六
夜明け前の清州城は、いつもと違う緊張感に包まれていた。
「城内の空き部屋、すべて点検済みにございます」
千鶴は、侍女頭から受け取った報告書に目を通す。父・信秀の時代から仕えてきたベテランの女官は、若き姫の新たな役目に戸惑いを隠せない様子だった。
「美濃攻めの同盟会議とは申せ、これほどの規模での宿泊者の受け入れは...」
「心配ご無用です」千鶴は凛とした声で答えた。「すべては兄上の采配。私たちは、その意図を形にするだけ」
しかし、その言葉とは裏腹に、千鶴の心は複雑に揺れていた。総合奉行という重責。しかも、その実態は大規模な同人即売会の主催者という、誰にも言えない真実。
「千鶴様」明智光秀が恭しく姿を見せる。「宿割りの原案が出来上がりました」
差し出された図面には、緻密な計算に基づいた配置が記されている。各大名家の格式や、普段の関係性、そして密やかな趣味の傾向まで、すべてが考慮されていた。
「さすがは光秀様」千鶴は感心して図面を見つめる。「上杉家と武田家は完全に離れていますね」
「はい。また、それぞれの近くに、『最強武将論』派と『恋愛物語』派の部屋を配置しております。万が一の衝突を防ぐため」
その時、廊下を駆ける足音が響いた。前田利家が、珍しく狼狽えた様子で飛び込んでくる。
「千鶴様!大変です!」
「何事ですか?」
「加賀より急報が!」利家は息を切らしながら報告する。「我が同好会のメンバーたち、なんと甲冑の製作に夢中になりすぎて、一晩で三着も完成させてしまい...このままでは、運び込む荷物が膨大な量に」
千鶴は思わず頭を抱えそうになるのを堪えた。城内に大量の甲冑を搬入するとなれば、その保管場所の確保も必要になる。しかも、それらは通常の武具とは異なる、いわば「コスプレ用」の装束なのだ。
「利家様」千鶴は冷静さを保ちながら言う。「すべての甲冑に、ちゃんと『実戦用』という札を付けてくださいませ。見た目は本物そっくりなのですから」
「さすが千鶴様!」利家の目が輝く。「これなら怪しまれることもありませんな」
その時、蘭丸が静かに部屋に滑り込んできた。
「千鶴様、信長様より急ぎのご用件が」
千鶴は身構える。しかし、蘭丸の次の言葉は、誰もが予想だにしなかったものだった。
「なんと、徳川家康殿より使者が」蘭丸は声を潜めて続ける。「『同盟会議』への参加を、強く希望されているとか」
千鶴の表情が強張った。徳川家康—その名は、単なる一大名としてではなく、密かな「同人界」では別の意味を持っていた。なぜなら彼は...。