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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

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殺してしまうことこそが愛だと知っている

掲載日:2026/03/27

 

 愛しているから、殺してあげるべきでした。


 本当に貴方のことを愛していたのなら、苦しみから解放してあげるべきだったのです。


 けれど私は、それができませんでした。


 脚が腐り、立つことすらできなくなっていく貴方を前にしても、私は泣くことしかできなかった。

 貴方を失うと決めることが、どうしてもできなかったのです。


 だから今でも、貴方の墓の前に立つたび思います。

 あれは愛などではなく、私自身の弱さだったのだと。


 貴方は、とても優しい馬でした。


 昔、一度だけ、私は貴方の背から落ちたことがありましたね。

 手綱の扱いを誤り、体勢を崩し、そのまま地面へ叩きつけられました。


 息ができないほど強く打ち、そのまま気を失った私のそばを貴方は離れなかったそうですね。

 驚いて走り去ってもおかしくなかったのに、逃げなかった。

 他の馬たちが近寄らないようにするようにじっと私のそばに立っていたのだと、あとで聞きました。


 目を覚ましたとき、最初に見えたのは、心配そうに私を見下ろす貴方の顔でした。


 頬に触れる息の温かさも、鼻先がかすかに震えていたことも、今でも覚えています。


 大丈夫よ、と声をかけると貴方は安心したように小さく鼻を鳴らしました。


 まるで本当に、私のことを心配してくれていたみたいでした。


 優しくて、賢くて、少しだけ頑固で。

 けれど私には、とても甘い子でした。


 にんじんも甘いりんごも好きだったけれど、あまり他の人の手からは食べませんでしたね。

 私が差し出したときだけ、ようやく食べる。

 そんなところまで可愛くて、困ってしまう子でした。


 けれど本当にいちばん好きだったのは、大根でした。

 白くてみずみずしい大根を見せると、目に見えて機嫌がよくなる。

 それが可笑しくて、私は何度も笑ってしまったものです。


 そんなふうに、貴方はずっと私のそばにいてくれました。


 だから私は、貴方の最後に、自分がこれほど弱く醜くなるとは思ってもいませんでした。


 異変に気づいたのは、ほんの小さなことからでした。

 歩き方が少しだけおかしい。

 片脚をかばう時間が増えた。

 疲れやすくなった。


 最初は、休ませればよくなるのではないかと思いました。

 ちゃんと手を尽くせば、元に戻るのではないかと。


 でも、そうではありませんでした。


 脚は日に日に悪くなっていきました。

 腫れは引かず、熱を持ち、痛みは増していった。

 起き上がるだけでも苦しそうなのに、それでも貴方は大きく嘶いたり暴れたりしませんでしたね。


 ただ、じっと耐えていたのです。


 見ているだけで、胸が裂けそうでした。


 こんなに痛いはずなのに。

 こんなに苦しいはずなのに。

 どうしてこの子は、こんなにも静かに耐えてしまうのだろうと。


 本当は、わかっていました。


 もう治らないことも。

 このまま生かしておくのは、この子のためではないことも。

 楽にしてあげることこそが、最後の愛なのだということも。


 それでも私は、決断できませんでした。


 失いたくなかった。


 もう二度と名前を呼んでも耳を動かしてもらえないことが怖かった。

 あの温かな首筋に顔を埋められなくなることが怖かった。

 帰ってきても迎えてくれる存在がいなくなることを、どうしても受け入れられなかった。


 だから私は、愛していると言いながら、苦しませ続けたのです。


 貴方のためだと言いながら、本当は自分のために。

 もう少し一緒にいたいと願って、失いたくないとしがみついて。

 私は貴方の痛みより、自分の悲しみを優先してしまった。


 それがどれほど醜いことか、今ならわかります。


 許してください。


 楽にしてあげられなかった私を、どうか許してください。


 あのとき、最後の決断をしたのは夫でした。


 取り乱して泣き続ける私の肩を抱いて、もうやめてやれと言ったのも。

 これ以上苦しませるのは違うと、静かに告げたのも。

 そして私の代わりに、貴方を見送る決断を引き受けてくれたのも夫でした。


 本当なら、私がやらなければならなかったのです。


 最後まで責任を持つべきだったのに、私はそれすら夫に背負わせてしまった。


 だから私は、ずっと後悔しています。


 貴方の痛みから目を逸らしたこと。

 最後の瞬間に、強くなれなかったこと。

 愛していると言いながら、愛に必要な残酷さを持てなかったことを。


 今日も私は、墓に花を供えます。


 風が吹くたび草が揺れて、晴れた日には、遠くを走っていく蹄の音が聞こえるような気がします。


 そちらではもう、痛いところはありませんか。

 苦しいことはありませんか。

 自由に走れていますか。


 今度は花だけではなく、大根も供えましょう。

 いちばん好きだった、芦毛の貴方に似た色のあの白い大根を。

 そうしたら、昔みたいに少しだけ得意そうな顔をしてくれるでしょうか。

 にんじんより先にそれに急いで齧り付いて、私をまた笑わせてくれるでしょうか。


 私がそちらへ行くのが、明日なのか、何十年も先なのかはわかりません。


 けれど、まだ行けません。


 この腹の子を、無事に産まなければならないからです。

 立派に育てなければならないからです。


 だから、もう少しだけ待っていてください。


 それに、数年前に死んでしまった私の子のことも、きっと貴方が見ていてくれるのでしょう。

 優しい子でしたから、ひとりで寂しくないように、そばにいてくれる気がするのです。


 そう思うから、私はどうにか今日も立っていられます。


 ねえ、愛しているわ。


 私の可愛い可愛い愛馬。


 また来ますね。

 今度は夫とこの子も一緒に。

 今度こそ涙を見せずに笑顔で。

 貴方の名前である薔薇が咲く頃に。


 ねぇ、ロドン。


ロドン、ギリシャ語で薔薇の意味。

薔薇の花言葉の一つに「愛」があります。


読んでくださり、ありがとうございました。

もし少しでも楽しんでいただけましたら⭐︎やブクマで応援していただけると嬉しいです。


☆☆☆☆☆→★★★★★ (*_ _)人


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