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第二章 2

 夕方五時二分に、和田の携帯が鳴った。定時に退社して、すでに自分の車に乗っていた和田は電話を取った。着信した電話は公衆電話から発信されている。

「ミスター、さっき、仕事が終わって港から帰ってきた。アフマドを見張っているが、彼は地下鉄でそっちに向かっている」

 電話の主はモハンマドだった。

「彼は何かを持っているか?」

 仕事場にあるダイナマイトを失敬してリュックに入れて、そのまま国際センターに入り自爆する。和田は、そういう最悪の事態を頭に浮かべた。

「持ってる? ああ、着替えの入ったリュックだけだ」

 何も知らないモハンマドは、のん気な声で答えた。

「着替え?」

「ああ、リュックの中は作業着だ。俺も同じだ。あ、彼を見失うから、また連絡する」

「頼む」と和田が言い終わる前に、電話が切れた。和田は、駐車場に車を置いたまま、取りあえず地下鉄の駅に向かった。国際センタービルを回り込んで、正面入り口前の地下鉄駅へ駆け下りる。

 モハンマドたちの住処の最寄り駅から中央駅経由繁華街方面への地下鉄に乗ると、この国際センター駅へは三つめ、つまり六分で着く。幸い、この駅の改札口は一箇所なので、その前で待つことにした。

 自動改札機が五台並んでいた。その向かい側の壁に時刻表が貼ってある。和田は腕時計をにらんでから、十七時の繁華街方面への時刻表を指でなぞって確認した。この時間帯、列車は五分間隔で運行されている。モハンマドからの電話が十七時四分に着信したのを携帯の画面で見て、そこに六分を足した。十分に電車が着く。和田の腕時計は十七時九分を指していた。すぐに、電車の到着する騒音が足下に響いた。

 間もなく改札口に上がって来た人々は、それほど多くなかった。数人の学生と十人くらいのサラリーマンとOL、年配のご婦人が三人ほど改札口を通り抜けた。それを柱の影から見ていた和田は、モハンマドたちが現れなかったので少し安堵した。もしもテロリストが襲いかかって来たら、自分一人では手も足も出ない。こういう時のために大野綾子の連絡先を聞いておけばよかったと思った。

 和田は、それから五分間、身じろぎもせず緊張して柱にもたれて待った。二分後に反対方面の列車が来て、定刻に発車した。五分後に来た繁華街方面行きの列車からも、モハンマドたちは現れなかった。和田は動かず、ぴりぴりと神経を張り詰めさせながら待ち続けたが、その次の列車からもモハンマドたちは現れなかった。

 十七時二十五分の列車が到着してから、和田の携帯が鳴った。公衆電話から発信されていたので、モハンマドに違いない。

「どうした?」

 和田が息せき切って訊いた。

「アフマドは繁華街駅で降りた。中町ビルの裏通りの奥に、池田公園という場所がある」

「ああ、知ってる」

 その辺は夜の街で、フィリピンパブや韓国バー、タイ・マッサージ店や料理店など多国籍の店が並ぶ猥雑な地域だ。彼らは和田のいた駅で電車を降りなかったのだ。

「公園のベンチで、アフマドは座っている。まさか、散歩ではないと思うよ」

 モハンマドに言われるまでもなかった。

「すぐにそっちへ行く。何か動きがあったら、また連絡してくれ」

「オーケー」

 電話を切るや否や、和田は階段を駆け上って国際センタービルの右端を回りこんだ。ビルの裏にある駐車場で自分の車に乗り込んで、車を発進させると駐車場から左に折れて大通りに出た。

 車を十分も走らせると、和田は後悔し始めた。この時間帯の繁華街は渋滞が激しかったからだ。戻って地下鉄を使ったほうが、よほど早く着ける。交通情報でも知ろうと、ラジオをつけたが大した情報は得られなかった。

 渋滞に巻き込まれてジリジリしていると、携帯電話に公衆電話から電話が入った。

「ヘイ、ミスター。アフマドが女と会ってから動いた」

 モハンマドが緊張した声で言った。

「女? 誰だ?」

「わからない。フィリピン人のようだ。彼らが歩き出したから、また電話する」

 モハンマドからの電話が切れた。和田はため息をついてから、どうしたものか考えていたが、やがて動き出した渋滞の列から車は引き続き池田公園に向けた。歩いて移動する彼らを追うには、まず公園からだと考えたからだ。それにしても、アフマドの会った女は何者か、和田には見当もつかなかった。

 十分ほどで、和田は池田公園の近くに到達した。そこへ和田の携帯が鳴った。

「ミスター、アフマドをTKホテルで見失った」

 モハンマドの声が悔しそうだった。

「TKホテル?」

「ああ、中に入ったのか、ホテルを通り抜けたのか、わからない」

「そうか……。仕方ない。モハンマド、僕は公園の近くだが、君はどこにいる?」

「TKホテルから公園に戻るところだ」

「わかった。公園で待ち合わそう」

 数分して和田が公園に到着すると、モハンマドが小さなリュックを背負って立っていた。

「それにしても、この辺にはフィリピン人が多いね」

 モハンマドが和田の車を見つけて助手席に乗り込むと、ひゅうと小さな口笛を吹いた。和田は手帳を出して何事かメモすると、少し考え込んだ。前方三つ目の信号交差点の上に、都市高速道路の橋梁が見える。

「モハンマド、君が今日、アフマドと行った現場に行きたいのだが、場所はわかるか?」

 和田は言った。

「ああ、港の石油コンビナートにある海底パイプラインを作る工事現場だ」

「港か。あそこにある高速道路を使えば二十分くらいで行ける。もう少し付き合ってくれるか」

「ああ、いいよ」

 繁華街東のインターから都市高速に駆け上がった和田の車は、港西インターに向けてひた走った。車内にはニュース番組が流れ、外の景色には夜のとばりが下りてきた。

「ミスター、何を考えている?」

 モハンマドが、ぽつんと言った。

「いや、考えられる最悪の事態を想像している」

「最悪?」

「ああ、アフマドがダイナマイトを盗んだ」

「ダイナマイトを?」

「何のためかわからないが、そうなったら危ないだろう」

 和田は、ちらとモハンマドを横目で見た。テロについては触れなかった。

「……まさか、ジハードに使うのか?」

 テロについては、モハンマドの口から出た。

「まあ、そんなところだ」

 和田は、うなずいた。

「ニューヨークでテロが起きてから、俺たちはいつも疑われている」

 モハンマドはうんざりしたように、ため息をついた。車窓からは高速道路の街路灯が規則的に後ろに流れる。

「そうだろうな。だが、用心するに越したことはない。アフマドとは何者だろう?」

 和田が独り言のようにブツブツ言った。

「俺にもわからない。彼は、あまり話さなかった」

 モハンマドも独り言のように答えた。

「女は何者だろう?」

 しばらくして、二人が同時に同じ事をつぶやいた。二人とも、顔を見合わせて笑った。

「どんな女だった?」

 車を走らせながら、和田はモハンマドに尋ねた。

「そうだね。長くて黒い髪の、きれいな女だった」

「黒髪できれいな女は、たくさんいる。もう少し詳しい特徴はないのか?」

「すごくきれいな女だった。大きな黒い目にまっすぐな鼻、赤い唇の横にホクロがあった。一度見たら忘れないよ」

 モハンマドがフフンと鼻を鳴らした。

「そんなにきれいな女だったんだ……。アフマドとは、どういう関係なんだろう?」

「さあ……。あんなきれいな女に、彼は腕も組まなかったから恋人ではないな。俺なら抱きしめている」

「彼は、ジェントルマンなのかも知れないぞ」

「俺もジェントルマンだよ」

 モハンマドが両方の手のひらを上にして笑った。

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