ロアーとギリス
とある日、ギリスはまた夢を見た。大して怖い夢ではなかった。アダムに出会った頃の話。ギリスにとってはとても美しい思い出だ。
今日はどうしてか誰かに話したくて仕方がなかった。
「それで俺を呼んだと。」
「増長天なら聞いてくれそうだからな。」
「聞きはしますけど、俺はアダム兄さんが嫌いですからね。これだけは忘れないでください。」
「わかってるけど…。」
「まぁ、俺はちゃんとギリス様のそばにいますから。好きなだけ話してください。」
ギリスは言われたとおり、好きなだけ話した。
増長天はその楽しそうな顔を眺めて幸せそうにしていた。
俺は15歳の頃に5歳のギリス様に出会った。何かから逃げてきたという彼が引き連れている血まみれの小さな子を見て街の人々は何かを囁いては畏怖の表情を浮かべる。見兼ねた俺は2人を保護した。
生憎、俺の家に風呂は無く、銭湯に行くにも2人はかなり目立つ風貌だ。だから仕方なく従兄弟の働いているという遊郭を訪れた。
「あら、ロアー君!アダム君とは違って男らしくなっちゃって!」
「女将さん、お久しぶりです。すみませんが、2人にお風呂を貸していただけないでしょうか?」
「あらあらぁ、小さい方は血まみれじゃないの。坊や、怪我は無い?お兄ちゃんの方も大丈夫?」
2人はコクリと頷く。女将さんはとても優しく、2人をすぐに受け入れてくれて俺はほっとした。
「ロアー君も一緒に入っていきなさいな。」
「いえ、俺はさっき行ってきたので。」
「あらそう。じゃあお茶でも飲んで、ゆっくりしててね。私がお風呂に入れてくるわ。」
「お願いします。」
当時の俺は小さな子というものが苦手だった。どうやって接すればいいかわからない。
「おや、ロアーじゃないですか。珍しいですね。」
「アダム兄さん…。」
妖艶に笑う自分によく似た奴が帰ってきた。金持ちそうな男を引き連れている。腕まで組んで、恥ずかしい。
「またお話しましょ。今はお客様がいますので。」
あんたと話すことなんかねぇよ。
嬉しそうに、楽しそうに客を部屋に導いていく。なんであんな汚い人が俺の従兄弟なんだよ。
溜息を吐いたところに1人の少女がやってきた。
「あの、アダムさんのご兄弟さんですか?」
「あー、従兄弟ですよ、従兄弟。ものすごく嫌ですけど。」
「嫌ですか…。アダムさんには御恩が多くありますから、兄弟でしたらあなたにもお礼をと思いまして…。」
「アイツはここで何をしてるんですか?」
少女は苦い顔をしてから辺りを見回すと、コソコソと俺に耳打ちをする。
「汚らしい趣味の男から私たちを守ってくれています。」
「…は?」
「アダムさん、本当は普通の男性と同じく女性の方が好きなのですよ。でも、無理して男性の相手をしているのです。」
「それにしては楽しそうに見えましたが…。」
「今日こられている方は『性の知識のない浅はかな若者』が好きだそうで、全部演技ですよ。恐らく店に誘う時から演技をしているんでしょうね。」
「へぇ…。」
「かなり酷いお客様も多いですが、そういった方の相手は全てアダムさんが受け持ってくれています。沢山お金を巻き上げて、この遊郭のみならず、近辺の貧しい方々全員に還元してくださってるのですよ。」
「それが嘘でないという証拠はあるんですか?」
「私たちの笑顔じゃ、証拠になりませんかね…?」
そう言われてみれば確かに少女の表情は晴れやかだ。つまり本当だということなのか。
「…まぁ確かに本当みたいですね。」
「ふふっ、どうか見直してあげてくださいね。」
少女はそう言うと店の中の方へ戻っていった。
「はい、2人とも綺麗になったよ。」
「ありがとうございます。」
髪まで乾かしてもらって、兄の方はほくほくと嬉しそうな表情をしていた。しかし弟は相変わらず無表情だ。
「さて、この子たち…この後どうしようかねぇ。」
「どこかで預かって頂ければいいんですけどね。」
「ロアー君、あんたは無理なの?」
「すみません。どうしても小さな子は苦手で…。」
「そうなのね。…ここに置くにも、お客さんに見つかったら危ないしねぇ。」
女将さんと俺は頭を抱えてしまった。あまりに大きな溜息をつくものだから、兄の方が焦り始めた。
「あの、俺たちは大丈夫です…。これ以上ご迷惑は…」
「何言ってんの。あんたたちはまだ子供でしょうが。こういうことは大人に任せなさい。」
またしばらく小一時間程悩んだ。一切表情を変えない弟に対して兄の方はうとうとし始めていた。女将さんは宛がないか電話帳を見るのに忙しいため、仕方なく俺の肩を貸してやった。ぽてんと俺の腕に頭を置くと、肩に届きもしない。改めて小さな子だと思った。すぅすぅと寝息が聞こえ始めた頃、アダムの入っていった部屋で小さく叫び声が聞こえた。
少しだけ心配になった為、そちらに視線を送ると扉が開いた。出てきたのは着物に少し血のついたアダムだった。
「女将さん、警察にお電話を。先程のお客様、思った通り例の指名手配犯でしたよ。」
「んまぁ。」
「犯人の両足の裏にナイフで切り込みを入れておきました。その上で縛って部屋に放っております。」
「相変わらずの手際の良さねぇ、アダム君。」
「いえいえ。」
微笑むアダムがこちらを見た。
「おや、ロアー…いつの間にご結婚を?」
冗談のつもりだろう、クスクスと笑う。
「バァカ、俺はまだ15だよ。この子たちの引き取り手を探してんだ。」
「そうですかそうですか。…この子って頭が良かったりします?」
「なんでそれを…?」
「いや、パッと見で商才があったりしそうだなぁって。しかもお顔も十分お綺麗ですし、営業にも向いてるかも…。性格がどうだか知らないですけどね。」
「また金の話か。」
「そうですよ。この子たちが自力で生きるにはお金が必要です。お金を作る方法を教えるのも大人の務めですよ。お金は卑しいものではなく、労働や努力の正当な対価であるべきです。汚いお金を巻き上げ、正しい流れに戻してきた私が言ってるのですから、間違いはないですよ。」
「はぁぁ…。で、どっか心当たりでもあるのか?」
アダムはまたニッコリと笑った。
「はい、もちろん!先日私が助けた社長様の娘さんがどうやら良い人に巡り会って会社を継がずに出ていったそうなのですよ。それで、才のある子を養子に貰えたら…なんてボヤいてましたよ。」
「汚い金じゃないだろうな?」
「違いますよ。有名な大企業の社長様です。奥さんも綺麗でお美しい方でした。社長様が羨ましい程に。娘さんも美人な方で…幸せそうな家族ですよ。本当に、ただの家族です。」
アダムが少し俯いた。話になにか裏があるのか、それとも自分の身を憂いているのか。
「実際に会ってみれば分かりますよ。お呼びしましょうか。奥様もぜひご一緒に、と。」
アダムの行動はあまりにも早い。兄の方はまだ眠っている。そんな短時間で大企業の社長を呼びつけた。…なんて奴だ。
「初めまして、アダムさんの従兄弟のロアーさん。私、果物の生産を主な事業としている会社の社長をさせて頂いている、ボーフ・ドグマと申します。」
「妻のディオサです。」
「ど、どうも…。」
「アダムさんはいらっしゃらないんですか?」
「すみません。今、捕まえた指名手配犯を警察に引き渡しているところです。」
「さすがはアダムさんだ。…ところで、私たちに預かってほしい子供たちがいるとか…。」
「あぁ、この子たちです。アダム兄さん曰く、商才はありそうだ、とのことです。」
「ふむふむ。才を持って生まれてきたような顔だね。」
「でも可愛いですねぇ。」
ディオサがギリスの頬にふにふにと触れると、ギリスは目を覚ました。
「ふぁ…誰ですか…?」
「はじめまして。これから君たちのお父さんとお母さんになるボーフとディオサだよ。よろしくね。」
「どういうことですか…?」
不安そうな表情でギリスが俺の顔を見た。
「君たちがより幸せになれる道を探したんだよ。君たちはこれから自分の力でこの世を渡り歩いていかなければいけない。その力が何たるか、この人たちが教えてくれるそうだ。」
「そうなんですね。えと、よろしくお願いします。」
「5歳なのにとても賢いね。」
「仏様が色々と教えてくださったから…。」
「仏様…?」
ボーフが俺の顔を見て首を傾げた。だから俺は何も知らないというジェスチャーをした。
「じゃあ、幸せになれよ。」
「ありがとうございました。」
小さな手を振って、弟を連れてボーフについて行く。
ここまでが、俺とギリス様の思い出である。ギリス様はこのことを鮮明には覚えていなかった。ギリス様を助けたのは俺だった。このことさえ覚えていてくれたなら、運命は少し違っていただろうか。
あれから10数年後、社長の仕事を引き継いだギリス様は名を挙げた。裁の都で最も稼ぐ男に君臨し、私腹を肥やした。ように思われていた。
実際に何かしらの取材が入ると、ギリス様の当時の生活はとても質素で親しみやすいものだった。
「多く稼いでいるはずなのにその稼ぎはどこへ」と問われれば、「大好きなものに還元されている」と笑顔で答えた。その大好きなものの正体が一人の男娼などと、どうすれば言えるのかという話だが。
彼が名を挙げてから、俺は彼に会いに行った。幸せそうな顔が見れればそれでいいかと。
だが、それよりも遥かに前、彼が15の頃に彼はアダム兄さんと会っていた。俺とアイツは顔が似ている。そして、5歳の時に彼はアイツに会っていない。
彼はアイツが自分たちのことを助けた人物だと思い込んでいた。
アイツはもちろん否定したらしい。だが、彼は聞く耳を持たなかった。
俺が彼と再会した時、彼はアイツの人生に触れて更に深く愛していた。アイツが逃げようが、必ず捕まえて自分が幸せにするのだと。
その中にアイツの意思はない。これから一体どうなってしまうのか、あまりにも心配だった。
だから、俺は彼のそばで働いて見守ることにした。秘書というポジションならそばにいられる。正直、感情の見えない弟くんだけでは不安だったからちょうどいい。
彼の働く姿や、都の人々を想う笑顔を見ているうちに、俺の方こそ彼に惹かれてしまった。口を噤んだまま、一生そばにいよう。
一人でそう誓った。
彼の働きで裁の都には桃の木が沢山植えられた。桃源郷地区が出来上がったのだ。そこを桃色をベースに観光地化していったことで、都を訪れる観光客が増え、更に都は栄えた。
だからこそ、あんなことが起きたのかもしれない。