祭りと影の予兆
このエピソードを多少変更しました。
王都の大通りは、祭りの熱気に包まれていた。
色鮮やかな屋台が並び、笛や太鼓の音が響き渡る。子どもたちは菓子を抱えて走り、行商人の声が石畳に反響する。
白亜の王城を背景に、人々は笑い、歌い、舞い踊っていた。
王都の大通りは、祭りの熱気に包まれていた。
色鮮やかな屋台が軒を連ね、笛や太鼓の音が石畳に響き渡る。
民は笑い、踊り、白亜の王城を仰ぎながら、この国の豊かさを謳歌していた。
その喧噪の中――。
一台の馬車がゆっくりと進む。黒曜石のように磨かれた車体、家紋の入った旗。
名門アークライト家の馬車である。
窓辺に姿を見せたのは、若き令嬢イリス・アークライト。
黄金の髪を陽光に輝かせ、気品ある微笑みで群衆に応えるその姿は、まさに「王都の花」と呼ばれるにふさわしかった。
人々は憧憬の視線を注ぎ、口々に囁く。
「英雄の血を継ぐ方だ……」
「我らの象徴だ……」
歓声の渦に包まれる広場の片隅。
群衆に紛れた青年――画家ノエルの名で知られる男が、静かにその光景を見つめていた。
長身に紺のロングコート、白のシャツに黒のベスト。
袖口には絵具の痕がかすかに残り、優雅でありながら旅人めいた佇まいをしている。
その姿に気づいた若い女性たちがさざめいた。
「見て、あの方……」
「ノエル様よ! 宮廷画家にして、この国一の天才と讃えられる……」
「本当に実在していたのね……まるで絵の中から抜け出したみたい……」
青年は気づかぬふりをして、涼やかな笑みを浮かべた。
――彼の正体が、実は不死の王レオンであることなど、誰一人として知らない。
民衆には「若き王」が即位したと広く伝わっている。
そしてその姿は表に立つことはなく、王国を実際に導くのは宰相代理オルヴィン。
ただ一人、彼だけが“真の王”の存在を知り、密やかに仕えているのだった。
クラリスが主にだけ聞こえる声で囁く。
「旦那様、また注目を集めておりますよ。」
レオンは肩をすくめ、わずかに笑った。
「芸術家の宿命さ。光あるものは、どうしても人の目を引くものだよ。」
そう言いながら、彼の視線は再び馬車の上のイリスへと向かう。
王都の花と呼ばれる令嬢を見据える眼差しには、芸術家の好奇心と、王としての責務の両方が宿っていた。
その喧噪の中――レオンの視線は、群衆の中の一つの影に止まった。
歓声の只中にいながら、ただ一人、冷たい目でイリスを見据える男。
笑みを浮かべているようで、その口元と瞳は微妙に噛み合っていない。
人に溶け込みながらも、仮面のような違和感を纏っていた。
レオンはそっと息を整える。
「……あれは、ただの群衆ではないな。」
クラリスも気づいたらしく、小声で囁いた。
「確かに……視線が鋭すぎます。まるで獲物を狙う獣。」
その人物はやがて雑踏に紛れて消えた。
群衆は歓声を上げ続け、祝祭は何事もなかったかのように華やぎを取り戻す。
――その時だった。
耳元で、誰にも聞こえぬ囁きがした。
> 「……影に還れ……影こそ真実……」
ぞくり、と背筋を撫でる冷気。
レオンだけが、その言葉をはっきりと聞いた。
クラリスが不思議そうに首をかしげる。
「どうかなさいましたか、陛……いえ、旦那様?」
レオンは軽く首を振り、淡い笑みで取り繕った。
「いや、少し耳に残る雑音があっただけだ。」
だが内心では確信していた。
――これは幻聴ではない。
不死王となったあの日から、ずっとどこかで繋がっている「影の声」。
今また、それが近づいてきている。
耳元に残る祈りのような声。
それは他の誰にも聞こえぬ、レオンだけの「影の囁き」だった。
彼は群衆に手を振るイリスをもう一度見やり、静かに息をつく。
「光に包まれたこの国に、再び影が忍び寄っている……。」
祝祭の歓声の中で、その声は彼だけの胸に沈んでいった。




