帰路 ― 英雄の記憶と、穏やかな微笑み
朝霧が晴れ、山の稜線の向こうから光が差し始めていた。
崩れた古代神殿を離れ、王都へ戻る道を四人が歩いている。
先頭はノエル――その後ろにクラリス、イリス、そして荷を背負ったセリオの姿があった。
道は緩やかに下り、風には青草の香りが混じる。
それは戦いを終えた者たちに与えられた、束の間の静寂だった。
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「や、やっと終わったぁぁぁ……!」
セリオが両腕を天に突き上げ、崩れかけた荷袋を落としかける。
「瘴気も化け物も儀式も……もう一生分やりましたよぉ!
僕、王都に帰ったら畑でも耕して、平和に暮らしますぅ!」
クラリスがくすりと笑い、横目で見やる。
「……前も同じこと言ってたわよね。“次こそ真面目に暮らしますぅ”って。」
「そ、それは心のリハーサルです! 本番はこれからですってば!」
「そう。で、本番の前に荷物を落とすのはリハーサルじゃないの?」
セリオが慌てて背中の袋を掴む。
「ひぃっ、クラリスさんのツッコミは心臓に悪いですぅ!」
「悪いのは荷物の持ち方よ。……まったく、旦那様の荷物より自分の腰を守りなさい。」
「だ、旦那様の分も持たされてるんですよぉ!? もう少し労ってくれても……!」
クラリスは小さくため息をつき、しかし口元には笑みを浮かべた。
「いいわ。帰ったら、ご褒美に紅茶を淹れてあげる。」
「ほ、ほんとですか!?」
「ええ。ただし――片付けと洗濯もあなたの仕事。」
「……地獄は続くんですねぇ……。」
「現実ってそういうものよ、セリオ。」
クラリスはそう言いながら、淡い笑みを浮かべる。
朝の風が吹き抜け、彼女の髪を揺らした。
その横顔に、セリオは思わず立ち止まって見入る。
「……クラリスさんって、時々こわいけど、なんか優しいですよね。」
「“時々”は余計よ。」
「い、いや、褒めてます! 本気で!」
クラリスは肩をすくめて前を向いた。
「褒め言葉として受け取っておくわ。……さ、足を止めないで。旦那様を待たせると、また仕事が増えるわよ。」
「そ、そんなぁぁぁぁ!」
その叫びに、先を歩くノエルが小さく笑みを漏らす。
道の先には、王都アルシオンの白い城壁が遠くに見えていた。
長い戦いの終わりを告げる光が、山の向こうから静かに差し込む。
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イリスがそんな二人を見ながら、柔らかく微笑んだ。
「ふふ……本当に仲が良いのですね。
旅の中でも、こんなに穏やかな空気を感じたのは久しぶりです。」
ノエルが振り返り、穏やかな声で答える。
「そう見えるかもしれないが――クラリスとセリオは、まだ出会って日が浅いんだ。
けれど、口のやり取りだけはもう長年の知り合いみたいだな。」
クラリスが軽くため息をつき、口を尖らせる。
「旦那様、それは“褒め言葉”として受け取っておきますね。」
セリオが慌てて手を振る。
「ぼ、僕は悪気なんてないですよぉ!? ただちょっと怖いだけで!」
「“ちょっと”の基準を見直したほうがいいわね。」
クラリスの冷静なツッコミに、イリスが思わず笑みをこぼす。
「旦那様……とお呼びするのですね?」
イリスが小首を傾げる。
クラリスは姿勢を正し、落ち着いた口調で答えた。
「はい。私はノエル様のメイドであり、護衛も務めております。
昔から“旦那様”とお呼びしているんですよ。」
「メイドさん……でも剣も使えるなんて、すごいです。」
「旦那様のそばに立つなら、戦うくらいは当然です。」
クラリスはそう言って微笑み、短剣をくるりと回して鞘に戻した。
その仕草に、イリスの目が少し見惚れる。
セリオが肩をすくめて小声でつぶやく。
「はぁ……やっぱり僕、この旅で白髪になりそうですぅ……。」
「白髪になっても働いてもらうわ。見た目より根性が大事だから。」
「ひぃぃ……クラリスさんの笑顔が一番怖いですぅ!」
ノエルが小さく笑い、朝の風が三人の間を通り抜けた。
その先に見える王都の白い塔が、穏やかに光を受けていた。
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やがて小高い丘に差し掛かり、
遠くの霧の彼方に王都の塔が霞んで見えた。
セリオが大声を上げる。
「うわぁぁぁっ! 王都ですよぉ! 本当に帰れるんだぁぁ!」
クラリスが笑いながら言う。
「生きて帰れるだけでも上出来ね。ほら、足元、気をつけて。」
そんな中、イリスは少し歩調を緩め、
前を行くノエルの背を見つめながら小さく口を開いた。
「……ノエル様。」
「どうした?」
「神殿で……あなたが私の前に立ったとき、まるで――時間が止まったように感じました。
初めてのはずなのに……“あの光景”を、どこかで見たことがある気がして。」
ノエルの表情がわずかに曇る。
「どこかで……?」
イリスは胸に手を当て、目を伏せた。
「ええ。
誰かが――私を庇って、黒い鎖の中で剣を振るって……。
その姿が、あなたと重なったんです。」
風が静まり、鳥の声も消えた。
クラリスが静かに口を開く。
「それは、“血の記憶”かもしれません。
イリス様のご家系には、“英雄セリア”という名が伝わっていましたね。
古の悪魔王討伐に参加した――光の剣を掲げた女性の英雄です。」
イリスがはっとして顔を上げる。
「セリア……!おとぎ話ではないのですね……」
ノエルが足を止めた。
霧の中で、その横顔がかすかな光に照らされる。
「物語ではない。……彼女は確かにいた。
誰よりも勇敢で、誰よりも人を愛した――剣聖セリア。」
イリスの胸が強く脈打つ。
「……ノエル様。
まるで……あなたが“あの時”を知っているみたいな言い方をされますね。」
ノエルは答えず、ただ前を見つめた。
風が彼の外套を揺らす。
「……セリアは、私の命を救った。
彼女の光がなければ、私は“闇の鎖”に呑まれていた。
それが――すべての始まりだった。」
イリスは息をのむ。
そして、理解が静かに胸を打つ。
「……あなたが……“不死王レオン”なのですか。」
ノエルの足が止まる。
クラリスは何も言わず、その背を見守っていた。
長い沈黙ののち、ノエルは微かに微笑んだ。
「……その名を、まだ覚えている人がいるとはな。」
イリスの瞳に涙が滲む。
「祖先の書にありました。
“王は死せず、時を越えて国を見守る”――
それがただの伝説ではなく、本当に……。」
ノエルは静かにうなずいた。
「時は流れ、国は変わり、人も変わる。
だが……“想い”は、確かに残る。
それがあの時、彼女が遺した光だ。」
イリスは小さく息を詰め、微笑んだ。
「きっと……祖先セリアも、今のあなたを見て誇りに思っています。」
ノエルは少しだけ空を見上げた。
そこには、薄く晴れ始めた青がのぞいていた。
「……どうだろうな。
私はあの時から、ただこの国を見続けてきただけだ。
守るために生き、そして……永遠に見送るために。」
クラリスがそっと言葉を添える。
「旦那様……。」
ノエルは振り返り、柔らかく笑った。
「大丈夫だ。少し懐かしくなっただけだ。」
イリスはその笑みを見て、胸の奥に温かな痛みを覚えた。
どこか切なく、けれど懐かしい――まるで遠い夢の続きを見ているような気持ちで。
丘を越える風が三人の間を通り抜け、
その先に広がる王都の塔が朝日に輝いた。
それは、失われた時をつなぐように――
英雄の記憶と、不死の王の誓いを照らしていた。
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丘を下る途中、セリオが両手を広げて叫ぶ。
「王都に帰ったら、僕ぜったいお風呂に入って、肉を食べて、寝ますぅぅぅ!」
クラリスが吹き出した。
「その順番、間違えないようにね。」
ノエルが肩をすくめ、
「お前の元気だけは不死身だな。」
イリスが笑う。
「ふふっ……本当に賑やかですね。」
穏やかな笑い声が、風に流れた。
戦いの終わり、そして新しい旅路の始まり――
四人の影は、王都へと続く道の上でゆっくりと伸びていった。
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