泣いた青鬼
家をたつ朝に煙斬と魅空の元を訪れるようにラムダとカイに言いつけていた。
いざその日、なかなか二人はやってこない。
「二人とも遅いな。まさか閏に襲われているとか…。」
「かもねぇ。ボクちょっと見てくるね。」
「おう、俺は準備の続きをやっておくよ。」
「うん。ありがとう。」
「それにしても…」
遅い。あまりにも遅い。もう少しで日が昇りきる。
不安に思った煙斬は念のために刀を携えて外に出ることにした。
ドアを開く。
静かだ。
風の音も聞こえないほど。
空は快晴。
足音が響く。
砂を踏む音。
「ラムダー?カイー?」
声は返ってこない。
「…オメガー?」
人前では本名で呼ばないようにしている。
「どうしたんだ…?」
もう先に行った方がいいか。仮に犠牲になっていたとしたら、煙斬まで巻き込まれてしまっては元も子もない。
辛いが、腹を括らなくては。
たった一人進んでいく。
「煙斬。」
背後からの声に振り向く。
「魅空…!」
純粋に嬉しいと思った。
無事でいてくれたのだと。
だが
「…魅空…?」
「どうかしたかい?」
「怪我…したのか?」
魅空が血で汚れていた。
「ああこれ。」
魅空がニッコリと笑った。
「ラムダとカイの返り血だよ。」
「…は?」
どういうことだ。
考えが追いつかない。
「…馬鹿だなぁ。ボクが、この手で、2人を殺したんだよ。」
「なにを…言って…。」
「2人は殺してここから東に少し進んだところに棄てておいたけど。」
魅空が指を指す。遺体は見えないほど遠くにあるということか。
「どういうつもりだ!!!!」
煙斬が鬼の形相で怒った。
「大事な仲間だろ…!!?なんで、なんで裏切った!!!!!!?」
「なんで…ねぇ。最初から仲間っていう意識は無かったよ。残念だね。」
「てめぇっ!!!」
「…君はまだ殺さないよ。なんなら逃げるべきじゃないかなぁ。だってボクはこれからキミを食べようと思っているんだから。」
「食べる…だと?」
「やっぱり神島の人間は残さず食べてしまいたいじゃないか。さ、大人しくこっちに来るかい?」
血に濡れた笑顔で手を差し伸べる。
恐怖を感じて煙斬は走って逃げた。
走る先はイオタの家。
どうしてか、自分で倒しきれる気がしないのだ。
どうして。
あんなに俺のことを大事にしてくれていたのに。
一切自惚れでは無い。本当に、大事にしてくれていた。
もしかして、俺の態度が気に食わなかった?生意気な態度ばかり取ってたから?
大嫌いなのに、大好きだと言ってくれていたのか?
絶対食べないって言ってたのに。
食べないって…誓ってくれたのに。
煙斬の頬を涙が伝っていく。
今こそ、正直になればもしかすると…
「魅空、魅空!お前は俺のこと嫌いかもしれないけど、俺は、本当は…」
「すまないね、全部嘘だよ。」
「えっ…?」
不意の言葉に思わず力が抜け、走る速度が緩む。
嘘?じゃあ、誰も死んでない?
全部魅空の演技?
何故こんなことを?
完全に足を止めて、笑いながら振り向いた。
「何だよそれ、あんまりふざけると俺、お前のこと…」
目の前には音もなく近づいていた魅空がいた。
「好きも嫌いも関係ねぇよ。俺はお前の大好きなお義父さんを魂の方から喰い殺しただけだ。」
左手で煙斬の肩を掴むと、右手で刀を持って煙斬の脚を切り落とした。
壮絶なまでの痛みが煙斬を襲う。
今まで、魅空に守られてきたからこんなに大きな痛みは知らなかったのだ。
声を出せない程痛い。脂汗を垂れて、浅い呼吸を何度も繰り返す。
「やはり、美味い肉を食ったことのある人間の魂の味は違うな。」
そう言って奴は、煙斬が這って逃げないように残った腿に刀を突き立てた。
「初めまして、俺の名前は福禄寿。…魂も良いが、肉も美味いもんだな。さっき殺した2人も少し味見したが、お前の肉は段違いに美味い。体内の構造に変わりはなさそうなのにな…。不思議なものだ。」
魅空の顔、声で奴はベラベラと喋る。
「魅空を、返せ…。」
「ん?死んだ奴をどう返せばいい?できやしねぇよ。」
「返せ…返せ…!」
ちゃんと面と向かって大好きだと言えなかった。今までありがとうと、言えなかった。
明日があると思ってた。
言っておけば良かった。
「すごいな。あっという間に食べてしまったよ。」
目の前に真っ白な骨だけになった脚を落とされた。カランコロンと愉快な音を立てる。
「じゃあ残りもゆっくり食べていこうかな。」
残った腿を少しずつ切り取る。そしてその都度食べていく。
既に血は大量に流れた。
最早痛みすら薄い。
あぁ、死ぬんだな。
そう思った。
魅空、助けて。
お父さん、お母さん…
それは煙斬が煙草で最も不味くしておいたと言っていた肺に至る寸前のこと。
最後の力で煙斬が何かに手を伸ばした。
「あ、」
その手は何かに届いた。
福禄寿には見えていなかったのだ。
神島の力の一端が。
煙斬の眼には曼珠沙華を降らしながらやってくる、神様のような親族たちの姿が見えた。
お父さん、お母さん。
魅空は?
まだ死んでないよ。先に行って待っていようね。
そう言うと煙斬の方に手を差し伸べた。
その手に煙斬は手を伸ばしたのだ。
手が届いた瞬間、煙斬の残った身体は曼珠沙華の花弁になって消えた。
煙斬の魂は守られたのだ。
 
記憶の隅にしかなかった両親の笑顔。嬉しくて泣き崩れた煙斬を慰めながら、両親は魅空がどんな人物であったのかを話し始めた。
一方、魅空の魂はまだ魅空の身体に残っていた。
共有される五感。
えも言われぬあの懐かしい旨味がまだ口の中に残る。
なんで、彼らはこんなにも美味しいのだろうか。
身体の支配を貫いて、魅空は涙を零した。
神祠家の人間は神島家からすれば捕食者であり、支配者でもあった。そして神祠家は今までその立場を楽しむような人物しかいなかった。
神を喰い、腹の中に収めるから神祠。
それが当然であった。
そのため、神島家は神祠家を鬼と呼び、恐れていた。
そんな中、魅空だけは違った。あんなにも美味しい神島家の肉を食べたくないという異端児だった。
魅空たちの故郷、エデンには煙斬の直系の家系とは別に神島家の分家がある。
エデンでは神島の肉は養殖されているのだ。
そして1年に一度の大祭にて、エデンの国民に一人一切れずつその肉が配られる。
それくらい特別な肉を、神祠家の人間は危険な仕事と引き換えに独占できる。それはとても喜ばしいことであり、嫌がるのはおかしなことだった。
そんな魅空の想いを聞いて、理解してくれたのは秋の王ケフェウスだけだった。
煙斬…煙斬…!!
大事な子が目の前で、自分の手で消えていった。
さて、あの子に会いに行こう。
福禄寿はまぁいいかとでも言うように切り替えて、イオタの家の方面へ向かって魅空の身体で歩き始めた。目から溢れる液体は無視する。これと言った影響は無い。
ところで、あの人の言っていた感情の味はやはりわからない。
散々死体を食ってきた寿老人ならわかってくれるだろうか。
あぁ楽しみだ。早く会いに行こう。
赤黒い荒野の遺体たちはこの後誰にも気づかれることなく風化していくのだった。
何故なら




