私らしく生きるとは・4
クロエのこれまでとは違う行動に、眉を顰めたのはケネスだ。
「最近、どうしたんだい? クロエ」
「お兄様」
「今まで、ひとりで領地へ戻ったことなどないだろう。母上が心配なさっているよ。一体どうしたんだい?」
これまで、クロエはあまり王都から出たことが無かった。
イートン伯爵領でさえ、家族と共に年に一度帰る程度のものだったのだ。
だがこの二週間、クロエは精力的に移動し、視察を繰り返した。
目的を持っていろいろなものを眺めれば、これまで見ていたのとは違う側面も見えてくる。歴史書に一文で書かれたことだって、多くの事象が絡まり合って起こったことなのだと、実感させられた。クロエにとっては楽しい視察旅行だっただけに、咎められるとは思っていなかった。
「別におかしなことはしてないわ。調べたいことがあって。それで」
「孤児院や修道院にも顔を出していたと聞いた。……母上はね、おまえが修道女になろうとしているのではないかと心配している。そこまで嫌なら結婚などしなくてもいいから」
どうやら、クロエが出家するのではということを危惧していたらしい。あまりにも予想外だったのでクロエは逆に笑ってしまった。
「やだ。そういうことじゃないわ。修道女になる気なんてない。孤児院について調べているの。改善点があるんじゃないかと思って」
「どうしてお前がそんなことを? 孤児院の管轄は母上だろう」
ケネスが不思議そうな顔をしたので、調子に乗っていた横っ面を叩かれたような気持ちになり、クロエはなにも言えなくなった。
バイロンのように、クロエがやってみればいいとは誰も思わないのだ。自分を理解してくれている兄でさえこうなのだから。
分かってもらうには、ちゃんと説明しなければならない。だが、兄に反対されるのは怖い。
「……バイロン様とお話していてね。国のために、無駄や改善点を見つけたら教えて欲しいと言われているのよ。決して悪いことはしていないわ」
嘘は言っていないが、やや言い訳がましくなってしまったことが何だか気まずい。
ケネスは軽くため息を着き、クロエの肩をポンと叩いた。
「……ほどほどにするんだよ」
クロエの両親は保守派だ。女は家を守るのが普通だと信じて疑っていない。
ケネスは表立ってそういうことは言わないが、この態度を見れば、心から女性躍進に同意しているわけではないのが分かる。
チクリと胸が痛む。だけど、変にやる気がみなぎってきた。
「私にだって、……できるわ」
集めた資料を握りしめ、クロエはぼそりとつぶやく。兄に対して反発心を抱いたのは、もしかしたら初めてだったかもしれない。
*
その日のお茶会では、最初からアイザックとバイロンが同席していた。
「なかなかいい見識だ。女性の視点というのは新鮮なものだな」
感心したように言うのは、アイザックだ。いつもならケネスが側近として着いているはずだが、今日はいなかった。
聞くと、平民議員と貴族議員のいざこざが起こり、仲裁しに行っているらしい。
「だろう。クロエ嬢は有用な人材だよ。他にも、以前もらった意見にこういったものがある。儀式の予算削減案だ」
「ふむ。そうですね。たしかにこの辺りは重複している。慣例だからと気にしていなかったが、無駄だと言われればその通りだ」
アイザックはもともと、女の意見だからと無下にするようなタイプではない。ケネスが一番の親友として大事にするので、対抗心からいつも厳しく当たってしまうが、彼自身は柔軟な考えの持ち主だとクロエも認めていた。
「今、クロエ嬢に、孤児院運営のプランニングをしてもらっているんだ」
「孤児院ですか?」
「ああ。国民は国の大事な財産だろう。無駄に転がしておくのは惜しい。有能な人材を引き上げれるシステムを作りたい」
「それを、クロエ嬢に?」
「ああ、なかなかの見識の持ち主だよ。私はできると思う」
バイロンは今日も楽しそうだ。発言の端々から認められていると感じられ、そのたびにクロエの胸が変に疼く。
クロエは、バイロンという人間が、よくわからなくなっていた。
読んだ本の数だけ、交わした言葉の数だけ、彼に対してのイメージが塗り替えられる。
ここのところ、彼と話して失望したことは一度もない。それどころか、感心されられてばかりだ。
(……変な人)
クロエが昔見ていたバイロンは、こんな人ではなかった。
自分が王位継承者であることを鼻にかけていたし、アイザックに対する態度も敵意に満ちたものだった。
当然ケネスもバイロンのことは嫌っていたし、兄が嫌うならとクロエ自身もいいイメージを持っていなかった。
ところが、王位をあきらめた今は、打って変わってアイザックに協力的だ。
はっきり物を言うけれど、出すぎるところはない。
こうして改めてみれば、バイロンは知識も豊富だし、ナサニエル王とともに執務に携わった経験もある。
自分の利権を主張する貴族の意見を、ただの愚論と一蹴するだけでなく、一度は聞き入れ、その後もっと有用な意見を持ってねじ伏せる強さもある。
(……王には向いた人だったんだわ)
体さえ壊さなければ、何の問題もなく王になれる人だったのだと思うと、クロエは胸の奥がチクチクする。
「バイロン様は博識ですから、あなたより、王に向いているのでは?」
不敬とは知りながら、昔馴染みのよしみでアイザックに向かって直接言ってみると、彼も素直に頷いた。
「俺もそう思うよ。兄上に継いでほしいとも頼んださ。それでも、頷いてはもらえなかったが」
「そうなんですか」
「だが手伝ってはくれると言ってくださった。実際、国を動かすなど、個人ができることではないしな。信用できる人にサポートしてもらえる俺は幸運なんだろう」
屈託なくアイザックが笑う。
兄弟関係が驚くほど好転していることにも、驚きを隠せない。
アイザックだって昔は、兄や弟に対抗心を丸出しにしていたのに。
「そろそろ、難しいお話は終わりにしませんか? お茶の準備が整ったそうです」
呑気な声が場を和ませる。ロザリーが運び込ませた大きめのテーブルに、三段のスイーツタワーが置かれていて、紅茶の香りが漂っていた。
「ロザリー。悪かったな、放っておいて」
「いいえ。難しい話は私には分かりませんから。でも、おいしいお菓子は分かりますよ。今日はレイモンドさんにババロアを頼んでいたんです。クロエさんが来るんですもの」
ふわりと柔らかいロザリーの笑顔に、アイザックだけでなく、クロエも和んだ。
たまに、力を抜くことは大切なのかもしれないと、思うのは彼女と出会ってからだ。
昔はがちがちだったアイザックの変わりようを見るとそう思う。
両親や世の中が望んでいるのは、周囲を和ませ、癒しを与える彼女のような女性だったのだろう。
(でも、分かってしまった。私には無理なんだわ)
ロザリーのように、人を和ませるのはクロエには無理だ。なりたいと望んでもいない。
(私は、……お兄様たちみたいに、生きていきたいんだわ)
目的のために走っていく、男のような生き方をしたいのだと気づいて、軽く落ち込む。
少なくともこの国に、女性がそんな風に生きる基盤は用意されていないのだ。