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第十八話

「ごめんなさい、ありがとう、じゃなーい!」

 一日の疲れを何とかお風呂で洗い流したのも束の間、自室に戻った六三四はスマホに連絡が来ていたので内容を確認した次の瞬間、ベッドの上にスマホを叩きつけた。

 掛け布団に叩きつけられたスマホの画面には、剣道部員全員で連絡に使っているアプリが開かれ、部長からの個別メッセージに先ほど叫んだ言葉と共に黄色いヘルメットを被った猫が頭を下げたフザケタ画像が写っていた。

 今日も両親は仕事で不在、午後9時過ぎに自室で叫んだとしても敷地面積の広い梅坂邸の内外に苦情を申し立てる者などいない、その辺は冷静に考えての行動だ。

 本人の前なら返事をして流すだろうと思うと、少し情けない。

「なんじゃ! なんじゃ! 奇襲か? キリシタンがまた何かやらかしたのか?」

 しまった、一人いや一匹怒りのあまり存在を忘れていた。

 部屋の隅に置かれたベッドの更に隅で、壁に背を預けてブルブルとホラー映画の被害者のように震えている黒猫の姿がそこにはあった。

「武蔵さん、本当に武士だったんですか?」

「見ての通り今は猫

故に意識が定まらぬ起き抜けに獣の本能が騒げば、それに流される矮小な存在でしかない」

「ごめん、起こしちゃったみたい」

「いや、勝手にお主の部屋で眠っていたこちらが悪い

それにおしっこ出そうだから、武士の情けと目をつむってほしい」

「ダメー!」

 六三四は武蔵を抱えると一目散にトイレに駆け込むのであった。


「なんともまぁ、大人も子供も等しく人間、産み出す世界に大差ないか」

 話しが終わるとベッドに並んで丸くなっていた黒猫が、一抹の哀愁の片鱗が混じったそっけない感想を口にした。

 慰めの言葉など期待してはいない、相手はかつて真剣勝負の世界に生き藩の指南役を通して政治の世界も見てきた人間だ、ただ耳を傾けてくれただけで少し落ち着くことができた、それだけでいいと割りきる。

 突然のおしっこ宣言から始まったトイレ騒動を終えて自室に戻った六三四は、帰宅時から異変を察していたという武蔵に催促され、今日学校で起こったことの一部始終を語って聞かせた。

 彼は既に剣道部で起こった一件を知っている、以前それを相談した時は「剣の道も人の営み、勝敗の結果せおわねばならぬものもある」と怪我まで負ったのに突き放されたと勝手に恨んだものだ。その後、ちょっかいをかけてくる頻度の増加とイタズラの頻度が下がり、彼なりに気を使ってくれたのだと分かり考えを改めた。もっとも、井上先輩のことを執拗に探って闇討ちをかけようとしていたことを後々知り、行動に移す前にちゅるんの禁止と引き換えに何とか思い止まらせた事件が最終的に背中を押してくれたのだが。

「何か最近、わたしの回りで色々なことが起こってもうやんなっちゃう」

 六三四は両手を広げベッドに倒れこんだ。

 ギシっと小さくマットに仕込まれたスプリングが悲鳴をあげた。

「それは当然じゃ、何せ俺がお前の側にいるのだからな」

「ちょっと待って、それどういう意味!」

 六三四は勢いよく上半身を起こすと、言葉の真意を問いただす為に捕まえようと武蔵に手を伸ばしたが寸前で枕の上に逃げられてしまう。

「これこれ、人の言葉を額面通りに受けとるものではないぞ」

「疲れきった中学生相手に行間読め、とかそれ無理です!」

 武蔵はやれやれと言った様子で足を全て体の下に仕舞い込む、俗にいう香典座りの姿勢を取った。

 彼に取ってそれが正座らしい、何やら説教が始まるようだ、さぁ来い、内容によっては下の枕を引っこ抜いて転ばせてやる。

「口では無理と言いながら、その手で良からぬことを考えておるのは丸見えだぞ」

「武蔵さんがわたしに意地悪するからです」

「お前は昔色々あったそうだが、その時からこんな性格だったのか?」

「何を仰います、武蔵さんが来てからですよ

雑誌に可憐な美少女って書かれたこともあるんですから」

 思わず過去の栄光を引き合いに出してしまった、ちょっと泣きたい。

「そうだ、お前は変わった

俺という存在によってお前は変わったのだ」

 言い合いの終わりに武蔵が諭すようにそう告げた。

 変わった? この私が?

 今の苦労はあなたのせいじゃない、喉元付近に仕込んでいた言葉が一瞬で霧散する。

「自覚がないのも無理はない

自分とは常に変化し続けるものだ、故に変化の前後に気づくことなど大抵後になってからだ」

「変わったって?

武蔵さんにおそわ、いえアドバイス貰って少し強くなっただけだよ」

「その少しの実力がお前に自信を与え、井上とやらの隙を誘いそれを冷静に打つことができたのだ

それは自分の手で勝ち取った立派な変化だ」

 普段なら自分が育てたと恩を着せてくると身構えたが、武蔵は淡々と六三四に起こった変化を説明して更に誉めた、何か裏があるのではと放課後の出来事を思い出して軽く頷いてここは形だけの肯定を示しておく。

「でもそれから色々なことに巻き込まれて、正直どれも泣きそうだっ、私が変わったなんて到底思えないよ

何か煽ててキッツい訓練させようとしてない?」

 井上先輩との勝負、時都との喫茶店のやり取り、そして今日の学校屋上での出来事、思い出すだけで心臓がバクつき手に汗が滲む。本当に強い人間はきっとこんな情けない醜態など晒さず、 涼しい顔で対処してのけるのだろう。ペットは落ち込んだ飼い主の気持ち察するというが、先ほどの褒め言葉もどうせそれを汲んでのことだろう。

「今日は一段と疑い深いな、夕方の一件が余程堪えたようだしかたがないか

その年でそれではこの先を思うと不憫でしかたがないのぉ」

 黒猫は前足で顔を撫でた、多分猫なりに涙を拭う演技をしてみせたのだろう、心配してますと言いたいだろうがそれはちょっとムカつくんですよ武蔵さん。

「わざとらしい同情は結構ですから、本当のこと言ってください

強くなって勝ったのに、こんなに厄介事が振りかかるなんておかしいです、良いことの一つや二つ起こっても良いはずです

これじゃ私の人生辛いままです、やっぱり武蔵さん裏で何かやってないですか?」

 心身を鍛えると称して武蔵が裏で暗躍していても何ら不思議ではない。相手は武士だ、相手の心理を読んで誘導する術などもちろん心得ているだろう。さぁ吐け黒猫、今ならおやつ抜きで手打ちに致す!

「六三四よ、剣の道における強さとは技を磨き相手を制する心技体を得ること、それこそが剣士としての幸福なのだ。

強さはそれ以外のものを手に入れる手段にはなる、しかし必ずしも自身が欲するものが手に入る訳ではないのだ

狂った人生の建て直しなどそのもっともたるものなのだ」

武蔵は覚悟を決めるかのように一瞬間を置いて私にそう告げた。

強さしか手に入らない?

予想をそして期待を裏切る言葉は重たい鉛のように耳から体の中へと入り込むと、深く深く胸へと突き刺ささり心を瞬時に凍てつかせた。

 強くなればもう一度剣道を心から楽しめるそう信じて今日まで竹刀を振るって来た。事実、武蔵の助言に従い練習して上達を実感するのも楽しかった、絡まれる原因になったとはいえ一つ上の上級生に勝てたのはも嬉しかった。だが、その喜びの陰には自分の弱さへの苛立ちから親友に怪我をさせてから今日までの狂った人生、それを取り戻せるのだという浅ましいものが潜んでいたのだ。

 黒猫はそれを既に見抜いていたのだきっと、だから口を開く前の用意しておいた言葉を胸の奥から取り出す時間で覚悟を決める必要があったのだ。

 これを突きつけ目の前の六三四を傷つける覚悟を。

 自分で気付かなきゃいけないことなのに、これじゃ貫城に怪我を負わせたあの時と同じだ、何も変わっていない。

 やっぱり私って弱い、弱い上に卑怯ものだ。

 六三四はベッドに体を横たえると、今にも泣き出しそうな顔を見られないように腕で隠した。

「わたしのこと軽蔑してる」

「そんな人間を俺の弟子にしようとは思わん

それに本当に軽蔑に値する人間は自身の卑しさなど直視せん、お前は強い」

 優しい声に今にも嗚咽が漏れそうになる口許を必死になって固く結ぶ。

 泣けば慰めくれるだろうが、それではまた過去から目を逸らしてしまう気がしたからだ。

「私が貫城さんに何をしたか気付いてる?」

 思いきって切り出す、沈黙、まるで親に怒られるのを待つ時間のように緊張で心臓が早鐘を打ち始める。

「ある程度はだがな

お前とあの娘が話している時の距離に使う言葉、何より視線を見てあぁそうかとな

剣の道を進む者なら似たようなことに時々巻き込まれる、無論自ら起こす場合もあるがな」

 嫉妬、優越感、弱さの克服、出世、名声、金、そして逃避に没頭、自分が生きた時代の人々の殆どはそれらの譲れない欲望を抱き突き剣を振るって居たと武蔵は続ける。

 故人々はぶつかり時に血が流される、そうならなくとも良好な関係が拗れ仇敵へと変わることは日常茶飯事、武士はそれを背負って進むと数百年前の今よりも生死が身近に存在した社会の一旦を語り話しを締め括った。

 私と貫城関係はよくあることだから気にするな、遠い世界の話しを引き合いにだしてそう言いたいのだろうか。

 しかし、ここは現代の日本で私は中学二年生の剣道部所属の女の子だ、必要の無いいさかいで怪我を負わせたとしても貫城とは親友でいたい、今の気まずさを払拭出来ずにさよならなんてしたくはない。

「剣の道に友達は不要って言いたいの?」

「例えそうだとしてもお前には強要はせん、自らの剣をどう定義するかは本人が決めることだ

ただ剣で、お前たちの場合は竹刀によって拗れたものなら、竹刀によって絆をもう一度結び直すこともあると教えたかっただけだ」

 相手を認めること、それすなわち自らの心に相手の存在と行為を受け入れること、武蔵はまるで僧侶が相手を諭すような口調でそう付け加えた。

「もしかすると、弟子入り試験の相手に貫城さんを選んだのは私を立ち直らせる為だったの?」

「何を勘違いしておる、お前が勇気を出して試合を申し込み易い相手を選んだ結果だ

それに俺は弟子が欲しいだけだ、くれぐれも両親が家をよく空ける娘を不憫に思って世話をしたなどと思わぬことだ、いいな」

「は~い、先生・・」

「なんじゃそのにやついた返事は!

それにまだお前は弟子ではないわ」

 武蔵はそう言うとベッドを飛び降り部屋をそそくさと出ていってしいまった。

 照れ隠し、いや武士の情けか。

 彼のことだ、六三四が顔に押し当てた腕、それを包むパジャマが熱い水で濡れていることを察して一人にしてくれたのだろう。

 胸の内で抱えていたものを人に話したのはいつぶりだろう、前回を思い出そうとするも思い出せない。

 その筈だ、そんなこと一度たりともなかったのだから。

 貫城に怪我を負わせた事件以前、六三四は俗に言う「良い子」で感情を爆発させることなど一度たりともなかった。両親は疑問に思ったが共働きの障害が一つ減ることのメリットでった為、時間と共に娘の性格と受け入れ忘れていったことは肌で感じていて、六三四もそれを受け入れた。それが仇となって現れたのは事件後であった、両親は酷く困惑し六三四から距離を置いた、六三四は期待を裏切り壁を作られたと思って落ち込んだが、直ぐにこれで事件の真相を聞かれないと思い直しこれも報いと受け入れることにした。

 故に悩みの相談どころか、進路も自分で決めてから報告して協力を仰ごうと考えていたくらいだ。

 ここまで自分のことに踏み込んで間違いを正してくれたのは彼が初めてだ、キツいことも言われたが嬉しく涙がでそうだ、もう既に泣いてはいるのだが。

 疲れた体が安心したのか意識が薄れていく。

 今日はもう疲れた、眠い、明日は休みだ、このまま明日の昼間で寝ていようか、灯りは着けたままだが消す気力はない。

 睡魔によって瞼が閉じられる、頭がベッドに沈み込んで一つになったように重くなっていく。網膜に残った光の残光が完全に消える、闇、闇、闇、そこに突如として、自分を咎めるような鋭い眼差しを持った一人の少女の姿が浮かび上がる。

 時都さん、忘れたわけじゃないよ。

 あなたの前に立つ前に倒さなきゃいけない人が居るんだ、だから今は消えて。

 時都の姿が煙のように散る、今度はその向こうに見知った顔が現れた。

 ヌッちゃん、必ず勝つよ。

 もう私はあなたからも、その額の傷からも逃げないから。

 六三四の意識はそこで途切れ深い眠りに沈んでいった。

 胸に固い決意を秘めたままで。

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