七
「徳川殿からの使者、お通ししてよろしいでしょうか」
千鶴は一瞬、目を閉じて深く息を吸った。光秀と利家が、互いに意味ありげな視線を交わす。
使者が入ってきたのは、奇しくも千鶴が手元の『徳川家康英姿録』第三巻を片付け終えた直後だった。若い武士が、丁寧に一礼する。
「徳川家康、参合を希望」
使者が差し出した書状には、表向きの「同盟会議」への参加希望が記されていた。しかし、その文面の行間に、墨で薄く書き込まれた文字があった。
『甲賀流変装術研究会、同時開催希望』
千鶴の手が、わずかに震えた。徳川家康は、戦国きっての変装術研究家として、密かな人気を誇っていたのだ。その技術は実戦でも活用されているという。
「光秀様」千鶴は冷静さを装って言う。「例の四十二室の配置、見直す必要がありそうです」
「承知いたしました」光秀の返事には、わずかな焦りが混じっていた。「ただ、問題が」
「何でしょう?」
「徳川殿の変装術研究会と、加賀の甲冑同好会が接近すると...」
利家が言葉を継ぐ。「甲冑の着脱技術と変装術が結びつき、想定外の事態に」
三人は顔を見合わせた。清州城という一つの空間に、これほど多彩な「趣味」が集まることの危うさを、改めて実感する。
「ところで千鶴様」光秀が新たな報告を始める。「京の町で、噂が広がっているとか。清州城で『何か』が起こるという...」
その時、城下から太鼓の音が響いてきた。朝市の開始を告げる合図である。千鶴は城の窓から、活気づき始めた町を見下ろした。
商人たちの間でも、この「同盟会議」の噂は広がっているはず。しかし、その実態を知る者は、ごく一部の「同志」たちだけ。
「では、参加の意向を信長様に」千鶴は使者に向き直りかけた。
だが、その言葉は中断された。今度は城門からの驚愕の報せ。
「上杉軍の旗印が見えます!」
まさか。予定より一週間も早い。
そして千鶴は、自分の机の上に積まれた『上杉謙信絵巻草子』の最新刊を、慌てて箱に隠すのだった。