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第三話

「あむあむあむ、やはりこの時代のご飯と汁物は旨いな」

「お代わりが欲しければ言ってね

直ぐに冷凍のご飯をチンするから、はむはむ」

「”チン”とは凍った飯をあの妙な箱で温める事を意味するのか?」

 お茶碗に顔を突っ込んでお味噌汁かけ御飯を頬張っていた猫が、右足でダイニングの端に置かれている電子レンジを前足でちょこんと指した。

「あれは電子レンジといって・・・・・・ええとあの原理は分からないけど、電気で料理を温める箱よ」

 私はそう言いながら卵焼きとソーセージが盛られた皿を手前に引き寄せた。チッと舌打ちしそうな顔で、何時の間にか皿に近寄っていた黒猫が自分の茶碗へと戻っていく。話を振ってその隙におかずを持っていく手口、これまでに卵焼きが二切れ、ソーセージが3本犠牲となった。

最初は猫の見ため通りの可愛さに我慢していたが、焼きが甘いだの少し甘すぎるだの言いだし始めたので、渡すものかと意地になった私と黒猫の間で、食卓を舞台に騙し合い始まり今に至っている。

時刻は12時を回った所である。

あの後、私は気を失ってしまったが目の前の猫に5分もしないうちにたたき起こされた。

混乱する私を尻目に黒猫は自分を新免武蔵守藤原玄信、通称宮本武蔵だと名乗った。気が付いたらこの街で猫の姿であったのだという。最初は死後の世界で畜生の道に堕ちたかと思ったが、お腹が空くし直ぐに眠くなるのでここが地獄でないことは直ぐに察しが付いたという。馴れない四本足で歩き回って世界を見れば、ここは自分がいた時代よりは遥か後世、自分はそこに一匹の黒猫として新たな生を受けたことが分かった。

生を受けたからには再び度剣を極めたいと思ったが猫の手では剣は握れない、試案の末誰かに教えてその人に剣を極めて貰おうと、竹刀袋を持った人間を襲いその資格があるか見極めていたのだという。

六三四は怪我した右手を黒猫に突き出して、他の人にも怪我をさせたのかと詰め寄ったが、黒猫は首を横に振り立ち向かって来たのはお前だけでそこまではしていないと否定した。

襲われた人の話に怪我をしたという内容は含まれてはいなかったので、六三四は黒猫の存在も含めて信じることにした。

最後になぜ自分を弟子に誘うのか理由を聞こうとしたが、六三四の腹が盛大に音を立てて空腹を訴えたので、場所をダイニングに移して遅い夕飯を囲んみながら話の続きをすることになったのである。

「それにしてもお主、猫が喋っても驚かんな

こうして飯も振る舞ってくれるとは、随分肝が据わった娘のようじゃの」

「驚いてるわよ、今も夢なんじゃないかと思ってる

今日は剣道の試合で負けて凄い落ち込んでたから、大騒ぎするほど体力は残ってないの」

 六三四はそう言って残っていた味噌汁を飲み干した。24時を超えてのソーセージと卵焼きの悪魔の夜食。太ることは気になったが食べてしまえば満足感が罪悪感を消し去り、忘れていた体の疲れが一気に襲い掛かて来て瞼が重くなってくる。

正直このまま眠りたい、目の前の黒猫については起きてから考えたい。

「ほう試合をしたのか?」

 食事を終えた黒猫の目が私とは対象にスッと鋭いものへと変わり、私へと向けられる。

「それでどうやって負けたのだ」

 黒猫の言葉がトリガーとなって、時都さんから受けた一撃が脳裏に甦り私の体は石のように強張った。

「そんなことどうだっていいじゃない」

 六三四は黒猫の視線から逃げるように席を立とうとしたが、

「そうか、想像の相手に竹刀を振るって満足したか」

と、黒猫が小馬鹿にすうように付け加えたのを聞くと、きっと相手を睨むように見据えた。

「少しぼうっとした娘のようだが、中々骨があるようだな」

 黒猫がニッとまるで悪魔のように笑った。

これが武士というものなのだろうか、自身の敗北を見抜いた観察眼の鋭さに六三四は背筋が寒くなるのを感じた。

「どうだ、俺の弟子となれば今よりも強くなれるぞ

勿論、今日のような無様な負けは二度とすることはなくなる」

 忘れていた弟子の話を黒猫は、絶妙なタイミンギで再び切り出して来た。人が思い出したくもない敗北を掘り起こして、手を差し伸べる振りをして自分が望む方向へ誘導する気だ。卑怯だ、抗議の声を上げようとしたが、何時の間にか前のめりになっていた自分に気づくき言葉を飲み込んだ。

「どうして私を弟子に誘うの?

昔の武士とは比べ物にならないどころか、弱小剣道部でも下の方で弱いのよ、私」

 改めて自分の実力を口にすると、とても悲しかったが事実は事実だ。

黒猫の誘い方は詐欺師みたいで気に入らなかったが、それ以前に私には詐欺のターゲットになる程の実力すら持ち合わせていないのだ。

石を幾ら磨いた所でダイヤの原石でないのならば、宝石になることはないのだ。

「理由は簡単だ、お前は俺に一撃をお見舞いした

俺は俺に一太刀浴びせた人間に剣を授けると決めていたからな」

 は?

それでは相手の実力を測るのは無理なのではないだろうか?

 呆れる六三四を気にする様子もなく、黒猫は何故か自信満々の顔で満面の笑みを浮かべた。

「あれはまぐれよ、転んだ拍子に竹刀の軌道が変わって偶然あなたの顔に当たっただけよ」

「運も実力の内だぞ、娘よ

この武蔵の気絶させたのだ、謙遜する必要はない」

 それは完全に運じゃないか!

六三四は淡い期待を打ち砕かれると胸中で叫んだ。

部活でレギュラーにもなれず、剣道を教えてくれた母からも見放された自分に秘めた才能がある、そう何処かで思っていた。目の前の黒猫がそれに気づいて声をかけてくれた。そんなファンタジーを心のどこかで描いていたのだが、それを当の黒猫は笑顔で粉砕してくれたのであった。

「兎に角、偶然は偶然よ

例えあなたが本当の宮本武蔵でも、才能の全くない私を強くするなんて不可能だから、他の人を探した方がいいわ」

 六三四はそう言って話を一方的に切り上げると、立ち上がり2人分の食器を纏めてシンクで洗い始めた。

はっきりと断ったのだから、黒猫は直ぐに何処かに消えるだろう。知らぬ間に道場に入って来たのだ、勝手に玄関を開けて外に出ることぐらいできるはずだ。黒猫が消えたら直ぐに寝よう、今日の事全てそれで忘れるんだ。

「自分が強くならない、本当にそう思っておるのか?

ははは、まったくお前は人を見る目がないのぉ」

 背後から豪快な笑い声が聞こえるが六三四は振り返らずに、黙々と手を動かしつつづける。

「転んで剣の軌跡が曲がったのは、お前が言う通り偶然じゃ

しかし、その悪条件の中で竹刀に込められた力は、嘘や誤魔化しは無く本物であった」

 武蔵の声から、これまであった人をからかうようなものは消えていた。六三四をおだてようとしてもいない、ただ感想を淡々と語っているのだと直ぐに分かった。洗い物を終えた六三四は振り返った、黒猫はまだリビングのテーブルの上に居た。

「ここまで言うて諸うてもまだ自分の力を、その行く末を信じられぬのか?」

 六三四はずかずかと黒猫に近寄ると、その鼻先に人指し指を突き付ける。

「あなたが私を強くしようとしてくれるのは分かった

だからこそ、何の見返りもなしにそこまでしようとするのは凄く怪しい」

 いつもの六三四ならここまで煽てられれば、直ぐに首を縦に振っていたのだろうが、今回は冷静に踏みとどまれた。

 六三四は人への警戒心が薄く人の言葉を直ぐに信じてしまい、手ひどい失敗をしてはクラスメイトに馬鹿にされる経験を何度もしてきた。良い条件の提案には必ず裏があるのだ、そう肝に命じても人を前にすると忘れてしまうことが多い。だが、自分を宮本武蔵と名乗る喋る黒猫の存在は異様過ぎて、常に警戒をしていたので今相手の真意を問いただすことができたのであった。

「条件のいい話には乗っちゃダメって、お母さんが言っていたんだから」

 これまでにない六三四の態度に、黒猫は目を丸くして少しは驚いていたようだが、お母さんとう言葉を聞いて直ぐに笑い声を上げた。

「ははは、母君か、そうかそうか、これはまた難儀な娘だ」

「な、何よ!

また私を馬鹿にしてるの」

 悔しさのあまり猫額を指で弾こうかとしたが、黒猫はするりとかわすと六三四の足元へ降り立った。

「なにお前に教えている間、この家に置いてほしいだけじゃ

野宿も悪くないが、やはり屋根と温かい飯が良い」

「つまりは師匠になっあげるから、ペットとして飼えってこと!」

「平たく言えばそうなるな、剣の師を持つ他にこういった利もお主にはあるぞ」

 そういうと黒猫は甘えた声を鳴らして、六三四の足にそのからだを摺り寄せてきた。サラサラの猫の体毛が肌に擦れる、六三四は思わず膝から崩れ落ちそうになった。

バレている、私が猫好きであることが。

「分かったからストップ、ストップ」

 引き剥がそうとすると六三四の手を、黒猫は再びかわすとテーブルの上に飛び乗り「これでどうじゃ」と勝ち誇るように満面の笑みーあの悪魔の如き笑みを浮かべた。

「で、弟子になるかは飼えるか親に相談した後で考えさせて頂きます

結果は期待しないで下さいね、ぜぇぜぇ」

 思わず敬語が出てしまい、恥ずかしさに六三四はその場に転がり出したくなった。

「安心しろ、我の魅力に首を縦に振らぬ者などおらぬ」

 そういうと、黒猫が任せておけとばかりに甘い鳴き声を上げた。

既に猫としての自分を受け入れそれを武器にしている武蔵。これが昔の武士の強さなのだろうか。六三四はそんな黒猫が少しばかり羨ましくなったが、これ以上弱みを握られてはいけないと顔をそむけた。何よりも私は自分一人で強くなりたい、ならなければいけないのだ。

 例え相手があの宮本武蔵の生まれ変わりだとしてもだ、差し出された手はいつかは消える。一人取り残されるのは御免だ。私は一人で強くなるのだ、それがどんな道でもだ。

「修行は厳しいぞ

まずは師匠の寝床を用意するがよい」

 既に梅坂家の家猫となった気分の武蔵は、そんな飼い主の胸の中を察する素振りも見せず、自分勝手に鳴き声を上げた。


暗闇の中で私は剣道の防具に身を包み、手には小学校の頃より使い慣れた竹刀を握りしめている。ここは何処だろうと周囲を見渡すが、視界は2,3メートル先までしか聞かず板張りの床以外何も見えない。これは夢だと六三四は直ぐに気づいた、裸足で触れている床の感触がクッションを踏むようにふわふわしている、本物の剣道場の床なら固いし夏でも冷たいからだ。

明晰夢というものだろう、ならばラッキーだ、歩き回れるはずと好奇心に突き動かされて六三四は一歩踏み出そうとしたした。

「あれ? 脚が動かない」

 両脚が言うことを聞かない。

脚の裏が床と接着して動かないのではない、幾ら動かそうとしても膝を僅かに曲げることすらできない。

暗闇に一人、身動きを取れずに置かれている自分に気づくと、六三四は恐怖に襲われ竹刀の切っ先が小刻み震え始めた。

起きなければ、頬をつねろうとしたが両手は脚同様に動かせず、只竹刀を胸の前で構えその切っ先を小刻み震えるさせるだけであった。

パニックに陥りそうになる六三四、だが暗闇から突如として現れた人の足に気づき、寸前で踏みとどまることができた。

「おかあさん」

 安堵の溜息が漏れた、現実では本人を前にしても決して口にしない言葉と共に。

「助けに来てくれたの……え!」

足のもちぬしは、暗闇を振り払うかのように堂々と光の中にそな姿を晒した。六三四と同じ袴に防具を身に纏い、手には竹刀を携えていた。面は着けてはいない、伏せられていた顔が上がる、周囲の闇と同じ黒い髪が光の中で一瞬踊った。

「時都さん?」

 会いたくない人だ。

思わぬ人物の登場にその場から逃げようとしたが、足裏は幾ら力を籠めようと床板と癒着したように剥がすことはできず、時都から距離を取ることはできなかった。

時都はそんな六三四の姿を見ても眉一つ動かさない。カメラのレンズのように感情を排した黒い瞳で、只六三四を見つめているだけであった。

 あの日の試合後のように何か言われる、そう身構えた六三四だったが動かない時都の様子に一応胸を撫でおろした。

これは夢だから直ぐに目が覚めるか、この時都もこのまま消えるのだろう、安心だ。

そう思った瞬間、時都の両腕がゆっくりと上がり、その手に握られた竹刀の切っ先がこちらに向けられた。

「待って、私いま動けな……ひ!」

 こちらに打ち込んでくる気配を見せた時都を止めようとした六三四だが、相手の瞳に燃えるような激しい怒りが浮かんでいるを見て悲鳴を上げてしまう。

時都はそんな六三四へと竹刀を掲げて距離を詰めると、怯える顔目掛けて一気に振り下ろした。

「止めて!」

 余りの恐怖に六三四は悲鳴を上げた。

「ニャウン!」

 自分の悲鳴と猫のものと思われる鳴き声が混ざりあった音が鼓膜を打つと、六三四の意識は覚醒しぼやけた視界に時都の姿は無く、代わりにベッドに横たわる自分の体が映る。

 まるで呼吸が止まっていたかのように深呼吸を何度も繰り返し胸が痛み、全身は汗ばんでパジャマが肌に張りついて凄く不快だ。

額に着いた汗を手で拭い、合わせて量頬に着いた汗もふき取る。首から下に比べて汗の量が多い。夢に時都が出てきたのは覚えている、あの試合に負けたことに悔しさは自覚しているが、一度負けた程度で彼女を夢に見る程怖くなってしまたとは情けない。

部屋の壁に張られた時計を見ると丁度朝の6時、今日は学校はあるが後一時間は寝ていられる。しかし、二度寝をしても時都のことが頭から離れないだろう。起きて漫画でも読もうか、六三四はベッドから降りる前にまだ頬に残っている汗を手の甲で拭った。

汗にしては粘ついている、それにちょっと生臭い。

「ようやく目が覚めたようだな」

 どこからともなく黒猫が現れると、横たえた六三四の腹の上に陣取った。

「私の顔、舐めたでしょう?」

 六三四はジロリと黒猫ー武蔵を睨んだ。

「うなされていたようでな起こそうと思ったのだ

幾ら突こうとも起きなかったので舐めたのだ、爪で引っかく訳にもいかなかったのでな」

 武蔵は六三四を悪夢から救ってやった、感謝しろと言わんばかりに鼻を鳴らした。

「ならどうして私が跳び起きた時にベッドに居なかったのかな?」

「それは勿論、お前の上に乗っていたから勢いで飛ばされて・・・・・・」

 六三四の質問の意図に気づくと、それまで得意げな顔をしていた武蔵の目が泳ぎ語尾が萎んでいった。

「・・・・・・更なる悪夢を見せてくれた武蔵さんには、俺として朝ごはんを抜きにしましょう」

「ま、待て、お前を心配する余りそこまで気が回らなかったのだ

朝餉を抜くほどの罪ではなかろう」

「分かりました、おやつの<ちゅるん>抜きに変更します」

「それもだめじゃ

それが師に対する態度か!」

「弟子になった覚えはありません!」

 六三四と武蔵は最後に顔を突きつけ合って喉を鳴らした、まるで猫同士の喧嘩だが2人は気にする様子はなかった。

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