近城さんの可愛さが凌駕しつつある件
授業が終わり放課後、部活や帰宅とクラスメイト達がいなくなった教室。
夕暮れの光が窓から差し込み、赤に染まったそこに僕はいた。
「……はぁ」
窓際の席に座り、机に上に突いた右手に頬を乗せながら窓の外を眺める。
窓の外には青春があった。
白球を追いかける野球児達、自分のタイムに一喜一憂するランナー達、水をかき分け泳ぐスイマー達。
そんな彼彼女らを見ながら、僕は再び溜息を吐いた。
「……はぁぁぁ。あー、何でだろうなぁ……はぁー」
憂鬱。僕の心を悩ませているのはその感情だった。
僕には今とても厄介な悩み事があり、それは簡単に解決できるものではない。
相談できるような友達はいない、というかこのクラスに友達は一人しかいない。
僕は友達が少ないのだ。そしてその唯一の友達は僕の目の前にいた。
「……」
僕に背を向け、腰まで伸びた艷やかな髪を見せつける彼女。
かれこれ1時間近く溜息を掃いている僕(友達)を無視して、読書をしている彼女こそが僕の唯一の友達だ。
名前を近城杏子<きんじょうきょうこ>という。
いつも冷ややかな表情を崩さないクールガールであり、クラスでの言葉数も少ない、というか彼女がクラスで僕以外に発言しているのを見たことがない。
眼鏡の下にある目はいつも人を責めているかのように鋭く、言葉数の少なさと容姿も相まって、人が彼女を見る際に浮かべるイメージは『刃物』だ。
冷たく鋭利な刃物。近寄り難い。
故にクラスで彼女は浮いていた。ふわふわと。
ついでに僕も浮いていた。ちなみに何故僕がクラスで浮いているか、それは未だにわからない。どこまでも平凡で接しやすい容姿で、話かければアニメとかフィギュとかの造詣とかに深い一面もある、そんな僕はクラスで浮く意味はこのクラスになって半年経った今でも分からない。
もしかしたら……最初の自己紹介で『嫌いな食べ物はピーマン、好きな食べ物は妹です』って言っちゃったことが原因かもしれない。
ただあれは言い間違っただけで本当は『好きなものは妹です』って言おうと思ったんだ。
その時の誤解が今の現状を引き起こしているのかもしれない……誤解ってほんと、怖い。
まあ、僕と近城さんに友達がいない話は置いておこう。
僕は今のところ近城さんがいるから、孤独に陥っているわけでもないし。
100人の友達よりも、1人の親友を大切にしろって、お爺ちゃんが言ってたし。
さて、それよりも僕の胸を占めている憂鬱な悩み事が問題だ。
この問題を解決するにあたって、僕だけでは力不足、誰かに力が必要。
差し当たって、目の前で僕にうなじを見せつけながら読書をしている様な女の子の協力が必要なんだが……。
「困ったなぁ……。あー、もう困ったわー。ほんとこれだけの悩み抱えてるの俺くらいだわー。気軽なクラスメイト達が羨ましいわー」
窓の外の青春ボーイ&ガールを見ながら、教室に響きわたる声で言ってみる。
「いやぁ、ここまで困ってると、心地いいわー、逆に。逆に心地がいい。適度な悩みは心身を引き締めるわー、逆に」
言いながら横目でチラリと近城さんを見る。
「……」
無✩視!
彼女は本のページを捲る手以外微動だにせず、いわゆる親友であるところの僕の発言は馬の耳に念仏状態であった。
窓の外を見ながら僕はこっそり泣いた。
■■■
「……ふぅ」
満足感の篭った少女の吐息とパタン、と本を閉じる音が教室に響いた。
教室の中は静寂に満ちており、小さな音でもよく響く。
例えば僕の嗚咽とか。
「おぅぉぅ……うぉぅうおぅ……」
僕の泣き声はアシカの泣き声に似ているらしい、妹や母親からもよく指摘された。
ただ人の皮を被った悪魔である母親とは違い、心優しい天使な妹は『お兄ちゃんの泣き声って可愛いよ! アシカみたいで撫でたくなっちゃう!』言ってくれる。本当に優しくて可愛い妹だ。母親? 母親はシンプルに『きめぇ』って言ってくるんだ、シンプルな罵倒は時に最上の悪意になるんだよ。
僕の泣き声のみが響く教室に、もう一つの音が響いた。
椅子を動かす音だ。
その音は目の前から聞こえた。近城さんの椅子から。
「よいしょ、っと」
近城さんは座りながら、椅子をずりずりと動かし反転、僕と向かい合った。
先程まで背中と髪の毛しか見えていなかった僕の目に、近城さんの顔から下が全て映った。
……相変わらず美しい。
綺麗だ。釣り目がちな瞳も、すっと通った鼻も、小さいけどふっくらした唇も、夕暮れの光を反射して赤く見える黒い髪も。
そう、彼女は美しい。出来すぎたくらいに、人外じみた美しさだ。
多分お伽話に出てくるような美人の妖怪は彼女の容姿を参考にしているんだろう。そう思えてしまう美しさ。こんな雪女が家を訪ねてくればそりゃ無条件で家に上げて、覗かないでくださいって言われても覗いちゃって当然のように着替え中で朝まで鯛やヒラメの舞い踊りだよ。
きっと人間を作る系の神様は『やっべwww、この子の容姿カンストさせちったwwwまあいいやwwオッケー牧場www』みたいなうっかりをしてしまったんだろう。僕はそのうっかりを肯定する。
そんな彼女の姿が目に入り、もう何度も見ている筈なのに僕は緊張してしまう。
彼女を見ると無条件に心臓がドキリとする。それはきっと恋なんて生ぬるい感情じゃない、もっと根源的な感情だ。美しいものを見て感動する、恐ろしいものを見て恐怖する、不可解なものを見て混乱する、妹を見てペロペロしたくなる、そんなシンプルな感情。
え? 何か変なのが混じった? いやいやペロペロしたくなるから、マジで。一回見に来なよ家の妹。ただしお触りは厳禁な。
「健二君」
近城さんが僕の名前を呼んだ。名前を呼ぶ、ただそれだけの言葉で僕の心は某配管工の様に飛び跳ねた。
ぐらぐら揺れる僕の心が、今か今かと近城さんの言葉を期待する。
僕はハンカチで涙を擦りながら、口を開く彼女を待った。
「いたの?」
「いたよ! いまくりだよ! さっきから大声で存在をアピールしてたよ!」
「ごめんなさい……。でも健二君ってまるで幽霊みたいに存在感薄くって、ややしたら名前も忘れちゃうくらい……ごめんね健太君」
「健二だよ!」
全く悪気のない顔で、人を傷つける、彼女はそんな人だ。
悪気はないんだ……そう、悪気は……うん、そのはず。
とにもかくにも僕は彼女に相談事を持ちかけることにした。
「あー、困ったわー。一人で解決できないほどの悩みを抱える僕って異常だわー、一介の学生にこんな悩みを背負わせるなんて神様も残酷だわー」
「え? そのウザいアピールからするの?」
「あ、やっぱり聞いてたんじゃないか、僕の冒頭の困ってますアピール」
「ええ、そりゃあんなバカみたいな大声でしかも真後ろで聞こえない筈ないじゃない」
こちらを責める様な表情を浮かべる近城さん。
「あまりにもウザいアピールだから無視していたけど……ウザ過ぎて本の内容がまるで入ってこなかったわ」
「だったら早く僕の悩みを聞いてくれたらよかったのに」
全くもって時間の無駄だ。
「それくらいウザかったのよ。……ふぅ、それで? 健二君は一体何に悩んでいるの?」
額に手を当て、やれやれと溜息を吐く近城さん。
何だかんだいって付き合いがいいのだ。この付き合いのよさを普段から発揮していればクラスでも人気者になれるだろうに……まあ、この人に限っては無理か。
「早くしてよ。私は早くこの本を読みたいの。今いいところなんだから。大ピンチの楽が一体どうなってしまうのか……気になってしょうがないわ」
近城さんは読書家で見た目のイメージ通り小難しそうな本を読むことが多いが、最近は僕が貸すライトなノベルも読む様になった。
近寄り難い文系美少女が休み時間に女の子達がキャッキャウフフする小説を読んでいるとは、クラスの誰も思わないだろう。クラスのみんなには内緒だよ?
さて、猫が戯れる小説を再開して近城さんの心が深刻な被害を受ける前に、僕の悩み事を聞いてもらうとしよう。
「僕さ、妹と一緒に深夜アニメ見ながらふと思ったんだ」
「……なにかしら?」
近城さんの顔は『妹と一緒に深夜アニメとか……』と言いたげだが、さっさと済ませて読書を再開したいのだろう、それを口にすることはなかった。
「あ、ちなみに妹は僕があぐらしている上に座ってる状態で」
「悩みと関係なさそうな情報はいらないわ」
「ああ、うん。で、そのアニメがまあ冴えない主人公がモテモテになるアニメなんだよ」
「ええ。それで?」
「それ見ながら思ったんだけど……何で僕ってモテないのかな?」
はい、これが今回の悩みです。
下らない? いやいや、これがかなり深刻なんですよ。
彼女いない=年齢な僕だけど、小学生くらいの頃は普通に高校生になったら彼女に一人や二人はできると思っていたんだ。
でも実際高校生になってどうだろう。彼女どころか、友達も殆どできやしない。
これってどうなんだろう。深刻なバグが発生しているんなじゃないかな?
僕の深刻な悩みを聞いた近城さんは『こいつは何を言っているんだ』いわゆるKNI的な表情を浮かべた。
「あなたは何を言っているの……?」
KNIじゃなくてANIだった。
「僕なんかおかしなこと言った?」
「いえ、おかしな事というか……健二君、あなたモテたかったの?」
「そりゃもう! 男ですから!」
僕くらいの年齢の男なら誰でも思ってるだろう。
「……そう。それで?」
「いや、アニメだって分かってるんだけどさ。アニメの主人公があんだけモテてるんだから、主人公と共通点がある僕も少しはモテていいと思うんだ」
「共通点?」
「なんの取り柄もなくて冴えないところ」
この共通点は大きいだろう。
僕はなんの取り柄もないし、どこからどう見ても冴えない一般男子だ。
アニメの常識通りにいけばそれなりにモテるはず。
え? アニメの情報を鵜呑みにするのはおかしい。
いやいや、世の中アニメみたいな現実があるんですよ。例えば超カワイイ妹とか。
近城さんは溜息を吐いた。
それはそれは長い溜息を。近城さんほどの美少女であれば、溜息姿もサマになる。このまま一枚絵にしてモザイクをかけた棒的なものを口に添えるようにコラージュしたいくらいに。
「健二君」
「はい」
「アニメはアニメ。……分かるかしら」
「いや分かってるって。でもさ、アニメだからこそ見習う点ってあるじゃん。アニメの主人公があんなにたくさんのヒロインとウハウハなんだから、アニメじゃないけどアニメの主人公みたいな僕もちょっとくらいウハウハできると思うんだ」
「意味が分からないわ。本音は?」
「あんな個性もへったくれもない没個性主人公がモテるなら、僕も少しくらいモテてもいいじゃん! 何であんなに可愛さ超高校生級の妹がいる時点で没個性から程遠い僕がモテないわけ!? 僕がモテないのはどう考えても世界が悪いでしょ! こんな世界で満足かって? 僕は嫌だよ!」
「健二君、落ち着きなさい。醜い部分が表に出てるわ」
「……失礼」
うっかり見せてはいけない部分を表に出してしまったよ。
こんな姿クラスメイトに見せたら、ただでさえ低い僕の地位が地面突き破ってマントルにぶち当たってしまう。
「……ねえ、近城さん。何で僕女の子にモテないのかな?」
「まず何故それを私に聞くのかを知りたいわ」
「いや、だってさ。こういうのって男の僕が考えても答え出ないじゃん。だから女の子に直接聞こうと思ったんだけど、僕の身の回りの異性って、母親か妹、あと近城さんじゃん? 母親に聞いても『モテたい? 原始時代にでも行けばいいじゃね?』とかふざけた事しか言わないだろうし、妹はカワイイ上に僕想いだから『お兄ちゃんはカッコイイよ! もし彼女ができないならわたしがなるよ!』なんてこと言ってくれるだろうから参考にならないし……というか実際に言ってくれたし」
「……聞いたの? 妹さんに?」
「まあね」
妹の言葉に感動して思わず窓を開けて『僕もお前がカワイイと思うよーーーー!』って叫んだら、ランニング中の隣に住んでるホモ大学生が頬を初めてこっち見てから僕の背後関係が怪しくなってきた……(無論性的な意味で)
「というわけで、家族以外の身の回りの女性である近城さんに聞こうと思ったんだ。ほら、近城さんて一応女の子じゃん?」
「健二君。コンパスを爪の間に差し込んでもいいかしら?」
「怖いよ! コンパスの針を爪の間に差し込むとか拷問だよ!」
「針じゃないわ。コンパスを丸ごと差し込むのよ」
「コ、コンパスをま、ままままるごと!?」
物理的に不可能な気がするが、近城さんならできそうだ……近城さんにはそういう得体の知れなさがある。
「……一応、女の子、ね」
近城さんが不機嫌そうにそっぽを向きながら、小さく頬を膨らました。
な、なにその反応……前に『近城さんって美人だねー』とか褒めてもピクリとも反応しなかったのに。それどころか『気持ち悪いから、そういうのやめて。いや照れ隠しとかではなく本気で』とか言って僕を泣かしたのに。
僕に女の子扱いされない、それで不機嫌に?
これはひょっとするとデレて来てるのか?
あ、あの近城さんが……?
クラス替えをしたその日の夜、忘れ物をして教室に入った僕は暗い教室の中、ノリノリで一昔前のアイドルソングを歌う近城さんを見た(フリ付きで)
口封じとして、リアルに僕を殺そうとしたその頃では考えられない……!
今思えばあの夜の出会いから、こうして放課後二人で話すようになったんだよね。
「き、近城さん? もしかして怒ってる?」
「……別に、怒ってないわ。健二君が私のことを『一応』程度しか女の子と思っていなかった、それくらいで怒るわけないじゃない。ところで健二君、私コンパス持ってないの。明日コンパス持ってきてくれるかしら?」
怒ってるやつだこれ。
ど、どうしよう……あ、そういえば妹が学校で使ってる小さめのコンパスがあったはず。あれくらいなら……いや、無理かー。いくら小さかろうとコンパスを爪の間に入れるのは無理だー、死を伴うわー。
「い、いや一応ってのはあれだよ。なんていうか……」
「何ていうか?」
「近城さんって、ほら、美人じゃん? そんじょそこらの美人とは比べ物にならない、それこそ歴史に残るレベルの美人じゃん? だから、逆に『女』っていうジャンルでは括りきれないっていうか、もう『男』『女』『近城さん』みたいな!? 逆にね!?」
「……」
何を言っているんだろう、僕は。
なに新たな性別を作り出しているのか。こんの逆に近城さんの怒りに日を注ぐ――
「……そう、逆に……ふーん」
あ、いや、そうでもないぞ! そっぽ向いてるから分かり辛いけど、口元がニヤけてるぞ!
この人結構思ってること顔に出やすいんだよな……特に最近はそれが顕著。
「そんなに必死にならなくていいわ。本当に怒ってないし」
「そ、そうですか」
どうやら、コンパスin爪の間は避けられたようだ。
「えー、それで近城さんに聞きたいんですが……」
「ああ、そうね。どうして健二君がモテないか、ね。いくつか理由はあるけど、まず何より大きな理由が一つ」
いくつかあるのか……いやいや、そこにショックを受けていてどうするよ。
そんなもの大事の前の小事だ。その大きな理由とやらが僕のモテロードの道を塞いで大きな石。小さな理由なんてその道にある小石に過ぎない。
そして近城さんは、その大きな理由とやらを告げるべく、口を開く――
「大きな理由、それはずばり、顔――」
「よし待とう。一回待とう近城さん。ストップだ」
このまま近城さんに先を続けさせては、僕の心に深刻な爪痕を残すのは明白だと脳内議会が満場一致で同意した。
「よし近城さん、ルールを決めよう。この教室では、顔、容姿、非イケメン、ブサイク、オーク面、鳥頭、アルパカか人間どちらかといえば人間の顔に近い……といった人の容姿に関する言葉を禁句にしよう」
このルールを守らないとどうなるかって? 僕の能力<泣喚帰家>が発動するんだぜ……ま、この能力は奥の手だがね。下手すれば一生部屋から出てこれなくなる副作用<天岩戸>もあるからな。おお、怖い怖い。
近城さんはニヤリと笑みを浮かべ『してやったり』といった顔で頷いた。
もしかして、一応女扱いしたのにまだ怒ってるんじゃ……。
「……ふふ、いいわよ。ちなみに禁句を言うとどうなるの? 何か罰ゲームでも?」
「え? そ、それは……言った方が相手にキ、キスをするってのはどうですかね?」
「健二君、キモイわ」
「……ど、どうですかね?」
「それでもなお貫き通すのね。別にいいわ、言うつもりないし」
やったゴネ得! ふふふ、近城さんはこのルールの本当の恐ろしさを理解していないな。禁句を言わないように意識していても、そう例えばそう『ハブ! サイクリング中にハブと遭遇してしまったわ!』なんて言葉、つまり文章が途切れていても繋げれば『ブサイク』になる言葉でも禁句になるということ……!
さーて、近城さん、このゲーム俺の勝ちだ!
……いや、違う違う。別にゲームがどうとかいう話じゃないわ。
何で僕がモテないのかってのがメインだわ。どこで逸れたの? 僕の話。
「じゃ、改めて近城君がモテない理由ね。大きな理由はまあ置いておくわ。別に禁句に触れなくてもそれを表す言葉はいくらでもあるけれど……」
Sっぽい、こちらを挑発的な目で見つめる近城さん。
悪いが、僕はMじゃない。罵られても傷つくだけだ。ただ、近城さんの罵倒ボギャブラリーには興味があるから、後ほど聞かせていただきたい。
近城さんは右手の人差し指を立てた。
「まず一つ。女の子と話す時に胸を見る」
「――」
僕は絶句した。3秒ほど停止し、錆び付いたかの様に動かない口を無理やり動かす。
無論抗議する為だ。謂れのない誹謗中傷は、いけないんだよ近城さんと。そう言う為に。
女の子と話す時に胸を見るなんて、紳士から程遠い行いを僕がするわけない。
僕はカッと目を開き、ドンと机を叩いた。
「……すいません」
「どうして謝るのかしら?」
「身に覚えがありすぎるからです」
僕は頭を机に打ち付けた状態のまま、ぼそぼそと呟くように喋った。
大丈夫だと思っていたんだ……だって何も言わないもん……最初は一瞬だけ見てそれから目を逸らしたり、違うところ見るフリしてたもん、あくびしながらとか柔軟するフリとか駆使して……でも何も言われないから、女ってちょろいわwwwとか調子に乗って……いくらなんでも気づくはずなのに。
だってずっと見てたからね。顔とか見てなかったしね。胸と話してたしね。そりゃ優しくて最初は隙だらけだった委員長も僕と話す時だけは胸の前で腕を組むよね。
「女って、普通に胸見られたら分かるのよ。そりゃちょっとくらいだったら別にいいわ。誤魔化そうとするあなたの仕草も結構カワイイし……でもね、いくら何でも最近は調子に乗りすぎ。この私も想像を絶するわ……私の胸をガン見しながら話すのなんてあなただけよ」
「だってしょうがないじゃないか! 男なんだし! そんな膨らみがあったら見るよ! 逆にあれだよ!? 見て欲しいから前に膨らむんでしょ!? 人間ってそうでしょ!? 構造的にそうなってるんだよ! 頭だって守る為に髪の毛が生えるの! そういうことでしょ!? それを見すぎってあんた……胸に失礼でしょうが! 逆に!」
「健二君、また出てるわよ、醜い部分が。それはもう大々的に」
「……っ!」
くっ、静まれ僕の醜い部分よ……!
だが、今回ばかりはその醜い部分に同意してしまう……!
そんなに見られたくないなら、手術でもして削ればいい! やっぱ嘘……! 削らないで……!
落ち着け僕……! このままじゃ更に醜い部分をおっぴろげてしまう……!
妹の顔を思い浮かべるんだ……!
こんな部分を妹に見せていいのか……!
「さ、僕がモテない理由ほかにある?」
「……健二君の心の中でどんな葛藤があったかがしれないけれど、さぞ決定的な決め手があったのでしょうね」
恐ろしいまでのリカバリっぷりに流石の近城さんも戦慄。
決め手? ずばり妹による速攻の押し切りね。
よし、とりあえずこれからは、女の子と話すときに胸を見ないようにしよう。
近城さんが二本目の指を立てる。
それにしても近城さんの指って綺麗だな……白くて細長くて……胸も大きすぎず小さすぎず、ほどよく収まるくらいだし。
「じゃあ、次――健二君、ねえ健二君。さっきの私の話聞いてた? ねえ、だから胸を……おい健二」
「はい」
「今見てたわよね」
「見てたけど」
「あなたびっくりするくらい正直ね。そして鳥頭。ちなみにあなたがモテない理由、もう一つは『正直すぎる』よ」
胸、もとい近城さんが言った。
正直過ぎる……うーん、あまり実感がないな。
僕って正直なのか? 確かに嘘は吐くタイプじゃないけど、それがイコール正直ってわけではないだろうし。
「あなたは正直よ。バカみたいに正直。バカ。バカ。正直バカ」
「普通に罵倒するのやめてくれません?」
「だって本当のことだもの。健二君は正直なバカ、バカ。……ちなみに私にバカって言われてどう思った?」
どう思ったかだって?
言ってやろうじゃないか。そうやって人にバカバカ言われるとな、いくら近城さん相手でもイラっとくるんだよ!
「できれば俯いて顔を真っ赤にしながら、途切れ途切れに『……バ、バカ』って言ってほしい」
「……バカ」
「俯いて顔を赤くしてお願い」
「ねえ、健二君モテる気あるの?」
あるけども! こういう発言してたらモテないって分かってるけども……!
目の前に萌えの川があるなら、そこにどんぶらこしたくなるのが人間でしょうが……!
呆れたような近城さんだが、ふと真面目な表情で口を開いた。
「健二君。モテるモテない関係なしに、もっと上手に生きたいなら、嘘を吐きなさい」
「人生の先輩のような発言だね」
「真面目に聞いて。正直な人間が上手くいくのはお話の中だけよ大抵世の中は嘘吐きな人間が成功するのよ。不誠実になれって言っているわけじゃないわ、嘘を利用して器用に生きなさいと言っているのよ」
その言葉を発する近城さんは、いつにもなく真剣な表情だった。
ただ真剣なだけではない。僕を案じている、表情と言葉からそれを汲み取れた。
器用に生きる、か。
その言葉の主である彼女は器用に生きているのだろうか。多分僕がそれを尋ねてしまうと、彼女はきっと困った顔で俯くだろうから、やめておこう。
「今健二君がクラスで孤立しているのもあなたが不器用だから、分かっているわよね? 正直で、不器用だから」
「そうかなぁ」
「そうよ。そもそも健二君があの日馬鹿みたいに空気を読まずに、私に話しかけたりしたから――」
その言葉の先を言わせるわけにはいかなかった。
「近城さん」
「止めないで。あなたがモテない理由……いえ、あなたに友達ができない理由――それは……私と……一緒にいるからよ」
「――」
言わせてしまった。
僕は馬鹿だった。僕の悩み事からこの話に行き着くなんて想定していなかった。
自分の馬鹿さ加減に腹が立つ。
先ほどまで暖かい空気で満ちていた教室が、一気に冷え込んだように錯覚した。
そんな冷え切った教室の中。近城さんはいつもと変わらない、普段の冷たい表情だった。
普段クラスで浮かべている、退屈そうで冷たい表情だった。
さっきまで怒ったり、ニヤけたりしていたのに……。僕のせいだ。
「近城さん」
「ねえ、健二君。いい機会だわ。もうこうして放課後クラスメイト達の目を避けて会うのを止めましょう」
「何を言って――」
僕の制止する言葉は近城さんの続く言葉にかき消された。近城さんは冷たい表情のまま。
「あなたがクラスで孤立している原因は、私と話すから。それはもう明白でしょう。私はクラスにあってはいけない存在、異端なのよ」
「そんなのどのクラスにだっているだろ」
今までの学生生活を思い浮かべる。
集団はそれを構成する個人によって様々な形を見せる。明るい人間ばかり集まって明るい性質の集団に。暗い人間が集まり暗い性質の集団に。明るい人間暗い人間が半分ずつ集まり、混じりあった性質が化学染みた変化を起こし前者に染まりきり異状に明るい集団になる、その逆も。
個人の性質によって集団の色は変化する、それこそ十人十色だ。人の数だけその色は混ざり合い、未知の色となる。
しかし集団に左右されない、際立った色を持つ個人がいる。その個人が入るだけで、集団はその個人の性質に染まりきる。そういう個人がいるのだ。一種のカリスマを持った。どんな色にも混ざり、自分の色に染め上げる。
そして、その反対もある。
決して集団には混じらない、混じることのできない色。
集団の外にある色。自分だけを染める色。
僕は今までの人生でそういう存在を見てきたし、多分これからも見るだろう。
それくらいどこにでもいる存在なのだ。この個性が多様化した世の中では。
だから近城さんは異端なんかじゃない。
「どのクラスにもいる? 本当に?」
「……うん。いるよ、いた」
「健二君はその子にも優しくしてあげた?」
近城さんの目に、不思議な色が宿った。
何かを求めているような、揺れる色。
答えを間違ってはいけない、そう思った。
「……優しくしたよ。できるだけ、僕の力の及ぶ限り」
「そう。……そう。健二君はそうなのね……ふふっ。やっぱり、って感じね」
正解、だったと思う。
近城さんの目に拒絶はなかった、僕の言葉を受け入れた。ただ、少しさっき浮かべたような嫉妬の……嫉妬?
いや、それは今はいい。
「だからさ。別に今更なんだよ。クラスで孤立するのにも慣れてるし。モテたいって言ったけど、よく考えたら僕結構モテてるわー。ねねさんとか凛子ちゃんっていう彼女が……あ、やっべこれシークレットね」
「ねえ健二君」
「最近はまなかちゃんっていうポニーテルが似合う女の子とまで仲良くなっちゃってさあ、二人からの嫉妬がイタイイタイ」
「健二君。今まで優しくしてきた子ってどうなったの?」
「――」
……今日の近城さんは、かなり踏み込んでくるなぁ。
僕がいかに三人の修羅場を回避しているかを考えていたのに、それも吹っ飛んだわ。
今までの子ねー。
そりゃフラグたてまくったんだから、全員僕の隣で寝てるわな。
「どっか行ったよ」
ただし僕は正直……!
自分の正直さが憎い……!
「どっか、ね。健二君って本当に正直者。そういうところ好きよ」
「みんな酷いよねー。優しくしたら『あなたと会えてよかった』なんてギャルゲーだったらED直前みたいな台詞吐いてさ……いなくなるんだよねー」
健二君……あの子達はね、転校しちゃったんだよ。脳内でそんな声(cv中原麻衣)が響く度に、誰もいなくなった教室で複雑な気持ちになったもんだ。
ん? 今近城さん僕のこと好きって言った? いや、気のせいか?
「健二君。その子たちがいなくなった理由は何となく分かるけど……今のところ私はここにいるつもりよ。転校の予定もないわ。その子たちと違って私はここがそれなり気に入ってるの。だから、私といるとずっと友達もできないわよ? もちろん彼女も」
「ぬぅ……で、でもさ。近城さんにみんなの前で話しかけたのってクラス替えあったあの日だけだし、今はこうしてこっそり放課後に会ってるだけだし」
我ながら情けない言葉だった。真のイケメンならみんなが見ている前だろうが、授業中だろうが平気で話しかけるだろうに。
ただ僕はヘタレだった。教室で近城さんに話しかける勇気ないし、やっぱりモテたいし。ていうか最近クラスメイトが僕を無視する段階から、嫌がらせをする段階に入ってきたんだよね。近城さんには言ってないけど。そんな段階で奇行に走ったら……考えるだけでやべぇ。
「健二君は知らないだろうけど、私たちがこうして会ってるの、結構バレてるわよ」
「ぬわー!?」
「私って耳がいいの。何人かが噂してるわよ? 『あのあいつ、えーと誰だっけ?』『あいつだろ? えーと……まあいいか、で?』『あいつなんだけど、この間俺が部活の後に忘れ物取りに教室入ったら』『入ったら?』『あいつが――』」
「もうやめてよ! (心で)泣いてる子だっているんですよ!」
分かると思うけど泣いてるの僕ね。つーかクラスメイトたちよ、僕の名前はあいつじゃないよ? 半年経ってクラスメイトの名前覚えてないとか情弱のキワミwwww
「それでも私と会うの、続ける?」
近城さんの顔を見る。
こちらを試すような、挑発的な表情だ。ただ瞳は何かを期待しているように弱々しく揺れていた。
正直者の僕は嘘をつけない。
「続けるよ。だって友達でしょ?」
「その友達1人と会わないだけで、もっと友達ができるかもしれないわよ?」
「お爺ちゃんが言ってた。100人の友達よりたった1人の貴重なおっぱい、いや今のなし! たった一人の親友を持て、と! うおりゃああああ!」
「言っておくけど気合で誤魔化せるレベルじゃないわよ?」
「だって近城さんのおっぱいがマイベストなのが悪いんじゃないか! 形といい張り、色といい、あれ以上のものにこの先出会えるだろうか! 否!」
近城さんは羞恥からか頬を染めて胸を腕で隠した。
今まで僕がどれだけガン見しても隠さなかったその胸を! いや、そういう変化はいらないから。
「で、出てるわよ醜い部分。ていうか幾らなんでも胸に顔近づけすぎ……!」
今や醜い部分に動かされている僕は自身では制御できなかった。顔を近城さんの胸の目の前まで押し付ける。
ええい、邪魔だな近城さんの手! あ、でも手もすべすべしてるし柔らかい……柔軟剤使ってる系?
「……ん? そもそも形と張りはいいとして、色って服の上からじゃ……」
「うおおおおおおお! 貫け奴よりも速く!」
「だ、か、ら! 顔を押し付けないで、ってば!」
近城さんが危うい考えに至りそうだったので、慌ててブーストしたが功を制したのか。
近城さんは僕を押し返すのに必死で、先ほどまでの思考を放棄したようだ。
ここだけの話、近城さんを夜の教室で見たのって初めてじゃないんだよね。金城さんonステージの前の日、クラス替えの前日の夜、自己紹介の時のネタを仕込もうと忍び込んだんだよ(どんなネタかっていうと僕が突然腕を押さえ『くっ、こんな時に、ち、力だ暴走する……あぁぁぁ!』って言ったら爆竹が破裂するって仕掛け)
そこで近城さんを見たのだ。裸の。タオルで体拭いてる。
これ本当にシークレットね。いや、マジで。
そのときから僕は近城さんにドッキュンハートなのだ。
■■■
「はぁ……はぁ……はぁぁ」
「んっ……ふぅ……ふぅ……っ」
日が暮れ、薄暗くなった教室に男女の吐息が響く。
女の服は乱れ、その肌にはポツリポツリと汗が浮かんでいる。
女は真っ赤に染まった顔のまま、乱れた服を直した。
「……健二君」
「はい」
「もう何も言わないわ。こうやって放課後、私に会いに来ることは好きにしなさい。そもそも私が本を読んでいるところに、あなたが勝手にやってくるのだから、許可もなにもないのだけれど」
「わーい。やったぞ。これがおっぱい、いやおっぱい……んんっ。おっぱいさんに毎日会えるぞ!」
「ルールを決めましょう。これからこの教室で私の胸に触れる……もしくは触れようとしたら顔に容赦なく穴を開けるわ」
「怖っ」
一方脳内では『穴を空けられるくらいで胸を触れるなら、ガンガン行くべきじゃないか!』という議案が可決しそうになっていたが、是非とも僕の総意を汲み取ってから可決して欲しい。
「もう一つ。胸を3秒以上続けて見た場合も同じ罰とする」
「はぁ!? お前ふざけんなよ!」
「健二君。出てる出てる」
「あ、うん。……ごほん。――ふざけんなよおい! 今までいくら見てもタダだったじゃねーか! 何でそういう誰も望んでないことするの!?」
「私が望んでるわよ」
キレ気味に胸を見るが、3秒経った時点でサッと胸の前で腕を組まれた。
やっこさんマジらしい。
「今までは今までよ。今日のことでちょっと身の危険を感じたから、それが理由よ」
「もう触ろうとしないから! 脳内だけだから!」
「駄目よ」
おっぱい見せてくれない近城さんとかただのぼっちじゃん!
と言おうとしたが、流石に外道過ぎるので自重した。
でも悲しい。
「……それに、あまり見せすぎて飽きられるのも困るし」
悲しみにめそめそ泣いていると、ぽつりと近城さんがそっぽを向いて呟いた。
ん? 何て言ったんだ? あまり見せすぎて、飽きられるのも困r――までは聞こえたんだけど。
くっそ、こうなったら目線を悟られない為に、ハリー大尉を見習ってグラサンを購入するべきか?
昼食代を節約してグラサンを購入する件を脳内議会で起案していると、近城さんが時計を見て言った。
「……って、もうこんな時間じゃない。はい、よい子は帰りなさい」
本を開きながら、しっしと手で払う仕草をする近城さん。
「えー、一緒に帰ろうよ」
「無理。乙女の胸を触ろうとする狼と一緒になんか帰れないわ」
「乙女って歳ですかwww」
「あ?」
近城さんは年齢の件に触れるとマジで切れる。
もっと近城さんとお話したかったが、そろそろ家に帰らないと可愛い妹が心配するので帰ることにした。
早々と椅子の位置を戻し、こちらに背を向け本を開いた近城さんに声をかける。
「じゃ、近城さんまた明日」
「――ええ、また明日」
近城さんは背を向けたまま返してきた。
今日で金城さんレベルがあった僕には、近城さんの言葉に『喜』の成分が多量に混じっていることに気づいた。
この量だとそれを発した際の顔も相当の嬉しそうな顔のはず……!
思わず回り込んで顔を見たかったが……まあ、それはいつかにしよう。
これからきっと、そういう機会がくるはず。
僕は近城さんに背を向け教室の扉に手をかけた。
「あ、健二君。ちょっと忘れていたわ」
近城さんの声がすぐ背後から聞こえた。
息のかかる様な距離で。
「ん? どうしたの近城さ――」
「……ちゅ」
振り向いた瞬間、力強く目を閉じた近城さんの顔がいっぱいに写り、それから口に何か柔らかいものが当たっているのに気づいた。
ぷるぷるしてて瑞々しいこれなーんだ? こんにゃく? いや、こんにゃくにしては……レモンの様な味。
脳内議会で議長が議長席に上り全裸でモンキーダンスし始めたくらい混乱した僕をよそに、近城さんは格ゲーのバックステップのように素早い動きで距離を開いた。
近城さん特有の重さを感じさせない移動をぼんやりとした頭で見ていると、ようやく混乱から開放され、脳内議会の議長が脳内野党の脳内暗殺者の接近を許し、脳内拳銃を突きつけられたが、逆にその拳銃を奪って……いや、まだ混乱してるなこれ。
「え? き、金城さん? い、いま……え?」
「……ば、罰ゲーム」
「へ?」
「だ、だから罰ゲーム!」
近城さんは顔を真っ赤にしたまま、そっぽを向きながら言った。
両手はぎゅっとスカートを握っている。
「私さっき『顔』って言葉使っちゃから。……だから罰ゲーム」
え? 罰ゲームってそれマジでやってたの? てっきり冗談かと……ていうか僕は冗談で言ったわけで。
近城さんもそのつもりでいたんだと。
僕は近城さんを見つめた。ちなみに金城さん、混乱しているのか胸を3秒以上見ても胸を隠さない。……いや、違うか。僕、今顔見てるのか。今までまともに見続けられなかった顔を。
「……なに?」
「ふと思ったんだけど近城さんって……すっごい可愛いよね」
「……っっ!」
さっきより、ただでさえ赤かった近城さんの顔が、更に赤くなった。
それこそ漫画みたいにボンと音を立てて(マジで音が出た)
「け、健二君、ば、ばっかじゃないのっ! ば、ばか! ばか! ……バ、バカ」
何だ近城さんと罵声のボギャブラリー少ないのな。
そんなんじゃ僕を泣かすこと、できないぜ? ただ最後の俯いて途切れ途切れの言った『バカ』は正直鼻血が出るかと思った。
きっと僕の顔も近城さんに負けず劣らず真っ赤だろう。
近城さんは上目遣い気味に、口から言葉にもならない呻きを漏らす。
「……うぅ」
「……」
「……うぅぅ」
「……」
「……な、何か言いなさいよ!」
上手く頭が働かない。言葉が上手く作れない。もっと近城さんを喜ばせるような、笑顔を浮かべるような言葉が欲しい。
……いや、そうじゃないか。僕は正直者だ。近城さんが言ったとおり。
真っ赤になった顔、潤んだ瞳に期待を含ませる近城さんに、僕は心の底から、溢れてきた正直な言葉を紡いだ。
「まあ可愛いって言っても、妹には適わないけどね。ウチの妹がどれくらい可愛いか知りたい? そうだねあれは中学生の時、僕へのイジメが暴力を伴っていた頃なんだけどクラスメイト達に妹が作ってくれた弁当が見つかっちゃってさ、慌ててお腹の中に隠したけどあいつら寝技って概念がないのか亀になった僕を蹴ることができないでやんの。それで――」
「健二君」
「それから妹と弁当を食べて……ん? なに?」
近城さんは先ほどまでのヒロインオーラ爆発の顔とはうってかわり、普段教室で本を読むときの退屈そうな冷たい顔だった。
おや、おやおや?
「健二君」
「はい」
「隣に住むホモ大学生に三日三晩後ろを攻められ続ける夢を見る呪いと、隣に住むホモ大学生に三日三晩後ろを攻められる夢を見る呪い……どっちがいい?」
「なるほど、デッドorデッド、か。……三択目はないんですかね?」
近城さんは割りと普通に呪いとか使える闇属性の人なので、つまり僕のアナルヴァジーナちゃんがやばい。
「あるわよ。――隣に住むホモ大学生に三日三晩後ろを攻められ続ける呪い」
「いやぁ! 全部一緒! いや、三択目に隠された巧妙な罠! どうあがいても絶望!」
僕は夜の教室で幽霊に出会った人そのもののリアクションで教室から飛び出た(ちなみによくある両手を上げるようなことはしなかった。両手はお尻に添えるだけ……)
僕が走り去り、無人になった教室で近城さんが呟いた一言を僕は逃さなかった。え? 何故聞こえた? それは走り去るフリをして、教室の扉から覗いているからさ。
「もう来るな! ……本当にバカなんだから」
何かを思い出すかのように唇に手を当てたまま教室の闇の中に消えていく金城さん、それを見届けた僕は、そこでようやく教室に背を向けた。
今日も楽しかった。明日もはもっと楽しくなるだろうね。へけっ。
■■■
ウチのクラスには噂があった。
窓際の席、前から4番目の席……そこに幽霊がとり憑いている、そんな噂だ。
誰もその席には座ろうとしなかったし、不思議なことに席替えをしても、誰もその席に当たらなかった。
その机は誰一人として掃除をしないのに、まるで誰かが毎日掃除をしているかのように綺麗で……それが噂を増長させているのかもしれない。
クラスメイトは噂について囁く。男も女も。ついでに教師も。
『あの席のさ……』
『幽霊って本当にいんのかよ?』
『でもさ、私聞いたんだ。用務員さんが、この教室で首を吊った女の子がいるって』
『え? あたしは屋上から飛び降りたって聞いたよ』
「僕は必殺シュートの練習中に上手く足に飛び乗れなくてって聞いたよ、これがな」
『『スカイラブハリケーン!』』
『って今の誰だよ、つーかあいつ誰だっけ』
『もう酷っ! クラスメイトじゃん! ほらっ……えっと……日向、君?』
『ウチに小次郎はいねーよ。つーか幽霊といったらアイツだよな』
『え、何かあったけ?』
『ほらこのクラスになってすぐだよ! アイツが休み時間にいきなり例の机に向かって行ってさ……』
『あ、覚えてる覚えてるよー。えっと――この間は結構なものを見せていたいただき……あ、いや違うそっちじゃない。あのアイドルの歌好きなんですか? 僕も好きなんですよ。その、よかったら、一緒にカラオケとかどうですか? ここで満面の笑顔みを浮かべる、ってうわ! かっこの中まで読んじゃったよおい!――って感じだったよねー?』
『お前詳しすぎね!?』
『ファンなの!?』
『ち、違うよー、すぐ目の前の席だったから印象的でー』
『び、びっくりした……委員長そういえばあの席のすぐ後ろだもんな』
情報を錯綜し、対象のイメージは混沌と化す。
『目から血の涙が常に流れてるんだよな』
『口は耳まで裂けてるって聞いたぜ?』
『んでもって鉈を常に持ち歩いてるんだよな』
「で、胸は大きすぎず小さすぎない。香水付けてるか知らないけど、桃みたいないい匂いするんだな、これが」
『へー、そこだけ聞くと俺好みだわ……ってだからアイツ誰だよ!』
『だからクラスメイトだって。名前知らねえけど。あ、知ってる? あいつの噂』
『噂?』
『ああ、何か放課後の教室の例の席の後ろの席に一人で座ってさ』
「どうでもいいけど君『の』使いぎじゃね?」
『ほんとどうでもいいな! お前の話だけどお前は呼んでねえよ!』
『ほっとけよ! で座って何してんだよ?』
『話してるんだって……一人で、例の席に向かって』
『一人で? 例の席に向かって?』
『ああ』
『うわー、それってお前……あれじゃね?』
『あれだよなぁ。つーか幽霊ってやっぱ貞子みたいなんかな?』
『こえぇ。おしっこ漏れるわ、そんなん目の前に現れたら』
『なぁ。俺なら吐くね』
『きたねえよ』
各々の想像の数だけ、幽霊の形はあった。
曰く腕がない、曰く限りなく人型には近いが顔が犬、曰く人の肉が好物、曰く机の中に住んでおり座った人間をその中に引きずり込む、曰く腰まで届く黒髪が綺麗で胸はほどよい大きさで形もいいそして桃の様な体臭体温はちょっと低めで最近の読んで面白かったラノベは耳刈ネルリ好きな食べ物はすき焼き、曰く、曰く、曰く……
最近各々のイメージに常に登場する要素がある、それは……女性の幽霊である。
『ま、女だとしてもあれだよな』
『あれって?』
『あれっつったらあれだよ……ブサイク。きっとブサイクに違いねえな』
『そりゃな幽霊だし。……おお、い、何でお前俺に顔近づけてきてんだよ』
僕は最近、幽霊の噂が跋扈する教室で、ある『言葉』が出たときに、その言葉の主にある言葉をかけることにしていた。
僕は立ち上がり、男子生徒へ近づく。
何故かキスをしている男子生徒に向かって僕は声を張り上げた。
「――近城さんは可愛い! 妹の次に!」
どこからか飛んで来たコンパスが頭に当たった。