孔雀の王様
この荒野、「子供の国」には栽の都からしか入れない。
というわけではない。
栽の都周辺の4つの国からも森を越えて侵入することもできるのだ。ただ出るとなるとあまりにも難しいのだが。王族以外の人間で森を越えて荒野に入り、更に森を越えて栽の都に入り、同じ道を戻れた例はこの500年でたった1つしかない。
それとは別の事例だが、20年と少し前のエルドラドから事件は起きた。
エルドラドは古来より人体実験の盛んな国だった。しかし王がロンドに代わると倫理的な面から人体実験は禁止された。これにより奴隷扱いを受けていた人々は解放された。だが国民の一部は人体実験を続けたかった。じゃあどうするか。
人間を作ればいい。
エルドラド人は元素の国の遺産である生体兵器を作り続ける機械をオズを騙して観察、模倣し人間を作る機械を作り上げた。
これでいくらでも実験ができる。戸籍を作らなければ王にも見つからない。
試験管ベビーが生まれて実験が始まった。第1世代はほとんどが6歳までに死んでいった。
そんな中たった1人生き残った子供が逃げ出した。
第1世代は欠陥が多い。普通の人間よりも身体能力が優れすぎているのだ。だからその子供はあっさりと森を越えて荒野に入った。追跡者は森を超えてはならないと、子供のことを諦めた。
「ファイル名:Peacock」
それが子供の名前だ。
「えっ!?君どうしたの!?」
Peacockの意識が途絶える前に聞いた最後の声だ。脳に鮮明にデータのように刻まれている。
目が覚めた時、Peacockはベッドの上にいた。
「やぁ、目が覚めたんだね。良かった良かった。」
上半身だけ身体を起こす。
「えと…」
「あぁ、俺の名前は日昇 仁。この家に住んでる兵隊さ。」
仁と名乗るその男はニッコリと微笑んだ。
「いやぁ、とても驚いたよ。本来いるはずの無いものが現れて、しかも目の前で気絶したんだからさ。」
「…。」
「君は迷子?それともどこかから逃げてきたりしたの?」
「…!」
Peacockはことの経緯を話した。非人道的な実験がエルドラドで行われていること、同い年の子はみんな死んで、自分だけが残ったということ。
「…そっかそっか。辛くて怖かったね。」
仁は泣きそうな顔でPeacockを抱きしめた。
「王様に電報を送って君を保護してもらおう。俺の家族が引き取ってくれるはずだ。」
そう言いながら仁は写真を取り出した。
「これが僕の家族。妻の摩瑜利と娘の雀。君には雀のお兄ちゃんになってもらいたいんだ。」
「お兄ちゃん…?」
「そう。雀は今4歳。君の2つ下だね。…よろしく頼んでもいいかな?」
「…わかんない。」
仁は笑いながらPeacockの頭を撫でた。
「そっか、わからないよな。簡単に言ったら俺の息子になるってことさ。…いや?」
Peacockは首を横に振る。
「いやじゃないよ。」
「良かった。じゃあ君に似合う名前を考えなきゃなぁ。」
「Peacockのままでいいよ…。」
「いいやダメだよ。うーん、礼かな。どう?」
「礼…。」
「いやなら別の名前を考えるからね。」
「ううん、好きだよ。」
「本当!?良かったぁ。」
仁は嬉しそうに笑った。
仁はすぐに王に連絡すると、王の家来が来るまで礼にたくさん家族の話をした。礼はその短時間で仁が如何に家族を愛しているのかを理解した。
そして雀は身体が弱く、ベッドから動けないことも知った。
話が終わりそうな頃、突然仁は礼に土下座するように頭を下げた。
「礼、すまない…。君に家族になろうって言ったのは、俺が死んだ後に妻や娘をここに来させたくないからなんだ。君がここに来た時、ラッキーだと思ってしまった。でも、やはり君は血の繋がらない他人だ。…俺たちの運命に巻き込んではならないんだ…。」
「君は、これから栽の都で幸福に暮らすんだよ。俺に聞いた話は全部内緒にしていればバレないさ。」
泣きそうな顔で笑った。
やがて王の家来が来た。礼の健康状態を簡易的に確認すると、ほっとした顔をして頭を優しく撫でた。
「君は彼…タウから何かを聞いたかい?」
首を横に振れ。そう仁は目で礼に訴える。
しかし、礼は
「僕はこの人の子供になったんだよ。」
と言った。
「ダメだ!礼!…すみません!この子、まだ少し混乱してるみたいで…!!」
「ううん、父さん。僕は本気だよ。父さんの子供になりたいんだ。」
礼は仁の優しい嘘を全て否定した。
「それでは、この子はタウの家で引き取ってもらうよ。いいね?」
家来は仁に確認をとった。もう頷くしかない。
「貴方はとても優しい人だ。きっとこの子は強くなるよ。御家族のことも王様に伝えておくから、…どうか気に病まないでくれ。」
家来は申し訳なさそうに仁を慰めた。
「父さん、2人のことは僕に任せて。大丈夫だから、長生きしてね…。素敵な名前をありがとう。」
涙を流す仁を横目に礼たちは栽の都へ向かった。
「タウ、何かあったのか?」
「イオタ…なんでもない。なんでもないよ。」
「そうか…。」
仁の嘘は淡く優しいまま見抜かれた。
「日昇さん、この子が連絡していた子供です。」
「は、はじめまして。」
仁には大層なことを言ったが、礼は少し緊張していた。
「はじめまして、摩瑜利です。よろしくね、礼くん。」
摩瑜利は嬉しそうに笑った。
「すず〜!お兄ちゃんがきたよ!…礼くん、すずに顔を見せてあげて。」
「は、はい!」
「『うん』でいいのよ。家族になるんだから。」
「えと、うん!」
雀は明るい茶髪の可愛い子だった。大人しくベッドで上体を起こして絵本を読んでいたようだ。
「はじめまして。雀ちゃん。僕は礼。これからよろしくね。」
「…!」
雀は何かとても驚いた顔をしていた。
「ど、どうかしたの?」
尋ねてみても無言で、ただマジマジと礼を隅から隅まで見る。
そして、ようやく聞いた言葉が
「王様だ…!」
「え?」
王様?
「ママ!孔雀の王様だよ!」
読んでいた絵本を礼にも見えるよう広げて見せた。本の中には王冠を被った一羽の孔雀がいた。
「あら、ホントによく似てるわね!」
自分の姿を見たことの無い礼には意味がわからなかった。
「礼くん、ほら鏡を見て。」
摩瑜利に促されて鏡を見た。
髪の色は孔雀の緑色、瞳の色も孔雀の羽の模様のようだった。
「ホントだ…。」
「王様、絵本読んで!」
雀にせがまれた礼は快く絵本を読んでやった。
吾輩は孔雀の王様。吾輩の素晴らしい羽根にはあらゆる病を治す力があるのだ。
ある日吾輩は疫病の村の娘に心を奪われた。だから村を救おうと思ったのだ。
吾輩の羽根を抜き、刻んで出汁を取りスープに混ぜて食べなさい。そうすれば村は疫病から逃れられる。
村人は大いに喜んだ。だが村人の数が多く、羽根の出汁では足りなくなった。
吾輩は考えた。
考えあぐねた果てに目に映ったのは、まだ病の治らぬあの娘。
腹を括り吾輩は鍋に飛び込んだ。
熱い、苦しい、しかし、しかし…
村人の感謝の声を止まぬ泡の音がかき消す。
この村のその後を知る術は無い。
だから神は吾輩に世界を見守る力をくれたのだ。夜の南の国を眺めることができるこの力で最初に見たものは、あの娘と村の青年が食卓を囲み笑い合う姿だった。
ああそうだ、それでいい。
歳を追うごとに、雀の身体は強くなっていった。礼も摩瑜利も付きっきりでの看病をしなくても安心できるようになった。
「ねぇ、お兄ちゃん。」
「ん?なんだい?」
「私とお兄ちゃんは、本当の兄妹じゃあないのよね?」
「…うん。雀はあの時4歳だったから、覚えてないよな。」
「ううん、何となく覚えてる。だからね、あの…。…いや、やっぱりやめとく!忘れて!」
「あ、あぁ…。」
礼は、淡い期待と絶望を抱いた。
ああもしかしたら、だが、改めて自分はこの家族と血が繋がっていないのだな。
いや、雀が幸せならいいんだ。
ああそうだ、それでいい。
とうとうその日が来た。
仁の訃報が届いた。
ほんの数時間の思い出が蘇り、礼は泣いた。実の娘の雀よりずっと。
行かなくては。戦地へ。すぐに向かわねば。
…勇気が足りない。
礼の震える背を見て、雀はとある勇気を得た。
「お兄ちゃん。」
「…なんだい?」
「あのね、やっぱり私はお兄ちゃんと血が繋がっってなくて良かった!」
「雀…?」
「…私、私ね…お兄ちゃんのことが大好きなの。家族としてじゃなくて、その…これから家族を作りたいって意味で!…ごめんね、こんな変なこと言って…。」
雀は目を潤ませながら言い切った。
「もう、二度と会えなくなるのに…。」
いろんな恐怖があっただろう。
「雀。」
よく頑張った。
「…僕も、雀のことが大好きだ。僕は必ず帰ってくるよ。あの王様のみたいに思い残さないように、必ず戻る。…待っててくれるかい?」
「うん。ずっと待ってる。」
「…じゃあ僕は行くよ。」
背を向けて歩く。
あらゆる大好きな物で装甲を。
「吾輩の名は日昇 仁。必ず生きて帰る男だ。」
夢物語のように思っていた。
しかし夢はもう目の前に。
木の根の先の現に手を伸ばして、必ず掴み取ってやる。
20の時に訪れた戦地。
26の時に訪れた転機。
32の時に訪れる歓喜。
逃してなるものか。
絶対に生きて帰る。