また日常へ
それは月明かりの美しい、とある日のこと。
「なーなーシグマァ、きびだんご早く作ってくれよ。」
「うるさいな。まだまだかかる。」
日の国伝来の技術で作られた丈夫だが情緒ある瓦屋根の屋敷にシグマとタウとファイは住んでいる。本当はもう1人いるのだが、数ヶ月前出ていったまま帰ってきていない。
「カッパの連絡によればもう少しで来ると思うんだけど…」
シグマはカレット達の到着を待っていた。イプシロンがいなくなったショックで熱を出したイオタでは役に立たないため、若い隊員たちを広い屋敷で預かることにしたのだ。だからもてなしのためにきびだんごを作っている。
「警備なんて速く走れる奴が早く現場に向かえばいいからってさぁ…結構横暴な話だよね。」
「…そうだっけ?」
「相変わらずの鳥頭だな、タウ。」
シグマとタウの会話を眺めたまま黙っているのがファイである。ファイももちろん喋るのが好きだが、喋ってしまえば馬鹿が露呈してしまうらしく、なるべく喋らないように心がけているらしい。
「ファイも明日は喋ってよ?若い子達の指導に入るんだから。」
「…。」
コクンと頷くだけ。
「返事は?尻尾踏んづけるよ?」
「…わかった。」
「よろしい。」
はっきり言うとタウもファイも馬鹿なのだ。だからシグマがいなければ何も出来ないのが現状である。
「つ、疲れたぁ…。」
カレットたちがたどり着いたのはそれから2時間後だった。
「遅かったね。タウがきびだんご食べたがってうるさいんだよ、早く食事にしよう。」
「それより、ちょっと休ませてくれ…」
アイですらへたり込む。
「雑魚くんでも疲れる距離なんだね。イオタの所から3番目に近い家なのに。」
「あ、雑魚くんじゃなくてアイちゃんです…。」
「バッカ、内緒って言っただろうが…」
「いいじゃん可愛い名前だし…」
カレットとアイが元気の無い口喧嘩をする。が、シグマの視線は冷ややかだ。
「ほんの20キロ歩いただけで疲れないでくれるかな。明日から毎日厳しい訓練になるんだから。ほら早くして。」
玄関からさっさとキッチンへ戻っていく。カレットはイオタを担ぐカッパにコソコソと話しかけた。
(あの、冷たくないですか?)
(アイツは素直じゃないだけだよ。本当は優しいんだ。)
(えー?)
「聞こえてるぞ。さっさと上がれ。」
「うわ、地獄耳。」
「帝釈天様、二十四言狼の一部が1箇所に集まっているようです。」
「そうか広目天。さすがお前の耳は優秀だ。」
「いえ、そんなこと。」
広目天はまた目隠しをする。そうしなければあまりにも目が見えすぎるのだ。目隠しで耳ごと隠す。音を遮らなければうるさすぎて発狂しそうなのである。
こうなってしまったのは閏になってからである。だから広目天は閏の発生した原因であるこの男を死ぬ程嫌い、呪っているのだ。口ほどにものを言う目を隠しながら。
いくら褒められようと、いつか殺すとしか思っていないのだ。
「帝釈天様、次の嵐には私が行ってもよろしいですか?」
「弁財天か。あぁ、それでいいと思う。」
「やった、ありがとうございますっ」
「また肉が食えるといいな。」
「頑張りますね!」
広目天は誰にも知られないような音で舌打ちをした。
「きびだんご美味しいです!」
「シータだったけね。君は可愛いからいっぱい食べなよ。」
「えー!ありがとうございます!!」
「シータだけいいなぁ。」
「ざこ…アイちゃんもまだ大きくなれるだろうからいっぱい食べて。カレットとサンピとカッパは適当に食べな。」
「本当に適当ですね。」
「イオタの分。アイツの寝込み癖治んないのどうにかならないかな。俺たちが死ぬ度にあんなんじゃあキリがないだろうに。」
「本当だよなぁ。」
シグマとタウが呟く。
「そんなに毎度なんですか?」
「ウプシロンたちに聞けばわかる。前のシータの時も酷かった。多分アイツは全部自分が悪いって思い込むタイプなんだよ。」
「…そうなんですね。」
その話を聞いてアイは俯いた。
「俺が閏を止められたら良かったのに…。」
「アイちゃんは悪くないだろ。お父さんのために今頑張ってるんだから。」
「…そうかなぁ。」
「イオタさーん、起きてますかー?」
イオタのいる部屋の戸を叩く。熱があるが、きびだんごを食べてもらえるだろうか。
「…入りますよー?」
寝てたら枕元にでも置いておけばいいか。そう思って入室した。
「カレット!?」
驚いた様子のイオタが何かを隠した。たくさんの紙と鉛筆か?
「何か隠しましたよねー?」
「…いや、見られても困るから、追及はやめてくれ…。」
「何か気になりますよ〜。」
「仕方ないな…。」
一枚だけ見せてくれたそれはスケッチだった。それも笑顔のケオのもの。
「うっわ、めっちゃくちゃ上手いじゃないですか!」
「…遺影も残せないから、せめてスケッチでもと思ってな。」
イオタは照れたのか顔を背けた。
「優しいんですね。そういえばイオタさんはいつからここにいるんです?」
「…。」
黙り込む。何か聞いてはならないことなのか?
「…25の時だったな。たしか。」
「25ですか。先代の人は頑張ったんですね…。」
「そうだな。」
穏やかな表情だ。
「熱は大丈夫そうですか?」
「もう少しすれば治るよ。スケッチが終わったら落ち着いた。」
「良かったです!じゃあ、だんごを食べて早く元気になってくださいね!」
「ありがとうな。」
イオタはカレットの頭を撫でた。まるで死んでくれるなよとでも言いたげに。
一方閏の国ではもう一つの勢力が動き始めようとしていた。遊郭街の赤い牢獄の前に1人の男が立っている。…誰かを待っているようだ。
「遅いな…。まさかバレたとかじゃあないよな…。」
心配そうに辺りを見渡す。すると、遠くから人影が迫ってきた。
「持国天さん、すみません!女の子が悪漢に絡まれてましたので助けていたら遅くなってしまいました…。」
待っていた男、持国天はホッと息をついた。
「それでも遅いっすよ布袋さん。また金づるでも捕まえてたんじゃないですか?」
「いえいえ、この500年ほどはそんな動き出来てませんよ。帝釈天に怒られますもの。」
ほのかに桃の香りを漂わせる男は布袋。着物の上から制服の黒いコートを肩にかけている。男性にしてはしなやかな体躯が特徴的である。
「それもそうっすね。」
「今日も桜のお香ですか?とても良い香りですね。」
「あー、あざっす。」
「もう、持国天さんの方が地位が上なのですから敬語じゃなくて良いんですよ?」
「俺は地位より年齢の方が大事だと思うので。これでも頑張って砕けた敬語にしてるんですよ?」
「そうなのですね。」
口元を押さえて上品に笑う。本当に男性なのか疑うほど。
「広目天と大黒天が着いたら会議を始めましょう。その前に私は牢獄の中に戻ります。帝釈天にバレたら面倒ですからね。」
そう言って蓮の花弁を取り出すと、牢獄の柵の隙間から中へそれを投げ込む。その瞬間、布袋は牢獄の中に移動した。
「布袋という名は嫌いでしたけど、コードネームも愛せば力を得るのですね。とても便利です。」
布袋、別名弥勒菩薩ともされることがある。日の国の者に聞いた知識だ。
「蓮のある所にならどこにでも行けそうっすね。」
「いえ、桃の香りが切れたものはダメなので花びら1つの効果はほんの半日もないですよ。だから沢山の花弁を持ち歩くのです。」
「制約付きなんすね。」
「何かもう少し先のことを知れたなら、どこにでも行けるかもしれませんけどね。」
大黒天と広目天が現れたのはそれから10分ほど経ったあとだった。
「大黒天さん、おかえりなさい。もう少し早ければハグのひとつでもできたのですが。」
「やめてくださいよ布袋様。皆さんの前だと恥ずかしいです。」
「うふふ。広目天さんもお疲れ様です。」
「お疲れ様です。持国天も。」
「あぁ。じゃあ布袋さん、会議を始めましょうか。」
「えぇ。では始めましょうか。議題は『どのようにして帝釈天から我々の死を取り返すのか』です。」