危険な虫にはご注意を
「うーん……よく寝ました」
太陽が中天に差し掛かるお昼時、恭弥は大きな伸びと共に目覚めた。
「こんなグッスリ寝たのはいつ振りでしたっけ」
ずっと軍とのおいかっけこをしていたので食事同様に満足に眠れたのも実に数十日振りであった。
「朝食、いや太陽の位置的にもうお昼ですね。ではお昼ごはんは昨日も食べたあの木の実だけで十分ですね」
昨夜、意外な食いしん坊属性を発揮した恭弥は全長3メートル近い巨大猪の肉を、明らかに胃袋の容量を無視して食べた。その為、傍らに残るのは骨と成り果てた巨大猪だけだ。流石の恭弥もここまで太い骨は食べられ無いため、近くの木に成っている甘い木の実を数個齧って昼を済ます。
「さて、移動しましょうか……っと言いたいところですがこの森をどっちに行けばいいんでしょうか?」
恭弥が探すのは人里に続く道だ。流石にこの森にずっといるのはつまらないし、何より飽きる。それに恭弥としてはこの世界の人々とも関わりを持ってみたいと考えている。恭弥と関わったが最後、その人は恭弥自身に殺される可能性が高いが、それは恭弥にとってさしたる問題では無く、それが恭弥の生き様でもあった。
「うーん……なんかこっちの道からは強力な気配を感じますが、こっちの道からは何にも感じませんねぇ」
此方の世界に来て1日が経って、恭弥自身超直感の感知精度が上がっているのを自覚していた。
前世の頃から周りとは隔絶をした学習能力を持っていた恭弥は、この異世界アースに来た今でもその天才性を余すこと無く発揮していた。そのため、普通であれば数年をかけて徐々に磨いて辿り着くべき位置まで一足跳びで上り詰めて行き、たった1日でこの世界の最高峰まで技術を磨き上げていた。まあ本人に自覚は無いのだが。
「むむ、この世界に来てまだ日が浅い僕が、何の目印も無く進むのは危険ですよね……ならばよし、決めました、此方の強力な気配がする方へ行ってみましょう」
恭弥は少しの間悩んだ結果、そう判断を下して気配の方へと足を進めた。実はこの判断には恭弥の好奇心が多分に含まれているのだが、地球でもそんな感覚で動きながら生活をしてきたのでそれと大して変わり無い。まあその結果警察に捕まったり軍に追われたりと中々波乱万丈な人生を送る事になったので、その判断基準が正しいかどうかは判断しかねるが。
「そうと決まれば、この辺で木の実の回収とかは済ませておきたいですね」
ここから先に進んでも同じ様な食べられる木の実が見つかる保証は無い。そう判断した恭弥は取り敢えずこの辺りにある木の実全てを採取した。これで準備は万端だ。
恭弥は超直感を研ぎ澄まし、此方を威圧するかのような気配を漂わしている気配の元へと歩き出した。
***
「ふむ、この辺りはもう薄暗いなんてものじゃないですね。まるでジャングルです」
気配の方へと進む事約3時間。恭弥の周囲を囲む景色は不気味な木々と時間が分からなくなるほどの闇だった。
流石に夜と見間違うほどでは無いものの、時間的にはまだお昼を過ぎた程度なのを考えると相当暗い。変な霧も出て来ているので尚更である。
「おっと、またですか」
がさりと言う音と共に黒い蟷螂のような魔物が恭弥へと襲い掛かる。
「おやおや、今回のは大物ですね」
恭弥は暗闇に紛れて横合いから襲って来た蟷螂に対し、ひらりと身を躱し、すれ違い様に呪怨の黒剣で斬り付ける。蟷螂はその一撃胴体を縦に斬り裂かれ、紫と緑を混ぜ合わせたような色をした液体を撒き散らしなが倒れる。そして恭弥の頭の中にはレベルアップを告げる音が鳴る。
「大体2メートルと言ったところですか。今までの最高が1メートル半だったので見事記録更新ですね」
恭弥は殺した蟷螂の前にしゃがみ込み、尻から頭部までを流し見て大体の大きさを計測する。
この黒い蟷螂のような魔物に襲われるのはこれで5匹目で、森の雰囲気が先程まで恭弥がいた場所とがらりと変わった辺りからこうして何度も不意打ちをされている。
尤も、恭弥には超直感による空間把握と存在感知を持っているので不意打ちは意味を成さないのだが。
「この蟷螂、経験値が美味しいんですよねー」
一撃で倒せる上、倒すとその度にレベルが上がるので最初こそ初めての敵と言う事で警戒していたものの、今では経験値が美味い獲物までに成り下がっていた。因みに名前はアサシンマンティスで、平均レベル30程度である。
「ん?また何か来ますね。これは蟷螂ではなさそうですが……」
暫くすると再び恭弥の感知圏内で何かを捉えた。捉えた感覚は蟷螂より随分と強いようだが、気配の形を見るにまた昆虫型のようだ。
「真っ直ぐこっちに向かって来ますねーーっ!?」
その瞬間恭弥の超直感が素早くそこを退けっと警笛を鳴らした。それに従う形で大きく後方へと跳ぶと、それとほぼ同時に一瞬前まで恭弥がいた場所に見るからに毒々しい液体が降り落ちて来た。
「これは強力な酸性を持った溶解液ですか……地球ではあり得ませんが、昆虫でこんな特徴的な毒を扱うのは……蜘蛛ですね」
恭弥がそう呟いたと同時に目の前の暗がりから赤く輝く無数の光が見えた。その光は次第に大きくなって行き、遂に全貌を明らかさせる。
現れたのは全長1.5メートルはあろうかの巨大な蜘蛛。黒を基調とした甲殻を纏った頭を持ち、尻の部分は土の色に似た茶色い毛で覆われている。そして口らしい場所からは先程地面を抉った毒液と同色の液体を滴らせている。
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グランドタランチュラ
LV:48
HP:998/998
MP:500/520
STR:655
DEF:432
SPD:780
INT:510
MND:420
パッシブスキル
虫のせせらぎ
敵元感知
誘引の香
スキル
隠密
毒液生成
糸操作
土魔法
虫の呼び声
称号
(無し)
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赤く輝く光の正体はこのグランドタランチュラと言う魔物の複眼であり、恭弥を狙って降り注いだ毒液もこの魔物の仕業だ。見る人の嫌悪感を煽るグランドタランチュラは、ギチギチとこれまた嫌悪感を抱くような奇声をあげて恭弥に襲い掛かる。
「そう言えば、蜘蛛ってタンパク質が豊富で以前はよく食べていましたね。あれは美味でした」
そんな嫌悪して下さいとばかりに動くグランドタランチュラに、恭弥は何故かじゅるりとヨダレを飲み込む。その瞳は完全に美味い物を前にした人の目で、普通であれば嫌悪感を誘う姿形のグランドタランチュラを前にしている目では無い。
恭弥は呪怨の黒剣を構え、何処を斬ればいい考える。
(確か昆虫の神経は人と違って体のあちこちにあるんでしたね。はしご状神経って言うんですよね確か)
虫にのような節足生物の神経は、人間とは違ってはしご形神経系と呼ばれる特殊な形をしている。それは体の各部位に一定間隔で個別の神経がある形の神経系の事を言い、これはそのそれぞれに小さな脳があるようなものなのだ。虫の生命力の高さはこれに由来し、どれか一つを潰した程度じゃ死ぬ事は無い。なので虫を殺す時はその全ての神経を潰す事が必要となる。ただしこれは非常に面倒くさい上、この世界ではそもそも虫自体が巨大なので一撃で全ての神経を殺すのは難しい(HPと言う概念が存在するので本当にその通りかは不明だが)とされる。
そこで恭弥が取ったのはもう一つの殺害方法である。
一撃で大きな傷を作り、大量の血を一気に奪う事での殺害。即ち出血死だ。
幾ら生命力があったとしても生物である以上、核となる心臓や血液と、それを循環させる血管は存在する。
恭弥はそれらを見極めた一撃でそこに攻撃を刻み込む事での殺害を考えた。実際今まで狩って来たアサシンマンティスは最初の様子見以外は全て心臓一突きかそのやり方で殺して来たのでこの考えは正しいと言う確信もある。
(うーん、グランドタランチュラも元の世界のタランチュラと同じ位置に心臓があるのでしょうか?)
そうと決めたら問題はそこだ。巨大化してる上、そもそもの性質も違うだろう。見た目はちゃんと蜘蛛だが、それが地球の蜘蛛とどれだけ酷似しているのかが不明なのだ。
地球の蜘蛛の心臓は腹部背面に存在したが、それがこのアースでもそうとは限らない。
「まぁ考えても分からないですし、取り敢えず普通の蜘蛛と同じだと仮定して腹部背面を貫いてみますか」
恭弥は毒の滴る牙を剥いて突進して来るグランドタランチュラに向けて手のひら大の火球を作り出して投げるようにして放つ。
グランドタランチュラは真正面から火球を受けて一瞬たじろぐも、直ぐに気概を取り戻して突進を続ける。しかしそれをきっちり予測していた恭弥は火球により視界が覆われた一瞬のうちに近くの木を蹴り、体を宙へと浮き上がらせていた。
グランドタランチュラは敵元感知の能力を持っているため、まるで消えるようにして宙へと跳んだ恭弥の存在をしっかり感知していたが、勢いの付けた突進は直ぐには止まる事が出来無い。方向転換しようと止まった一瞬の隙に宙へと跳んだ恭弥がグランドタランチュラの背に着地し、呪怨の黒剣を蜘蛛の心臓が存在する場所へと深々と突き刺した。
「キシャアアア!?」
柔らかい腹部背面に深々と突き刺ささった呪怨の黒剣の痛みにグランドタランチュラは悲鳴に似た声をあげる。同時に発動した呪怨の黒剣の副次効果である精神汚染もそれに拍車をかける。
「やっぱり死にませんね」
だが大きなダメージを与える事は出来たが、相手を殺すには至らなかった。これはグランドタランチュラの心臓の位置が地球の蜘蛛と違うのか、それとも懸念していたHPと言う概念の影響か。
今まで一撃で殺せていたアサシンマンティスとこのグランドタランチュラではHPに倍近い開きがあるので殺せないのはHPの存在によるものと言う可能性が非常に高い。
「だけど生物である以上、HPみたいなふわふわしたものより肉体構造の方が優先される筈だと思うんですけどねー」
恭弥は素早く呪怨の黒剣を引き抜き、グランドタランチュラの背から跳び退く。その際念ために大きく左右に振りながら引き抜いてみたのだが、やはりきちんと心臓は捉えていた。
グランドタランチュラは恭弥が跳び退いたのを確認すると、素早い動きでぐるりと一周回転し、無数の複眼が恭弥を真正面に捉えた。その瞬間、グランドタランチュラの口から白い糸が噴出される。その速度は中々早かったが、恭弥はそれをきちんと見極めて素早く回避した。しかし、
「おや?」
回避したと思った糸があり得ない軌道を描いて恭弥の左手を絡め取る。
「おおっ?」
恭弥の左手を捕らえた糸は、グランドタランチュラにより操作され、絡め取った左手を引っ張って恭弥を壁に叩き付ける。
「ふっ!」
恭弥は叩き付けられる寸前に思いっきり体を捻り、叩き付けられる予定であった木を蹴って無理矢理進行方向を変える。そして絶妙な力加減と態勢移動で木と木の間に滑り込むように入って向こうの地面に着地する。それと同時に呪怨の黒剣を左手を捕らえている糸めがけて振り下ろすが、一纏まりになっている糸は相当の強度を誇り、半ばまで切り込んだところで剣の動きが止まる。
「む、中々の強度ですねこの糸」
ならばと恭弥は自身の身を守る鎧をイメージして火魔法を発動させる。すると恭弥の全身は一瞬にして炎の鎧に包まれ、左手を捕らえていた糸は面白いように燃えて落ちて行く。
「斬撃には強くても火には弱いんですね。なら……」
恭弥は全身を包んでいた炎を動かして右手へと移動させ、呪怨の黒剣を炎で包み込んだ。
「なんとなく感覚に任せてやったら上手く行きましたね。どうですかこれ?」
恭弥は炎を纏った呪怨の黒剣の切っ先をグランドタランチュラに向けて、楽し気に笑う。
グランドタランチュラはその威圧感に怯み、僅かに後退さる。
「おや?怯えてるんですか?可愛いですねぇ。やはりどんな生物も怯えている姿は実に可愛いらしい。もっと怯えさせたくなっちゃいます」
恭弥は笑みを不敵なものへと変え、わざと恐怖を煽るようにゆっくりと近付いて行く。
グランドタランチュラはそんな恭弥目掛けて糸や毒液を放ってなんとか近付けさせ無いようにするも、糸は恭弥へと届く前に焼け落ち、毒は一直線にしか飛ばせないためにあっさりと避けられまったくもって意味を成さない。
「キシャア!」
これはまずいと遂にグランドタランチュラは恭弥に背を向けて逃走を図ろうとした。土魔法と思われる攻撃で恭弥の足元を陥没させたり、土で作られた岩石を飛ばしたりと妨害行為を行いながらの逃走であるものの、その速度はスピード780あるだけあり、流石に速い。
「遅いですね」
しかし恭弥の速さはその更に上を行った。驚異のスピード2000超えの前ではたかだが780程度のスピードじゃ決して逃げ切る事など出来ない。グランドタランチュラはあっさりと追い付かれ、その身を炎を纏った剣で斬り裂かれる。
「ギィジャァァァァ!!??」
斬りつけられた場所を更に炎で焼かれ、そしてそこから発生した炎に包まれて燃え上がる。
数秒後、脳内に聞こえたレベルアップを告げる音にグランドタランチュラが確実に死んだ事が分かった。
グランドタランチュラが最期に上げた悲鳴はまるで際限無い拷問の末に命を奪われたかのような怨念に満ちていたように感じる。そちらから襲って来たのになんと言う理不尽な、と思わなくも無いが、魔物と言えど蜘蛛にそれを言うのは馬の耳に念仏ならぬ蜘蛛の耳に念仏にしかならないのでやめておく。
「あー……これ最後に虫の呼び声されましたね」
それより懸念はこれだ。最後に止めを刺した時の声を聞き付け、恭弥の感知範囲に大量の魔物の気配が入った。反応にはアサシンマンティスやグランドタランチュラ以外にも恭弥がまだ会った事の無い魔物の気配も多数あり、そのどれもが昆虫系統の魔物のようで、どれもが真っ直ぐにこの場所目掛けて進んで来る。
「これは逃げますかね」
即決した恭弥は一気に走り出した。スピード2000超えの恭弥が逃げようと走れば追付ける存在は早々いないのでこのまま魔物の反応が少ない所まで走り抜けようとスピードを更に上げる。
「前から来るのにはこれです!」
恭弥は進む先から来た蜂のような魔物の群れに対し、その中心に炎の鎧を纏って突撃して蜂数匹を燃やし殺しながら全力疾走を続ける。そしてようやく魔物の気配が少なくなって来た時きにはもう太陽は沈み夜になっていた。欝蒼と茂る木々の隙間から垣間見えた月は美しくも禍々しい紅い満月であった。
「ここは……」
「いらっしゃい、人間さん……」
そこから更に先へと進んだ恭弥はそこで、紅い月の光に照らされ、幻想的に輝く一人の少女と出会った。




