紅の回廊 ― 闇の少女ルカ
王城地下、封印の転移陣が光を放ち、
四人の姿がゆっくりと霧のように形を取った。
――そこは、世界の裏側。
空気はひどく冷たく、鼻を刺すような鉄の匂いが漂っている。
壁一面に埋め込まれた赤い結晶が、心臓の鼓動のように淡く脈動していた。
それが、王都の最下層――〈紅の回廊〉。
クラリスが周囲を見渡し、小声で言った。
「……まるで、血管の中にいるみたい。」
「その比喩は間違っていない。」
オルヴィンが応じる。
「この層全体が、彼女の“生命”であり、王都の“裏の神経”でもある。」
セリオは身をすくめた。
「うぅぅ……もう帰りたいですぅ……。空気が、何かに見られてるみたいで……。」
「それは“何か”じゃないわ。多分、ほんとに見られてるの。」
クラリスがさらりと告げる。
「ここの壁の隙間、天井、床下――全部、ルカの眷属の巣よ。」
セリオは青ざめて叫んだ。
「ひぇぇぇぇっ!?」
そんな彼の様子に、オルヴィンは小さく笑う。
「安心しろ。彼らは王都の守り手だ。無害だよ、今は。」
その時だった。
空気が一瞬、重く沈む。
紅の灯が一斉に明滅し、
奥の闇の中から、ゆっくりと“音”が近づいてきた。
――靴音。
小さく、しかし確かに響く。
霧のような靄を払いながら、
銀の髪を持つ少女が姿を現した。
黒と紅のドレスをまとい、瞳は血のように深紅。
だが、その顔立ちは恐ろしいほど整っており、まるで人形のように美しい。
彼女は微笑んだ。
「……ようこそ、私の廻廊へ。
宰相閣下、それに――“お帰りなさいませ、レオン様”。」
セリオが声を裏返らせる。
「ひゃあああっ! しゃ、しゃべったぁぁ! かわいい顔してこわいですぅぅぅ!」
クラリスが苦笑しながら小声で言う。
「……失礼ね、あなた。」
ノエル――いや、レオンは一歩前に出て、静かに微笑んだ。
「久しいな、ルカ。変わらぬな。」
ルカはゆっくりと頭を下げる。
「永遠を頂いた身ですもの。時の流れは私には甘い夢にすぎません。
……でも、こうして“あなた”の声を聞くのは、何年ぶりかしら。」
その声には、かすかな震えが混じっていた。
彼女の足元に、無数の影が波紋のように揺れる。
まるでその感情が、回廊そのものを震わせているかのようだった。
オルヴィンが前に出て、恭しく頭を下げた。
「ルカ卿。王国は、貴女の知恵を再び必要としております。」
ルカの瞳が、わずかに光を宿す。
「ふふ……宰相殿が“お願い”とは珍しい。
それほどに、影が濃くなっているのですね?」
「――辺境のダリオスと、深淵教団が同時に動いております。」
「なるほど。」
ルカは扇を開き、ゆらりと振る。
「ならば、血の流れを操作すればよい。
彼らはどちらも“支配”を求める同族――
互いの心臓を掴み合えば、勝手に壊れる。」
オルヴィンは頷く。
「それを実現する策を……貴女に立てていただきたい。」
ルカは口元に微笑を浮かべ、レオンの方へ目を向けた。
「それで、貴方はどうなさいますの? また表の光に立たれるのかしら。」
レオンは静かに答えた。
「……私はもう、光にも闇にも立たぬ。ただ、この国を見守るだけだ。」
ルカは少し寂しそうに微笑んだ。
「ええ、昔からそう。
貴方はいつも“見守る”ばかり。
だから、私は――貴方の代わりに“牙を立てる”のです。」
クラリスが軽く息を呑む。
ルカの言葉は冷たいのに、どこか切実で、まるで愛を告白するようだった。
沈黙が落ちた。
ルカは手をひらりと掲げる。
すると回廊の壁から、蝙蝠が一斉に舞い上がり、血の光を放つ。
「……宰相殿、作戦の骨子をお聞かせください。
この紅の網で――世界を編み直してみせましょう。」
その声には、冷静さと陶酔が混じっていた。
まるで闇が彼女の中で微笑んでいるかのようだった。
オルヴィンは深く頭を下げる。
「……感謝いたします、〈静謀〉ルカ卿。」
ルカは目を細め、紅の光を背に微笑んだ。
「礼は要りません。
――これは、“あの方”に捧げる祈りですから。」
彼女の視線の先には、ただ一人、レオンがいた。
その瞳に宿るのは、敬意ではなく――永遠の恋慕。
紅の回廊が、静かに脈打つ。
まるで王都の下で、心臓が再び動き出したように。




