第二章 4
中央駅を抜けて国際センタービルの裏の駐車場に車を停めると、和田は歩いて正面に回った。歩道の脇には県警機動隊のバスが駐車してあった。ビルの中に入ってすぐの金属探知機には、昼間と変わらず警官とガードマンが立っていた。奥のカウンターに大野綾子が座っているのを見た和田は、中に入った。金属探知機を通り抜けると、アラームが鳴った。
「うわ、まただ。ベルトだと思う」
和田が両手を挙げて、降参のポーズを取った。顔見知りの若いガードマンが笑いながら「規則ですから」とボディチェックをした。警視庁から来ている大野綾子が、向こうから近づいてきた。
「何か御用ですか?」
彼女の黒髪が少し揺れた。
「いや、大したことではありませんがテロについて、もう少し教えてもらおうと思いまして」
少しくたびれたコートをはたいて、和田が答えた。
「ダイナマイトですか?」
大野は今朝、和田が言った自動車で突入してくる自爆攻撃に対する対抗手段を一日ですべて完了していた。また、アメリカ施設周辺の交通検問は春の交通安全と称して強化され、さらにこの建物でもおびただしい数の防犯カメラを設置して接近する交通車両をくまなくチェックできる体制を整えた。
「はい、それもありますが、ほかにもあります」
和田が、柔和な表情のまま言った。
「ほかに、と言いますと?」
「過去のテロ攻撃事例を、あなたはすべて分析したとおっしゃる」
「そのとおりです。ニューヨークで起きた九・一一の悲劇以降の、世界中で発生したすべてのテロ事案は完璧に調べ上げてデータを蓄積してあります」
大野が、自信ありげに言い切った。
「中央駅の裏側に、イラン人街があります。小さい地域ですがね、彼らは肉体労働を求めて集まって住んでいるんです」
和田はそう言うと、一息ついた。
「何がおっしゃりたいのです?」
大野が首をひねった。
「いえね、あなたの話を聞いていると、海外から爆発物を持ち込むのは、まず不可能ですよね」
「空港では、不可能です。港湾関係も、木造の船で小さな砂浜から上陸でもしない限り不可能です」
「それで、素人の私が、ない知恵を絞って考えてみたんです。笑わないで下さいね。……テロリストは、体よく入国できたとしても武器も爆薬も持っていない丸腰だ」
「そうなりますね」大野が薄く笑った。
「私の思い過ごしならいいのですが……、テロリストは現地で爆発物か武器を調達するつもりではないでしょうか?」
「現地で?……」
大野は、和田の思いがけない意見に反応した。
「外国人労働者の中には、ダイナマイトを使うような工事現場で働く者もいます。正直に言えば、つい最近になって、そういう事実を知りました」
「あ……」
大野は、そう言うが早いか、携帯電話を出して電話をかけた。一本目は警視庁の上司、二本目は県警外事課の杉村に、工事現場で働く外国人を集中的に調べるように進言した。
「和田さん、貴重な御意見を、ありがとうございました」
電話を終えた大野が、会釈した。
「お役に立てれば幸いです」
和田が、照れたように首に手をやった。
「すぐにアメリカ大使館と領事館のある三大都市で、外人の監視が強化されるでしょう」と大野が言うと、
「それは、心強い限りです」と、両手をポケットに入れた和田が笑顔で言った。
「……よければ、コーヒーでもいかがですか」
大野は、和田に微笑んだ。
「そうですね。まあ、帰っても男やもめなんで、いただいてから帰るとしますか」
和田がチラと時計を見ながら答えた。
「それではどうぞ、こちらへ」
大野は事務所の中で椅子を勧めてから、奥のサーバーから二つの使い捨てカップにコーヒーを満たすと、和田の前まで運んで腰かけた。
「和田さんは、どういうお仕事をなさっているんでしたっけ?」
大野がまず訊いた。
「何だか尋問を受けるみたいで緊張しますな」
和田がカップを受け取って苦笑した。
「尋問では、コーヒーなど出しませんよ」
大野は軽く笑った。
「そりゃ、そうだ。アハハ」
和田が笑ってから、コーヒーを一口すすった。
「私は予防接種の普及事業をしているのです。ところがこんなご時勢だから、予算はほとんどない。各地に募金やら寄付やら援助やらをお願いして回っているうちに、いろいろな連中と知り合いました」
「はい」
大野が相槌を打った。
「人道支援のボランティアの中には熱い連中もいましてね、そいつらと付き合っているとやる気とか勇気をもらえるんです。それでついつい、そいつらを援助するようになりました。情に流されるって言うか、頼まれると断れないって言いますか」
「和田さんって、いい人なんですね」
「いや、それほどでもありません。いろいろやってわかったんですが、彼らの組織って案外たて割りなんですよ。医療支援をしている団体は、査証など法的支援には暗いし、法的支援団体は語学支援に弱く、語学支援団体は母子家庭やDVなどの相談に弱いなどね」
「はあ」
「で、お節介にも、いろいろな団体の橋渡しもするようになっちゃった。そうしたら、在日外国人の知り合いも増えちゃいました」
「なるほど」
「ところが、この連中からの資金的援助は期待できません。逆にこちらから出さなくちゃいけない始末です。仕事の効率が誠に悪く、お恥ずかしい限りです」
和田が、自嘲気味に笑った。
「そんな」
「大野さんのような優秀な方に、どうしたら効率よく仕事を進められるのか教えていただきたいです」
そう言うと、和田が再びコーヒーをすすった。
「……和田さんの話を聞いていて思ったのですが、私たちの組織もたて割りです。もう少し柔軟性を持ったほうがいい気がしてきました」
大野が、思慮深い顔をして言った。
「案外、うまいですな」
和田が目を細めて、大野の顔を見た。
「は?」
「いや、このコーヒーです。あなたが淹れたので?」
「ああ、はい。コーヒー豆を決められた量より、少しだけ多めに入れるんです。ろ紙に浸透する分を見越すんです」
「なるほど。いや、すばらしい計算だ。完璧だ」
和田がうなって残りのコーヒーをながめてから、それを美味そうに飲み干した。
「さてと、私はお邪魔にならないよう、そろそろ引き上げます。御馳走様でした」
和田が立ち上がった。
「気をつけて、お帰り下さい。また明日も出てこられますか?」
大野も立ち上がった。明日は土曜日だが、先進諸国の事務次官級の官僚たちが集まる会議がある。大野は一人でも多くの味方、特に和田にいて欲しい気分になっていた。
「はい、もちろん。それでは、また明日」
和田が帰りかけて「あ」と言って振り向いた。大野は危うく、和田の背中にぶつかりそうになった。
「もしよろしければ、あなたの携帯番号を教えていただけませんか?」
和田がニコヤカに言った。
「はい?」
「いや、あなたは美人なので誤解されては困るのですが、連絡用に知っておきたいのです」
「もちろん、いいです。番号はこれです」
大野は笑って首から提げていたスマートフォンを胸ポケットから出すと、自分の番号を画面に出してから和田に見せた。和田は手帳をゴソゴソ胸ポケットから出すと、その番号をメモしようとした。
「あのぅ、ご自分の携帯に直接打ち込んだほうが、早くないですか?」
大野が言った。
「ああ、なるほど。それは名案ですな。そうしてみよう」
和田がズボンのポケットをゴソゴソさせて、自分の携帯を取り出した。それは、何とも旧式な携帯電話機だった。和田は眉間にしわをよせながら、自分の携帯に大野綾子の番号をノロノロ打ち込んだ。
「あの、今夜は何か御用がありましたか?」
大野は、ふと和田に訊いた。彼は用事があって、ここへ来た気がした。
「いやぁ、ただ、大野さんにいろいろ教えていただきたかっただけです。では、また明日」
和田は携帯をしまうと、ニコリとして右手を軽く上げてビルから出て行った。彼の少し猫背なコート姿を見送ってから、大野は自分の持ち場に戻った。パソコンをたたいて情報収集を続けると、テロ決行日が近いことがうかがわれたが、場所や方法は特定できそうになかった。