恐怖は終わりません
今回の行動に何よりも要求されのは素早さである。
観察していて気付いた事だが、ゴブリンは嗅覚が非常に鋭い。流石に犬並みとは言わないものの、一般的な人間と比べたらその性能は鉄と金くらい違う。その為、ゴブリン全体が仲間の血の匂いを完璧に察知するまでの時間は10分あるかどうかである。それを過ぎると恐らく生き残った全てのゴブリン達が高い警戒態勢を取り始め、恭弥をしても暗殺がし難くなる。
「三十七……三十八……三十九……四十……」
そしてそのタイムリミットの10分が今まさに過ぎようとしていた。
(どうやらようやく何者かに襲われている事を群れ全体が本格的に気付き始めたようですね……ホブゴブリン達が指揮を取ってゴブリン達をまとめ始めています)
この調子だと恐らく後数分もしないうちに警戒態勢は完璧に整うだろう。そうなると流石の恭弥でも動きが取り難くなってくる。
(なら僕が今やる事はとにかく指揮系統を破壊する、ですね)
恭弥は発動させている超位隠密をフル活用し、1体のホブゴブリンへと近付く。そして建物の陰へと身を潜め、ホブゴブリンとゴブリンの注意が自分が隠れている場所から大きく逸れた瞬間、電光石火のごとき速度でホブゴブリンへと接近し、姿勢を低くしてすれ違い様に喉を切り裂く。
「っ!?」
ホブゴブリンは自身の身に起こった事態を理解する間も無く膝から崩れ落ちて地面を血で赤く染める。
(これで合計四十一匹。ホブゴブリンは二匹目ですね)
恭弥が今殺したホブゴブリンは2体目。1体目は一番最初に指揮を取ろうと動いた優秀な個体だったため、危険視した恭弥にゴブリンが集まる前に殺されて既にこの集落の何処かで血の海に沈んでいる。
「ギャギャギャ!?」
唐突に指揮官が倒れ、動揺を隠せない様子のゴブリン達。彼等は倒れた指揮官のホブゴブリンの元へと我先にと集まり、肉の壁を作り上げ各々の動きを自ら制限してしまった。
「それは愚行でしたねぇ」
それと同時に何処からともなく聞こえてくるねっとりとした声。ゴブリン達は慌てて辺りを見回すが、その際に僅かでも肉壁から飛び出てしまったゴブリン達は次々と見えない敵により首を飛ばされ、あるいは喉を掻っ切られて絶命して行く。
「これで五十匹目。残りは二十七匹ですよぉ」
風に乗り不気味な声が辺りに響く。気付いたら辺りには最早生き残っているゴブリンはおらず、僅かに生き残っていたゴブリン達も我先にと中心の小屋へと駆け込んで行く。
「おやおや、流石にこれ以上の暗殺は難しいですか。仕方ありませんね、残りの二十七匹は正面から殺してあげましょう」
恭弥は返り血を浴びまくった顔を袖で拭いながら、残酷な笑みを浮かべて手に持つ呪怨の黒剣を弄ぶ。最早暗殺を行うつもりは無いので超位隠密も解除し、堂々とした足取りで生き残り達が逃げ込んだ小屋へと足を進める。
「こんばんわ。夜分遅くにお邪魔しますよ」
恭弥は緊張感無くそう言いながら小屋の中へと足を踏み入れる。その瞬間横から繰り出される槍での突きと剣での斬撃。
「いや〜これはまた結構なお出迎えで」
それを恭弥はひらりと躱し、剣を振り下ろして来たゴブリンの首を脇で挟み、槍で突いて来たゴブリンに鋭い蹴りを叩き込みながら思い切り力を込める。
ボキリッ!
鈍い音と共に、剣を持っていたゴブリンの首があり得ない方向を向く。その際、その時出来た一瞬の隙を突くようにして槍での突きが繰り出されたが、恭弥は冷静な態度で首が曲がったゴブリンの死体を盾にしてそれを防ぎ、素早く左手に持ち替えた呪怨の黒剣で槍を突き出して来たゴブリンの首を切り飛ばす。
「アハハハハ、中々上手い攻撃でしたよ。とっても素晴らしい指揮ですね」
恭弥は近場にいた無手のゴブリンを蹴り飛ばし、横から切りかかってきたゴブリンにぶつけて同士討ちさせながら、また一歩歩みを進めた。
残っている25体のゴブリン達は、この状況でも狂ったような笑みを浮かべて絶やさない恭弥を恐れ、無意識に後退してしいく。
「おやおや、あなたがこの群れの親玉さんですか。ようやく会えましたね」
恭弥は狂ったような笑みを浮かべたまま、ニコリと微笑み、こんな時でも堂々と上座に座っている親玉ゴブリンに話しかける。
「ナニシニキタ、ニンゲン」
「ほう!この世界のゴブリンは喋れるのですか!面白いですねぇ」
恭弥は手元で呪怨の黒剣を弄びながら楽しげに笑いながら話す。
親玉ゴブリンの姿は背丈こそホブゴブリンと同じくらいだが、その皮膚の色はホブゴブリンやゴブリンと同じ緑色では無く、赤錆色と呼ぶべき色合いをしている。傍らには何処で入手したのか、一目で名剣と分かる黒塗りの直剣が掛けられており、腰には何らかの獣から剥ぎ取ったと思われる腰布を纏っている。何も着ていない上半身からは見るからに鍛えられている肉体が露わになっており、ぎゅっと凝縮された筋肉が親玉ゴブリンの体を無駄なく覆っている。
「ニンゲン、ナカマ タクサンコロシタ。オレ、オマエ ユルサナイ」
「そんな事を言われても僕がたくさん殺している時に止めに出て来なかったのは貴方じゃないですか」
恭弥がそう答えた瞬間、上座で座っていた筈の親玉ゴブリンの姿は何時の間にか傍らにあった剣を振り上げた状態で恭弥の目の前にあった。
「シネ!」
「っ!」
咄嗟に呪怨の黒剣を剣の通り道に置き、ぶつかり合うと同時に自身も後方へ跳ぶ事で衝撃を逃がす。
「アハハッ、凄いですねぇ!その速さに加えそのパワー!」
小屋の外まで吹き飛んだ恭弥は片手で地面を叩き、そのままバック転のような動きで体制を整え、楽しそうな笑い声を上げながらのそのそと小屋から出て来る親玉ゴブリンを見据える。
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レッドゴブリンロード
LV:41
HP:1088/1088
MP:268/308
STR:686
DEF:526
SPD:530
INT:350
MND:380
スキル
剣術・中級
肉体強化
火炎魔法
縮地
称号
【群れの長】【特異個体】
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「うーん、実にお強い!」
「ナニヲイッテル!」
「おっと」
恭弥が鑑定結果に関心していると、親玉ゴブリン改めレッドゴブリンロードが再び瞬間移動と見間違うほどの速度で攻撃を仕掛けて来た。
鑑定によりそれは縮地と言うスキルによるものだと理解していた恭弥は、それを冷静に観察し下から掬うようにして弾き、その流れのまま回し蹴りを繰り出して今度はレッドゴブリンロードを吹き飛ばす。
「アハハッ、僕に同じ手は通じませんよー?」
恭弥はおよそ命のやり取りをしているとは思えないほど楽しげな様子で剣を振るう。
「だから無駄ですって。懲りませんねぇ」
そんな恭弥の姿に業を煮やしたのかレッドゴブリンロードは懲りずにまたもや縮地による攻撃を仕掛けて来た。その攻撃に対し恭弥はふざけた半分、呆れ半分でレッドゴブリンロードに足を掛けて転ばし、振り向き様に呪怨の黒剣を転倒したレッドゴブリンロードの首めがけて振り下ろす。先の宣言通り最早レッドゴブリンロードの縮地での攻撃は恭弥相手に通用しないようだ。
「クッ!コシャクナ!」
それをレッドゴブリンロードは咄嗟に持ち上げた直剣で防ぎ、その隙に跳ね起きて一気に距離を取る。
「縮地は確かに速いですが、一直線にしか移動出来無いんじゃ対処は容易ですよ。それに……」
恭弥はレッドゴブリンロードに諭すような説明をしながら、自身も一息に踏み込んでレッドゴブリンロードへと攻撃を仕掛ける。
「グゥッ!!」
縮地よろしく、一瞬にして目の前に現れた恭弥の横薙ぎの一撃を剣の腹で滑らすように受け流して何とか防いだレッドゴブリンロードだったが、受け流した攻撃の重さに僅かに姿勢を崩す。
「縮地程速くはありませんが、僕にも同じような事は出来るんです。それと、戦闘中は姿勢は常にシャキッとしてなきゃ行けませんよ?」
そんな隙を見逃す恭弥では無く、返す刃で素早くレッドゴブリンロードを斬り付ける。
レッドゴブリンロードは無理矢理体制を変え、咄嗟に上げた片腕で急所への致命傷は防いだが、その代償に剣を受けた片腕が根元から斬り飛ばされる。
飛び散った血潮が恭弥の頬にねちょっと当たる。恭弥はその感触に楽し気な笑みを浮かべ、そのまま流れるような動作で体を捻り、レッドゴブリンロードの側頭部目掛けて斜めにかかと落としを叩き込む。
「グゥッ オノレ!」
「おっと、これが火炎魔法ですか!」
追撃を行おうと動き出した恭弥目掛けてレッドゴブリンロードはよろけながらも掌から炎を放って牽制して来た。
「シネ、ニンゲン!」
恭弥の動きが僅かに止まった隙に、レッドゴブリンロードは新たな火球を次々と作り出し、それらを恭弥目掛けて連続で放って来た。
「おっととと」
次々と飛んで来る火球を恭弥は踊るように躱し、時には呪怨の黒剣で叩き落とし、時にはまだ生き残っていたゴブリンを盾代わりにしたりし、全ての火球を回避した。
「邪魔ですよ」
火球の打ち止めを確認した恭弥は、目の前で部下のゴブリンが盾にされた事に怒り、小屋を飛び出して来たホブゴブリンを通り過ぎ様の一撃で斬り捨て、斬り飛ばした首をサッカーボールに見立ててレッドゴブリンロードへ向けて蹴り飛ばす。
「キサマッ!」
レッドゴブリンロードは怒りの声をあげなごらも、飛んで来た同胞の首をゴールキーパーよろしくガシッと受け止め、そっと地面に下ろした。だがその瞬間、恭弥は一気に距離を詰め、呪怨の黒剣を振り下ろす。
「油断は行けませんよ?」
レッドゴブリンロードはその一撃を片手で持った直剣で受け止め、自身のそれにバックステップを合わせる事で衝撃を逃がし、同時に距離を取る。
「アハァ……いいですねぇ、まだまだお元気そうだ。ならもっと楽しませてくださいね?」
レッドゴブリンロードの意外なしぶとさに気を良くした恭弥は、血に染まる大地を紅い月を背にして駆け出した。