墜ちる覇者 ― 辺境伯、影に沈む
三首蛇の咆哮が山を割いた。
炎と瘴気が入り混じる戦場で、辺境軍三千の兵が次々と倒れていく。
黒煙が空を覆い、呼吸することすら許されぬ地獄が広がっていた。
「殿下っ! もう退かねば――!」
ゲルハルトの叫びが、轟音にかき消される。
だが、ダリオスは動じなかった。
むしろその瞳には、異様な光――期待にも似た狂気が宿っていた。
「退く? まだだ。……この力を使う。」
彼は懐から“影晶の欠片”を取り出す。
砕けた結晶の破片が、紫黒の光を放ちながら手の中で脈動した。
「殿下、それは……!」
ゲルハルトが制止する暇もなく、ダリオスはその欠片を自らの胸へと押し当てた。
次の瞬間、黒い光が閃き、周囲の空気がねじれる。
瘴気が彼の体を覆い、皮膚の下を走る血管が黒く染まっていった。
「ぐ……はっ……! これが……“影”の……力か!」
大地が震える。
ダリオスが掲げた剣が瘴気をまとい、黒い稲妻のような閃光を放つ。
「――見せてやる、貴様らに!
我こそが、影の王となる器だ!」
渾身の一閃が三首蛇の胴を切り裂く。
闇の肉が裂け、凄まじい瘴気の噴流が空へと噴き上がった。
だが、それは長くは続かなかった。
裂かれたはずの傷口から、再び黒い肉が蠢き、瞬く間に再生していく。
「なっ……!?」
ゲルハルトが絶句する。
仮面の男が、遠くから見下ろすように呟いた。
「愚かな人間よ。影晶の力は、主を選ぶ。
貴様は器ではない。」
次の瞬間、三首蛇の尾が唸りを上げ、地面を叩き砕く。
爆風が陣を薙ぎ払い、兵士たちが次々と吹き飛ばされる。
ダリオスもまた衝撃に包まれ、地に叩きつけられた。
「ぐあああっ――!」
鎧が砕け、血が地を染める。
黒い瘴気が逆流し、彼の身体を蝕んでいく。
「殿下!」
駆け寄ったゲルハルトが必死に抱きかかえる。
ダリオスの腕は震えていたが、まだその瞳には光があった。
「……退け、ゲルハルト。
この戦は……終わりではない。」
「殿下、もう戦える状態では――!」
「いいや……この痛みが証だ。
“影”はまだ……我の中で生きている。」
血を吐きながら、ダリオスは笑った。
その笑みは、もはや人間のものではなかった。
「……今は退く。だが覚えておけ。
この力を完全に支配した時、
王国も、教団も……我が膝下にひれ伏す。」
彼は剣を突き立て、立ち上がる。
周囲の兵のわずかな生存者が、必死に彼を支えた。
ダリオスは天を仰ぎ、かすれた声で命じる。
「全軍――撤退だ。
生き残った者は辺境へ戻れ。
次に戦う時は、“影の軍勢”としてだ。」
その言葉と同時に、黒い霧が辺りを覆った。
三首蛇の咆哮が山を震わせる中、
辺境軍の残兵たちは闇の中へと消えていった。
仮面の男がその背を見送り、静かに呟く。
「……やはり、貴様では“王”にはなれぬか。
だが、利用価値は残っている。」
風が吹き荒れ、山々に瘴気の霧が降り注ぐ。
その影の流れはやがて王国の空へ――。
そして、遠く王都の結界塔では、フェルディナンドの計測器が異常な反応を示した。
「……これは、辺境の方向か……?」
彼の額に冷や汗が伝う。
モルガーナが杖を握り、低く呟いた。
「――嵐の前触れね。
“影の王”が、胎動を始めた。」
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