第一話 犯人
生まれる前の記憶を取り戻す。
小説とかでよくあるシチュエーションだが、まさか自分がそうなるとは思わなかった。
しかも自分が生まれ変わった先は物語の中。
これが小説とかなら恋愛ゲームや少女漫画の主人公のライバルとかになって、なんとか自分の立場を変えようとするのが多いのだろうけど、残念ながら俺が生まれ変わったのは恋愛ゲームでも少女漫画でもなかった。
一瞬の目眩の後、自分がどこにいるのかわからなかった。
何故なら目の前の状況が余りに非現実的だったからだ。
うん、落ち着いて自分の周りをよく見てみよう。
窓の外は雪。
うん、これはいい。雪などどこにでも降るし、ここがスキー場とかなら最高だ。
暖炉には火が燃えている。
うんうん、これもいい。寒い所には暖房は必須だし、暖炉というのがまた風情をかき立てていいねえ。
壁際には西洋風の鎧。壁には名画の複製。
うん、こういうのをを見ていると、自分が王侯貴族にでもなったような気分になってくるね。
床には血のべっとりと付いた牛刀やノコギリ。
うん、こんな高級ホテルみたいな一室に何でこんなものが落ちているんだろうね。
血まみれの床。室内はむせ返るような血の匂い。
うん、掃除が行き届いてないみたいだね。
その横には胴体とそれから切り離された生首…………。
『いやああああああああああああああああ』
俺は心の中で盛大に悲鳴を上げた。
無論実際に叫んだわけじゃないよ。捕まっちゃうからね。
つまりここは殺人現場。このふざけた殺人現場には見覚えがある……見覚えっていってもテレビの中でだけど。
世間的には余り売れなかったみたいだけど、個人的にはハマって何度も何度も繰り返しプレイしたゲーム。
俺はそのゲーム【白病館殺人事件】の登場人物として生まれ変わっているらしいのだ。
しかも犯人として。
どうしてこうなった。
俺は頭を抱え込みそうになった。無論そんな事をしたら手についた血で頭が血塗れになるので、かろうじて自制した。
落ち着け、落ち着くんだ。
事件の犯人はうろたえないィ。
まず今時点でわかっている情報を整理しよう。
俺の名前は藤城和也。大学二年生。家族の情報は特に説明はされていなかったはずだけど、俺が覚えている限りでは両親と弟がいるはずだ。はずだ、というのは生まれ変わる前の俺の記憶と、藤城和也の記憶が混ざり合ってまだ自分の事とは思えないからである。
で、同い年の彼女。島木良子というのがいた。いた、というのはもう彼女はこの世にいないからだ。彼女の実家は自営業を営んでいるが、とある事情によって破産寸前に追い込まれた。その遠因となっているのが、目の前でバラバラになっている男、吉岡和人である。この男が彼女に一目惚れした事がそもそもの始まり。この男、我侭な上に両親に溺愛されている。そしてその両親は財と権力と代々続く名声を持っていて、それは彼女の両親の商売を楽に追い詰めるに足るものであった。
そしてその代償として彼女は吉岡の元に嫁ぐこととなった。ただ彼女はそれを儚んで、自ら死を選んだ。
結婚の約束をしていた俺を残して……。
そして……俺はその復讐を決意した。
というのがこの事件が起きるまでのあらましである。
ただ問題は……
「せめて事件が起きる前に前世の記憶が戻ってくれたらなあ」
俺はそう言って深く溜息をついた。
上の事情はあくまで現時点でわかっている情報なのだ。
そしてこのゲームを幾度となくクリアした俺は、事件の全体像を大体描く事ができる。
それによると彼女は……
ルートによるが、基本的にとんでもない女だった。というオチがつく。
俺というか藤城和也の知らない所で浮気は当たり前。ゲームの後日談によると五股まではかけていたらしい。
一夜限りの相手となるともう数えることができない。
吉岡の求婚も両親の持つ財産を知ると、大喜びで受けたという。わざわざ彼女の両親追い詰める必要無かった……。
自殺の原因も、友人と飲み比べをしていた時、調子に乗ってベランダの柵で逆立ちをしたら真っ逆さまというのが原因らしい。
友人は怖がってそのまま逃げたため、これらの事情が明らかになるのは事件解決後の話なんだけど……。
これらは全てゲームの後日談という事で明らかになった事実だが、正直製作者が何考えてこんな後日談作ったのかさっぱりわからねえ。
悲劇を盛り上がるため、だとか言ってたがこれじゃ犯人完全にピエロだよ。
あ、犯人俺か。だったら俺完全に間抜けだよ。
せめて最後まで悲恋で盛り上げろよ。
それにしても……
せめて前世の記憶を取り戻すのが、殺人犯す前であって欲しかった。
そうしたら二人の結婚を(主にざまあみろ的な意味で)笑って祝福できたし、こんな事件起こして窮地に立たされていることもなかっただろう。
が、残念なことに彼女は死んでしまい、俺の目の前にはバラバラ死体が残されている状態というわけだ。
本当にどうしよう、この死体。
やがて俺は一つの決心をする。
この【白魔館殺人事件】は題名通りミステリー、つまり探偵が謎を解く物語だ。
進むルートによってはホラーにもなるけど。
そして舞台はクローズドサークル。つまり外界から孤立した島や館で殺人事件が起きるというもの。つまり科学的捜査は行われないという事。
もっとも助け出されたその後に警察の捜査が行われるかもしれないけど、とりあえずそれはその時の問題として考えよう。
とりあえず今助かるのが一番大事だし。
とりあえず今は探偵役だけ何とかすれば道は開ける。
つまり俺が決心したのは、何とかこの殺人事件を誤魔化そうという壮大な決心なのであった。
とりあえず自分の出来ることから考える。
まずは目の前の死体。
床に溢れている血の量からして、死体を隠して行方不明になりました。では通用しそうにない。
ゲームだと死体はバラバラにされたり変な装飾を施されたりしているけど、実際こうやって現場に立ってみるととてもそんな余裕は無い。
ていうか、やる意味がない。
殺人事件的には地元の子守唄に絡んだ連続殺人とか家代々に伝わる呪いとかは美味しいのだろうけど、そんな事をする動機が無い俺にとっては「真相を誤魔化す」という目的の前には邪魔以外の何ものでもない。
というわけで、死体を色々弄って真相を誤魔化す手段は却下。
精神衛生上にも良くないしね。
それにしても……確か登場人物の中に医者がいたはず。
そう考えて死体を暖炉の前まで動かす。こうやっておくと死亡時刻が多少なりとも誤魔化せるはず。
俺に医学の知識はないけど、司法解剖でもされない限り多少の誤差は出るんじゃないかな。
首を転がした時、断面から紐のようなものが多数見える。うぅ、気持ち悪い。
次いで牛刀とノコギリの指紋を拭き取って、暖炉の中に放り込む。
たちまち燃え上がるそれら。
これを買ったのは事件を計画した三ヶ月前。地元から遥か離れた都市まで行き、別々に購入したのでこれから足がつく可能性は少ないだろう。
後は各ルートで解決のヒントになりそうなものを順に潰していく。
鎧についた血だとか落ちていたボタンだとか。
最後に用意していたタオルで自分の体についた血を拭って終了。タオルも暖炉に放り込む。
ああ、言い忘れてたけど俺は手袋以外、全裸でこの作業をしていた。
首を切り離す時の返り血を恐れてのことだろうけど……記憶を取り戻す前の自分GJ。
ついでに血に塗れた手袋も暖炉の中にぽいっと。
さて、部屋を一瞥して見落としが無い事を確認する。
部屋にあるのは燃え盛る暖炉、その前に置かれた首無し死体と生首、暖炉の中で燃え盛る証拠品。とりあえずは見落とした手がかりの品は無し。
出来るならばもっとチェックしておきたいが、あまり長居すると人に見つかる可能性がある。
流石に全裸で殺人現場にいる状況で言い訳はできない。コイツが変態で俺は襲われかけたので正当防衛だ!というのも凶器を準備している以上無理。
つまり見つかった時点でアウトなのだ。
ここから部屋に帰るまでが最後のそして最大の勝負どころ。
部屋の壁に掛かっている時計を見ると、時刻は二時四十三分。
ドアの側で耳をすませると、微かに足音が聞こえた。
確か登場人物の一人のセリフに
「私、三時前くらいに眠れないので食堂まで行ったのですが、その時誰かを見かけた気がしました」
というのがあった。
それ以外に外に出たという証言はない。
つまり彼女をやり過ごせば、部屋に帰るまで誰かに見られる心配は少ないという事だ。
遠くで食堂のドアが閉まる音を聞いて、俺はそろそろと部屋を出た。
足元には厚手の絨毯。足の裏にうっすらと血がついていても、科学捜査をされない限り大丈夫なはずだ。
俺はそろそろと音を立てないように自分の部屋へ向かうべく、闇の中へと歩みだした。