のような気も……って俺は何を考えてるんだ。
「しかもこの館、怪談話まであるから探偵小説の舞台としてはぴったりなのに」
阿呆な事を考えていたら、そんな彼の一言で現実に引き戻された。
「怪談話……ですか」
少なくとも元々のゲームではそんなものは存在しなかったが。
やはり本来のゲーム自体とはどこかずれているのか。
「ちなみに怪談ってどんな話なんです?」
「ん、まあ益体も無いものばかりです。ほらここって結構頻繁に持ち主が変わるじゃないですか。だからこの館を買ったら没落する的な話があるんですよ。ホープダイヤじゃあるまいしね」
なんだ、その程度か。それならシナリオの背景みたいなもんじゃないか。
安堵の息をつきそうになる俺をがっかりしたのかと勘違いしたのか、柊は慌てて言葉を続ける。
「いやね、そんな漠然とした話だけじゃないんです。ここって元々は革命から逃げてきた白系ロシア人が建てた所じゃないですか。彼が貴族だったか大商人だったか、ここの所ははっきりしないんですけどね。本人にしてみれば故国を離れてこんなアジアの辺境まで追いやられたわけじゃないですか」
そこまで一息に語ると、彼はようやく例の皮肉な笑みを再び顔に張り付けた。
「まあ当時の欧州やロシアの上流階級からしてみれば、アジアなんか未開の土地みたいなもんですからね。彼も実際島流しにあったような気分だったんでしょう。革命の恐怖が去ると、だんだんと故郷懐かしさに精神の平衡が崩れていったって伝えられてます」
「…………」
「ま、そんなわけで後は怪談話お決まりのパターンですね。ある冬の夜、突然斧を手に取るとまず奥さんの眠っている寝室に乱入。命乞いをする彼女を一息に打ち殺すと逃げ出した我が子を追って駆け出したそうです」
暖炉で木の燃える音がやけに大きく響いた。
「一撃を首に受けた子供の頭はとてもよく飛んだそうですよ。で本人はそのまま外へ駆け出し行方不明、お話としてはよくある事です。事件自体は白系ロシア人との関係悪化を恐れた当時の政府が隠匿したと伝えられてます。津山事件が戦時下って事で隠されたという伝説みたいなものですね」
「なるほど、この館の最初の持ち主についてはよくわかりました。でもそれが怪談というにはちょっと……」
「あ、ここからが怪談としては本筋なんですよ。まあこの後はお決まりですね。夜に白い服を着た夫人が通るのを見かけるとか、宙を飛ぶ生首を目撃したとか」
いつの間にか岡村と高木が彼の話をじっと聞いているな。位置的に後ろになるので彼が気付いていないだろうけど。気付いてもギャラリーが増えるので話に熱が入るだけだろうけど。
「ま、一番有名なのは犯人のロシア人ですね。捜査の手を逃れた彼が未だに山の中に潜んでいて、夜な夜な斧を手に彷徨い出ているという」
馬鹿馬鹿しいとは思いながらも俺は何故か笑うことができなかった。俺もまたこの話の雰囲気にのまれていたのかもしれない。
「知ってますか。ここがスキー場だった時、遭難者の数が他のスキー場より遥かに高かったそうですよ。で地元の捜索隊も妙に山に入るのに抵抗があったそうです。中には本当の遭難者がほとんどだったでしょう。でもその中に、あるいは」
高木が大きく体を震わせるのがわかった。
「吉岡君にしても単純に内部の人間が犯人と決め付けていますが、それでいいんでしょうか。確かに外からはこの吹雪で一見入れないように考えられますが、もしそれをものともしない人間がいたとしたら。そしてその人間、いやそれが凶器、いや斧を持っていたとしたら」
そこで彼は一息ついた。
「彼は未だに我々を覗っているかもしれません。それどころかもうここに、我々の後ろにいるかも……そうそこに!!」
そうそこに!!の部分で彼は突然振り返り、岡村、高木の後ろを指差した。
「うお」
「きゃっ」
驚いて振り返る二人。その彼らの後ろには……
もちろん何もなかった。
「どうです。楽しんでもらえましたか」
先ほどとは打って変わってにこにこする柊。そんな彼に毒気を抜かれたのか、岡村は苦笑するし高木は
「もう、柊さん」
手を振り上げる振りをするが、表情は完全に笑っている。
「ったくもう、それらしい話を作るのが上手いなあ」
俺もつい苦笑せずにはいられなかった。
その時、
「皆さん、お待たせしました」
探偵が助手を従えて入ってきた。
それを潮にバラバラに固まっていた人も元の席に座りなおす。
岡村や高木、柊も元々の席に座るべく離れていった。
ただ俺は柊が去り際に呟いた一言が、脳裏から離れなかった。
彼が呟いたのはほんの一言。
「藤城さん、怪談は本当ですよ」