結婚なんていたしません!・2
今日は天気がいい。コンラッドの瞳の色に似た薄い青空に、白い雲が不揃いに並んでいる。彼の栗色の髪が風を受けて軽く揺れる。
彼の母親であるマデリンが王城を去った今、彼の容姿は、王家には異質のもののようにも見える。
「……元気だったか?」
「ええ。おかげさまで息災です」
ふたりは、花咲き乱れる中庭を歩いていた。スミレが咲いたと言っていたが、ここは年中なにかしらの花が咲いている。敢えてスミレを探さなくても十分綺麗だ。
コンラッドは、歩きながら自領となったグリゼリンのことを話している。
領土の大半が山で、いまだ開発途中の土地。まだまだ領民との意思疎通がうまくいっているわけでもないらしく、苦労は絶えないようだ。それでも、バイロンが選んでつけた側近が、なすべきことをひとつひとつ考えさせてくれるのだという。
「今はようやく、自分が領主なのだという実感が湧いてきたところだな。こうしてみると、王になると言っていたころは何も考えていなかったのだと、あらためて気づかされる」
すっかり角が取れ傲慢さが消えた彼は、どこか少年のようだ。
新しくできるようになったこと、気づいたことを、楽しそうに話し、愛情を視線でありありと示す。
(悪い人ではないから、余計タチが悪いわ)
子どものような愛情表現は、別の人間が見れば、かわいいとも思えるだろうと思う。だがクロエにとっては、向けられる感情が重い。
彼に対して、恋愛感情はないのだ。改心したとはいえ、媚薬を盛られそうになった恐怖は消えない。
嫌いではないからといって、愛せるかどうかはまた別問題だ。
だからこんな風に好意を寄せられることは、本音を言えば迷惑なのである。
「でな、山頂に古代文明の跡地が見つかったんだ。一年計画で発掘チームが入ることになった。クロエ嬢、歴史に興味があっただろう。どうだ? 一度、領地に遊びに来ないか?」
山頂の古代遺跡となれば、誰だって興味はそそられるだろう。うまく発掘調査が進み、整備ができれば、観光地として活用できる可能性もある。コンラッドにとっては朗報だろう。
クロエも歴史学には興味があり、好奇心はくすぐられる。けれど、未婚の令嬢が独身男性の屋敷に滞在すれば、変な噂が立つのは必至だ。そうなれば父も母も、クロエの名誉を守るためその相手との結婚を考えるだろう。
周りを固められたら、クロエだって結婚を断れなくなる。
少し悩んでから、クロエはお茶を濁すような形で断った。
「……せっかくですが、私はしばらく王都を離れる気はありません。お兄様とのお約束も溜まっていまして」
「ケネスか。君は彼のことばかりだな」
「大事な兄ですもの。……あ」
噂が人を呼ぶのか、先ほどバイロンたちとすれ違った廊下の窓際に、いつの間にかケネスがいた。バイロン王子となにやら話し込んでいる。
「お兄様!」
はしたないと言われようと知ったことではない。
クロエが思い切り手を振ると、ケネスがその姿に気づいて手を振り返す。彼は、傍にいるのがコンラッドだとみて取ると、「クロエ、すぐ行くからそこに居なさい」と声をかけ、窓際から姿を消した。
コンラッドは肩をすくめ、バツの悪そうな顔をした。
「やれやれ。見つかってしまった。君の兄上には嫌われているんだ」
ケネスがコンラッドを嫌うのは、彼が昔、クロエを傷つけたからだ。自業自得だろうと思う。
だがそれを言葉に出すのはやめておいた。
「私は、お兄様が大好きですわ」
優しくて、頼りがいがあって、賢い。
どんなことがあっても、クロエを嫌わず守ろうとしてくれる。
許容範囲が広く、クロエがどんなに辛辣な言葉を口にしても、たしなめることはあっても許してくれた。
クロエは絶対的にケネスを信頼している。
すぐに、ケネスが中庭を駆けてきて、クロエをかばうように背中に隠す。
「これはコンラッド様。自領にお帰りにならなくていいのですか」
「来た早々帰そうとするな。アイザック兄上から聞いてないか? ひと月ほど滞在して、発掘調査のための人材を調達する予定なのだ」
「そうですか。では学術院に声をかけておきましょう。休暇期間になれば学生が多く参加するでしょうし」
胸元から手帳を取り出し、メモしていく。
そんな姿も素敵だと、クロエは目を輝かせながら見つめた。
一通り話し終えても立ち去る様子のないケネスに、コンラッドはげんなりとした様子だ。
「ああ。……あの、ケネス。俺はクロエ嬢と話がしたいんだが」
「あいにくですが、クロエはそろそろ屋敷に戻します。結婚前の令嬢ですので、独身男性とふたりきりにさせるわけには参りませんから」
「では求婚者ならばどうだ」
そう言うと、コンラッドはケネスの手を押さえ、背中に隠れているクロエを切なげに見つめた。
「過去に君にした失礼は謝る。だから今の俺を見てはもらえないだろうか。領民を知り、彼らに尽くしつつ、自領の利益を確保するため、これからも尽力することを誓う。そのために、君にも力になってほしい。許してもらえるならば、俺はイートン伯爵に申込に行くつもりだ」
クロエは困り、目を伏せた。
結婚させたい両親は、もしかしたらクロエが望まぬ相手だとしても了承してしまうかもしれない。
考えあぐねて困り果てたクロエに、救いの手を出してくれたのはやはりケネスだった。
「申し訳ありませんが、一度でも妹を怯えさせた相手に、嫁がせる気はありません。両親も俺も、クロエの幸せを願っています。イートン伯爵家の発展よりも、大事なことです」
「お兄様……」
だからケネスが好きなのだ、と思う。
相手が誰であろうと、彼は怯んだりしない。
「……分かった」
しおれたのはコンラッドの方だ。未練の残るようなまなざしを残し、中庭から立ち去った。
*
あきれたように窓からその様子を眺めていたのはバイロンだ。
「やれやれ、難攻不落とはこのことだな」
今のコンラッドならばそこそこの良縁相手だと思うのに、一家そろってこの態度なことに半分呆れてしまう。
「お兄様。会えると思わなかったからうれしいわ」
クロエの甘えた声が聞こえ、バイロンは興味深くイートン伯爵家の兄妹を見つめる。
クロエは、先ほどとは違う明るい笑顔で、ケネスの腕に抱き着いていた。
「こらこら、いつまでも子供じゃないんだから」
「いいじゃない。ねぇ。お兄様はまだお仕事終わらないの? 一緒に帰れない?」
「悪いね、クロエ。今日はまだ仕事が残っているんだ。気を付けてお帰り。お前を狙うハイエナが今月中はいるらしいから、あまり城には来るんじゃないよ」
「はぁい」
ケネスは伯爵家の馬車を門前に移動させるように従僕へ言いつけ、自らクロエを連れて、城内へと戻っていった。
「仲が良すぎるんじゃないのか? イートン伯爵家は」
少しばかり呆れたようにつぶやいた後、バイロンも自らの執務室へと戻っていった。




