九
清州城下の喧騒は、午後になっても収まる気配がなかった。
「これぞ武将の心意気!」慶次の声が城下町に響く。「絵心も、筆も、戦の手の内と同じこと。隠すことなどないではないか!」
千鶴は城の広間で、上杉謙信と向かい合っていた。卓上には二人の前に、それぞれ『武将絵巻』の最新作が置かれている。
「千鶴殿」謙信の声は静かだが、芯が通っていた。「戦の術も、文の道も、極めようと思えば際限がない。しかし、その道を共に歩む者がいれば...」
「まさか、謙信様も」
「うむ」謙信は小さく頷く。「越後には『月見の会』という集まりがある。表向きは和歌や連歌の会だが、実は...」
その時、広間に明智光秀が駆け込んできた。
「千鶴様、大変です!武田信玄公より急使が!なんでも『甲州流軍記道研究会』を引き連れて、今夜にも到着されるとか」
千鶴は息を呑む。武田信玄—その名は、軍記物の同人界隈でも一目置かれる存在だった。
「これは予想外」謙信が静かに言う。「信玄との『筆の戦い』が、ここ清州で実現することになるとは」
千鶴の頭に、様々な思いが駆け巡る。城下では慶次が率先して文化を開放し、謙信は静かにそれを支持し、そして今度は信玄までも。
「光秀様」千鶴が立ち上がる。「宿割りの変更を」
「はい。ただし、これだけの人数となると...」
「いっそ」千鶴の声に、新たな響きが宿る。「大広間を開放してはいかがでしょう。軍議の場として、そして...文化の交流の場として」
謙信の目が輝いた。「なるほど。戦さと文化が交わる場所。それこそが、新しい時代の幕開けというもの」
城下からは、慶次の声と共に、人々の笑い声が聞こえてくる。もはや「秘密の文化」は、城下町全体に広がりつつあった。
そして千鶴は、この うねりを止めるのではなく、むしろ導いていく決意を固めていた。たとえそれが、思いもよらぬ結果をもたらすとしても。
「千鶴様」蘭丸が新たな報告に現れる。「北近江からの情報です。浅井長政殿が、『湖水文芸サークル』とやらを率いて...」
千鶴の嘆息は、どこか晴れやかだった。波紋は、もはや止めようもなく広がっていく。