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第七話

 勝ったんだ私、勝ったんだわたし。

 六三四はアスファルトで舗装された道を、今にも空へと舞い上がりそうな軽やかな足取りで歩いていた。時刻はもうすぐ午後7時、季節はまだ夏の気配を匂わすだけで陽の入りは早く、空はキャラメル色から薄いブラックコーヒー色へと変わっている。少し冷たい夜風が心地よい、粗暴だが剣道部内では実力者である井上先輩を倒せた、校門から外に出て暫く歩くとようやくそれが現実であったと理解出来た、心臓がドキドキする、頬も少し熱い。

 普段の六三四ならこんなことがあればスマホで貫城か両親に報告するのだが、今日は一番先に伝えねばならない人が居るので我慢ていた。その相手は武蔵だ、認めたくはないが彼のアドバイスと試合途中の乱入で自分は格上の先輩に勝つことができたのだ、礼をいうのは当然だろう。しかし、武蔵は何処に行ってしまったのだろうか? 

 オクコ部長と別れてから武蔵を探したが見つからなかった。女子剣道部に防具と竹刀を置いて教室で鞄を持つと、その足で直ぐに武蔵が消えていった校舎の裏手へと向かった。だが其所に黒猫の姿は無く、探そうとしたが見回りに来た警備員さんに怒られそれ以上の猫探しをすることは出来なくなってしまった。

 武蔵は先に家に帰ったのだろう。

 彼の身を案じて外でうっかり喋らないように留守番させていたが、それを破った事は今回は多目にみよう。今日の一見で黒猫の姿を晒している時は私以外には話かけていないようだ、その証拠にあの後黒猫が喋ったという生徒や先生の姿は見かけていない。中身は剣豪宮本武蔵だ、そうそううっかりは起こさないだろう、これなら少しは外出させてもいいのかもしれない。

 上機嫌で六三四は外灯が灯り始めた夜道を歩いていく、途中ですれ違った通行人は鼻唄混じりに浮かれて歩く女子中学生を見て、ある者は微笑みを浮かべある者は訝しげな目で見るとその全員が離れていった、六三四はそれに気づくことはなかった。

 六三四の足は自然と武蔵と出会った公園へと向いていた。

 最南端にあるすり鉢状態の休憩所兼展望台、舞台演劇に使われるような小さなシアターのような形で備え付けれたベンチは前に行くほど段々と低くなっていて、最前列より先は舞台の代わりに緩やかな傾斜に生える深緑の木々とその向こうに広がる街の明かりが見えた。  

 六三四のお気に入りの場所だ、周囲を見渡すとあの日のように誰も居なかった。今さらになって床に擦った痛みを訴えてきた足の裏を無視して駆け降ると、手すりを掴んで大きく息を吸った。中学生に上がってから恥ずかしくなってやらなくなったが、どうしても自分を押さえられない。

「勝ったぞー!」

 今だ体に残る勝利の余熱を力一杯声に乗せると、肺の空気が空になるまで叫んだ。声は木々を揺らし、驚いた野鳥を何羽かを飛び立たせると街へ向かって消えていった。気持ちがいい、こんな気分は何年ぶりだろうか。

対戦相手を想像して竹刀を振るう練習で目測と実際の打ち込みを一致させたお陰で、雑念が晴れると相手を見切って尚且つフェイントをかけて倒せたのだ、これは運を廃しても自分が強くなった証拠といえるだろう。

「見ましたか、私の実力」

武蔵に会った時に自慢する為の予行練習をしようと、六三四は横を向いて一人鼻を鳴らした。

「うわぁ!」

何とそこには黒猫がいた、しかも六三四が急に声を掛けたせいで驚いて手摺の向こう側へと姿勢を崩して落ちようとしていた。

「落ちる、落ちる、落ちる、この高さ猫でも無理」

「あ、あばれないで!

落ちちゃう、落ちちゃう、落としちゃう」

六三四は暴れる黒猫に爪でも両手を引っ掛かれながらも、何とか展望台側に引き寄せる事に成功、そのまま地面に尻餅をつくと荒い呼吸を繰り返した。

「何で手摺の上を歩いてたの、危ないじゃない」

「危ないのはお前だ

急に振り向いて話かけられたら驚くだろう」

「武士なのに?」

「今は猫だ!」

 そこまで言いって二人の会話が途切れた、お腹を風船のように収縮させ酸素を貪る武蔵、肩で息をする六三四、どちらも互いの姿が可笑しく呼吸が整うと小さく笑った。

「今日はありがとう

練習試合とは言え、私の為に試合に割って入る真似までさせてごめんね」

「謝るなら半端な覚悟で相手をさせられかけた相手にあやまれ・・・・・・このような勝負でお主に潰れてもらう訳にはいかなかったのでな」

 黒猫は照れたのか、そういうと顔を背けた。

 中身が武士でも可愛い、思わず抱き締めたくなったがその前に伝えねばならないことが六三四にはあった。

「私、勝ったよ」

 六三四は腕の中の武蔵の目を見て告げた、自分の助言のお陰だと偉そうに鼻を鳴らされることを予想して、言い返す言葉を脳内で高速検索しておく。

「よくやった、直線的な動きの相手とはいえそれを見切っての左右に素早く移動する陽動、見事であった」

 武蔵は背伸びをすると六三四の頬を右前足で数回つついた、対格差があって頭を撫でられない代わりだろう、子供扱いされたような気がしたが両親や貫城以外の誰かが勝利を一緒に祝ってくれたことは純粋に嬉しかった。

「えへへ、こんな風に勝てるのなら武蔵さんの弟子になってもいいかな」

 そんな言葉が口から溢れた。

 剣を握れない宮本武蔵の生まれ変わりの猫、母のように自分をみかぎるのではないかと恐れ弟子になることを拒んでいたが、彼は私の目を覚まさせる為に自分の信念を曲げて私のために試合の最中飛び込んで来てくれた。

 強くなりたい、同じくらい彼の気持ちに答えたい自分が今は居る。

 不意に六三四の脳裏に母の顔が浮かんだ、あぁきっと流されるだけで応えることをしなかった自分にあの人は見切りを付けたのだろう、そう思った途端胸がチクリと痛んだ。

「このお調子者め!」

 武蔵がそう言うと頬をつついた右前脚で六三四の鼻を小突く、そして腕の中からするりと手摺を背にしてこちらを向いた。

「弟子になって欲しかったんじゃないの?」

「貰った飴が美味しかったんでもっとほしい、そんな次元で弟子入りを語るでない」

 浮わついた弟子入り動機は直ぐに見抜かれ、六三四の弟子入り届けは一蹴されてしまった。

 食い下がろうとした六三四は、不純な動機を一喝すると顔を背けた武蔵の姿に気がついた。いつもならこちらが返事をするまで視線を逸らすことなどない、それはこの一週間で分かった彼の人との向き合い方であった。どうしたのだろうか、怒っているのだろうがそれ以外の理由もあるように見える。

「もしかして、武蔵さんも始めて強い人に勝って私みたいに浮かれちゃったことがあるの?」

 返事はない。

 よくドジをする六三四の姿に貫城が顔を背けることがあった、今の武蔵のそれに似ている気がして当てずっぽうに言ってみたが、どうやら正解だったようだ。

「有馬善兵衛、強敵であったが勝利した

脇差しを抜くと見せかけての左手に持った棒での奇襲、幼稚な策だがどうしても真剣勝負に勝ちたかったのだ

輪廻の果てに猫となってもあれで良かったのかと、相手の隙につけいった勝利を無邪気に喜んでよかったのかと」

 その時の自分の姿と今の六三四の姿が重なって嗜めたのだと、武蔵はすまなそうにいった。

 勝ちは勝ちじゃない、六三四は思った言葉を口にしようとした寸前で止めた。六三四がしているのは剣道、武蔵がしてきたことは文字通り真剣勝負、前者は敗者は負けるだけ後者は敗北は死を意味する。この時、六三四は武蔵を弟子入りを勧めてくる喋る猫程度の認識しかしていない事に気がついた、彼のことを何も知らない、調べようともしなかった。

「それが強さか知るために戦い続けたの武蔵さんは?」

 母に剣道の道に誘われそして見放され一人になった自分と、強さを求めて一人歩き続けた武蔵の姿、何処か似ているような気がした。お前のは命のやりとりがないオママゴト、そう言われてしいまうかもしれないが。

「ふん!100人居ても一人前にすらならない小娘が知った風な口を聞くな」

 武蔵が鼻を鳴らした。

「酷くないその言い方、一人で悩んで落ち込んじゃったのかなって心配したのに」

「一々人の顔色を窺いおって、それがお前の目を曇らせておることに気付かぬのか」

「もっと酷いこと言った、人に優しくしちゃいけなんですか!」

「それは優しさではない、言うかどうか迷っておったが・・・・・・」

 言い争いの最中、武蔵が話を急に切り上げて六三四の腕の中に潜り込んむと、

「静かにしろ、このまま立ち上がってこの場から直ぐに離れるのだ」

と、六三四に向かって小声で囁いた。

「急にどうしたの?」

「静かにしろ、誰か知らぬが階段の上でこちらの様子を伺っておる

この殺気混じりの気配、中々の強者のようだ」

 殺気と言われ六三四の体が強ばった。

 夜の公園、この街は治安が良いとはいえるが中学生が人気のないその場所で一人で居て無事で済む保証とはならない。この前は武蔵であったが、今日は本当に危ない人の接近を許してしまったのか。六三四は猫を抱えながら立ち上がる、鞄を拾って振り返り階段の最上部を見渡すが人の姿は見えない。

「このまま階段をゆっくりと登れ」

「そんなことをしたら襲われちゃうよ」

「袋小路のこの場所で相手の出方を待つ方が危険だ

もしも襲われたらこの俺が相手をしてやる、相手が一人ならこの猫の体でもどうにかなるわ」

 武蔵は任せろと腕の中で小さく頷いた。

 本当に大丈夫だろうか?

 六三四は最初は疑ったが、相手は戦国時代の末期を生きた武士の一人、危険に関する察知と対処能力は自分より上だろうから、この場は従うことにした。

 六三四はおそるおそる階段を登るった。

 背後から冷たい夜風が吹き汗ばんだ体から熱を奪おうとする、しかし腕の中の猫の体温はそれをものともしない程に熱く、何よりも頼もしくて六三四の脚は怯むこと無く動き続けた。

 階段を登りきった六三四、5メートル程離れた所に人影が立っているのが見える。人影は外灯が樹木の枝葉によって作られた影の中に潜んでいた。目を凝らすと、背格好は決して高く無く肩幅もそこまで広く無いことが分かる、大人を想像していたが高校生か大学生位の人だろうか。

 声をかけようとしたが六三四は息を呑んだ、怒っている、目の前の人からはっきりとした敵意を感じる。

 人気のない場所で襲われた剣道部員たち、全て武蔵一人がやったことだと思ったがそうじゃなかったら。もし、本当に辻斬りをやっている人がいたらきっと目の前の人影のように現れるだろう。突如沸き上がった疑問に六三四の体が恐怖で震える。

「飲まれるな、今のお前ならこの程度のことで怯むことはない

胸を張って誰かと問うのだ」

 腕の中で武蔵が背を伸ばして耳打ちして来る、声をかけろと急に言われて六三四は頭が真っ白になった。

「ど、どちら様ですか?」

 恐る恐る人影に向かって問いかける。

 武蔵が言っているのだ、昔武士が使っていた兵法というものの一つだろう。

 影が動いた、ゆっくりとこちらに近づいて来くと外灯の光の下にその姿を現した。

「あ、え、時都さん?」

六三四は予想外の人物の登場に混乱、声に力が上手く入らず武蔵の耳にしか届かなかった。時都は微動だにせず、まるで剣道の試合で相手対峙するかのようにこちらを見ている。彼女の周囲に目を向けるが誰もいない、誰かと待ち合わせでもしているのだろうか?

 そうだとしても違和感が残る、時都はここから少し離れた大都市庵に住んでいる、父は金融と貿易にIT事業と多岐に渡る事業を纏める時都グループの代表で母もその傘下の企業に勤めている、お嬢様という存在なのだ。そんな人が離れた街の無名に等しい小さな公園にこんな遅い時間、一人で居るのは腑に落ちない。誰かを待っているのなら辺りを見渡す素振りをするはず、相手が展望台に居ると思ったのなら降りて来るはずだ、だが彼女は六三四が階段を上りきってから外灯の下に姿を現したのだ、まるで六三四を待って居たかのように。

 まさか、六三四は自信の考えを単なる妄想だと切り捨てた。

 たかだか一度戦った相手、しかもレギュラーの補欠にすらなれない弱小剣道部の無名の部員、試合が終われば記憶から消えてしまうような相手である自分にわざわざ会いに来る理由はみあたらない。

 唯一心当たりがあるとすれば、六三四の余りの弱さに罵声を浴びせられれたことだろう。怒らせてしまった、試合を受けた校長の顔を立てる為に仕方なく出た試合で、弱い選手と当たって腹を立てたのだろう。六三四は反射的に頭を下げて謝ろうとした、だが腕の中の黒猫が小さく鳴いた、その顔を見ると厳しい目付きで首を横に振った。

 六三四ははっとなった、事実が分からない今の段階で相手の思考を先回りをして、怒られないように謝ってしまおうとしていた自分に気づいて。

「何か用ですか?」

 六三四は低く静かに時都に問う、早鐘を打つ心臓が僅かに痛いがここで下手に出てはいけないという気持ちが奮い立たせてくれた。

「元気そうね、剣道はまだ続けているみたいで安心したわ」

 時都はそういうと踵を返して公園の外へと向かってあるきだした。

 六三四は最初何を言われたのか理解出来ずに唯立ち尽くしていた、だが彼女が試合後の罵倒を気に病んで剣道を辞めてしまったのか確認しに来た、それに気づくと沸き上がる怒りで奥歯を噛み締めた。

 それは優しさかもしれないが、対戦相手に対する侮辱だ。

 六三四は小さくなった時都の背中に叫んだ。

「次は勝つ、勝ってやるから!」

 突如夜の公園に響いた大声に、周囲の木の枝で羽を休めていた鳥が一斉にざわめき羽ばたいた。

 時都は振り返らない、足も緩めない、唯右手を空に伸ばすとそこに今飛び立ったと思われる鳥が一羽、その手に止まった、彼女はそのまま外灯の影に入ると六三四の視界からそのまま消えていった。

 ぜぇぜぇと六三四は肩で息をする。

「あれがお前を負かした時都という女子か、あの年齢であの立ち振舞い、なかなかの逸材だな」

 一部始終を見ていた武蔵が腕の中で小さく呟いた。

「しかし、あの身のこなし、何処かで見たような気がするが、はて誰であったか?」

 武蔵は鮮やかに踵を返した時都の姿に既視感を覚えたが、猫の脳では思い浮かべることが出来ず、一人いや一匹首を捻った。

「武蔵さん、弟子補欠でも構わない

私、あの人に勝ちたい」

 燃える六三四の魂が言葉となって口から吐き出された。

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