聖樹の森 ― 光を失った聖域
東の大森林――
王都から三日。
湿った風が吹き抜け、陽の光が届かぬほどに木々が密集している。
そこは“聖域の森”と呼ばれ、
かつて精霊とエルフたちが共に暮らしていた地。
だが、今の森には鳥の声も虫の音もなかった。
ただ、何かが腐るような静寂だけが満ちている。
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「……空気が違う。」
クラリスが短く息を吐いた。
「瘴気とは違いますね。もっと……生き物そのものが怯えている感じです。」
アリアが頷き、静かに言葉を紡ぐ。
「“生命の脈”がねじれています。
命を支える魔脈が、一本ずつ逆流しているような……。」
セリオは背筋を震わせた。
「ひぃぃ……やっぱりここ、普通じゃないですよぉ……!
なんか、森全体が僕たちを見てる感じがしますぅ……!」
「感じているのは、間違いじゃない。」
ノエルが前を見据えたまま言った。
「森の“主”が、我らを試している。」
その声が終わると同時に――霧が流れ、
前方の木々が裂けるように開いた。
視界の先、巨大な樹が立っていた。
根は大地を貫き、枝は雲を突き抜け、
その幹からは淡い金の光……ではなく、黒紫の脈動が走っていた。
「……これが、“光の聖樹”?」
セリオが息を呑む。
かつて聖なる光を放ったはずの樹は、
今はまるで、命そのものが腐食したように歪んでいた。
枝に宿る葉は枯れ、根元には黒い結晶が芽吹いている。
「“影晶”が……聖樹の根にまで侵食してる……!」
アリアの声が震えた。
「でも、これは自然な汚染じゃない。
誰かが、意図的に“影晶”を植え込んでいます。」
クラリスが剣を抜き、根に近づこうとした瞬間、
ノエルが手を上げて制した。
「触れるな。瘴気が濃すぎる。」
「……旦那様。まるで生きているみたいです。
影晶が……鼓動している。」
ノエルは静かに目を閉じた。
「――ああ。
この樹には、かつて“封印”を施した。」
アリアが驚いて振り向く。
「封印……? まさか、旦那様が……!」
「数百年前、悪魔王の残滓が森に流れ込んだ。
それを封じるため、聖樹の根を媒介に“影晶”を縫い止めたのだ。
だが……今はそれが反転している。」
クラリスが息を呑んだ。
「封印が……逆流しているということですか。」
「そうだ。」ノエルの声は低い。
「聖樹は本来、“光”を媒介に瘴気を浄化する。
だが今は“影”に侵され、浄化が呪いに変わっている。」
アリアは掌を光らせ、樹の根を凝視した。
「……中枢部に“核”があります。
それが、影晶を増幅させている原因。
でも……“人の魔力”が絡んでいる。
この汚染は、自然ではない。」
セリオが不安げに周囲を見回した。
「じゃ、じゃあ、誰かが“ここ”を狙って……!」
言葉の途中で、彼が急に硬直した。
「――あ……!」
目が見開かれ、手が震える。
クラリスが駆け寄る。
「セリオ、どうしたの!?」
「見える……見えるんです……!
光が……樹の奥に……“涙”みたいなのが……!」
「涙?」アリアが反応する。
「それは……!」
ノエルが静かに頷いた。
「“聖樹の涙”――結界の核だ。
森と王国を結ぶ最後の光の残滓。」
セリオの瞳に光が宿る。
「でも……泣いてるんです。
“助けて”って……。」
クラリスが口を噤む。
アリアは胸に手を当て、震える声で言った。
「……光が、泣いている……。」
ノエルはゆっくりと剣を抜いた。
「ならば、行くしかない。
光が呼ぶなら、我らが応えよう。」
その瞬間、聖樹の根がうねり、地面が裂けた。
黒い瘴気が吹き出し、無数の影の触手が伸びる。
「来ます!」アリアが叫んだ。
「浄化の逆流が“防衛反応”になってる!」
「退くな!」ノエルが剣を構える。
「――これは、聖樹が我らを試している!」
蒼光の剣が閃き、
闇と光がぶつかり合う。
瘴気の波が爆ぜ、風が森を吹き抜ける。
その中心で、ノエルは確かに感じていた。
「光はまだ……消えていない――!」
ノエルの剣が、黒い根を断ち切った。
瞬間、森に差し込む一筋の光。
それは“聖樹の涙”の在り処を照らすように、淡く森の奥へ導いていった。
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