春のお色気祭りより「春の訪れ――シャロンVer.――」
郊外電車に揺られる二人。俺と彼女。今日は初デートなのだ。何にもない田舎から街へと繰り出す。毎日の通学手段として使っているこの路線。眼前に広がる田園風景も、今日はなんだかいやに輝いて見える。
電車での移動時間はおよそ三十分。その間、フレッシュなカップルらしく、いろんな話に花を咲かせる。
春。春である。人生の春。何を隠そう、俺はヤラハタを迎えてしまった童貞だ。だが俺は今日、大人の階段を昇る。キメる気で家を出たのだ。
可愛い俺の彼女は電車に揺られている間、他愛もない話を乗り継ぎ、おしゃべりに夢中になっていた。もちろんそんな彼女を無下にする筈もなく、俺も笑顔で語り返す。だが俺の頭の中は彼女の話を聞いてなどいなかった。たった一つの命題に挑むべく、全身全霊でその問いの答えを求めていた――すなわち。
彼女は乙女なのか?
そう。童貞にとって相手が経験者か否かは、男女の一線を越える場面において非常に重要、死活問題なのだ。
清らかな彼女の、初めてのオトコでありたい。純潔を奪ってしまう代わりに、身も心も包容してやりたい。それは純粋な“好き”という気持ちからくるものである。
だがもしも。もしも彼女が、そういうことの経験を済ませていたならば、俺という存在はこちらが望まずとも、過去のオトコと比較されてしまう事になる。これは下手をすれば、自身の機能を失いかねない、チェリーにとって相当のストレスなのだ。
大小硬軟、テクニック。知らず知らずの内に採点されていく。そして最悪の場合、『元カレの方が良かった』などと評されてしまうのだ。そんな事になっては、最早オトコ失格。猿山の弱卒として、社会の底辺で身を隠すようにして生きていかねばならない。
そんなのは真っ平ゴメンだ。俺は立派なオトコとして、彼女に認められたい。その上で愛を深めたいのだ。だから彼女には、乙女でいてほしい。
だが、残念ながら既にオンナの悦びを知ってしまっているなら、俺としては開き直るしかなくなる。
問題はそれをいつ暴露するか。念願叶って唇を重ね、愛の営みを妨げる下着を取り払う時。まごついて後ろのホックを外せないなどという痴態を晒し、彼女から
「初めてなの?」
などと言われてしまっては立つ瀬がなくなる。しかもだ。世の中には“フロントホック”なるものも存在するらしい。それを俺は瞬時に判断する事が出来るのだろうか。
因みに俺は母親の干してあるモノしか見たことはなく、それはもちろんオーソドックスな、肩ストラップ付きのバックホックであった。
問題はまだある。もし彼女がオーソドックスな物だったとしてもだ。まごつくのは論外として、聞くところによると、手練れは片手で外せるらしい。理想のアプローチは、互いに瞳を閉じて唇の逢瀬を繰り返し、淀みなくそっと後ろに手を回し、二本ないし三本の指でパチンとホックを外せるのが良い。はっきり言って、自信はない。ここで、
「焦らないで」
だとか、
「かわいいわね」
などと言われて、耳まで真っ赤にしてしまうのは御免被りたい。
だから、俺の可愛い彼女よ。どうか、乙女でいてくれ――
「あ、着いたよ、降りよ」
散々頭の中で思いを巡らせたが、結局何も解決しないまま、電車はデートの目的地である街に到着した。
プシューッという音と共に開く自動ドア。意を決して踏み出し、構内に降り立つ。初めてのデートなのだ。まだ手を繋ぐタイミングが分からない俺は、後ろを振り返りながら先導するように改札口へと向かう。
所詮は田舎の地方都市。改札口は未だ有人である。駅員さんに切符を渡し、駅の外に出た。
すると鼻をつく晩春のニオイが街に充満していたのだ。俺にとってはよく嗅ぐ事のあるニオイだから、特に気にもとめなかったのだが。彼女は違った。市内電車の駅に向かって歩く途中に、彼女が朗らかな陽気で、俺にこう話しかけてきた。
「なんか、プールサイドの匂いがするね」
瞬間、俺は雷に撃たれたような衝撃にみまわれた。彼女はその台詞を恥じらう事なく言ってのけた。しかも、少しずつ近付く夏の足音に胸を弾ませるような調子で“プールサイド”と言った。俺は歓喜した。
間違いない。
間違いない。
彼女は紛れもなく乙女だ。
俺は自然に、いや、栗の花に感謝した。
ありがとう。
ありがとう。俺は今日。いや俺たちは今日、大人になる!
そう決意し発奮した俺はごく自然に、彼女の手を握る事が出来た。これから始まる、楽しいデート。その後訪れる、濃密な時間。夢心地のような妄想を叶える瞬間が、もうすぐそこまで近付いている。彼女が手をきゅっと握り返してきた。その頬は、心なしか桜色に見えた。
春。人生の春を俺は今、謳歌する――
もっとチャラく、500文字位のつもりでいたのに、どうしてこうなった……まあいいか。
さて、どうでしたか。楽しんで頂けましたか?