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笑え話

作者: 雉白書屋

 ――笑顔は基本! 笑顔は幸せを呼ぶ! 今日も一日笑顔で仕事! おはようございます!


 村野はついに会社を辞めた。

 毎日、笑顔を強制されることに、とうとう限界が来たのだ。

 ある日、彼の勤める会社では、セキュリティゲートの顔認証システムを活用し、笑顔でなければ出退勤ができないという『笑顔制度』を導入した。

 当初は「なんだこれ?」「冗談だろ?」と同僚たちと苦笑しながら通過していたが、制度は次第に厳格化していった。口の角度、目の開き具合、頬の筋肉の動きなど、『笑顔』の細かな基準が次々と追加されていったのだ。

 さらに、オフィス内に監視カメラを設置、常に笑顔をチェックされるようになった。不備があると即座にパソコンに警告が表示される。時には上司に呼び出されることもあった。


「いいかね、君。笑顔は場を明るくし、空気を軽くするんだ。つまり、電気代の節約だな。エコだよ、エコ!」


 上司は満面の笑みで、得意げに意味不明な理屈を並べ立てた。本人ですら、自分が何を言っているのかわかっていないのではないか、と村野は思った。

 同僚たちは次第にこの制度に馴染んでいった。誰もが「いい制度だなあ」と言いながら、笑顔という仮面を貼り付け、日々の業務をこなしていた。

 だが、村野には無理だった。彼は幼い頃に「笑顔がキモい」と言われた経験がトラウマとなっていたのだ。

 笑顔を作ろうとすると頬が引きつり、目元が小刻みに震えてしまう。本人は微笑んでいるつもりでも、「なに、ニヤニヤしてんの?」と笑われる。彼にはニコニコとニヤニヤの違いがわからなかった。それは、相手の気分によって決まる曖昧で理不尽な線引きでもあったが。

 彼にとって『つらい時こそ笑顔で』という言葉は、もはやパワハラの象徴にしか思えなかった。


「ほらあ、このアプリを見てよ。君の笑顔、口角が三度足りないってさあ! さあ、もう一度! 笑顔は幸せを呼ぶ! さあ、繰り返して!」


「辞めます」


「おっ、いい笑顔だねえ。よしよし! あれ、どこ行くの! まだ話は終わってないよ! わはははは!」


 退職直後――それが、村野の笑顔が最も自然に輝いた瞬間だった。だが、それも長くは続かなかった。

 再就職先を探したが、どの企業もこの『笑顔制度』を採用していたのだ。どうやら、詐欺師とコンサルタントの間で『笑顔ビジネス』が流行しているらしい。きっと彼らは、笑いが止まらないことだろう。

 村野はそう思い、皮肉な笑みを浮かべた。しかし、面接はことごとく不採用だった。理由はもちろん『笑顔の不備』。

 探し続け、ようやく笑顔制度のない会社に就職できた。が、それも束の間。すぐにその会社でも『笑顔制度』が導入され、また辞めることになった。別の会社に就職したが、そこもまた。次の会社でも、そのまた次も――まるで追込み漁のように、彼の逃げ場はなくなっていった。

 やがて、村野はあきらめた。内職と退職金で細々と暮らし、誰とも関わらず、無表情のまま静かに生きていくことにした。そのほうが、むしろ自然に笑える気がした。たとえ、それが自嘲的な笑みであっても。

  しかし、そのささやかな平穏は、一枚の通知書によってあっけなく崩れ去った。


【あなたの笑顔率が国民平均を下回っています。このままでは罰則対象となります】


 街中に設置された『笑顔測定カメラ』に反応したのだという。

  これには、さすがの村野も怒りを抑えきれず、市役所へ抗議に向かった。だが、窓口で職員はにっこり笑いながら言った。


「申し訳ありませんが、笑顔の不備のため、正式な抗議とは認められません」


 ――笑顔笑顔笑顔。

 ――笑顔でいなさい。

 ――笑顔第一政党です。不景気が続いていますが、そんな時こそ笑いましょう! 

 ――笑顔がない人とは、ちょっとお付き合いできないかな……。

 ――君、冗談を言ったんだから、もっと笑いたまえよ。


 健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、笑顔を愛し、笑顔を敬い、笑顔でいることを誓いますか?


「はい! あはははははははは! あははははははははははははははははははははははは!」


 ある日、村野は一人、大声で笑った。それ以来、彼は笑顔をやめなかった。仕事中も、外出中も、食事中も、眠る直前まで。やがて、彼の笑顔は筋肉の痙攣へと変わり、歪んだまま固まった。


 数年後、村野は亡くなった。

 死因は、笑い続けたことによる呼吸困難からの窒息死。すなわち、『笑い死に』である。

 葬儀場で、笑顔を貼り付けたままの遺体を前に、親族たちは、しみじみと呟いた。


「最後まで幸せそうだったのね」

「そうだな! あははははは!」

「はっはっはっは!」


 だが、彼が固く立てた両手の中指だけは、どれほどの力を込めても微動だにしなかった。

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