恋という名の甘美なる果実・1
イートン伯爵邸には、ちょっとした嵐が舞い込んできていた。
「だから、クロエ嬢との結婚を認めていただきたい!」
「……コンラッド様。そのようなお話を私の一存で決められるわけがありませんわ」
イートン伯爵夫人ケイティは、頬に手をあて、突然やってきた元第三王子を前に困っていた。
先ほど、夫と息子には、すぐに屋敷に戻るように使いを出した。クロエはいない方がいいだろうとの判断で、娘には出していない。
ケイティはコンラッドを応接室に招き、お茶とお菓子でもてなした。
お菓子はクリスが作ったものだ。ケイティは「まあ落ち着いてくださいませ」と笑って、彼の動向を見守った。
コンラッドは菓子には目もくれず、お茶を一気に飲み干した。
「その、……急な話だと思っているだろう? だが、俺はずっと彼女のことを思っている。必ず幸せにすると誓う。だから」
「コンラッド様のお気持ちは分かりましたが、そのお話は夫のいるところでお願いいたしますわ」
にっこり笑って、ケイティは侍女に再びお茶を入れさせる。
「どうぞ、菓子でも召し上がって、夫の帰りをお待ちくださいませ」
「あ、ああ」
だが、コンラッドは落ち着かないのか、お菓子を掴むとこれまた一気に口に突っ込み、所在なげに足を揺らした。
ケイティはすべて冷静に観察し、心の中でバツを付けた。
コンラッドはやることなすこと順序が違う。貴族の令嬢を娶りたいのであれば、まずは父親に打診するところからだ。彼が城内にいると分かっているのに気持ちが先走って屋敷を訪れるあたり、思慮の深い人物とは思えない。
加えて、いくら気もそぞろだといっても、出された茶菓子の感想も言わなければ、味わおうとさえしないところもいただけない。
なにより気に障ったのは『必ず幸せにする』などと軽々しく口走ったことだ。
娘が一緒に来ていないということは、すでに彼女の気持ちは無視していることと同義だろうに。
ケイティは早く娘に結婚してほしい。だけど、相手は誰でもいいわけではないのだ。
「コンラッド様がいらしていると?」
息を切らせて入ってきたのは、イートン伯爵とケネスだ。
「あなた。お早かったですわね」
「ケネスが、コンラッド様がわけのわからないことを口走って城を出ていったというからね。ああ、君の出した使いとは途中であったよ。そのまま城に、私とケネスが抜けた理由を説明させに行かせた」
「かしこまりました。あなたとケネスの分のお茶も用意しましょうね」
ケイティは立ち上がり、ソファの席をふたりに譲った。メイドに、お茶と菓子の追加を頼む。
「さて。コンラッド様。突然の訪問の理由を伺ってもよろしいですかな」
ソファに腰掛けたイートン伯爵はにこやかにほほ笑み、ケネスはその後ろに立ち、威圧感のある瞳でコンラッドを見つめる。
「わ、私が以前よりクロエ嬢に思いを寄せていることは、イートン伯爵もご存知だと思う」
「ええ。何度か贈り物をくださいましたね」
「まだクロエ嬢から明確な答えをもらえたわけではないのだ。だが、彼女ももう二十歳になっただろう。由緒正しい貴族階級の娘の結婚としてはすでに遅いくらいだ。これ以上遅くなっては、彼女だけでなく、伯爵の体面にも関わる。決して無理強いはしない。クロエ嬢の気持ちが変わるまで待つ気はある。だが、せめて婚約だけでも、させてはもらえないだろうか」
耳まで赤く染めながらそう告げるコンラッドは、まるで初心な少年のようだった。
ケネスは呆れたようなため息をつき、伯爵は笑顔を絶やさぬまま続ける。
「クロエの気持ちが変わるまで待つとおっしゃっておられますが、こうしてひとりで来られたこと自体、お言葉と反対の行動だとは思いませんか」
「なに?」
「私どもはたしかに、クロエに結婚してほしいと思っています。イートン伯爵家の娘として、良家に嫁いでもらい、家同士のパイプを太くしたいと願うのは当然のことでしょう?」
「だろう?」
「……ですが今、あの子は結婚せずとも私の仕事をやりやすくしてくれています。初の女性補佐官として名を馳せましたからな。まして、仕事の評価もなかなかのものです。誰と会っても、あのクロエ嬢の御父上かといわれるものですよ。いや、鼻が高い」
軽く頬を染めながら、伯爵の娘自慢が始まる。コンラッドは困惑しながらそれを聞いていた。
「そういうわけでね、家名を支えるための結婚ならばしてもらわなくてもいいのです。それと同等の働きを、クロエはすでにしてくれていますから。あの子が結婚するならば、あの子自身が、一緒にいて幸せだと思う相手を選んでほしい。……少なくとも、娘の意向を無視して直接私のところへこられるコンラッド様には、お任せすることはできません。申し訳ありませんが」
コンラッドの顔色が、赤から青へと変わっていく。ぎり、と奥歯を噛みしめ、「なぜだ!」とヒステリックに叫び、拳を机に打ち付けた。
「……そういうところが駄目だと言ってるんですよ。コンラッド様」
口を挟んだのはケネスだ。まるで虫でも見るような冷たい瞳で、心底軽蔑したとばかりに鼻を鳴らす。
「簡単に言えば、時代が変わったのです。あなたの言う、古臭い結婚観を悪いとは言いませんが、クロエはもうその場所には立っていない。それが分からないようなら、これ以上クロエに近づかないでいただきたい」
すっぱりと言い切られて、コンラッドは言葉もなかった。
「なぜだ。俺には分からない」
「でしょうね。だから駄目なんですよ。お帰りください。ああ、クロエにいやがらせするのもナシですよ。もしそんなことをしたら、俺は今度こそ全力であなたの邪魔をしますから」
「こら、ケネス。失礼だぞ。……コンラッド様、そういうわけです。お帰りいただけますか」
言葉は柔らかいが、伯爵の方も取りつく島はない。完全に、対象外だと言われている。
「……分かった」
すっかり肩を落として、コンラッドは立ち上がった。
最後になにか負け惜しみじみたことが言いたくて顔をあげたが、なにも思いつかず口を閉じた。
イートン伯爵は微笑んで、コンラッドを見送った。その笑顔には、蔑むような色はなかった。




