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結婚なんていたしません!・1

 アイザック第二王子とロザリンド・イートン伯爵令嬢の婚姻が結ばれてから一年。

 常に妻の様子を窺い、どこにでも連れて歩こうとするアイザック王子は、愛妻家の名を世間にとどろかせている。国中の貴族が、すぐにでも次のお世継ぎも誕生するだろうと、下世話な噂話に花を咲かせるくらいには。


「で、どうなんですの。実際のところ」


 専門家が厳選した香り高い紅茶を一口含み、クロエはロザリンドことロザリーに問いかける。

 ここは城の三階にある一室だ。王太子妃ロザリーの義理の姉にあたるクロエは、彼女の話し相手として、時折城を訪れている。

 細かい意匠を凝らしたパールベージュの清楚なドレスを着て、ロザリーが微笑む。ふわふわとしたピンクブロンドが揺れて、周りの空気も柔らかくなったように感じられた。

 最初にロザリーを見たとき、クロエはなんて田舎娘が来たものだろうと思ったものだ。

 男爵令嬢だというが、まだマナーさえ習得できておらず、平民と間違えられてもおかしくはなかった。

 その彼女も、今は立派な王太子妃だ。

 そこに至るまでには、クロエの母に令嬢教育を受けたり、伯爵家に養子に入ったりと様々なことがあったのだが、ここでは割愛する。


「そんな。まだまだですよう。私はまだ十八ですし。ザック様もしばらくはふたりの生活を楽しみたいとおっしゃってますし」


「ふうん」


 それはすなわち避妊をしているということだ。

 結婚したのに……とは思うけれど、子どもが子どもを産むような事態になるよりいいとクロエは思った。

 ロザリーは普通の女性より成長が遅めだ。まだ背も伸びているようだし、顔つきも子供らしさを抜けきれない。妊娠が及ぼす体への負担を考えれば、もう数年待って体が成熟してからのほうがいいだろう。


 それでも、ここ一年でぐっと女性らしくはなった。体は以前よりも丸みを帯び、括れるところは括れてきている。


 今初めて彼女を見た人間ならば、美しい王太子妃だと声を揃えて言うかもしれない。

 一年前は、ずいぶん幼い少女を……と『アイザック王子ロリコン説』まで上がったことを思えば、喜ばしい変化であると言えよう。


「まだまだナサニエル陛下もカイラ様もお元気ですものね。アイザック様も帝王学を学ぶのに忙しいでしょうし、いいんじゃないの。子どもが生まれたら、こうしてのんびりお茶会もできないし」


「えへへ。そうですね。クロエさんこそ、変わりはないですか? オードリーさんやクリスさんも元気です?」


「ええ。クリスはいろんなお菓子を作ってくれるわよ。レイモンドからもらっていない?」


 現在、レイモンドは城付きの料理人である。レイモンド自身は城に住み込んでいて、週に一度、オードリーやクリスが厄介になっているイートン伯爵邸へ帰るという出稼ぎ状態だ。


「そういえば、たまにお茶の時間に焼き菓子が付くことがありますね。あれがそうだったのかな」


「おそらくそうね。クリスはレイモンドが帰ってくるとすごく張り切って大量にお菓子を作るんだもの」


 その日は、伯爵邸に甘い匂いが充満しているのですぐわかる。

 一生懸命小さな手を動かしている様子は、見ていてかわいらしい。クロエは菓子作りには興味がないが、クリスが作っているところを見ているのは好きなのである。


「それはいいんだけど。クリスが可愛すぎてお母様がうるさくてねぇ」


 母であるケイティは、子ども好きで愛情深い。

 クリスという幼い子供が屋敷にいることにより、孫を抱きたい欲が再燃しているらしく、毎日結婚しろとうるさいのだ。


 だが、伯爵家の子供たちは結婚願望が無いに等しい。

 クロエとしては、一生兄妹で暮らして、伯爵家を盛り立てて行ってもいいと思っている。

 子どもがいないのなら、親戚筋から養子を取ればいいのだ。自分が母親になれる気はしないが、親代わりくらいにならなれるだろう。


「ふふ。お義母様らしいですね。クロエさんは、結婚には興味ないんですか?」


「ないわね。お母様は二言目には子どもを産むには早いうちじゃないとって言うけど、子どもを産むために好きでもない男と結婚するのは違うと思うわ」


 こんなことを、普通の貴族令嬢に言えば眉を顰められる。だが、ロザリーは違う。自分と意見が違うときでも、クロエの意見として一度は受け入れてくれる。

 だからこそ、彼女と話しているのは心地よかった。


「お母さまは、今頑張らなければ行き遅れると言うの。二十歳を超えれば、途端に求婚の話も無くなりますよ、って。いいじゃない。願ったりだわ。私はずっとお兄様といたいんだもの」


 現在クロエは、十九歳。今も五歳年上の兄を敬愛している。兄さえいれば、別に結婚などしなくても構わないと思うほどに。


「そうですね。ケネス様は頼りがいがありますし、一緒にいると安心できますよね」


 ロザリーの同意に、クロエも気をよくする。


「そうなのよ。お兄様だったら私が何を言っても動じないし、なにか困ったことになっても必ず助けてくれる。そんな人が他にいるとは思えないでしょう? 私を守ってくれるか分からないような人のところへ嫁ぐよりは、お兄様の傍にいたほうが数倍幸せだわ」


「ケネス様もクロエさんをとても大切に思っているのが分かります。……だからこそ、もっと幸せになってほしいと願っているのではないでしょうか」


 穏やかなロザリーの声に、クロエは一瞬動きを止める。

 言いたいことは分かるが、兄といる以上の幸せを、その相手がくれるだなんて、どうやったら分かるのだろう。

 クロエとて、自分の世界が狭いのかもしれないと、思うことはある。けれど、居心地がいい場所から、敢えて出ていく必要性を感じない。


「私の世界が狭いと言いたい?」


「私、クロエさんとお話していると、自分が考えてもいなかったことを教えてもらえて、とても楽しいです。そんな風に世界が広がるのは、悪いことではないと思います」


 母親と違い、ロザリーは押し付けてくることもなく淡々と話す。だからか、その言葉はほんの少し胸に残った。


 その後、ロザリーに別れを告げたクロエは、応接間から退出し、廊下を歩いていた。このまま帰ってもいいが、兄と会うのも悪くない。ケネスはアイザック王子の側近なので、王子の執務室に寄ればきっといるだろう。

 そう考えて踵を返そうとしたとき、向こうからバイロン、コンラッド兄弟が歩いてくるのが見えた。


 コンラッドは今、グリゼリン領主だ。普段は領地にいるはずだが、今日は報告に王都を訪れているらしい。

 クロエは廊下の端に寄り、頭を下げて彼らをやり過ごそうとした。


「クロエ嬢」


 だが、コンラッドは立ち止まると話しかけてきた。

 コンラッドとはいろいろあったので、できればあまり話したくない。

 婚約破棄をしてから、表立って言い寄ってくることはないが、季節の折に贈り物が届いたり、女々しい手紙が来たり、今もクロエに感情が残っているようなことを切々と訴えてくる。

 コンラッドが悪い人間だとは思わないが、恋愛感情はない。スパッと断りたいところだが、相手が臣籍降下したとは言え元王子と思えば、あまり強気にも出られなかった。


「ご無沙汰しております。バイロン様、コンラッド様」


「やあ、クロエ嬢。ロザリンド様のところに来ていたのかな?」


 穏やかに返すのはバイロンだ。金髪に緑色の瞳を持つ、正当な第一王子だが、一連の出来事で王位継承権を放棄しており、王太子アイザックの補佐をしている。 


 毒に体を冒されたため、療養しながら執務を続けていたが、最近は体調もいいようで、起き上がっている姿をよく見かけるようになった。


「ええ。ロザリーは私の妹ですもの」


「義理とはいえ仲が良くて何よりだ」


 にこやかに世間話をして、そのまま頭を深く下げる。

 このまま、さっさと行って欲しいと思っていたクロエの願いは、かなわなかった。


「クロエ嬢、せっかく会えたのだし、少し時間をくれないか」


 その声は、コンラッドのものだ。顔をあげれば、彼の顔は真剣みを帯びていて、尚更クロエの心に影を落とす。 

 クロエは傍らのバイロンに視線で助けを求めた。しかしバイロンは柔らかく笑うと、弟の背中を押した。


「今朝散歩したら、中庭のスミレが綺麗に咲いていた。ふたりで見てくるといい」


 王族にこう言われては、さすがのクロエも従わざるを得ない。クロエは仕方なく、渋々頷いたのだ。


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