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第六話

「あの猫、お前が俺にけしかけたんじゃないのか?」

 剣道部員が集まる体育館の隅へと戻ると、井上先輩の嫌みが飛んで来た。

「人の言葉が分かる猫なんていません

先輩、以外とメルヘンなんですね」

「な・・・・・・」

 六三四が嫌みに言い返してくることなど想像していなかったのだろう、井上は絶句した、そしてそれを見た周囲の部員の一人が笑うと咎めるように睨んだ。次にその目は六三四にも向けられたが取り乱すことはなかった。きっと武蔵は居なくなった振りをして何処かで見ているのだろう、一人ではないという事実が恐怖に乱されかけた心を支えてくれているのをはっきりと感じる。

 そうなると目の前にいるのは怖い先輩ではなく、粗暴な一個上の女子生徒にしか見えない。

 六三四の口から小さな笑いが漏れる、井上はそれに気付いたが何か言う前にオクコ部長から竹刀を構えるように言われ舌打ちして従い、六三四もそれに倣い始まりの合図を待つ。

 井上を正面から睨むように見つめる、相手はこれで決めに来るはずだ、遊びはない。これから始まる試合の緊張に神経が研ぎ澄まされる。すると、周囲を囲む剣道部員逹のザワメキ、バスケットボールが床にぶつかる音、ランニングしている人の靴がキュッと鳴る音、それら雑踏が遠ざかり世界が自分と井上、オクコ、そして姿の見えない武蔵の4人だけとなった世界が意識の中で構築された。

 勝負しかない、孤独な世界だ。

「始め!」

 オクコ部長の開始の合図が響いた、次の瞬間にはその存在は切り取られた世界から消えて行くが六三四は気にも止めなかった。

 これまで同様井上がこちらに向かって飛び込んで来た。

 上段の構えからのやや大振りの一撃が頭部に迫る。

 剣道の世界は基本竹刀を体の前に晒して隠すことはない、つまり相手からは丸見え、太刀筋を読ませない方法は大きく分けて2つ、フェイントを混ぜるか速さで相手の視線を振りきり防ぐ隙を与えないかである。

 速い! だが見えない程ではない。

 六三四は左へ移動、右足を引くと同時に左足を軸に右へ回転、攻撃をからぶった井上へと竹刀を打ち込む。

 井上は崩れた態勢を一瞬で整えると返した竹刀で迫る攻撃を弾いた。上の口許に笑み、間を置かずに構え直した竹刀を打ち込んできた。これまで開始と同時に打ち込んできたのはこの隙を作る為の伏線、六三四は後ろへ下がって回避、銅を掠めた竹刀は直ぐに戻っていった。

 六三四は反撃転じる、小手狙いの胴打ち、竹刀の切っ先を素早く動かすして隙を作ったが防がれてしまった。

 攻撃一辺倒かと思われたが防御も固い、冷静に立ち向かうと井上がレギュラーに選ばれるだけの実力者であることを思いしらされた。

 どう崩す? 六三四は井上の攻撃をかわしいなしながら必死になって頭を回転させ解決策を探る。時折、反撃をしているので逃亡行為でペナルティを食らうことはないが、このままでは押しきられてしまうのは明白である。六三四は逃げ続けるが徐々に井上の攻撃速度が増していき予想通りの展開となっていく。

 武蔵さん、思わず心の中でたった一人の味方の名を叫ぶ。

「ほれ、太刀筋が震えておる

お主は焦るとそうなる、悪い癖だ」

 黒猫の口から何度も漏れた言葉が蘇る。

 次の瞬間、かわした井上の竹刀の軌道が直線ではなくなって来ていることに気付いた。

 恐らく逃げる六三四を捉えようと焦る余り、無意識に軌道を変えているのだ、その証拠にそれが負担となって井上の攻撃から攻撃の間の隙が徐々に大きくなっていくのが分かった。

 それなら! 六三四は回避する距離を小さくした、追い詰めたと見た井上は上段から必殺の一撃を振り下ろす。六三四の体が左へ移動、回避されることを見越して井上の視線が右へ動いたがそこには誰も立っていなかった。消えた、焦る井上が六三四の姿を探そうとしたが次の瞬間、頭部に衝撃が走り力強い声に鼓膜を打たれ体が動きを止めた。

 六三四の視界の中で井上の顔がゆっくりとこちらを向いた、防具の金具越しに驚愕に見開き震える2つの瞳、その視線は六三四の顔を離れ今だ打ち込まれたまま頭から離れない一本の竹刀へと注がれると激しく揺れた。

 六三四は追い詰められたと見せかけ小さく回避して井上の間合いに留まりニノ太刀を誘い、次の攻撃が来るよりも速く反対へ移動し面を打ち込んだのだ。

 弱小剣道部とはいえレギュラーとその他の部員の実力には隔たりがある、はずであったが笑い者の六三四が華麗に格上相手に一本を決めた、周囲を取り囲んでいた部員逹は全員が何を見たのか理解できない表情で負けた井上と勝った六三四を見ていた。

「一本! 勝者六三四」

 静寂を切り裂くようにオクコ部長の勝敗を告げる声が体育館の片隅で上がった。

 わたし、勝っちゃったの!?

 六三四はいつの間にか止めてしまった呼吸を再開、今だ驚きの表情で固まる井上からゆっくりと離れる。

 怖くなくなった途端に相手の動きがよく見えるようになった、だから相手の攻撃を誘って隙だらけの頭を竹刀で打った、オクコ部長が一本と言ったので私の勝ちで間違いないだろう。

 他人事のように自分がしたこと、次いで起こった結果を脳裏でなぞる。

 何度なぞっても信じられない、レギュラーとの試合は勿論、他の部員逹と戦って勝率は1割りにも満たないのだ、目の前の光景が現実離れしたものにしか見えない。

 予期せぬ勝利と敗北の呪縛から解放された六三四と井上は、試合開始の位置に戻ると互いに礼をかわした。井上は顔を上げると直ぐに背中を向けて六三四から離れていった。表情はわらなかったが礼をする一瞬肩が震えていた、きっと悔しかったのだろう。2人の試合は井上の提案で一番最後であったので、練習試合はそこで終了、部員逹は解散となった。

 六三四は最後まで夢見心地で、解散後に何人かの部員に何をしたのか話しかけられたが偶然だと何度も答えた、信じたのか飽きたのかそう言うと全員が直ぐに離れていった。

「ありがとうね」

 ただ一人、部長のオクコだけは一人取り残された六三四の肩を叩くいて何故か礼を述べた。

「お礼を言われるようなことは何もしてません

それに私、井上先輩を怒らせてしまいまいました」

 そう言いった途端、オクコは険しい顔をした。

「勝負の世界では勝ちは勝ち、敗けは負け

負けて怒った相手を勝者が気遣う必要なんてないわ」

 負けた友人を突き離した台詞、その声は低くて固い、いつものふわふわして頼りない部長の姿からは想像もつかない言動に六三四は目を剥いた。

「強い者に立ち向かわず、弱いと舐めきった者ばかりに勝負を挑む

そんな人間は機会があったら早めに痛い目を見ておくべきなのよ」

 更に冷たい言葉がオクコの口から漏れる。

「親友じゃないんですか?」

 親しい友人は貫城しか居ない六三四だが、痛い目を見ろだなんて思ったことは一度もなく、目の前の先輩の言ってることが理解い出さなくてもこの一週間で突然強くなったあなたと当てる気だったの、その点は手間が省けて助かったけどね」

 オクコの顔が苦笑いを浮かべる、六三四の中で起こった僅かな変化を彼女は見逃さなかったのだ、もしかすると武蔵と話していたことも既に察知しているのだろうか?

「あの黒猫ちゃんに感謝しなさい

吹っ切れる切っ掛けを作ってくれたんだから」

「は、はい」

 六三四の思考を覗き見たかのようなタイミングでオクコは黒猫の話題を口にした。心臓が殴られたみたいにバクンと一度大きく跳ねた。恐る恐るオクコ部長の顔を見返すと微笑み返してくれた、多分いま自分は物凄く緊張して固い表情をしていて、部長なりに解きほぐそうとしてくれているのだろう、

 オクコとは、部長になる前から2年の先輩の1人という関係でそれほど話したことは無かった。メリットデメリットで動く乾いた人と六三四は思っていたが、友人と部下を思いやれる人で、そして少し冷たく怖い人でもあった。いつもなら負ける練習試合に勝ってしまい、その結果世界が一変して見知った人の別な一面が表に出て来る異世界に迷い込んだ気分だ。

いや、自分はどうせ勝てないと決めつけ見ないふりをしていた世界を目の当たりにしているのだろうきっと。

その時、午後6時を知らせる電子音が体育館の壁面上部に備え付けれたスピーカーから鳴り響いた。部活の終わりを告げる合図だが、何の罰則も無いために、活動熱心な部は聞き流して練習や活動を続ける。六三四の所属する女子剣道部は一部を除いて熱意とは無縁の部だ、必然的に鳴り終わると片づけ下校していく。

「これから顧問に終わったと言ってくるから、少し待っててくれたら名風堂のアイスおごってあげるけどどうする?」

「お母さんが心配するかもしれないので、私はこれで帰ります」

 六三四はオクコから一歩離れて礼をすると、相手の返事を待たずに更衣室へと向かった。友人の為に利用した罪滅ぼしでもしたいのだろうか、今は直ぐに帰ってベッドに早く潜り込みたかった。疲れた訳ではない、練習試合でレギュラーに選ばれている先輩に勝利、その勝利の美酒でふわふわ仕掛けている自分が調子に乗って武蔵の事を話しかねないからだ。

さよなら名風堂のチョコアイス。

六三四は体育館の南にある更衣室で剣道着から制服へと素早く着替えると荷物を持って外に出る。誘いを断った手前、顧問に部活終了を報告しに行ったオクコ部長と手狭な更衣室で顔を合わせるのが嫌だったからだ。だが更衣室に外へと繋がる出口はなく体育館内を通らなければならない、六三四が体育館内に再び戻ると今だ活動を続ける他の部員たちの中、オクコ先輩が一人素振りを続けていたのを見つけ驚いて足を止が止まる。

やる気が無いように見えて実は練習していたようだ、着替えの早い貫城に合わせていたので今まで知りもしなかった。他の部員は兎も角、自分は知らなかった、何処かで彼女を侮っていた自分を恥じて顔が赤くなった。

気がつくとオクコ部長が竹刀を降ろして手を振ってくれた。六三四はお辞儀をすると荷物を抱えて、そそくさとその場を後にした。弱小剣道部でも一人で練習する人がいるかも、そう思っていたが貫城しか知らなかった六三四はオクコ部長も仲間だったと知り、少し嬉しく何時もなら重い防具が何だか軽くなった錯覚を覚えた。

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