由来
シグマに今日から修行を行うと言われていたが、カレットが呼び出されたのは本が山積みの和室だった。机を挟んで反対には前髪で片目を隠した変な奴が座っている。
「お前今小生のこと変な奴だと思ったろ。」
「んぇっ、あ、いえいえ、そんなこと…」
「思ったのなら思ったという事実を重んじろ。小生は正直な奴の方が好きだ。」
「え、じゃあ変な奴だと思いましたよ。」
「それでいい。変な奴だと思われるための背格好だからな。」
「はぁ…。」
小説を読み続ける男の名はクシー。今日のカレットの修行相手だと紹介された。
「久々に引きこもって、戦いもせず、オミクロンの世話にもならずに本を読んでいいのなら、こんなガキんちょの修行相手も儲け話だ。」
あまりにも本を読みたがるクシーにカレットは痺れを切らした。
「あの!一体どんな修行をするんですかね!?」
大きな声に驚いたのか、クシーの肩が跳ねた。
「…大きな声を出さないでくれ。それに、小生の修行は始まってるし、お前も直ぐに始められる。」
「…いや、わかるもんですか。説明不足もいいとこです。」
「あー、カレット、お前の名前を調べ尽くせ。それともカレット・ヘブンズドアが本名か?それなら一緒に探せるが。」
「カレットは本名です。名前を調べたらどうすればいいんですか?」
「ノートにメモしておけ。本名を隠す必要がないならそれでいい。」
「そうしときますね。」
カレットは手頃な辞書を手に取った。クシーも辞書を取る。
「小生のように本名が日の国伝来の文字並びであると、一字一字全てに意味があるからかなり時間がかかるが、お前の名前は単純だから直ぐに終わりそうだな。」
「なんか安っぽい名前って言われてる気分です。」
「…そんなことない。ヘブンズドアとは天国への扉だ。素晴らしい名前ではないか。そしてカレットとは…」
「うーん、とある文字にくっつけると推定量に変える記号の名前とか、ガラス屑って感じですね。」
「そうか…。」
クシーは少し考え込んだ。カレットはただ見守るしかない。
そしてしばらくすると、クシーはこう言った。
「推定量という部分に着目しよう。『推定』という言葉を『おおよそ』と置き換える。それをまた『だいたい』と置き換える。そこからどんどん発想を広げよう。」
「だいたいということは…『曖昧』や『誤差』なんてどうでしょうか?」
「ふむ、いいと思うぞ。こんなふうに我々は自分の名の意味を調べ尽くし、発想を巡らせて力を得る。今まで出した言葉の中からどんな技を生み出せそうかというのを考えていこう。」
「えー、周囲の温度を変えるとか…、距離を伸ばしたり縮めたり…。」
「いいぞいいぞ。それでは発動条件を作ろう。距離の時は『誤差』を使おう。攻撃回避の時には誤差〇メートルなんて言ってみたらどうだろうか。」
「じゃあ逆に確実に技を命中させるのなら誤差〇ミリメートルとかマイクロメートルとかですかね?」
「よしよしよし!楽しくなってきたぞ!」
「それじゃあ次は温度ですね。」
「温度操作は武器に応用しよう。水銀を武器にするといいかもしれない。王子に連絡を入れておこう。」
「水銀の融点ってどのくらいですかね?」
「それも調べるとわかる。…-38.87℃か。」
「こちらは『推定』にしておきます?推定-40℃と言えば発動できる…とか。」
「いいんじゃないか?それにしてもいい名前を貰ったなカレット。ご両親もさぞすごい人なんだろうな。」
「ただの彫刻家ですよ。」
少し気になることはあるが。カレットは少し考え込んだ。
「あの、デウスってどんな意味なのか調べてみてもいいですか?」
「調べることはいいことだ。いくらでも調べなさい。」
「ありがとうございます!」
カレットは辞書をめくる。数分探した後にようやく見つけたその意味とは
「…神。」
「すごく強そうじゃないか!ぜひお会いしてみたいくらいだ!」
「いやいや、でも普通の彫刻家なんですから!」
「だったらお前に良い名を与えてくれたことを感謝したいと思うよ。小生は…お前が小生たちの歴史を終わらせてくれるような気がしているんだ。期待してるぞ。」
「…はい。」
過度な期待だろう。カレットは少し恥ずかしくなった。
「強くなるコツは自分の名を愛すること。込められた意味を信じること。そうすることで力は研ぎ澄まされ、さらに強くなっていく。きっとお前ならとんでもない力を得られるはずさ。精進したまえ。」
クシーはそう言って立ち去ろうとした。しかし、それは来客によって阻まれることとなる。玄関をノックする音。ガタガタのガラスが貼られた引き戸なので音がうるさく響く。シグマが応対する声。
しばらくするとカレットたちのいる部屋の戸が開けられた。
「王子様からの招集。早く来て。」
みんな先に出ていってしまったらしい。カレットが外に出たのは全員が集まった後だった。
「遅いぞ〜。」
「すみません!つい…」
カレットはどうしても気になる言葉を見つけてしまったのだ。
『デウス・エクス・マキナ』
なんの脈絡も無い救いのこと。
「ここ辺りのみんなは集まったか。それじゃあ話を始めようか。」
王子ポースは眉間に皺を寄せていた。
「イプシロンが殺られたらしいな。」
声が震えている。涙をこらえるから皺が寄っていたのだろう。しばらくの沈黙。当時現場に居合わせていたサンピ、シータ、イオタも泣きそうな顔をしている。
「泣いてるだけじゃ、救いたいものも救えないわよ。」
「あぁ、確かにそうだ。」
冷たい声が響いた。
「なんだと…っ」
カレットは反射的に怒りの声を上げた。
「それで怒ってるんじゃ、貴方もすぐに殺されるわ。泣いてる暇があるのならさっさと立ち上がって強くなるのが、死んだ人への礼儀だわ。」
残酷な程正しい意見だ。カレットは言い返せずに歯を食いしばる。すると、隣の男がフォローを入れた。
「イータ、あまり言い過ぎるな。お前も辛いだろ。」
「ロー、甘やかしていい時と甘やかしちゃいけない時の見分けくらいつけなさいよ。だからあんたはいつまでも馬鹿なのよ。」
「オレは猿だ。きっと馬や鹿より賢い。」
「その発想が馬鹿なの。」
イータといううさぎの耳を生やした少女の表情は冷めきっている。カレットは心底嫌な奴だと思った。
「…さて、改めて話を始めよう。サンピ君にはイプシロンの名を受け継いでもらいたいと思うが、どうする?このサンピという名のままでも大丈夫なんだが…」
「いや、僕はサンピのままでいい。兄さんの名前を受け継ぐ勇気はないよ…」
サンピは俯いたまま答えた。
「それに、僕の世代でこの戦いが終わる気がするんだよ。」
不意に上げた顔は何かを決意したような表情だった。その予言は強い芯を持って、この場にいる全員の心にこだました。




