影の報復 ― 三首蛇、咆哮す
いつもありがとうございます。前回のエピソードに間違いがあったので少し変更しました。
北西山岳――夜明けぬ空の下。
辺境軍三千が築いた野営地は、山肌を埋め尽くすほどの規模だった。
だが、その陣を包む空気は重く淀み、まるで死を待つような静けさに支配されていた。
黒き天幕の奥で、辺境伯ダリオス・ヴァルクレストは沈黙のまま“影晶の欠片”に手をかざしていた。
結晶は鼓動のように脈動し、紫黒の光が彼の頬を照らす。
「……見ろ、ゲルハルト。影はまだ“生きている”。
我が意志に応じ、呼吸しているではないか。」
副官ゲルハルト・ヴァーンが険しい顔で報告する。
「はっ……ですが、殿下。
周囲の兵は次々と瘴気に侵され始めています。
三千の兵も、このままでは……」
ダリオスの口元が歪む。
「……三千。無駄に多い数だったな。」
ゲルハルトが息をのむ。
「殿下?」
「“数”で押せば十分と思っていた。だが、瘴気の前では凡兵など塵に等しい。
――やはり連れてくるべきだった。百騎の精鋭《黒槍騎団》。
奴らなら、この瘴気を切り裂けたはずだ。」
「……殿下。それでも我ら辺境軍は、王国最硬の矛です。
“百”がいなくとも、“三千”がここにいる。」
ダリオスはゆっくりと立ち上がる。
「ふん……口の利き方だけは精鋭並みだな、ゲルハルト。」
その瞬間、天幕の外から冷たい風が吹き込んだ。
灯火がかすかに揺れ、闇の奥から声が落ちる。
「……辺境の狼よ。
貴様、神の座を穢したな。」
ゲルハルトが剣を抜く。
「誰だ!」
闇の中に、白い仮面をつけた男が立っていた。
その仮面の下から、黒い霧のような瘴気が流れ出る。
「貴様は……教団の……!」
仮面の男は静かに笑う。
「かつて“影の主”に仕えし者。今は“神の代弁者”と呼ばれている。
貴様が裏切り、儀式を汚した。その報いを――受けよ。」
「貴様らの“神”など、私の掌の中にある。」
ダリオスの目が狂気に燃える。
「神罰を恐れて膝を折るほど、私は安くない。」
仮面の男が右手を掲げた瞬間――大地が裂けた。
山肌が悲鳴を上げ、瘴気が噴き出す。
そして、黒き巨影が這い出た。
一本の胴に三つの首。
それぞれが炎・毒・瘴気を吐き、空気そのものを焦がす。
「――三首蛇……!」
ゲルハルトが膝をつき、呻いた。
仮面の男の声が響く。
「影の主の贄を汚した代償だ。
この地を焼き、王国を塗り潰す――“神罰”だ。」
辺境軍の兵たちが恐怖に震えながらも戦列を整える。
ダリオスが一歩前に出て叫んだ。
「構えよ! 退く者は許さん!
――我らは辺境の矛、王国の壁だ! 誇りを見せろ!」
三千の兵が雄叫びを上げ、黒槍を掲げる。
炎と毒と瘴気が吹き荒れる中、矛の列が一斉に突き出された。
だが、三首蛇の一振りの尾で数十人が吹き飛ぶ。
「ぐっ……くそっ、やはり“数”では……!」
ダリオスは唇を噛み、低く呟く。
「百の精鋭がいれば――この化け物の首、一つは落とせたものを。」
それでも、彼の目はまだ燃えていた。
「……だが、まだ終わらん。」




