影の神殿 ― 英雄の血の鍵
北西山岳、瘴気の霧が濃く渦巻く谷の底。
岩肌に埋もれるようにして、崩壊した古代神殿が姿を現していた。
空気は鉄の味を帯び、息をするだけで肺が焼ける。
レオンたちは、ようやくその最奥へとたどり着いた。
クラリスが肩をすくめる。
「……ここまで来るのに、何体の影獣を倒したかしら。もう数えるのも嫌になったわ。」
「泣き言言っても帰れませんってぇぇぇ……!」
セリオはへたり込みながらも、腰の魔導器を抱きしめている。
「ここ、空気が悪すぎますって! 僕、今なら文鳥でも気絶させられますぅ!」
レオンはそんな掛け合いを無視して、前方を見据えた。
そこに広がるのは、円形の儀式場。
黒い紋章が床を覆い、その中心には巨大な結晶柱――
まるで心臓のように脈動し、紫黒の光を放っていた。
「……感じるか。あの鼓動、まるで生き物のようだ。」
「旦那様、あれの中……」
クラリスの声にレオンがうなずく。
結晶の内部には、かすかに人影が見えた。
長い金髪――そして、眠るように目を閉じた少女。
「イリス……!」
レオンの表情が鋭くなる。
クラリスがすぐに詠唱を構えるが、レオンが制止した。
「待て。あの結界……ただの封印じゃない。」
フェルディナンドから受け取った符を取り出し、波動を探る。
結晶の魔力は、王都の結界と同質――いや、逆流している。
「……これは“結界反転術”。
王都の防御結界と繋がり、その中心を“鍵”として機能している。」
クラリスが息を呑む。
「つまり……あの娘が、王都の結界を裏返す“核”に?」
レオンが頷く。
「そうだ。英雄の血――セリアの血を継ぐ彼女だけが、王都結界の“起動の鍵”にも、“崩壊の鍵”にもなり得る。」
セリオが青ざめて叫ぶ。
「け、結界を反転って……つまり王都ごとひっくり返すってことですかぁ!?」
「簡単に言えば、そうだ。」
レオンの声は冷たく落ち着いていた。
「教団は王都の結界を利用し、“影の主”を完全に復活させようとしている。」
クラリスが剣を抜く。
「じゃあ――止めるしかないわね。」
その時、背後の闇から低い笑い声が響いた。
「……まさか、ここまで辿り着くとは。」
三人が振り向く。
そこに立っていたのは、仮面の男。
黒い外套に瘴気を纏い、手には禍々しい杖を携えている。
「貴様……教団の幹部か。」
レオンの声が鋭くなる。
仮面の男はゆっくりと結晶の前に立ち、薄く笑った。
「“影の代弁者”の一人、《審問官ネスト》。
影の主の教えを実現するため、鍵の少女を“神”へ捧げに来た。」
「神? 貴様らがやっているのは、ただの人身供犠だ!」
クラリスが叫ぶと、ネストは嗤った。
「違う、我らは“光を反転させる”。かつて貴様らの王が築いた結界は、神への冒涜。ならば我らは、その光を影に還すまで。」
ネストの杖が振るわれ、黒い魔方陣が床に広がる。
瘴気が渦を巻き、結晶が激しく脈動を始めた。
イリスの身体が淡く光り、唇が震える。
「や、やめて……いや……!」
かすれた声。
その瞳がわずかに開かれ、光の中にノエル――レオンの姿を見つけた
「……ノエル、さん……?」
レオンの動きが一瞬止まる。
クラリスが目だけでレオンを見る
「……どうするの、旦那様?」
「救う。」
その一言で、空気が変わった。
レオンは剣を掲げた。
「お前たちの神はここにはいない。
いるのは――己の欲を“神”と呼ぶ愚か者どもだ!」
光が爆ぜ、レオンの剣が青白く輝く。
「《光断・アークレイン》!」
斬撃が闇を裂き、ネストの陣が一部吹き飛ぶ。
モルガーナ直伝の封呪を組み合わせた一閃。
ネストが後退し、血を吐いた。
「チッ……やはり、“不死の王”の力……!」
「名を知っているか。ならば覚えておけ。」
レオンは低く言い放つ。
「――お前たちが恐れるのは、“不死王レオン”ではない。自らの影を見捨てた者たちだ。」
「だ、旦那様ぁぁぁぁ、あと三秒で暴発しますってぇぇぇぇ!」
「なら二秒で終わらせる。」
レオンが床を蹴り、光の刃を振り下ろした。
ネストの杖が砕け、魔方陣が崩壊。
結晶を覆う茨が音を立てて消え去る。
黒い光が散り、イリスの身体が解放された。
レオンが受け止め、彼女の名を呼ぶ。
「イリス!」
イリスの瞳がゆっくりと開き、震える声が漏れる。
「……ノエルさん……やっぱり、あなたが……来てくれたんですね……」
レオンは小さく微笑んだ。
「ええ。迎えに来ました。
あなたの“光”を――再び、王都に。」
イリスの目から涙が零れた。
「わたし……聞こえたんです……。
王都の結界が、誰かを呼んでる声……。
わたしの血が、それに“応えてしまう”……。怖くて……でも、止められなくて……!」
クラリスが優しく声をかける。
「もう大丈夫。あなたの血は呪いじゃない。――王国の希望よ。」
そのとき、奥の闇からネストの呻き声が響いた。
「まだ……終わらぬ。“影の主”は、鍵が解かれた今こそ目覚める……!」
レオンはイリスを庇い、剣を構える。
「目覚めさせはしない。――光は、影の上に立つ。」
轟音が神殿を揺らし、瘴気が暴風のように吹き荒れた。
天井の崩落が始まる中、三人と一人を包むように光が広がる。
イリスはレオンの胸の中で呟いた。
「……ノエルさん。あなたは……光そのものですね。」
レオンは何も答えず、ただ彼女の額に手を当てた。
(――この名では、“彼女”を守るために。)
神殿の外で、夜明けの光が差し始めていた。
だが王都の空――その向こうでは、
すでに三首蛇が咆哮を上げていた。
いつもありがとうございます。もう少しで第一章完結すると思います。




