ヒトの間
カレットと霊残は記紀を睨みつける。
「一つ聞きたい、何故栽の都を作った?」
霊残は怒気を込めた低い声で記紀にそう尋ねた。
「簡単に言えば、ヘブンズドアを食いたかった。それだけだよ。」
ケロッとした表情で記紀はそう答えた。
「僕はある時憎しみという感情こそ一番人間を美味しくする調味料だと気づいた。だとしたらどうすればよりヘブンズドアを美味しく食べれると思う?ヘブンズドアの人間がより憎しみを溜めやすい環境を作ればいいんだ。その結果が今。他国と比べて考えられないほど人格がクソみたいな人間ばかりになった。私利私欲ばかりに目を光らせ、自分たちが何に守られているかも考えない。憎もうと思えばいくらでも憎く感じる、いい国だろ?」
記紀は満足そうに、しかし見下すような不満そうな声で笑った。
「さぁ、僕は質問に答えた。次は僕が質問してみてもいいかな。」
パンと手を叩いて笑いかける。
「焦るな焦るな。僕は不死だが傷はすぐには治らない。…さて問おう。人は何を持ってカレットくんのように優しくなれると思う?」
「俺のように…?」
「そう、君のようにだ。君はとても優しいじゃないか。何せ恋人や友人の遺体を食った静深霊残という閏を許しただろう?それが何故か。僕にはわかるよ。でも君にはわかるかな?」
「…それを、今聞くのか…?」
「この国の仕組みに関わる話だからね。なぜこの国が果てしなく残酷で幼稚であるか。問の答えは情報、知識が与えられたから、なんだ。カレットくんは何故霊残が遺体を食べたのか、それをちゃんと理解したから、その正当性に共感出来たから優しくなれたんだ。」
「人間を優しく成長させるのは情報、知識。じゃあ逆にどうすれば残酷で幼稚に仕立てあげられるか。情報を与えないこと。与えられたところで信じない精神性になるまで身体だけ成長させること。無駄なプライドやなんだとかが心の成長の邪魔になるんだ。だから残酷で幼稚な国にできたんだ。単純だろ。想像力を培わない教育を浸透させるのも苦労したよ。しかしもう文化にまでなった。この国を変えるには世代が変わる100年以上はかかるかもね。その頃にはまた美味しいヘブンズドアの肉ができてるんじゃないかなぁ。」
記紀。その力は国を作るというもの。しかし性格は残酷というより好奇心旺盛で計画的。そして思ったより理性的だ。だから気になる。
「なんで父さんだったんだ?お前はなんで父さんを食おうとしたんだ。」
記紀はふむ、と考えた。
「なんでってことは無いなぁ。ただタイミングが良かっただけだからなぁ。国がいい感じに腐って、ヘブンズドアがいい感じに幸せそうだったから、一番楽な叩き落とす式で憎しみを抱かせるのに丁度良かった。それくらいだね。でもなぁ、まさかそのデウスのおかげでヴァロナに裏切られるなんてね。700年の付き合いなのにすごいなぁ。」
「昔僕も飼育してた牛に情が移ってね、手放したくなくてすごく泣いた覚えがあるよ。でも食べるために人間が生み出した命だ。その責任は果たさなければならない。僕は泣きながら屠殺場へ向かうその牛を見送ったよ。彼はきっと死にたくなかった。でもちゃんと見送らなきゃ。不必要に増やした命の責任を果たすために人間は食べないといけないんだ。しかしそれはれっきとした命だ。いただきますとごちそうさまは忘れてはならない。さらに、食材を美味しく食べることは被食者への礼儀だ。僕はデウスに対してそれを果たそうとしただけだよ。」
カレットはもう我慢できなかった。記紀に向かって切りかかる。
「お前は!人間の命をなんだと思っているんだ!!?」
記紀は地面を隆起させて盾を作った。水銀刀がパァンと散った。それには記紀も少し驚いた顔をする。
霊残が何かを唱えると散った水銀は銃弾のように記紀に向けて打ち出された。記紀は泥のように土を伸ばして攻撃を防ぐ。砂鉄でも混ざっているのか、水銀は盾を貫けなかった。
「人間の命も等しく命。いつ何に絶たれるかわからないのは他の生物と同じだ。そしてデウスはそれが僕だっただけだ。そんなものだよ。人間が特別だと思い上がるんじゃない。」
それは正しい意見だ。しかし何かが違う。何かが足りない。
あぁそうか、これかもしれない。
「お前は!人間じゃあない!!ヒトだ!ただの動物だ!!」
「ヒトはヒトとの間を意識して人間になる!ヒトとの間、それは倫理だ!!お前には倫理が無いんだ!!俺の知り得ない生物学的に正当なことをお前は述べてるかもしれない!!でもそこに倫理はひとつも無かった!!ヒトはヒトを殺してはならない…そんなこともわからないのか!!」
「では何故、ヒトはヒトを殺めてはならない?それを証明できるのなら新たな知識としてそれを僕は受け入れよう。もしかしたらヒトを殺さなくなるかもしれないな。ほら、君のこれからの一言が明日を変えるだろう。」
カレットはむっと口を噤んだ。
「君は賢いな。ここで下手なことを言えば君は君の父を否定し、殺人鬼たる姿を肯定してしまう。なんて良い子だ。しかし、良い子であることばかりが正解じゃないだろう。時には信じるものの否定も大事だ。さぁ、君の意見を聞いてるんだ。正解を聞いてるわけじゃない。」
カレットは怒りを堪えながら、フーフーと呼吸を整える。
「ヒトがヒトを殺してはいけない理由は…、悲しむ人がいるからだ。ヒトはヒトを悲しませてはならない!」
「へぇ、素晴らしいじゃないか。でもなぁ、何にも響かないね。そんなこと言われても、悲しむ人ごと殺してしまえばいいだろう。」
記紀はケラケラと笑った。
「だったら、俺が教えてやる…。」
それに霊残は静かに反論する。
低い低い声。
「ヒトがヒトを殺してはならない理由。それは怒られるからだ。倫理も怒りから生まれる。ヒトを殺めればその報復に動き始めるのがヒトという生き物だ。倫理は争わないためにあるっ!」
霊残は記紀に斬りかかるように走った。
「ほぉー、なるほどなるほど。それならさっきのよりはわかるかもね。」
「でもさ、」
記紀は霊残の攻撃を上に飛んでかわし、よろめいた霊残の背中を蹴った。
「全部全部ねじ伏せてしまえば良いだけじゃないか!」
記紀は踏み潰すように霊残を蹴る。
「その程度の攻撃が痛いわけないだろうが!!」
その行為が癇に障ったのか、霊残は記紀を勢いよく跳ね除けた。
「痛くないよね。僕の力はただの人間並みだ。」
軽やかに着地した記紀はサラリと呪文を唱える。
土砂が轟音と共に動き始めた。そしてそれは霊残にきつく巻きついた。
「うーん、だいたい石英と砂鉄かな?まぁいいか。」
記紀が両手をぱんと叩くと鉄と水晶が霊残を貫くように一気に生えた。
「筒状の土の内側から生やしてみたけどこんなに強いとはねぇ。」
霊残の口からだらりと血が垂れた。




