第一章 2
十三時には県警のバス四台が集結して警官や機動隊員たちが、せっせと金属探知機を正面入り口に設置した。その後、三十分ほどで持ち物検査用の透視装置も持ち込まれて、ビルに入るすべての人のボディーチェックが本格的に始まった。大野綾子が言ったように、それは空港の搭乗口さながらの光景だった。
大野は正面入り口の左手の一角にある、ガラス張りの国際交流室のカウンターにコンピュータを持ち込んで情報収集と現場指揮に当たった。普段、この部屋には外国人の日常生活から観光まで幅広く相談できるインフォメーションがあり、壁にはアルバイト募集やら語学教えますなど、求人や宣伝が自由にできる案内板が設置され、その横には小さな事務室があった。
大野は自分の小型パソコンで情報収集を始めた。世の中には多くの情報があふれている。国際警察機構とアメリカ情報局からの情報は、特に念入りにチェックした。そのほかにアメリカと敵対するイラン、アフガニスタンを中心に諜報活動を始めた。
今までの情報を総合すると、在日アメリカ施設に大量殺戮を目的としたテロが行われる可能性が非常に高かった。しかも、その実効日は近い。
隣のデスクでは愛知県警外事課の杉村という壮年の男が、地元にいる外国人のリストを調べていた。
「テロを実行するなら、やはり中東方面の人かな?」
杉村がパソコンの画面を見ながら、独り言のようにつぶやいた。
「先入観は禁物ですが、そのあたりが怪しいでしょう。昨日、ワシントンでテロリストが一人、逮捕されました。地元在住のアラブ人でしたが、イスラム原理主義組織と繋がり爆弾テロを企てていました」
大野もパソコン画面から目を離さず、忙しそうに言った。米国での事件は、今朝早く情報が入り捜査内容もリアルタイムで入る。テロ組織は厳しい警戒網をかいくぐって工作するが、取り締まり側も体勢をさらに強化する。いたちごっこの様相を呈している。
「イラン人は、この辺に結構多いのですよ」
杉村が、苦虫をかみ潰したように渋い顔をした。生き残りを賭けて必死の中小零細企業は、少々のことには目をつむって安い人手を求める。そういう仕事を求めて集まる外国人は少なくない。
「取りあえず、在住のイスラム系住人と不法滞在者を洗い出してください。それから、空港も厳しくチェックして下さい」
大野が、引き続きパソコンを見たままで答えた。
「まさか、飛行機を使ってドカンと突っ込んでくるとか?」
いつの間にか、和田がカウンターに現れて身を乗り出すように二人の会話に割って入ってきた。
「なるべく派手に攻撃したいのが、敵の思惑でしょう。その可能性を念頭に置いていますから、入国審査を厳しくしてすると同時に、空港の警備にも万全を期しています」
大野が、和田に冷静な視線を送って答えた。
「あー、なるほどね」
和田が右手のひらを額に当てて、感心したように大野に答えた。
「それから、在住または滞在している外国人を洗い出します。あ、こちらは国際センターの和田次長です。こちらは県警の杉村です」
大野が互いを紹介すると、和田が「私は杉村さんを存じています」と笑顔で言った。
「どうして私を?」
挨拶をしようと立ち上がった杉村が、驚いたように和田を見た。
「いえね。不法滞在者を見つけては捕まえる杉村さんを、ここに住む外人たちは狩人とか猟師とか噂して恐れています。去年の繁華街での一斉取締りでは、実に見事な御活躍でしたね」
和田が、杉村を褒め上げた。
「いや、それほどでも」
杉村は照れた。それは彼が少ない要員でコツコツ収集した情報を基に、繁華街の要所を一気に急襲した取り締まりだった。言ってみれば杉村の努力の結実だった。
「正直に言いますと、外国人の中からどうやって不法滞在者を見分けるのか、一度教えていただこうと思っていたのです」
和田が、まじめな顔で杉村に言った。
「そんな」
「アハハ、今はお忙しいでしょうから、またの機会に是非お願いします。いや、こうして、その道のエキスパートと会えて嬉しいです」
そう言うと、和田は後退しながら右手を上げてカウンターから離れ、そのまま正面玄関から外へ出て行った。
「不思議な人だ」
和田を見送りながら、杉村がつぶやいた。天下り役人が、自分を知っているなんて意外だと言わんばかりだった。
「ええ、官僚出身なのにエリート然としていないし、さりとて窓際の悲壮感もない」
大野が、パソコンの前に座り直して答えた。
「窓際?」
杉村も腰をおろして、大野に言った。
「ええ。東京から出向させられたのだから官僚の窓際族かと思っていたけど、そうでもなさそうな人だと思います。いえ、出世などを気にしていないだけかしら」
大野が目の前に垂れた黒髪をかき上げて、独り言のように言った。