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第九話

喉が渇いたな。

梅坂家のリビングで一人、六三四から借りたタブレットで動画として投稿されていた時都の試合を見終えた武蔵は、水を飲むためにテーブル飛び降りた。

床には柔らかいカーペットが敷かれていたが、猫の体は本能的に落下の衝撃を最小限に抑えて猫の耳でも微か拾える程度の音しか出すことはなかった。

転生してから今まで、武蔵は今の自分の体である猫、その性能に度々驚かされることが多く、今回は音を出さぬ体の造りに軽い驚嘆を覚えたのであった。

もしも猫が、自分が生きていた天正から寛永の世に間者として活躍していたなら、大名達の争いも水面下でもっと激しいものとなり、それによって戦の数も増えていただろう。

そうであったなら武士であった自分にも功績をあげる機会が……そこまで考えて武蔵は益体もない考えを止めた。

自分は罪を重ねて畜生道へ堕ちた一匹の猫だ、そして人であった武蔵なる者の願いは実現することなく潰えたのだ、今は自らの剣を人の手に委ねる方法に集中するべきなのだ。

リビングの端に置かれた給水機の傍まで移動、深底の皿に満たされた水を舌で何度も掬い喉の奥に流し込む。

生き返る、六三四はエアコンという冷気が出る機械を動かしたままにしてくれたが、喉の渇きが癒える感覚が与えてくれる涼は格別なものであった。

父と日に焼かれながら諸国を巡っていた幼き日々を思い出す。

水を飲み終えた武蔵はリビングと中庭を隔てるサッシの前に移動すると、カーテンの下を潜った。

窓越しに空を見上げると、照りつける太陽は頂点をとうに過ぎ、地平線へと降下する軌道に入っていてた。

六三四は今ごろ弟子となる条件の言外の条件に気づいただろうか。六三四の行動を隠れて観察して、貫城とかいう娘に依存していることは直ぐに分かった。父と母が傍にいないから仕方がないとは言え、時間が経てば六三四は自立して剣の道を進むめば強くなるだっろうが、それを待っては武蔵の入れ物である猫の体が持たない。

少々荒いっぽいが、依存相手に戦いを挑み打ち勝つことを条件にさせて貰った。

直接言ってしまっても良かったが、依存していることに気づいていない状態では、下手に反発されて拗れる恐れがあったのだ。

「拗らせておるのは貫城というあの娘も同じだがな」

 一人言が武蔵の口から洩れた。

 何者かの動く気配、武蔵は視線を空から中庭へと戻した。

「またお主か」

 そこには茶黒に白柄の一匹の猫が、ガラス一枚隔てて立っていた。

薄汚れて所々に傷跡がある、眼光は鋭く、隙を見せれば今にも飛び掛かってきそうな殺気に溢れている。

そういえば新しくボスを座を狙う猫がこの地区に来たと、近所の野良猫達が言っていたのを武蔵は思い出した、目の前のこ奴がそうに違いないだろう。

 大方、昼寝していたのを起こされて怒ったのだろう。人間ならすまぬと言って済ませるところだが、動物の世界でそれをしてはこちらが下となってしまい後々面倒なことになる。何よりも今の飼い主は猫好きなのだ、野心に溢れすぐ殺気立つような猫でも手を指し伸べるてしまうだろう、自分の目の届かぬところで噛まれたり引っかかれたりして病気を移される可能性は看過できない

「貴様! ここが我が恩人梅坂六三四の屋敷であるぞ、お主にのような血生臭い殺気の塊が来て言い場所ではない」

 人の言葉で武蔵は怒号を発した。

野良猫はガラス越しに目を丸くして周囲を見渡したが人が居ないとわかると、もう一度武蔵に目を向け信じられないといった顔をした。

ニヤリと武蔵は笑って「立ち去れ!」と再び怒鳴った、野良猫はビクンと軽く跳ねると一目散に中庭を横切り視界から消え去った。

武蔵は野良猫が消えるのを待って大きく息を吐いた。

まったく、六三四という娘は居ても居なくても手がかかる。

武蔵はカーテンを潜るとソファーに上って体を丸めた。

一眠りするとしようか、どうなる、いや、どうするかは六三四が決めることだ。


 ヌっちゃんに剣道で勝負を挑んで勝つ。

 一時間目の現国の授業を上の空で聞き流しながら机に座る六三四は、その言葉の予想以上の大きさに周囲に気取られぬよう息を吐いた。

剣道の腕前は現在というか小学校の頃から彼女が上であった。

その戦い方は前半は受けに回って相手の手を見ながら有効を取り、後半は隙をついて有効を重ね、機会があれば一本を狙うという明るく開放的な彼女の性格からは考えもつかない狡知な戦術を使う。

六三四は勝てることは勝てるが、直ぐに対策されてしまい、連戦で勝ち越せたことは記憶にある限りはない。

武蔵は貫城に挑み勝ち越すことの他に条件を一つ付けた、勝負の機会は一度だけ、負ければ再戦の機会は無く、弟子の話はそこで終わりである。

文字通り一度きりの真剣勝負。

武士の世とは程遠い現代の剣道、それ不退転の覚悟で挑ませる為の条件であることを六三四は理解していた。

ならば勝負は試合前にどれだけ準備できていたかで決まる。

対策として攻め手を数多く用意する、攻めに特化した練習をして前半戦で勝負をつけられるようにする、相手の有効打を阻止する、この一時間にも満たない間にノートの端に綴った案から幾つか使えそうなものを見つけていた。

対策の方向性はある程度決まった、息を吐くどころか鼻息を荒くして早く行動に移したいと気持ちが逸ってもいいところだろうが、テンションは下降線を辿っている真っ最中であった。

試合は2人でやる以上、必ず相手の出方に付き合わねばならない時間が存在する、それに対応する為には事前に相手の情報があることが望ましく、六三四はこれから貫城を観察して癖や戦い方を観察しなければならない。

 六三四は貫城に自分と同種の問題を抱えている気配をはっきりと嗅ぎ取っていた。

それは遥か昔の小学生当時、六三四から剣道の話を聞いた貫城が自分もやると言い出した後ではっきりと彼女の笑顔が増えたことだ。

その原因を六三四は想像することすら当時はできなかったが、中学生に入り母とすれ違いが生じて家に居場所が無くなりかけて、苦痛になりかけた剣道の練習に何とか逃避しようとした時に、貫城も自分と似たような経験をあの時既にしていたのではないかと思い至ったの出会った。

親友でも何でも話している訳ではない、そっとしておくのが彼女の為だと自分に言い聞かせて六三四はこれまで過ごして来た。彼女の強さを探るためにこれまで以上に彼女に踏み込めば、きっとあの笑顔の原因に行き当たるだろう。

やめておけ、本能がそう警告する。

親子の関係ならそれは綺麗なものじゃなく秘密にしなければいけないような醜いものだろう、そこに踏み込んで7年続いた友情を剣道の弟子入りの為に壊してしまうかもしれない、それでもいいのかと。

「こら梅坂、先生が今何て言ったか言ってみろ」

 いつの間にか現国の先生が机のすぐ前に立っていて、鋭い視線でこちらを見下ろしていた。

「え、え、と、あの、その……」

 言い淀む六三四、周囲の生徒が小さな笑い声を上げ始める、怒られた緊張と恥ずかしさで頭が真っ白になってどうすることもできず固まってしまう。

「今の詩に対する感想は、作者を酷評した評論家への当て付けで幾分過大評価されたもので、当時のある新聞に記載された評論の方まで取り上げるのがいいかと思います、先生」

 その時、凛とした声が教室内に響き渡った。

 授業の内容に対する批判に現国の教師は勿論、教室中の生徒の視線が一斉に声の主へと向かう。

 ヌっちゃん!

 一番最後に目を向けた六三四は、教科書片手に胸を張って立っている親友の姿を認め胸中で驚きの声を上げた。

 もしかして助けてくれたの!?

 六三四の疑問に応えるように貫城が小さく頷く。

「友人を庇いたい気持ちは分かるが、それは時と場合によるぞ」

 現国の教師は明らかに怒る一歩手前の声で貫城に注意をした、明らかに自分の不注意である自覚のある六三四の胸が締め付けられる。

「教科書に書かれた古くて片寄った説を生徒に教えるのは見過ごせなかっただけです

テスト前に体調不良で休んだ分を取り戻そうとするのは分かりますが、いつもの丁寧な授業をする先生らしくないですよ」

 凛とした口調から一転、相手のことを心から慕い気遣う少女がいかにも言いそうな台詞を貫城は甘い声で言った。

 うわー、媚媚、聞いてる此方まで恥ずかしい。

 助けられた事も忘れて、六三四は呆れ返った。

 それを見透かしたように貫城がウィンクをしてきた。

「そ、そうか、済まなかったな貫城」

 現国の先生は六三四への合図を自分へのものと勘違いしたのか、目を泳がせて教壇へと戻っていった。

 先生が彼女に振られたって本当だったんだ。

 生徒の甘えた声で態度変えるなんて単純スギ。

 周囲の生徒が先生に聞こえない小さな声で囁く、先生の醜態を意図せず晒してしまった、ごめんなさい。

 六三四はがっくりと肩を落とした。

 先生が授業を再開する、貫城が視界の端で握った拳の親指を立てた、あの様子だと先生の事情を知り尽くしての六三四救出作戦を瞬時に立案実行したようだ。

 やっぱりヌっちゃんは凄いな。

 六三四も先生に見つからぬよう親指を立て返した。

現国の先生は何事もなかったかのように授業を再開、周囲の生徒たちも直ぐに先ほどの騒ぎに興味を無くしいつも通りの風景へと戻る。

貫城もその風景の既に一部となっていた。

ただ一人、六三四の右手だけが忘れるものかとでもいうように、一度だけノートの上にシャープペンを走らせる。

せめて剣道では勝ちたい、ノートの隅に六三四の決意が刻まれた。


 6時間目の授業終了を告げる電子音が鳴り響いた、今日の授業はこれでおしまいだ、六三四は顔を上げて猫のように背筋を伸ばした。

科学の先生は荷物を纏めて直ぐに教室を出ていき、入れ替わりに入って来た担当の先生は2,3連絡事項を告げると直ぐに職員室に戻っていった。

六三四の通う加古中学校は私立で、先生の数も生徒に対して十分な数を揃えてはいるが目前に迫った夏休みを前に色々と準備に忙しいのだろう、その殆どがここ数日から忙しなく動き始めている。

この分だと、仕事を貯める癖がある剣道部顧問は今日の練習に参加はしないだろう、しおれなら部活中はある程度自由に動けるはずだ。

早々と訪れた親友の強さを探る機会に、六三四は胸の中で小さくガッツポーズ。

教頭に怒られる剣道部顧問の姿がちらりと脳裏を過ったが、ごめんなさいと直ぐに放り投げて頭の中から追いだしてしまった。

鞄を背負い貫城と2人教室を出ると、剣道部部室に寄って竹刀と防具を取り体育館へと向かった。

貫城の怪我は完治済みで後遺症の心配はなし、医者から準備運動不足で剣道をやらないようにと注意をされたと言い、端から見てめんどくさそうにやっている。

更衣室で着替えて剣道部に割り当てられた体育館の一角へ向かうと、部長から予想通り顧問が顔を見せないことを告げられた。

まず始めに剣道部員全員で個別の自主練習が開始、六三四は一人で出来る素振りや足さばきの練習を行う。

武蔵に付き添われの朝練は今も欠かさず続けていて、心なしか以前より速くなっている気がする。

横目で近くで練習している部員達を見る、全学年合わせて30名にも満たない女子剣道部員達、上達しようとトレーニングに励む者は3分の1程度、その他は放課後の軽い運動くらいの緩い動きを続けていた。

取り組みの温度差は無意識にそれぞれを2つのグループに分けた、六三四はというと武蔵を拾ってからいつの間にか3分の1の中に居た。

変わったんだ私、仮の師匠を得て自分に起きた変化を改めて確認した六三四は今度は隣を見ると、貫城が素振りをしていた。

額に汗を滲ませた真剣な横顔が見えた、その手元に目を移すと以前よりも竹刀の振りが速くなっている、彼女も自分と同じく自主の成果が出ているのだろう。

 貫城との実力差は少しは縮まったかと思っていたが、互いに上達して距離は据え置きのようだ。

「視線ちょっと熱すぎ、私の魅力に改めて気づいてくれて嬉しいよ、六三四」

 気がつくと貫城が手を止めこちらを見詰め、聞く者が聞いたら誤解を与えかねないことを言っていた。

 六三四は驚いて竹刀を振りきった姿勢から前につんのめりそうになった。隠れて貫城の実力を計ろうとしていたことがバレたのだろうか。考えてることが顔や態度に出直ぐ出ると人からよく指摘される、貫城はそれを読み取って敢えて的外れな質問で探りを入れてきたのかもしれない。

 運動により速くなった心臓の鼓動、それが動揺によって更に加速、今にも音が聞こえてきそうな錯覚に陥る。。

 師匠に剣道の稽古を着けて貰う条件が親友と試合をして勝つことだ、そう貫城にここで言ってはどうだろうか?

そんな邪な閃きが混乱する脳内を一瞬にして占拠する。

 要は試合をして勝てば良いのだ、武蔵が居ない今、ここで貫城に伝えてしまえば事情を汲んで試合を受けてくれて、手加減の一つでもしてくれるかもしれない。

「ヌっちゃん実は・・・・・・」

 六三四は開きかけた口をつぐんだ。武蔵は武士だ、手を抜いているかどうかなど一目で看破するだろう。

何よりも貫城と剣道をするのは小学生の頃から好きな時間であった、自分が得をするために人を騙すことになど利用したくはない。。

「す、素振りする姿、昔から好きだけど、最近はもっと磨きがかかって綺麗になったんだなって・・・・・・」

 ごめんと心の中で謝って、六三四は竹刀の振りが良くなったことを誇張して言って誤魔化した。

「ぶ、ぶぁか

人前でいきなり綺麗なんて言うなよ、そんなことは2人きりの時だけにしろ、六三四」

 貫城は顔を真っ赤にして視線をそらした。

 まずい、図らずとも六三四は貫城の恥ずかしいスイッチを押してしまった。

彼女は中性的な言葉遣いや服装を好むせいか、綺麗や可愛いという言葉に対する免疫が恐ろしく低い。

 仕事が忙しく身なりまであまり気が回らない医療従事者の両親の元、2人の弟達の面倒を見る立場が彼女の趣味嗜好をそのようにさせたのだろうと、長年側で見てきた六三四は思っている。

家の外の環境でも人を引っ張っていく立場を率先して取る彼女には、自然とカッコイイとか強いといった評価が集まり、可愛いと言ってくれるのは親せきのおじいさん位だと一度だけ照れ臭そうに話してくれた。

「コラ! そこ、いちゃいちゃしない

するなら部活が終わってからにして」

 2人の間に名状しがたい湿った空気が漂う、そこにオクコ部長の注意が風のように飛び込み一気に吹き飛ばした。

六三四と貫城は互いに苦笑いすると素振りを再開。六三四は何とかやり過ごせたと胸を撫でおろした。しかし、周囲を見渡すと近くで練習していた部員たちが距離を取り、その中の幾人かが好奇の目をこちらに向けていることに気づいてしまった。

ヌッちゃん、なんか変に誤解されちゃったよ私たち!

六三四と目が合うとあからさまに顔を背けるので断じて気のせいではない。

貫城に抗議するべく隣で演習する彼女を軽くにらんだ、既に状況を察していたようで口の端を持ち上げて軽く舌を出した、それは相手を手玉に取る悪魔の笑みそのものであった。

それは武蔵が時折見せる顔と、まったく同じ笑い方でもあった。

私、遊ばれちゃってます、よね?

親友飼い猫から自分の扱いに改めて気づいた六三四、その全身から一気に力が抜る、素振りした竹刀があらぬ軌道描いた。

次に出来る親友や飼い猫は天使で!

絶対天使でお願いします神様!

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