アドベント・テラリウム
街を大回りして走り、カレットは霊残のもとを目指す。その様子が記紀にとってはかなり腹立たしく思えた。
「ヘブンズドア…静深…」
とても嫌な組み合わせに思えた。
「因幡の白兎。」
そう唱えて指を振ると、カレットの目の前を白く光るうさぎが横切った。驚いたカレットは一瞬減速するが、構わず走る。
後で殺せばいいか。記紀はふうとため息をついた。
が、
「アドベント・テラリウム!月石5式の一つ、緑柱石!!」
ダァンッと足音が響いた。振り返ると、緑色の宝石の波が襲いかかってきた。
それを記紀は振り向いた勢いのまま足払いで自分の周りだけかき消した。
一瞬遅れたら確実に足は使い物にならなかっただろう。
「グランギニョルとか言ったか!?俺にはもう効かねぇぞクソ野郎!!!」
「デウス落ち着け!攻撃してくるぞ!!」
「そんなことわかってる!その前に殺せばいいだろ!!」
地面を蹴った土埃しか見えない速度でデウスは記紀に向かって行った。
「蝦夷の灰書」
記紀はデウスが向かってくるだろう方向に黒い灰の山を作った。
だが、2秒経っても音沙汰無い。
記紀の背後、ヴァロナの視界の先。
月を背負って白い布がはためいた。
「アドベント・テラリウム 月花7式の七つ、睡蓮!!」
デウスがそう唱えると、記紀の足元が割れ、巨大な池が現れた。近くにある建物は尽く巻き込んでいく。そして睡蓮が咲き乱れた。
アドベント・テラリウム。神を名に持つデウスであるから使える力だ。アドベント地方であれば自分の思うままに地形を変えることができる。
つまり、デウスが海を知っていたならば、この国は…いや、アドベント地方の全てが今となっては海の底だっただろう。
賢いデウスが唯一知らないもの。それが海。
記紀は溜息をつくと、小さなワニとサメを池に出現させた。対岸まで伸びるワニとサメの橋。それを渡ろうと跳ねていたうさぎを蹴落として記紀は自分が橋を渡ろうとした。
その様子に、デウスは思わず動いてしまった。記紀が作り出した偽りのうさぎを助けようとしたのだ。
デウスの両手に収まるうさぎは記紀が渡りきるとデウスの手首に感謝するようにキスをして消滅した。手元が軽くなったデウスは記紀に向き直る。
「アドベント地方で生まれたベルダー童話の一つ、『優しかった狼』。デウスのことだから知ってると思ったよ。」
「…知ってるとも。一番好きな話だ。」
「狼が報われないのにか?」
「あぁ。ベルダー童話に終わりは無い。」
記紀は鼻で笑う。それよりも大声でデウスは空に向かって笑った。
「…まぁ、さっさと首を出しやがれ。お前の罪ごと叩き切ってやるよ。」
「君の罪は棚に上げるつもりかな?」
「自分で償いすら出来ねぇお子ちゃまと違って俺は自分で全部やれるのさ。」
デウスは中指を立ててそう言った。
「そんな安い挑発に乗るとでも?」
「挑発じゃねぇよ。これは事実だろ。」
また記紀は溜息をついた。そしてまた呪文を唱える。
「迦具土神。」
デウスのいる池が一瞬で茹だった。睡蓮はひしゃげていく。デウスは急いで池から出る。衣が濡れて動き辛い。
「アドベント・テラリウム月花7式の二十九!仙人掌!!」
池のあった一帯が今度は砂漠になった。そして仙人掌が生え、美しい花を咲かせる。
薄い素材のデウスの着物はあっという間に乾燥した。
「アドベント・テラリウム月石4式の二つ!水晶!!」
砂漠から透明の無数の針が現れ、記紀に向けて飛んでいく。
記紀に避ける暇はなかった。辛うじて腕で眼は守った。
「砂漠はほとんど石英なんだぜ。お前がそれっぽくこの国に作った公園の砂場から興味を持って調べたら出てきたんだ。ままごとにリアリティを追求してくれてありがとうな。ざまぁねぇぜ。」
針はまだまだ湧いてくる。場が悪いと判断した記紀は逃避ルートを探る。
「蝦夷の灰書!」
霧のように黒い灰が降る。
ここまでの戦いについていけそうになかったヴァロナがようやくハッとした。
「逃がすか!!」
「ヴァロナ!飛ぶなら俺も連れて行け!!」
「…わかった!!」
恐らくデウスが自分で走る方が早い気がするが…?
ヴァロナはデウスを抱きかかえると、記紀を追った。
「戦いやすい場所に移動するのは立派な作戦だ。煽らず、冷静に判断するぞ…」
「デウス、砂漠から先はお前にかなり部が悪い。絶対地面に素肌をつけるなよ。」
「了解。気にするな。」
そこは小さな路地。照らすものといえば月光だけだ。薔薇の咲いた跡がある。恐らくデウスが数刻前荒らした場所だろう。
記紀は立ち止まって待っていた。
「なんで自力で走らないんだ?」
記紀もヴァロナと同じ疑問を抱いていたようだ。
それにデウスはケロッとした表情で答えた。
「あー、目が見えねぇんだよ。」
笑うデウスに対してヴァロナは血の気が引く感覚を覚えた。




