私らしく生きるとは・2
「クロエ嬢も、自分の望みがなんなのか、よく考えてみるといい。時間はたっぷりかけて、自分が本当に望んでいることを見極めるんだ」
「私の?」
「ああ。察するに、自身の主張と貴族の常識がかみ合っていないことを憂いているように思えるのだが」
その通りだ。今の自分のままであろうとすれば、貴族社会で認められない。そのアンバランスさがストレスを生む。
「はい」
「憂いているだけでは何も変わらない。考えるんだ。その憂いを晴らす方法を。どうすれば、結婚しなくてもいいと言われるのか。そのためにどんな手段を講じればいいのか。――これを」
バイロンが、机に有った本をクロエの方へと押し出してきた。
「これは?」
「女性の権利について外国で書かれた本だ。こっちは奉仕活動に一生を費やした女性の伝記だ。これは国の法について書いてある。法を守るのはまあ大切だろう。では、法に触れないように、君が君らしく生きられる方法を探してみてはどうだ」
それはクロエにとって、予想もしていなかった提案だった。
良家のお嬢様で、望んだものは与えられるクロエは、自分が置かれている立場をよく理解していた。
イートン伯爵家の家名を汚さないようにすればこそ、自分には恩恵が与えられるのだと。
現状に不満があり、それを隠す気はない。だけど、それを変えていくだけの気概はなかった。
女性が変革を求めれば、非難の目で見られるのは必至だ。当然、家族も同様に非難され、名誉を傷つけられる。
大切な家族に不利益を与えるようなことはしたくなかった。
だから、バイロンの提案は頭をかすめることはあっても、実行してはいけないと自分で言い聞かせてきたことだった。
「自分で……?」
「そう。君は向学心があるようだし、不満だけを燻ぶらせているよりは、余程建設的だと思うがどうだ」
「でも」
「ひどい言い方をするようだが、人には人の役割がある。令嬢は政略結婚で家を支えるのが通例だろう? だが、君はその役目を放棄している。だったら、君だけの役割を見つけるべきだ。ただプラプラしている時間がもったいないだろう」
そう言われて、クロエは思わず笑ってしまった。
「……なんだ? 私はおかしなことを言ったか?」
「いいえ? でも殿下の口からもったいないが聞けるとは思わなかったので」
クロエが口元を押さえて笑うと、バイロンも小さく笑った。
「たしかに。前はなにかをもったいないと思ったことはなかったな。これでも隠れ住んでいた間は節約生活を強いられていてな。ずいぶん庶民派になったつもりだぞ、私は」
「偉そうに言うことですか」
「調子が出てきたな。なにせ、普通ならば体験できないことを多くしたせいか、私は変革に寛容になったんだ。君が女性の権利を変えたいというなら力になろう」
「……考えてみます」
力強く、さわやかな笑顔だ。クロエが持っていたバイロンのイメージは、今日の会話ですっかり一新されてしまった。クロエは改めて渡された本を眺め、じっと彼を見つめる。
「どうした?」
「バイロン様に先に帰っていただかないと、私も帰れませんわ」
きょとんと眼を丸くしたあと、バイロンはクシャリと顔を緩ませた。
「それもいらぬ慣例だな。まあいい。では私が君を送っていこう。一度イートン邸を見てみたかったんだ」
「はっ?」
クロエは目を剥いた。まさか送っていくなどと言われるとは思わなかったのだ。
「い、いえいえ。バイロン様にそんなことさせられません」
「送るのは御者だ。私は添えものだと思っていればいい」
どこの世界に、王子を添え物だと思える人間がいるというのか。
クロエはいらだつのを通り越して呆れてきた。
「分かりました。好きになさってくださいませ」
「では行こうか。ああ、この本の借用手続きは君が済ませてくれ」
言われて、本を持ち上げると、ズシリと重みが腕に加わった。
クロエの頭の中に、自己責任という言葉が浮かぶ。
(なるほど。責任の重さというやつね)
自分で決めて行動するということは、責任も自分で持つということだ。
よくいう〝自由〟や〝権利〟には必ず〝責任〟が付随する。
バイロンが借りてクロエに渡すこともできる。けれど、そうすれば、この本に関する責任はバイロンが持つことになるのだ。
自分の道を切り開こうと思うなら、自身で責任を取れということなのだろう。
「……バイロン様は、私が思っていたのとは少し違いますのね」
バイロンは皮肉気な笑みを返した。クロエは一瞬ドキリとする。
「どう思われていたのか知らないが、人は変わるものだろう。生まれたときは原石で、生きながら研磨されていくものだ。どんな人間と出会うかで磨かれ方は変わるだろう。今の私は君にとって、研磨の失敗した宝石か? それとも美しい宝石に見えるか?」
少し考え込んで、クロエは答えを得る。
「美しく磨かれていますわ。思っていたよりもずっと」
「だろう。私も今の自分が気に入っている。クロエ嬢もそうあれるように努力すればいい」
差し出された腕に、遠慮がちに手をかける。
一瞬、周囲がざわめいたが、この程度のエスコートは普通に行われるものだ。
ただ、クロエがそれを受けるのが珍しいというだけ。
(そう。……それだけよ)
言い訳みたいに、クロエは心の中だけでつぶやいた。