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第四話

 六三四が黒猫に襲われた事件から1週間が経っていた。

両親は猫を飼うことに反対するだろう、六三四は反対される事を覚悟していた。六三四の母ー律は次の日の早朝に帰宅、六三四が事情を説明するとなんとあっさりペットを飼うことを承諾してくれたのであった。父さんには電話で話を通して置くからと言い残し、律は着替えを鞄に詰め込むとそのまま会社に戻ってしまった。

 隠れて聞いていた武蔵は飼う許可が降りた事に本物の猫のように燥いだが、六三四は会話中母が一度も目を合わせてくれなかったことが無性に寂しく、それは1週間経っても消えないどころか新しい傷となって胸に残ることになった。

武蔵はその日から六三四を正式に弟子として迎えようとしたが、考えさせてほしいと言って辞退を申し出た。

飼う許可が降りたら考えて上げる、事前にそう伝えておいたので武蔵は渋々ながら首を縦に振ってくれた。

強くなれる、それもあの伝説の剣豪宮本武蔵(が転生した猫)が師匠になってくれる。小学生の六三四ならマンガみたいと、目を輝かせて二つ返事で直ぐに弟子入りしたであろう。しかし、剣道の才能はなく母にも見放されてしまい今度は黒猫にまで見限られてしまうのかもしれない、泥のように濁った考えが頭から離れなくなってしまい、六三四ははいもいいえも言えなくなってしまっていたのだ。

 強くなりたい、だけど師に捨てられない為には強くなければいけないという八方塞がりな状況、猶予がある内になんとかしなければいけない、自分一人で。

六三四は洗面所で顔を洗い猫の涎を落とすと、パジャマからジャージに着替え竹刀を持って道場へと向かった。小学生の頃から日課となっている剣道の朝練をするためである。春を見送り梅雨の季節が訪れにはまだ少し早い時期ではあるが、朝の道場内の空気は冷たく裸足の足で触れた板床はヒンヤリとして、悪夢で乱れた胸が僅かだが落ち着きを取り戻したのであった。

「肩に力が入っている、解せ、解せ

足は踵から地面に落とすことを意識するのじゃ」

 素振りを数セット終えた所で、いつの間に道場に来ていた武蔵からダメ出しが飛んできた。六三四は荒い息を整えジャージの袖で額に浮かんだ汗を拭うと竹刀を構え直した、勿論力み過ぎた肩の力を抜いて。

 六三四は踏み込むと同時に竹刀を振り下ろす、武蔵の助言が功をそうしたのか竹刀の切っ先が狙った通り軌跡を描いた。

 よし! 後はこの動きを忘れないうちに繰り返して覚えるだけだ。

「分かったから、少し黙ってて!」

感謝の言葉とは程遠い返事を返して素振りを再開する。竹刀は振るたびに先ほど近い軌道を描く、武蔵は何も言わない。これで改善されたのだろう。

六三四は襲われたこともあったが武蔵のことを嫌ってはいない、だが剣道に関しては頑として拒否する姿勢を取り続けた。

お礼なんて言ったら、本当に弟子になったみたいじゃない。竹刀を握れない猫ちゃんの手なんか借りるまでもない、自分一人で強くなれますよ。胸の中ではそう武蔵に威勢の良いことを言っている。

ちなみに彼のアドバイスで上達している件に関しては、ネットに投稿した動画に付けられたコメントを拾っているということにしているので、感謝の言葉を口にしない替わりにおやつの「ちゅるん」をあげることで返していると思っている。

弟子になるかどうかは別として、ペットとしてなら武蔵に傍にいてほしい、黒猫はやっぱりカワイイので。

これは本人には言えない、この家で天寿を全うするくらいなら二天一流の後継者を探しに出ていくことを選ぶだろう、例えその相手が見つからないとしても。

 正直その情熱が羨ましい、その火が私にもあればもっと強くなれるかもしれないからだ。

素振りをしながら武蔵を横目で盗み見る。 彼は少し離れた場所で香典座りをしてこちらを見ていた。武蔵はこちらの視線に気づき小さく頷いた、六三四は慌てて視線を正面に戻した。

 嘘でしょう!?

六三四の背中に悪寒に似た何かが走った。

道場での朝稽古中は冬場でない限り電気は付けないので少し暗い、更に面をつけていないとはいえ視線を武蔵に送ったのは1秒にも満たない。夜目が効く猫の目という条件を差し引いても、彼のその目は六三四の眼球の動きを正確に捉え反応して見せたのだ。

飛んでもない動体視力と集中力だ。

昔の武士は皆これ位の能力を持っていたのだろうか、それを考えると幾ら大好きな猫とは言え恐怖を覚えてしまう。

「また迷っておるのかお主

旨くいっているのにまた乱れてきているぞ」

「せ、先生みたいに細かいことあんまり言わないでよ!

何回も言ってるけど私はまだ、あなたの弟子ではあまりません」

「承知しておる

しかし、未熟者を前にして黙っていられる程、人間が出来てはおらんのだ、簡便してほしい」

 なら何で道場に来ているんですか、あなたは!

六三四は胸の中でお節介な黒猫に突っ込むとそれ以上は無視を決めて素振りを再開した。あと5分で朝の7時だ、もう少しで終わりにしなければいけない。体の方のキレは上がった、だが悪夢でぐちゃぐちゃになった頭はというと、黒猫武蔵の存在によって更なる混沌へと叩き込まれた気分だ、正直疲れた。

剣道に対して今一歩踏み込めないでいる六三四、日課となっている朝稽古もそんな態度を反映して上達する気配すらしないまま惰性でこなすものへと止まっていた。そんな朝練だが、武蔵は飼う事が決まった次の日の朝から付き合い始めた。

 六三四の練習に武蔵は時折口を挟んだ、始めは弟子になった訳ではないと口では反発した六三四だが、余りに煩いので一度言われた通りにやると竹刀の振りにキレが増し足さばきから淀みが少し無くなった、以降アドバイスは受け入れるようにしていた、口では悪態をつきながらだが。

 気づくと道場の壁に掛けられた時計を見ると丁度7時、六三四は竹刀を下すと息を整えた。この後、軽くシャワーを浴びて朝ごはんを食べたて登校だ。今日も武蔵が俺も学校に行きたいとごねるのだろう、そう考えると朝練をした以上の疲れが肩に圧し掛かってくるような気がした。

 一息ついは道場の出口に向かって歩き始める、武蔵はというと立ち上がるり素早く六三四の横に並ぶ。

「ご苦労であった

この調子で鍛練に励むがよい」

そして、労いの言葉を口にする。

この1週間毎日同じ台詞、きっとレパートリーはそれ一つだけなのだろう、弟子になった人達や養子となった人はこれを年単位で味わったと思うと同情の念が沸いてくる。

「勘違いしないでね

武蔵さんが言った事は全て、私なら直ぐに気づいたことばかりだから」

 師匠面の黒猫に釘をさしておく、武蔵はそうと知ってか知らずかよしよしと目を細め小さく頷くと駆け足で入り口扉の前に立ち2、3回爪で引っ掻き早く開けろと無言でアピールをする。

「本当に猫みたい」

 六三四の口から笑い声が漏れた。

数百年の時を経て語り継がれ、それを元にした物語が産み出されている人物が、喋る猫となって朝ごはんをねだっていると知ればみんなきっと笑ってしまうだろう。

「実際に猫だからな

やらずにはいられない獣の行いが多くて最初は戸惑ったが、自分は猫だと割りきってやってしまえばすっきりするんで今は逆らわんでおる」

 六三四が扉の前に立つと、武蔵は引っ掻くのを止めて小さく背伸びをして大口を開けてアクビした。

「お前はまだ子供だから、やってもいいことがあるのじゃぞ」

 取っ手に掛けた手を止め六三四は、足元からこちらを見上げる黒猫を見返した。

 何を言っているのだろう、真意を探ろうとするが当の黒猫は直ぐにそっぽを向いて視線を反らしてしまう。

「もしかして、子供扱いして私を馬鹿にしましたか?」

 もう中学生だ、子供ではない、武蔵から見てまだ幼いように見えるのだろうが変に気を回さないでほしいのだが、言っても中々直してはくれない。

 よし! 今日という今日は実力行使だ。

 六三四はしゃがんで捕まえようとしたが、いち早く危機を察した黒猫は手と手の間をすり抜けて背後へと走り抜けた。

「この宮本武蔵が直々に師になってやろうというのだ

子供らしくこのまたとない機会に笑顔で飛び付くがよい」

 肩越しに振り返ると四肢と尻尾をピンと張る黒猫が目に入った。

 あれは頼れる師匠アピールなのだろうか。

「今なら月謝は猫の世話一匹分で済むぞ、ははははは」

 今度は口を開いて歯を向いて見せて笑う、毎日磨いて上げているのでピカピカですよ。

 前世でメジャーな弟子勧誘方法なのだろうか?

しかし、意味ありげな台詞の後にこの態度を見せられると弄ばれてる感が半端ないので逆効果なのですよ武蔵さん。

 武蔵はがっくりと肩を落とす気力もなく、釣られてひきつった笑みを浮かべることしかできなかった。


 制服に乱れも汚れも無し、お財布にハンカチ、学生証に教科書が入った鞄もよし、後は靴を履いて家を出れば学校に遅刻せず着けるだろう。

「準備は整ったようだな

今日こそはこの俺を中学校とやらに連れて行くがよい」

扉の前で通せんぼをしている黒猫を短時間で避けられればの話しだが。

「学校はペットを連れてはいけないところなの

今日こそ分かっても、ら、え、ま、す、か、武蔵さん」

「私はペットではない、お前の師匠だ」

「まだなると言ってません」

「今日にでも、お前が首を縦に振るかもしれ

だから弟子の日常は知っておく必要が我にはあるのだ」

 六三四は断るとはっきり言って視線を逸らすと、武蔵は足に縋りついて小さく鳴いた。

「駄目です、都合のいい時だけ猫の振りしないでください」

武蔵と暮らすようになってから直ぐ昼間何処に言ってのかと尋ねられ、学校のことを説明すると彼は次の日の朝から俺も連れていけと玄関の前に立ちはだかるようになった。

 武蔵は人間だった頃、幼い日に父とこの日本を旅して回ったと母から聞いたことがある。興味を持った場所があるなら行きたいと、そう思う気持ちは出不精な私よりも強いだろうことは何となく分かる。だがやはりここは現代、校則にはなくともペットの同伴を禁止している学校は多く、家の中学校も残念ながらその一つだ。

「何が弟子の日常を知りたいですか

本当に知りたいのは他の子のお弁当の中身なんじゃないでか」

 脚に縋るようがやはりここは現代、校則にはなくともペットの同伴を禁止している学校は多く、家の中学校も残念ながらその一つだ。

「何が弟子の日常を知りたいですか

本当に知りたいのは他の子のお弁当の中身なんじゃないでか」

 脚に縋るよう中身なんじゃないでか」

 脚に縋るように見せかけて、鞄に鼻を近づけヒクヒクとさせながら尻尾を左右に振っていた武蔵の動きが凍り付いた。

「流石は我が弟子(予定)

知らぬ間に我の影響を受け、そこまで見抜ける程になっていたとは恐れ入った」

「武蔵さん、もしかして変わり者だとか結構言われてませんでしかた?」

「よくわかったな

兵法を極めんと精進すれば自ずと目立つもの、そのように褒められることも前の生では多かったぞ」

褒めてません、それ馬鹿にされてます。

 六三四がそう突っ込みを入れようとした瞬間、呼び鈴が押され電子音が家中に鳴り響いた。

六三四は人差し指を口に当て武蔵に喋らないように促すと、インターホンで相手の顔を確認することなく素早く玄関を開けた。六三四の登校時間に合わせて訪ねて来る人物など、一人しかいないからだ。

「おっはよー、六三四!」

六三四が外に出ると、門の向こう側に立っていた一人の少女が「お探しの遭難者はここに居ますよ」と言わんばかりに大げさに手を振っている姿が目に飛び込んできた。

「ヌっちゃん、おはよー」

 六三四も同じように手を振り返したが、家の前を通った通行人が奇異の目を向けてきたので直ぐに引っ込めてしまった。

「今日も何? 武蔵と朝のお喋りコーナーを家でやってたわけ、一人で?」

 少女に駆け寄ろうとしていた六三四の足が止まる。

「外まで聞こえてたの?」

「所々ね

それより猫相手にあそこまで迫真の演技ができるのなら、ネットで動画配信した方がいいよ、小遣いの余り分位なら払っても良いくらいの出来だった」

 門の鉄格子越しに少女が屈託の笑みを見せた。

「そ、その時は真っ先にヌっちゃんに教えるね」

 六三四は曖昧に笑って流した。

嫌味や皮肉に限りなく近い言葉だが、少女は本当に六三四が猫に話しかけていると思って褒めているのだ。小学校低学年からの付き合いである六三四はそれ知っており、悪口と受け取ることはなかった。

 彼女の名は貫城。

六三四と同じ中学校に通い、同じ剣道部に所属する中学2年生の親友である。

茶色がかった黒い髪を肩まで伸ばし、少し日焼けした肌、目は細く端が少し吊り上がっていて飄々とした言動、身体つきは六三四とほとんど差異はないのだが、何処か大きく見える少女であった。

私と同じく剣道も小学生の頃からやっていて、その実力は六三四よりも上、今まで10回戦って3回位しか勝てた試しのない強い選手だ。

「俺の顔に何か付いてる?

それともあまりの凛々しさに見とれちゃった?」

 貫城の言葉に六三四ははっと我に返った、いつの間にか彼女の顔を覗き込んでいたのだ、前髪に隠れた自らの罪の跡を探そうと。

「あ、その、部活はまだやっちゃダメなの?」

 六三四は何を見ようとしていたか悟られぬよう、貫城の短い靴下から覗くテーピングの後を指さて話題を逸らした。

「今週中は我慢しなさいって、お母さんから毎日言われてる

あたしってこういう事に関しては信用はまったく無いから、顧問へ連絡済みで隠れてやるのも無理」

 貫城は悔しそうに天を仰いだ。

「そんなに悔しいなら、レギュラーの話受ければよかったのに」

余りの落ち込みように六三四の胸の中に仕舞っていた一件が不意に口から洩れた。それを聞いた貫城は顔を下すと鉄の格子越しにこちらを向いた。目の端がいつも以上に吊り上がっている、もしかすると怒らせてしまったのだろうか

「その噂信じてるの?」

 貫城が顧問からレギュラーメンバー入りを依頼されたが、いつも負けてばかりの弱小チームは嫌だと断った。

それはここ最近囁かれ始めた剣道部内に流れる噂話の一つで、六三四の耳にも当然届いていた、当然本人も既に知っている。誤解か彼女の実力を嫉んだ誰かのいたずらだろと流したはずだったが、不意に口をついてでてしまった。

「ご、ごめんなさい

あんな話嘘なのに、忘れなきゃいけないのに」

 思わぬ失語にあたふたと謝る六三四、その様子を見た貫城は徐々に顔を崩して大きく笑った。

「嘘、うそ、怒ってない、おこってない

そんなことだろうと思って、少し遊んでみただけだから、本気にしない」

 六三四は最初呆気にとられたが、直ぐにからかわれたことを理解してがっくりと肩を落とした。

「怖かったぁー、こういう冗談は心臓に悪いからもう止めようよ」

「六三四の考える前に声に出す、その癖が直ったら考えてあげる」

 そう言って2人は鉄格子越しに睨み合うと、噴き出して笑い合った。

不意に小さな電子音が鳴った、それは貫城のスマホの目覚まし機能で、時々2人がこうやって話し込んで遅刻をしてしまわないようにセットされている。

「うわぁ、もうこんな時間

六三四行くよ!」

「分かった、あぁー!

スマホ忘れたー!」

 忘れ物の存在を思い出した六三四は家に駆け戻り、スマホを手に再び玄関まで戻って来た。

「現代の子供は、一歩間違えれば斬り合いになりかねない会話を友と気軽にかわすのか

これは軽挙妄動を慎む為の訓練なのだろうか」

 扉の影から六三四と貫城の遣り取りを覗き見ていた武蔵が、何やら難しい顔をしていたが誤解を解く時間は無かったので、行ってきますとだけ言って扉を閉めて彼を一人家に残した。

学校に連れて行けとは言わなかった、現代のルールを分かってくれたのだろう。

これで一安心だ。

「じゃあね、猫の武蔵ちゃん」

 門を締めて学校へ向かって歩き出すと、貫城が突然振り返って梅坂邸に向かって振り返ると声を上げた。

貫城は黒猫の武蔵の事を既に知っている、一人家でお留守番する六三四を気遣ってくれたのだろう。

ありがとう、貫城さん。

六三四は心の中で親友に向かって感謝した。

武蔵は2人の気配が遠ざかるのを待って、口の端を吊り上げ不敵に笑った。

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